「第9回冬の授業づくり・学校づくりセミナー」を終えて 茨城・学びの

「第9回冬の授業づくり・学校づくりセミナー」を終えて
茨城・学びの会代表 岩本泰則
1
はじめに
先日は茨城学びの会・「第9回冬の授業づくり・学校づくりセミナー」にご参加いただ
き有難うございました。佐藤学先生をお迎えし、約134名の参加者が思いを一つにして
共に学び合うことができました。今回は、雜賀香先生の小学校3年算数、伊藤紳一郎先生
の中学校2年英語の授業づくりの実践発表、そして佐藤学先生の講演という内容でした。
二つの実践報告とも日頃の実践を積み上げた自己主張のある素晴らしいものでした。そ
の内容の一部については、同ブログ「授業への思い(雜賀香教諭)」、「英語授業実践発
表プレゼン(伊藤教諭)」「中学校英語実践報告後の佐藤学先生コメント(伊藤教諭のま
とめ)」からも読み取ることができます。佐藤先生のコメントは、雜賀香先生や伊藤先生
の課題をズバリ指摘してくださるものであり、私たちにとっても改めて学びの視点を学ぶ
大変有意義な時間となったのではないかと思います。
2
伊藤先生のリフレクションと佐藤学先生からのメール
後日、伊藤先生からうれしいメールとお話をもらいました。そこで佐藤学先生に伊藤先
生の気持ちをお伝えしました。
≪『私にとっても,大きな学びがありました。自宅に帰り,ビデオを見て,学び直しをし
ました。 佐藤先生のコメントを書き起こしてみましたので,送らせていただきます。」と
いうメールが届きました。そして、彼は早速佐藤先生から紹介いただいた書物を買い求め
たとのことです。≫と。
佐藤学先生のコメントは、伊藤先生が良しと思って進めている授業観を否定するような
ものでした。しかし、彼はこのようなリフレクション、学び直しをしているのです。教師
はこうして「専門家としての教師」に育っていくのだろうなと頭が下がりました。佐藤学
先生からは以下のメールが届きました。
≪伊藤さんの返答、嬉しい限りです。あの授業は、見方によれば、とても完成の域に達し
ているので、失礼なことを言ったのではないかと気にしていました。前向きに検討してい
ただいて、嬉しいです。連絡、ありがとうございます。≫
3
やっぱりすごい、雜賀先生の授業
雜賀先生の実践発表は11月26日、中根小学校の公開研究会のもの、私はスーパーバ
イザーとして参加しました。3年生がここまで育っている。学校全体で取り組む意味を痛
感しました。更に昨年まで国語を追究してこられた先生が今年は算数、ここまでできるの
だと感動していたのです。
しかし、課題もありました。その一つは、このブログに掲載されている雜賀先生の「授
業への思い」にある通りです。
≪わからないことを友達にたずねながら,学び合っているように見えた。しかし,よく話
しているが,本当に課題に向き合って夢中に学んでいたのかは疑問である。≫
という課題をもっての実践発表でした。私自身もこのところがとても気になっていたので
す。佐藤先生からは、「全体の場では学び合いになっていた。しかし、グループにでは聴
き合う関係ができていない。学び合いにならず話し合いになっている」とのコメント。
しかしながら、そういう課題はあるけども、この授業から学ぶところはいっぱいありま
す。
授業直後に雜賀先生に送ったお礼の手紙を紹介させていただきます。
4
雑賀香先生へのたより
雑賀先生、公開授業お疲れ様でした。また、参観させて頂き本当に有難うございました。
子どもからも先生からも沢山のことを改めて学ばせていただきました。聴き合える、学び
合える子どもたちをよくここまで育て来られました。先生の聴き方、待ち方、見届け方、
眼差し、間の取り方、すべての子の学びの保障への思い、言葉の柔らかさ、少ない言葉、
授業デザインの再構成、足場かけ等々、学ぶことばかりの1時間でした。
円の学習2時間目、ここまで探求できる学びが創れるとは、驚きでいっぱいでした。す
べての子どもが始めから終わりまで主体的に、協同的に、しかも楽しく探求していました。
とりわけ先生が配慮されていた課題の必然性もあり、ジャンプの課題に挑戦することの緊
張感、探求、充実感は見事でした。これまで私たちが求めてきた算数授業を目の当たりに
することができたこと、先生も子どもたちもそうだったでしょうが、参観している私も幸
せな時間でした。
家に帰ってその日に授業ビデオを拝見、発見がいっぱいありました。その感動をお伝え
したくお礼にしたいと思ってペンをとりました。
校長室を出るのが遅くなってしまって、始業に間に合わせようとハアハアしながら教室
に向かいましたが、間に合いませんでした。共有の課題との出会いが参観できず残念でた
まりませんでした。共有の課題、本当に丁寧でしたね。これでいいのだと思います。分か
っているつもりが意外と分かっていないことに気づかされました。
15分、ジャンプの問題へ。そこからを詳しく書きます。
極めて単純なジャンプ課題の提示、何の工作もしないのに、余計なことも言わないのに
あの反応です。子どもたちはめいめいが自然と問題を声に出して読みだしている。「なに
それ!」「分かった!」「分かんない!」というどよめき。「先生問題!」という子もい
る。このようにしていつもジャンプの課題に挑戦させている日常の授業の姿が目に浮かん
でくる。難しいがみんなで考えるとできる、その充実感を味わうことができるという期待
でしょう。見事なスイッチオンである。
先生の「自分で問題を読んで」という指示が出た時には、もうすでに声に出しながら数
値を図に書き込んでいる。指示待ちでない子どもたちが育っている。
少したって「グループになって」、個人学習の共有化である。一番前の真ん中、かわた
君のグループは皆それぞれに書き込みをしている。いわゆる優秀な子に引きずられるよう
な子はいない。一人一人が自律している。黙々と考えている。「学びは個に始まり個に終
わる」の様相である。やがて菊地さんが古川さんに声をかける、古川さんが川田君に「わ
からない、教えて」、川田君はもう分かっていそうである。質問した古川さんが訊くのを
中途半端で終わっているのが何とも残念である。声が大きいのは気になる、3年生らしい
学びであろう。
25′42″、
先生が前を向くように仕向けた。全員が教師の言葉に集中した。こんなにも早く切り替
えることのできる子供に育っている。
T:困った人いる? 大勢が声を発する、手をあげる。「分からないことは恥ずかしいこ
とでない」、そういう文化がこの学級には育っている。村上君の困ったことの説明が内容
がちょっとずれてるかもしれない。しかし彼は本気だ。それを温かく受け入れている。
T:求めるところはどこ?
いい確認である。なるほど、こういうことが大事なんですよね。ここを押さえておかな
いと先に進めないですからね。
T:ヒント、もらう?
C:大場君が説明を始める。見事な説明の仕方である。3年生がここまでできるんだ。聞
き手に言葉を届けている。受けてもいい、反応している。「あー」とか「分かった!」とい
う声や表情がいっぱいある。反応できる子が育っている。
説明の途中で、
「ストップ」という声、その先はみんなで考えようという学習の仕方が浸透
しているのだろう。
30′この時点で木村さんたちはもう分かったのだろうか。声が大きいのはそのせいだ
ろうか。そういう状況はあっても先生はこう質問する。
T:困ったところ、言って。
船橋さんが説明する
C:4+10=14…直径
になって、
T:ここまで、分かった?
C:
(続けて)14÷2=7、ここから分かんなくなりました。
(先生、式を板書、これが効いている、後でまた使っている)
T:
「7」ってなに?
35′38″
少し時間をおいて
T:どういうふうになるか、もう1回グループで考えてみて。
石井先生が講演の中で、
「グループ学習に限界がきたら、どこかで足場(はしご)をかけ
る、手がかりを与える」
、こうおっしゃいました。これが見事にこの授業の中に生かされて
いるのです。学びが切れません。「子どもの状況に応じて教師は総合的に瞬時に判断して、
授業デザインを再構成する」
、教師にはこのとっさの判断が必要になる。これが大事なんで
す。算数に取り掛かって1年目、そういうことがいとも簡単にできる雑賀先生、すばらし
いです。この手法は全学級公開の中でも見つけることができました。そういうレベルに本
校が到達しているんですね。
39′38″
T:じゃあ、こっち見て。
(板書を指しながら) 14÷2=7
この「7」は?
C(菊地)
:
「7」は、ここからここまで・・・の半径。
「もう、これでわかんじゃない?」「あー、分かった!」「分かんない」という声がたく
さん出る。
「わかった」という声がずいぶん出てきた。理解している子が増えているん
だろうが、どれだけ本当にできて、出来ていないのか、分からない。でも雰囲気がいい。
こういう教室にはめったに出会えない。
40′51″
この時、久保田君がよみがえってきた。これまで学びに入ったり逃避した
りの繰り返しだった。しかし、隣りの木村さんが実によく支えている。久保田君に寄り添
っている。久保田君、何かひらめきがあったのだろう、木村さんに、分かったよ、こうだ
ろうと自信たっぷりに伝えている。この授業で一番感動した場面の一つである。どんな話
をしているのか聞き取れないのが残念である。この後、こういう場面がもう一度出てくる。
久保田君がここまでこれたということ、この授業の重みがずっしりと伝ってくる。
この頃多くの子たちが分かったという充実感に浸っているように思える。いい表情をし
ている。古川さんもその一人だ。
42′38″
先生からコの字に直すような指示があった。藤島さんが自分の机をコの字
に直すと同時に手をあげた、分からなかったことがあったんだろう、ききたくて仕方がな
かったのだろう。あるいは発見かもしれない。先生はそれをしっかり看取っていた。藤島
さんを指すと、トコトコと黒板の前に来て
藤島:私は何かわかんないんだけど、(
「サクランボ計算」だとして説明)
・・・こうやった
んだけど、この先が分かりません。
T:どんなことをしたんだろうね。(先生もこの子の考えを分かろうと一生懸命、探ってい
るうちに、藤島さんが自ら出てきて)
藤島:・・・ここがわかんなくて。
子どもたちも探っている。先生も困ってしまう、20秒の間がある。
「長い」間である。
中々こんなに待てない。雑賀先生、よく待てる、実によく子どもたちを看取っている。し
かし、
藤田:二つやり方がある。
・・・ (藤島さんにはつながっていない、残念)
藤田君の説明もゆっくり丁寧だ、思考しながらの説明である。しかも、クラスのみん
なに言葉が届いているか確認している。どの子の説明もそうであった。
・・・7-4は・・・
(子どもたちから「ストップ」の声で、席に戻る。戻ったところ
で飯島さんに促されて藤田君はもう一度黒板の前に戻り、語りだす。このかかわりもすて
きだ。
)
その頃、久保田君はこれはこうでこうなると、独り言のように力説している。木村さん
も聞いている。
藤田君、説明を始めようとしているとき。
T:ちょっと、ごめん。(と、藤田君に集中するように促す。先生の厳しい眼差し、先生は
こういう状況を見逃さない。先生の小さな声にもかかわらず、俊敏に反応、育っているな
あ。
)
藤田:・・・だから、ここが「3cm」
C:
「そういうことか、分かった!」
一件落着
子どもの状況をゆっくり看取る雑賀先生、素敵だ、本当に理解している
のか確認しているのだろうか。そう簡単には次へ進まない。すべての子どもの学びの保障
を意識している。それでいてだれさせない。
(20秒)
「やっとできた」
「まだわからない」という声もある。
T:じゃあ、答えは何なの?
T:さっき、らんちゃんが、書いてくれたことそのままになっちゃったからこの次の時間
に考えようね。
(らんちゃんの顔を見ながら)
らんちゃんはこの前、両肘を机につき両手で顔を支え、どこか腑に落ちないようにじ~
としていた。そういう状況も察知して、先生はこの言葉を忘れなかった。
この後はまとめに入っていった。
思いついたことをとりとめもなく、だらだらと綴ってしまいました。ここまでにします。
書きながら、時にはDVDに戻って確認する、すると又別のことが見えて来ます。先生
の授業の宝物を発見するのです。協議会の折、以下のようなことを語りました。
・算数の楽しさをすべての子どもに伝えたい。
・ジャンプの課題に出会った時
おや? なぜ? 考えてみよう やってみよう なるほど 分かった できた
・グループ活動の限界を見極めて、全体に戻す
・困り感、分からなさ、つぶやき、疑問、発見等を共有する⇒方向性、見通しをもたせる。
⇒再びグループに戻す
・その繰り返しをしながら解決に導く。グループでの解決が基本(すべての子どもの学び
の保障)
・つぶやき、分からなさ、疑問等は、授業を深める最高の問い
・相手の言いたいことをわかろうと話を聴く
・自分の言葉が相手に届いているか見届けながら話す
・あいづち、うなずき=共感する姿を
・わからない時に、「これどうやるの?」と問う
・「なんで?」、「どうして?」、「教えて」、「どうやるの?」・・・
・相手によりそって考える
・テキストに戻ったり、前の学習(既習事項)に戻って考える
以上のこと、否それ以上のことがこの授業で起きていたのではないでしょうか。教師の
仕事はあまりにも多忙です。どうぞくれぐれもご自愛ください。有難うございました。
5
おわりに
最後に、佐藤学先生がつくば駅に車の中でこうつぶやいておられましたことを付け加え
ておきます。
「雜賀先生のよかったねー、おもしろかったねー」
夏のセミナーは、8月28日(日)の予定です。またお会いしましょう。