『読むこと、書くこと、考えること』 樋口直哉 〈はじめに〉 ここ数年、縁があってオピニオンや取材 記事も書いている。自分の主たる仕事は小 説を書くことなので、はじめのうちは何も わからなかった。それでもやっているうち に一応、アプローチの仕方みたいなものは わかるもので、とりあえず僕なりに一生懸 命続けている。 ダイヤモンド・オンラインに『マグロが 回転寿司から消える日がやってくる!? 漁獲規制だけでは解決しない日本の魚食 問題の根深さ』 http://diamond.jp/articles/-/59404という記 事を書いたことがきっかけで、この問題に ついてベネッセ青山店でお話できること になった。 マグロ問題について話すのなら大学の 先生をはじめ、自分よりも適した人間がい る。専門家ではない人間が話す意味を考え て『読むこと、書くこと、考えること』を テーマにした。 当たり前のことだけど、読むことと書く ことには相関関係がある。読まなければ書 けないし、書き方がわからなければ読めな い。食材と料理の関係に少し似ている。材 料が足りなければ料理にならないし、料理 の仕方を知っておかなければ材料も集め られない。 記事を書くのはいくつのかステップに わかれている。 ステップ1 テーマの設定 自分で書きたいものを選ぶ場合と、編集 者からの依頼の二つがある。どちらにせよ 自分が興味がある物事のほうが楽だ。マグ ロ記事の場合は編集者からの依頼だった。 ステップ2 リサーチ テーマが決まったら、リサーチ。 リサーチの基本は読むことで、資料の読 み方にはコツがある。はじめは業界や産業 全体を把握することからはじめる。雑誌が 便利だ。新聞記事はこの目的にはあまり向 いていない。図やグラフで現状を一覧的に 見ることができるのも便利だ。 また、雑誌記事にはたいてい識者のコメ ントが掲載されているので、その名前をメ モしておく。 雑誌を読んだら次は書籍だ。先ほどメモ した識者の名前で検索をかけたり、図書館 で調べたりして本を探す。いきなり専門書 からはじめても頭に入ってこない。まず手 軽な新書や対談本などから読みはじめる といいようだ。 次にマグロ問題の記事を書くために読 んだ新書の書名を挙げておく。 【新書リスト】 日本の魚は大丈夫か―漁業は三陸から生まれ変わる 川俊雄著 (NHK出版新書) これから食えなくなる魚 森が消えれば海も死ぬ 小松正之著(幻冬舎新書) 松永勝彦著(講談社ブルーバッ クス) いたノンフィクション。銀むつは元々はマ ゼランアイナメという名前のぱっとしな イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフ い深海魚だったが『チリ・シーバス』と名 ト 前がついてレストランなどで人気を集め 本田 良一著 (中公新書) イワシと気候変動―漁業の未来を考える るようになった結果、乱獲がはじまった。 川崎 健著 (岩波新書) (参考)日本漁業の真実 濱田武士著 (ちくま新書) 参考の『日本漁業の真実』(濱田武士著 ちくま新書)は記事を書いた後に読んだの だけれど、いい本だったので挙げておく。 数冊、読めば漁業問題について専門家がど のように考えているか、だいたいわかる。 新書で全体を把握したら次は単行本を 探す。 【単行本リスト】 『鱈―世界を変えた魚の歴史』は漁業問 題というよりも世界史の本。どちらもマグ ロ問題と直接の関係はなく、この原稿を書 くために新たに読んだものではないので、 いつ読んだのかもわすれてしまったけれ ど、普段からいろんな本を読んでおくと思 わぬところで点と点が繋がり、全体像がつ かめることがあって楽しい。 ステップ 3 取材、インタビュー 漁業という日本の問題 勝川俊雄著(NTT出版) 取材をするようになってから『いいイン 日本の食卓から魚が消える日 小松正之著(日本経済新聞出版社) 魚はどこに消えた?―崖っぷち、日本の水産業を救う タビュー=質問とはなにか』ずいぶん考え 片野歩著(ウェッジ) た。質問はとても重要だ。例えば就職の面 漁業と震災 接で「最後になにか質問はありますか?」 濱田武士著(みすず書房) (参考)銀むつクライシス―「カネを生む魚」の乱獲と 壊れゆく海(早川書房) G.ブルース・ネクト (著), 杉浦 茂樹 (翻訳) 鱈―世界を変えた魚の歴史 著 マーク カーランスキー (飛鳥新社) 飽食の海 チャールズ・クローバー著(岩波書店) と聞かれる。この時、面接官にする質問で 人生が決まることもある。にも関わらず僕 らは質問の仕方について、ほとんど教わら ない。 たまにセミナーなどに行くと質疑応答 手軽に読めることを目的としている新 に驚く。ほとんどの人が質問をせず(僕も 書と違い、単行本では筆者の主張などがよ 人のことは言えないが)手を挙げる人がい り掘り下げられている。専門書は最後だ。 たと思えば、口から出てくるのは感想だっ マグロ問題の記事を書くときは『水産資源 たりして、疑問形にすらなっていないこと 学入門』などを読んだ。単行本の末尾には がある。質問力と呼べるようなものがある 参考文献が列挙されていることが多いの とすれば、僕らにはそれが決定的に欠けて で、それを頼りにしてもいい。 いるみたいだ。 ちなみに『銀むつクライシス』は密漁船 を追跡する(あるいは逃亡する)様子を描 マグロ原稿を書く上では新しく識者に 意見を伺ってはいないが、その数カ月前に 捕鯨問題について政策研究大学院大学(当 で中心となった質問は「日本はなぜ交渉ご 時)の小松正之氏の取材に同席した。その とに弱いのか」だった。 ことが後に編集者からのマグロ原稿の寄 いつも中心となる質問を決めるときは 稿依頼に繋がることになるのだけれど、小 普遍性を意識する。漁業問題について書い 松先生は水産庁で国際的な交渉をまとめ ても、例えばIT業界で働く人にはピンとこ てきた人物だ。漁業規制の問題の専門家で ない。しかし、交渉事というのはあらゆる もある。この時は日本の漁業と国際交渉に ジャンルに共通する。固有の経験や現象か ついての歴史的な経緯=時系列に沿った らいかに普遍的な事実を導き出すか、それ 質問からインタビューをはじめた。 は記事の目的の一つでもある。 質問をするためには、そもそもある程度 の知識が必要だ。例えば二百海里などの国 際的な枠組みについては知っておかなけ れば、日米漁業交渉について質問すること はできない。 質問をするにはあらかじめ相手を知っ ておく必要がある。当然、相手が書いた本 は時間が許す限り目を通しておいたほう がいい。前段階でのリサーチの重要性は言 うまでもなく、あらかじめ知っておけば相 手も余計な説明に時間を割かないですむ。 小松先生の場合、印象に残ったのは国際 会議でのエピソードだ。「Shut up」(静 かに)と口に出そうになったところを「Let me speak」(話を聞いてください)と言 って賞賛されたというもの。 「どうして思いとどまることができたん ですか?」 「(普段から感情的にならないように)奥 さんから怒られていたから」 と小松先生は教えてくれた。タフな交渉 人として世界から賞賛される厳しい人だ が、その答えには和まされた。 そんな話をしていただきながら、中心と なる質問を探す。捕鯨問題のインタビュー ステップ 4 考えること さて、材料はすべて集まった。料理をつ くるなら材料を切ったり火を通したりす る前になにをつくるか考える段階だ。ここ での目的は問題の解決策を考えることで はない。『いい質問を発見する』ことだ。 例えばマグロ原稿の場合『解決策はあり そうなのに、なぜ資源は減少し続けるの か?』という問いを立てた。いい質問には すでに答えが隠されているという言葉が あるが、良質な問いを立てることは新しい 視点を提示することにつながるし、なによ り原稿の方向性を決める。 ステップ 5 書くこと いよいよ文章を書いていく。書くという 段階で、僕が大事にしていることは「答え を急がない」ということだ。 ところで料理において煮る、焼く、など の調理法が限られているように、文章にも ある種の型がある。映画の脚本に使われる ハリウッドストーリーテリングは有名だ。 多くの小説には神話の構造が使われてい ているわけではなくて、そうすることで問 る。新聞記事はよく5W1H(いつ、どこで、 題の全体像が掴みやすくなるからだ。 だれが、なぜ、なにを、どのようにしたか) +最後に意義付けと言われる。 新聞記事を例にとってちょっと試して みよう。 『環太平洋交渉に参加している十二カ国 が(だれが)二十五日午後(いつ)、東京 で開かれた首席交渉官会合で(どこで)、 大半の品目で関税を(なにを)撤廃する方 向を決定した(どのようにしたか)。日本 政府はこれまで国内産業の保護を理由に、 米などの特定分野での関税を維持する方 向で調整を進めてきたが、八月末の交渉期 限が迫っていたことなどから一定の譲歩 はやむを得ないという判断に傾いた。この 決定により国内の農業は大きな影響を受 けそうだ。(意義付け)』 内容はまったくのデタラメでそれっぽ い言葉を並べただけだが、新聞記事は形式 で成り立っていることがわかる。 小論文を書くときには問題、意見紹介、 自分の意見、結論という流れがある。 まず冒頭に置くのは問題=事実関係の 記述である。この時、数字を入れると具体 的になっていいようだ。今回は92.6%とい う象徴的な数字を使った。 次に歴史的な経緯を踏まえた上で、いろ んな人の意見を記述する。たいていの問題 には識者がそれぞれの立場で解決策を提 案しているものだ。さきほど立てた問いに 向かって、賛成意見と反対意見を交互に書 いていく。両論を併記するのは対立を煽っ 自分の意見も書かなくてはいけない。専 門家ではない僕は「少なくても僕はこう思 う」ということくらいしか書けないのだけ ど、この〈少なくても〉という部分を支え るものは経験だ。 原稿料をもらっている以上、他の人とは 違うことを書かなければいけないので、経 験は武器にもなる。マグロ原稿について言 えば僕が料理人として関わってきた飲食 業界の話に触れた部分だ。 他の人と違うことを書きたければ、自分 のことを書くのが簡単だ。自分自身はこの 世界にただ一人しかいない。だから、自分 の身の回りのことを書けば原則的に誰か と違うことが書ける。つまり「どう書くか」 というのは「どう生きるか」と同じ問いな のかもしれない。とりあえず今のところ僕 はそんな風に考えながら、文章を書いてい る。
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