たいこう 太閤殿下の定吉七番 定吉七番シリーズ 東郷 隆 講談社オンデマンドブックス 掛け取りの一「秀吉の黄金」 5 目 次 掛け取りの二「真昼の温泉」 131 掛け取りの一「秀吉の黄金」 1 大阪人は町を守る、という。 かば いや別に大阪市民が全員スカートやコートの下に、スイス製ソロサーン対戦車ライフルを隠し 持って、郷土防衛の念に燃えているわけではない。 自分の暮して来た、子供の頃から慣れ親しんで来た風景を庇う、という意味である。 わき ろ ぬ そう ざい ただよ 、 軒の低い横町(古風な大阪人は、あまり横丁などという言葉は使わないのだ) 。古ぼけた格子戸 ふ と脇に作られた鉢植えの棚。幼い頃より知っているオカズ屋(惣菜屋)から漂う揚げ物の香り。 おさな な じ 走りぬけるソロバン塾帰りの小学生。お風呂帰りの濡れタオルをさげて表通りに出れば、ラフな 格好をした幼馴染みに出会う。 「やあ、久っしぶりやなあ。どないしとってん?」 「あっちゃこっちゃ飛ばされとったんやけど、グツ悪うなってなあ。しゃあないから戻って来てン」 「そうかあ、エライしんどそうやなあ」 「そや、今度寄ろか。積る話もあるし、ゴテクサ言うカス混ぜんと、オモロイ奴だけ声かけて、 ひとつパアッといこか?」 「ええなあ。パアッとかあ。やるとき寄せて。ぜったい行くし」 6 掛け取りの一「秀吉の黄金」 ほど かし たわいない言葉を交し、ほならまたな、と手を上げて二、三歩行きかけ、アレッと首を傾げる。 あ奴は半年程前に、アテネの北大西洋条約機構軍兵士出入りのディスコを爆破して、インターポ かご ールから追われている国際テロリスト。テレビのニュース・ショーで声高に報道されていた奴で はないか。 うしろ すがた あわてて背後を振り返れば、公設市場の入口に群がるおばはんの、買物籠の彼方に友人の姿は 消えて行く。その後 姿には何の違和感も無く、昔別れたときのまま。 ほうき そんなカンフタブルな場所をいとおしむ心が、町を守る心なのである。 間違っても、朝早起きして町内の箒がけを強制してまわるとか、日照権を声高に叫んで隣近所 わい しよう と血みどろの抗争を繰り返す、といった意味ではない。なし崩しに近い現状維持、自分がこの世 つ わい ざつ にある限りは、町も人も我が古い記憶のままにあれかしと願う後向きで矮小な気分が「守り」の 真意なのだ。 い しかし、その大阪人の姿勢も近年えらく様変りした。 す う てん と から ″ スカ″の空クジばかり出して いつも朝風呂をたててくれた銭湯の煙突に、何時しか解体屋の足場が組まれ、駅前の猥雑な飲 い み屋街に、工事許可標示の板が張り渡される。 お ば 美味しい素うどんを茹でていた立ち食い屋のおっさん、いつも ねえ こつ ぜん 来た駄菓子屋のお婆ン、お天道サンの下で、眠そうな眼をこすりながら子供と遊んでくれていた お水関係の姐ちゃんが、ある朝忽然と姿を消し、代って彼らの住んでいた場所には小ぎれいなマ 7 ンションが建てられる。 大阪人が、町を守ることを放棄しつつあるのだ。 こうの いけ とく あん まち 「こら極めて重大な事態と言わざるを得んな」 すす こう とう きざ 坂田小六(東大阪市鴻 池徳庵町在住・推定年齢六十代前半)は、 ズルリッ、とコーヒーを啜った。 「大阪三郷一帯の地価が、東京並みにドン、と高騰する兆しかも知れん」 うつぼ や 「へえーっ、さいでっか」 そ すけ ご ぼう 瓦町靫屋の番頭平七(豊中市名神豊中インター下でアパート住い・大阪商高中退)が声をあげ た。 もろ ぐち や 「どのくらい上りまンね?」 今橋で貸ビル業を営む諸口八十助(和歌山県御坊出身・海南中学中退)も競馬新聞から眼を離 して、身を乗り出す。 は びき の はに ゆう 「ん、まあ、場所によって違うが、おまはんの住んでるとこは?」 「羽曳野の埴生ニュータウンで」 八十助は昨年の十一月、南大阪線沿線が良いという友人の言葉でマンションを購入し、キタで 拾ってきた十九歳のホステスをそこに住まわせている。 「ああ、すぐ近くを三本も高速が通ってるアソコかい」 8 掛け取りの一「秀吉の黄金」 ぶつ しよく うわさ かし 小六は、コーヒー・カップを置いて、ちょっと首を傾げ、 「某証券会社が物色しているという噂もあるし、まあ、あそこはやがて」 厚焼のホットケーキに手をのばした。 「東京の多摩丘陵みたいになるなあ」 「タマキュウリョウて、どんなとこでス?」 はち 「それほど交通の便がようないクセして地価だけはメッチャ高い。ワンルームの賃貸料でもだい たい」 シワだらけの指が一本立った。 「ひえぇ、千円でっか」平七がスットンキョウな声を出した。 「今どきそんな家、吉野の山奥にかて無いわい。フタケタ違う」小六はホットケーキへ丹念に蜂 蜜をかけた。 みつ たた 「すると、わいの住んどるとこは、そのうち超高級住宅地いうことになりまんな」 そ しやく 「よかったなあ、ヤッさん」八十助と平七は手を叩いた。 「アホ」 かつ ぽ ほこり 小六はケーキの半切れを口の中に放りこんで勢いよく咀嚼し、 「見も知らぬ人間ばかりが闊歩するケッタイな街に、高速道路の埃。飯食いに行く言うても、周 囲にあるのはどこも味が同じのレストラン・チェーンばかり、エエモン食お思うたら長いこと車 9
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