小論文 早稲田大学 スポーツ科学部 1/3 【解答例1】 スポーツ界に激震を走らせた桜宮高校体罰 で体罰が行われ、「連帯感」「一体感」を高め 自殺事件が明らかになったのは 2013 年1月 るという大義名分の下、連帯責任で部員全員 のことだった。その後、メディアは運動部で が体罰を受けるなど、理不尽なことも起こっ の暴力廃絶の強いメッセージを発信し、各競 ているのである。確かに殴る・蹴るといった 技団体も暴力追放や防止策の取り組みを行っ 体罰は一時的に選手の緊張感や集中力を高め、 た。だが、驚くべきことに、同年に実施され 競技力を向上させる効果があるのかもしれな た高野連加盟校の実態調査によると、約1割 い。だが、それはあくまでも一時的なものだ の指導者が「指導する上で体罰は必要」と回 し、そもそも絶対服従の中で理不尽に連帯責 答したのである。また、これは高校生ではな 任をとらされたりすることによって「自主的、 く、大学生が対象だが、全国大学体育連合実 自発的な参加」や「心身の発達育成」が図ら 施の調査によると、学生の2割強が過去に体 れるはずもない。それどころか、体罰による 罰を経験しているにもかかわらず、「体罰を 恐怖支配の下で、学校や指導者の名誉のため 受けた後」について「精神的に強くなった」 に勝利を義務づけられた選手の中には、故障 「競技力が向上した」など、体罰に肯定的な を抱えていても言い出せず、結果として選手 意見が多く見られたのだ。 寿命を縮めてしまったり、バーンアウトに陥 体罰を廃絶すべきという世論が形成されて ってしまったりする者もいるのである。 いても、当の運動部内部では、体罰が肯定的 このように反教育的な指導の温床となって に受け止められ、場合によっては効果的な指 いる「運動部の活動」の現状については、さ 導法と考えられているということになる。 らなる改革が必要だ。スポーツ科学・文化の 日本にスポーツが輸入された当時から、学 教養に基づいた指導法を知らない指導者が勢 校における体育と運動部は、兵士や労働力を い体罰に走るわけで、指導者に対する教育制 造り上げる手段として利用され、上意下達的 度を拡充することが喫緊の課題となるだろう。 な独特の精神主義も育んできた。それが今も 卓越性を相互に追求し合うスポーツ独特の楽 残存し、指導者や上級生への絶対服従を再生 しさを生徒に教え、健全な発育発達を支えら 産し続け、その関係の中で有無を言わせぬ形 れる指導者こそが教育の場には必要なのだ。 © 河合塾 2016 年 小論文 早稲田大学 スポーツ科学部 2/3 【解答例2】 まず私自身の「運動部」の経験を述べたい。 しようとする顧問の先生は意外に多いらしい。 私が属していた高校のバスケットボール部で それは古い指導法や間違った指導法を絶対化 は、顧問の先生が指導らしい指導をすること する恐れがあるという意味で、何もしないこ はほとんどなかった。先生はテニス経験者だ とよりタチが悪いかもしれない。 ったらしいが、テニス部がなかったため、バ このような状況は全て高校の教師にそのま スケ部の顧問を任されたという。そのため技 ま部活動の指導を委ねてきたことに因る。確 術的戦術的な指導は一切なく、練習メニュー かに、10 代後半の人々にとって、運動部で や試合での戦術などはキャプテンを中心に部 の活動は「心身の発育発達を図る上で重要な 員たちで話し合って決めていた。 機会」である。しかしだからこそきちんとし こうした「放任」を全否定するつもりはな た資格を持った指導者が指導に当たるべきで い。自分たちで話し合ったり工夫したりする あり、学校の教師が教職の傍で片手間に指導 経験は中学時代まではなく、どうすれば強く に当たる現状を改革する必要がある。 なれるのかを自分たちで考えることはそれな 報道によれば、今日では、部活の顧問とい りに面白かった。しかしそれは指導者がきち う「残業」が現場の教師たちにとって通常業 んと見守る中で部員たちの自主性に任せる所 務を圧迫するほど負担になっていると言う。 は任せるという指導とはやはり別ものだった だとすれば、部活動の指導を資格化し、有資 と思う。チーム全体を長い目で見る一貫した 格者にのみスポーツ指導に当たらせる体制を 目があるかどうかによって部としての活動の 早急に作るべきだろう。その結果、高校の運 あり方は大きく変わる。そう考えると、私が 動部の数が減少し、全体の参加者数が減少し 経験した高校の部活は同好会に近く、「責任 たとしても、その分地域が運動やスポーツの 感や連帯感の涵養」どころか、そもそも「教 機会を提供すればよい。全てを学校に頼るの 育の一環」と言えるどうかに疑問が残る。だ ではなく、学校と地域が分業する体制を築い が私たちの部のような例はまだ幸運な方だろ ていくことがスポーツ指導の質の向上という う。聞いた所では、わずかばかりの競技経験 意味でも、生涯スポーツの活性化という意味 や聞きかじった指導法に頼って積極的に指導 でも望ましいのではないか。 © 河合塾 2016 年 小論文 早稲田大学 スポーツ科学部 3/3 【解答例3】 高等学校の部活動の目的は、生徒が自主的 立場の人は「競技力向上」が見込めるからだ にスポーツや文化及び科学等に親しむことで というが、現状ではごく一部のスポーツの競 ある。しかし、現状の「運動部の活動」で、 技力しか向上していないのではないか。一部 その目的が十分に達成されているといえるだ のスポーツに人材が集中することで、能力が ろうか。 あっても活躍の機会が得られず、二軍・三軍 「運動部の活動」では、一つの競技だけに で飼い殺しにされ、歪んだ「一体感」を強要 専念せざるを得ないのが現状である。途中で されるのでは、学校教育としても問題がある。 競技を変更することや、新たな競技に挑戦す 結果として才能はあってもスポーツから離れ るのは大変困難だ。参加してみたいと思った てしまう生徒が増えるのでは、却って日本の 競技を試みることも出来ないのでは、「スポ スポーツ界全体の競技力は低下してしまうだ ーツに親しむ」という目的が達成されている ろう。 とはいえない。また、学校の部活動では、野 「運動部の活動」は、学校教育の一環であ 球、男子サッカー、バレーボールなどの、現 り、一部のメジャー競技の選手の養成機関と 在の日本社会でメジャーとされるスポーツが なっている現状は改革すべきである。高等学 中心となってしまっている。例えば、オリン 校は教育機関なのだから、多くの生徒に様々 ピックで日本人選手が活躍したマイナー競技 なスポーツとの出会いの場を提供するべきだ。 を面白いと思ったり、車いすバスケなどの健 それには、一つの競技だけに専念させる部活 常者も参加できる障害者スポーツがやりたく 動の現状を改革し、希望者が季節ごとに参加 なったりしても、高校生がそれを部活で試し する競技を変えたり、複数の競技に参加でき てみることはまず不可能だ。地域や学校ごと る体制を整えるのが良い。トップアスリート に盛んな競技には偏りがあることも多く、生 を目指す生徒も、学校外のスポーツクラブで 徒は高等学校が提供できる限られたメニュー 単一の競技に専念し、部活では別の競技に挑 の中から、単一の競技を選んで参加するほか 戦することができるようになれば、自分の新 ない。 たな可能性を発見できるかもしれず、故障や 「運動部の活動」が現状のままで良いとい バーンアウトのリスクも軽減できるだろう。 © 河合塾 2016 年
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