翠嵐の正門を入るとすぐ右側に、 野 生稲の発芽を象った青と赤のモニ ュ

● 翠嵐 の風景 (1)
翠 嵐 の正 門 を 入 ると す ぐ 右 側 に、 野
生 稲 の発 芽 を象 った青 と赤 の モ ニ ュメ
ント が私 たち を 出 迎 え てく れ ま す 。 さ
ら に右 奥 に進 む と 旧 プ ー ル跡 の広 い空
き 地 があ り ま す が、毎 年 4月 前 後 にな
ると 、 バ ス通 り に面 し た フ ェン ス沿 い
に ソメイ ョシ ノが満 開 にな り ま す 。 そ
の少 し前 に ソメイ ョシ ノ の合 間 に植 え
ら れ た ビ ンク の花 が咲 き出 す のを みな
さ んご存 知 でし ょう か。 3月 終 わり か
いま す 。
より の角 には小 さ な 石柱 が建 てら れ て
国﹂に向 か って いきます が、駅を右 に出
てバ ス通 り を道 な り にも と き た 長 津 田
の方向 に戻 ると 、向 か って左 手 の切 り
慰霊碑の解読文
通 し が右 手 の 奈 良 川 に迫 った と こ ろ、
川 に せり出 し た バ ス停 の向 か いの斜 面
を 切 り欠 いて大 き な菱 形 の自 然 石 の石
碑 が建 って いま す 。 こ の斜 面 の上 に は
住 吉 神 社 と いう お社 が あ り 、 そ の先 の
鳥 居 の石段 の下 は バ ス通 り の交 差 点 に
な って いて、 こ の住 吉 神 社 前 交 差 点 は
つ橋 の上 にかか って います。
神前橋と いヽ
長 津 田駅 から 2両編 成 の電 車 に乗 り
員 殉 難 之 櫻 木 ﹂と 刻 ま れ、 神 社 の麓 の
ら 4 月 初 め に か け て の ほ ん の僅 か な
間 、 こ の横 浜 緋 桜 と ソメイ ョシ ノが咲
換 え て、 親 子 連 れ に混 じ って単 線 を終
大 き な 石碑 に は高 名 な 国 文 学 者 の手 に
學 徒 勤労 動
翠 嵐 の小 さ な 石 柱 に は ﹁
き揃 い、 プ ー ル跡 地 はま る で桃 源 郷 の
点 ま で 2 駅 、 小 さ な 旅 が楽 し め ま す 。
鎮 魂 歌 ﹂が刻 ま れ て いま す 。
よる ﹁
よう にな り ま す 。 こ の横 浜 緋 桜 は 6本
一鮮 p \\E ≦E あ⊆ ﹁∞コ天L 。
﹄
0
親子連 れは駅を出 てま っすぐ で﹂ども の
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24
第29号
報
会
翠 嵐
本来 の場所 にあった慰霊碑
田奈慰霊碑
植 え ら れ て いて、 いち ば ん奥 の平 沼邸
■ 編集 ・発行 / 翠嵐会 横浜市神奈 川 区 三ツ沢南 町1の1 神奈川県立横浜翠嵐高校内
7年1
0日発行
0月3
9号 平成2
翠嵐 会 報 第2
旧プール跡 の横浜緋桜