研究概要 歴史的建造物や古和紙を対象とする文化財科学の分野では、古材の適切な管理、保存のため、これらの材質を評価する手法の確立が望 まれている。しかし対象となる古材は複雑な内部構造と劣化機構を持ち、加えてその希少性から、その評価法は非破壊で迅速、簡便かつ 総合的な評価が可能であることが条件となる。そこで発表者らは近赤外分光法を用いて長野県遠山郷の木曽ヒノキ埋没木の材質評価を 試みた。近赤外スペクトルには、セルロース、ヘミセルロース、リグニン、抽出成分および倍音、結合音に由来する水の分子振動情報など、 木材の複数の成分データが含まれる。加えて近赤外分光法は物性値の非破壊計測への適用が検討されており、古材に対する総合的な非 破壊材質評価法としての有効性が期待できる。本研究では近赤外分光法とケモメトリックスを組み合わせることで古材の総合的な材質評 価法の確立を目指すとともに、木材の複雑な劣化機構を明らかにすることを目的とした。 実験 近赤外スペクトルの測定 試験片の作成 近赤外スペクトルの測定 ① ホロセルロース含有率 ② 含水率 ③ 抽出成分含有率 ④ 気乾密度 ⑤ 曲げヤング率 ⑥ 曲げヤング率/密度 各測定項目の実測値を測定 SNV(Standard Normal Variate) Savitzky-Golay法を用いて二次微分 PLS回帰分析 主成分分析(PCA) 各目的変数と相関の高い変動を 説明変数から選択的に抽出。検 量線を作成する。 各波長領域の吸光度から算出し た統合指標を用いて試料を評価。 図1: 実験の流れ 生育年代の異なる三種類のヒノキ埋没木 の丸太(O1, O2, N)を採取し、そこから試験 片を切り出した(100mm (繊維方向)×10 mm (接線方向)×5mm(放射方向))。これら の試験片130個の板目面の近赤外反射ス ペクトルを、フーリエ変換型近赤外分光計 [Matrix-F(Bruker Optics)](測定波数: 10000-4000cm-1、分解能:8cm-1、積算回 数:32回)によって測定した。得られたスペ クトルデータに主成分分析(PCA: principal component analysis)を行い、スコアを観察 した。その後、試料のホロセルロース含有 率、含水率、抽出成分含有率、密度、ヤン グ率および密度あたりのヤング率を測定し、 これらを目的変数、近赤外スペクトルを説 明変数としてPartial Least Squares(PLS)回帰 分析による予測モデルの構築を試みた。な お、スペクトルの前処理としてPCAでは二次 微分、PLSではSNVをそれぞれ施した。 結果 図2に各試料のPCAスコアを示す。これにより、各サンプル群の NIR吸収傾向の違いがスペクトルに反映されていることが確認で きた。また、PCAスコアの分布と図3に示す各サンプル群のスペク トル波形の比較から、O2のサンプル群には経年劣化以外の変化 が生じていることが判明した。O2の平均スペクトルでは、6000cm1付近の吸収が他の二つと比較して減少し、一方で5900cm-1付近 の吸収は増加した。これらの特徴から、O2に発生した変化はリグ 図2: PCAスコアの分布 図3: 各サンプル群の近赤外平均スペクトル ニンの構造変化を伴うものであると推測できる。 図4に各測定項目の予測値、実測値と年代との関係と、PLSによって作成した検量線の推定精度を示す。経年劣化によるホロセルロースの崩 壊およびそれに伴うヤング率の減少が実測値およびPLSによって算出した予測値に顕著に示されている。一方で抽出成分、密度、含水率で は経年による変化以上にサンプルの個体差による変動が強く見られた。また、このうち抽出成分と密度はO2の分散が非常に大きいことから、 前述のリグニンの構造変化を伴う反応に影響されたと推測できる。検量線の精度については多くの項目においてR-SQUAREが高い値を示し、 高精度の予測が可能であるということがわかった。特に、直接スペクトルに反映されないヤング率の予測モデルが高い精度で得られた。 RMSECV:平均二乗誤差 R-SQUARE:決定係数 O1 A.D.339-578 O2 A.D.224-583 M A.D.1757-1874 予測値 実測値 図4: 各サンプル群の予測値、実測値と年代との関係 総括 近赤外分光法とケモメトリックスを組み合わせることによって、木曽ヒノキ試験片からさまざまな化学成分値の予測モデルが得られ、曲げヤン グ率に関しても相関の高いスペクトル変動を選択的に抽出することで高精度の予測モデルが得られた。以上の結果から、本手法は古材の総 合的な材質を迅速かつ非破壊で評価することに適した手法であると考えられ,本研究において古材の材質評価に対する近赤外分光法の有効 性が示された。
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