■ドキュメント72時間■ クリスマス会が行われた翌日の 12 月 22 日が2学期終業式であった。 終業式が終わると生徒たちは三々五々それぞれの故郷へと帰っていく。 式では、長崎にあるバス会社のポスターに書かれている 「帰省の人はすぐにわかる。何でもない景色を、見る目がやさしい」 を題材に使って生徒に話をした。 直近の飛行機を予約した者時間にゆとりを持って夕刻の便を予約した者さまざまだが、 兎に角この日に帰省しようとした生徒の多くが千歳空港へと向かった。そして、あの大混 乱に巻き込まれた。 北海道はこの日約 50 年ぶりという大雪に見舞われ、千歳空港を発着する便のほとんど が欠航を余儀なくされた。当然。生徒たちも空港で足止めとなった。 こうした事態において生徒がどのような判断をし行動を起こしたのか、あるいは起こさ なかったのか。なかなかに興味深い事態ではある。 まずはじめに動いたのは2年生である。空港機能が完全に麻痺し、翌日の運行も期待で きないと判断するや札幌にある2年新琴似男子の実家に緊急避難させてもらった。2年新 琴似男子はなんと静岡でのアンドロイドに関するコンピュータ講習会に参加するため、こ の日帰省する者たちと一緒に千歳空港にいたのである。自分にやりたいことがあるならば、 そのために時間を自由に使えることが、日高高校の良さである。その点で2年新琴似男子 は日高高校の利点を上手く活用している。 2年新琴似男子の実家に緊急避難したのは、愚輩の調査によると2年木更津男子、2年 埼玉男子、2年中央区女子、2年調布男子それに1年栃木男子の5名である。しかも、空 港から札幌新琴似に向かう途中で空路にさっさと見切りをつけて陸路に切り替え、翌日早 朝のJR新幹線の切符を手配したというのだから動きが速い。何より2年埼玉男子がいた のが心強い。2年埼玉男子は「鉄っちゃん」である。それも、カラオケでは「あずさ2号」 を唄うほどの筋金入りの「乗り鉄」である。札幌を出発して、どこの駅で何時に何線に乗 り換えると何時には目的地に到着できるとたちどころに旅程を示したというのだから、赤 字に苦しむJR北海道にスカウトさせたい。 こうした一連の手配を素早く無駄なく進める2年埼玉男子に対し、周りにいた生徒たち も神様仏様2年埼玉男子様とばかりに、すっかり頼り切っていたらしい。この男ヌーボー とした佇まいながら、予想外の事態にも泰然として慌てないという特徴を持つ。2年埼玉 男子をあなどってはいけない。 以前、長期休業中に東京及びその近郊にいる生徒同士が集まって食事でもしようという 話になったらしい。ところがそれぞれの都合がつかなかったり当日キャンセルが出たりし て、結局集まったのは2年中央区女子と2年埼玉男子のふたりだけ。しかも待ち合わせ場 所が泣く子も黙るオシャレな街・銀座である。 何人かで休日の銀座をブラブラしようとの計画が、結果的に傍目からは銀座でラブラブ に映ったかもしれない。その上、折角銀座に来たからにはとふたりで食事に行ったという のだから隅に置けない。それもファミレスやファストフード店などという、いかにも高校 生が行くような軟弱な店ではなく、焼肉店だったというのだから殆ど演歌の世界である。 焼き台を挟みふたりが一体どんな会話を交わしていたのか。想像するだけで楽しくなる。 「そっちのカルビもう焼けてるよ」 「ん。ああ。……私ぁミノでいい」 「―――」 「―――」 「このサガリ、結構美味いね」 「ウチ、ミノしか食べないから」 「焼肉屋でミノしか食べない人のことを『みのもんた』って云うのかな?」 「云わないでしょ。そんなこと」 「―――」 「―――」 「タン塩、もう少し頼もうか?」 「そうね」 そんな弾んでいるのかいないのか分からないような会話が交わされていたに違いない。 さて、2年新琴似男子の家庭愛と2年埼玉男子の機転によりエアポート・ダウンの危機 を脱した一行であるが、3年生達は逆に動かず空港に留まっていたらしい。 22 日どころか翌 23 日も欠航解除の見通しが立たないとの情報を入手するや、3年秋田 男子は素早く札幌市内の宿を押さえ、24 日帰省へと予定変更した。3年静岡男子と3年 兵庫女子、3年山梨男子それに3年大阪男子の4名は、そのまま空港で天候の回復をひた すら待ち続けたという。空港滞在時間が一体何時間となったのか、ドキュメンタリー映画 に記録してほしいものだ。 3年岩手男子は最初から 23 日の便を予約していたが、23 日の朝も引き続き交通マヒが 続いていることを確認すると、寮に引き返しそのまま待機を続け、翌 24 日の夕刻に無事 岩手に向けて機上の人となった。 一方、1年生の何名かは終業式の翌日の日高スキー場オープンに初滑りをするため、は じめから 24 日の航空券を予約していた。1年川崎男子と1年千葉男子、1年埼玉男子の 3名が 23 日の初滑りを楽しんだそうだ。この3名と1年埼玉女子、さらには 23 日の飛行 機が欠航となった1年横浜中区男子の5名が、24 日の夜羽田に向かってフライトした。 飛行機が羽田に到着したときにはすでに終電も出た後であり、それぞれの家族がわざわざ 空港まで迎えに来てくれたそうだ。生徒のみならず、家族の人達にとってもとんだクリス マス・イヴとなったものだ。 この他1年横浜保土ヶ谷区男子はたまたま北海道に来ていた父親と合流して無事を確認 していたし、2年岐阜男子と3年愛知女子は 23 日からスキー部の合宿へと出発していた。 また、1年群馬男子は怪我のため冬休み前から自宅療養しており、2年栃木男子は今年も 実家には帰らず道東の温泉宿で住み込みのアルバイト生活である。 愚輩が 23 日の夜、寮に顔を出したときには何名かが寮に残っていたが、その者達も1 名を除き翌朝には寮を出てそれぞれの実家へと帰省する予定であった。 はじめから終業式の2日後 25 日に帰省を予定していたのは、2年奈良男子ただひとり である。 「いやー、明日は寮でオレひとりだぁ。マジ淋しい」 「あら。明日の夜、寮にいるのは2年奈良男子ひとりだけなの?」 「そ」 「クリスマス・イブなのにそれは淋しいね」 「でしょう?」 「じゃあ、明日の夜は『ぼっちクリ』同士、愚輩とクリスマス・イブを過ごすか?」 「???」 「愚輩にはこの年末にやっておかなければならない仕事がある。2年奈良男子よ、明日愚 輩の仕事を手伝え」 「仕事って何?」 「実は、年明け1月に北海道の校長先生方が集まる会議において愚輩がプレゼンをしなけ ればならない。その資料づくりだ」 「資料なんてつくれないよ」 「いや印刷した資料を綴じ込むだけでいい」 「それなら出来る」 「その数が半端じゃない。300を越える」 「大丈夫。でも、そんなに必要なの?」 「北海道すべての高校の校長先生方だからな、そのくらいの数になる」 「ふーん」 「こう見えて愚輩もそこそこ忙しいのだ」 「ほほう。で、オレは明日どうすればいいの?」 「うむ。夕飯が終わる頃を見計らって愚輩が寮に行くから待っていてくれ」 「分かった。待っている」 男ふたりクリスマスの約束をした。 そしてクリスマス・イヴ 24 日となった。2年奈良男子を除いて、残っていた寮生もこ の日の午前中には、それぞれの目的地に向かって寮を出発した。愚輩はそのことで安心し たのか、午後になって眠気が襲い一寸だけのつもりでうとうとと昼寝をした。その時みた 夢の中で、なんと愚輩は広瀬すずちゃんと楽しく会話をしながら歩いているではないか。 どういうキッカケで広瀬すずちゃんと知り合いになったのか、そういった経過や理由は一 切なく極めてご都合主義的唐突に美女と楽しくお喋りをする夢というのは何か精神衛生上 の悩みを抱えているのではあるまいか。フロイトが生きていたらぜひ分析してもらいたい ものだ。 そして至福の夢の中で、愚輩の問いかけに広瀬すずちゃんは頬を染め恥ずかしそうに答 えたのであった。 「これから、どこかに行こうか?」 「うん」 「どこか」がどこを指しているのかは愚輩にも分からない。遊園地なのか映画館なのか、 はたまた二人っきりになれる場所なのか、問題はそこではない。ここで重要なのは、広瀬 すずちゃんが「うん」と答えていることである。 「はい」という返事だったならば、何か上司と部下といった上下関係が暗黙のうちにふ たりの間に置かれているような気になる。「わかりました」もこれは教師と生徒の間柄と いった感じである。そのどちらでもない「うん」という返事は、互いに対等な関係を示し ていることに他ならない。愚輩と広瀬すずちゃんの楽しい時間がこれからはじまるという まさにその時、枕元の携帯電話が鳴った。 「―――!!!」 一寸のつもりが、しっかりと寝ていたことに気が付いた。時計を確認すると 17 時 10 分。 「もしもしっ!!」 「あーもしもし、コーチョー?2年奈良男子だけど、オレはどうすればいいの?」 「ゴメン!一寸のつもりが寝過ごした。これから支度をして寮に行く。あと 30 分待って。30 分後には必ず行くから」 「分かった」 2年奈良男子の声が借金の取り立てを待つ銀行員のように聞こえた。 慌てて支度をしつつ、心の隅には広瀬すずちゃんとの甘酸っぱい想い出を邪魔された悔 しさがじわりと広がっていた。 結局。20分後には寮に行くことが出来た。玄関前で先ずは待たせたことを詫びた。 「2年奈良男子、待たせてしまった。ゴメン!」 「いや大丈夫だよ」 「それで夕飯はもう食べ終わったンだよね?」 「(コクンと頷く)」 すると舎監さんが 「ご飯はつくってあげられたんだけど風呂がね、もう寮生もいないもンだからボイラーを 消してしまったので入れないんですよ。だから、スキー場にある温泉に行って来いとさ っき2年奈良男子に云ったンですよ」 と教えてくれる。 「そうか。それじゃあ、校長室で作業をしてもらった後、愚輩と一緒に温泉に行こう」 「いいよ」 「よし決まった。それじゃあ、校長室でふたりぼっちのクリスマス・イヴを作業しながら 過ごした後、そのまま温泉に直行しよう。持っていくものを忘れないように」 「(コクンと頷く)」 そうやって小1時間ほど資料の綴じ込みを手伝ってもらった後、ふたりで温泉に出かけ た。ここの温泉は日高スキー場のシーズン券を持つ者は、スキー場オープン期間中無料で 入浴できるため、愚輩も2年奈良男子もシーズン券を提示しただけで無料パスとなる。 クリスマス・イブの夜、寮にたったひとり残った生徒とともに温泉の湯につかる――― それは愚輩にとっても何とも云えぬ幸福な時間である。 「ううう……やっぱり冬だから冷えるね。早く温まろう」 といって浴室に入ろうと2年奈良男子を見るとタオルを持っていない。 「あれ!?タオル忘れたの?」 「いや」 「えっ???どういうこと?」 「タオル、いらない」 「いらないって……何も持たずに風呂に入るの?」 「そ」 よほど自分の持ち物に自信があるのかへその下を隠そうともしない。 「―――!!!ひょっとして、奈良県ではみんなタオルを持たずに風呂に入る文化なの?」 お国が変われば風習も異なる。奈良県ではそれが当たり前なのかと思い問いただした。 確か2年奈良男子には女子大生のお姉さんがいた筈である。女子大生がタオル一枚身を隠 さず風呂に入るなんて、想像しただけで鼻血が出そうだ。 「いや。奈良県がタオルを持たないということではない」 なぜかホッとした。 「じゃあ、2年奈良男子の家庭ではみんなタオルを持たずに風呂に入っているの!?」 ひょっとすると2年奈良男子の家系が飛鳥時代から続く由緒正しき宗派に属し、そこで はタオルは不浄のものとされ身ひとつで風呂に入るのを良しとしているのかもしれないと 考えた。今度は保護者懇談会でお目にかかったことのある2年奈良男子のお母さんの顔が 思い浮かんだが、妙に生々しくなりそうなので慌てて想像をかき消した。 「いや、我が家がそういう風にしている訳ではない」 「だったらなぜタオルを……もしないんだったら、家から持ってきてあげたのに」 「う~ん。面倒くさい、から」 「だって身体を洗うとき困るでしょ」 「大丈夫。手で洗う」 素手でシャボンまみれになるなんて、愚輩ならひとりで悶えてしまいそうだ。 「風呂上がりは?バスタオルは持ってきているの?」 「持ってきてない。自然に乾かしてから服を着る」 「風邪ひくじゃないッ!?」 「いや大丈夫」 2年奈良男子は変なところでキッパリと断言した。 なんだか頭がクラクラしてきた。 それが、先月のクリスマス・イブの夜の出来事であった。 翌朝早く、2年奈良男子は寮を出て無事実家の奈良県へと帰省していった。大雪のため 上を下への大騒ぎとなった2学期終業日からの3日間は、こうして静かに本格的な冬休み へと突入していった。 年が明けた1月 16 日の始業式には、予定していた生徒が全員元気に顔を揃え、学校も 新しい年を生徒たちの笑顔とともに迎えたのである。
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