第3章 詐 欺 罪 講師/加藤 喬 講師/加藤 喬 第3章 詐 欺 罪 第1節 1項詐欺罪 「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。」(246 条 1 項) 第1.欺 罔 行 為 欺罔行為(「人を欺いて」)とは、人の錯誤を惹起する行為であって、人の物・利益 の交付行為に向けられたものでなければならない(山口各論 250~251 頁)。 1.欺罔の対象 欺罔行為により惹起される錯誤は、それがなければ交付行為を行わなかったであろ う重要な事実(近時の判例は、 「交付の判断の基礎となる重要な事項」と表現する)に 関するものでなければならない(山口各論 251 頁)。このような事項についての錯誤 でなければ、物・利益の喪失による詐欺罪の法益侵害性を肯定できないからである。 【論証 1】詐欺罪における錯誤 詐欺罪における錯誤の内容についてどのように考えるべきか。 ↓ 詐欺罪において、財産は一定の目的達成手段としても保護されるから、認識してい た目的が達成できなかったのに財産を喪失したことにより法益侵害性が認められる (新判例から見た刑法 269~274 頁)。 ↓ したがって、詐欺罪における錯誤は、行為者が財産の交付により達成しようとした 目的が達成できなくなる場合に認められ、目的達成とは直接関係しない付随的事情 についての錯誤は詐欺罪における錯誤には当たらないと解する(新判例から見た刑 法 269~274 頁、山口各論 268 頁)。 ※1.山口各論は、 「あくまでも移転した物・利益の喪失自体が詐欺罪の構成要件的結果(法益侵害)であり、そ れと区別された「財産上の損害」が詐欺罪の成立要件として要求されているわけではない」として、 「財産上 の損害〉」を独立した成立要件に位置付ける理解を否定した上で、物・利益の移転による法益侵害性の内容の 問題(いかなる場合に、物・利益の移転による詐欺罪の法益侵害性が認められるのかという問題)を錯誤の 内容の問題に結び付けて展開している(山口各論 267~268 頁)。 ※2.山口各論は、法益関係的錯誤説に立っている(山口総論 157 頁以下、山口各論 268 頁)。 ※3.山口各論 268 頁では、「財産交換」「目的達成」と表現されている。 ※4.欺罔しようとした事項が法益関係的錯誤の対象になるかどうかと、欺罔行為により被欺罔者が現実に錯誤 に陥ったのかは、別次元の問題である。前者は、実行行為の肯否レベルの問題であるのに対して、後者は、 実行行為と交付行為の因果関係(既遂要件)の問題である。 ※5.窃盗罪と詐欺罪とでは、財産の保護の仕方が異なる。窃盗罪では、占有侵害が要件とされているように、 財物は〈静的な存在〉として保護され、占有者の意思に反する占有移転により本罪が成立する。これに対し、 詐欺罪においては、財産はそれ自体として保護されるばかりではなく、占有者の意思に基づく交付が要件と なっているところにも現われているように、 〈一定の目的達成手段〉としても保護され、それが侵害されたと 161 講師/加藤 喬 きに本罪が成立する(新判例から見た刑法 271 頁)。 ※6.新判例から見た刑法 271 頁は、「財物・財産上の利益を交付することによって達成しようとした目的…が 達成できないにもかかわらず財物・財産上の利益を交付することによって喪失したことによって法益侵害を 肯定することができ」、「交付する対象自体について十分な認識がある場合、このような意味における法益侵 害が肯定しうることが詐欺罪の成立を肯定するためには必要であり…」としているから、錯誤の判断におい て目的不達成という観点が機能するのは、交付する物・利益自体について完全な認識がある場合に限られ、 交付する物・利益について錯誤がある場合(交付する物・利益自体について完全には認識できておらず、そ の価値・内容・数量について錯誤がある場合)には、錯誤の判断において目的不達成という観点は機能しな いのではないかと思われる(私見)。 《具 体 例》山口各論 269~270 頁 【寄付金詐欺】 寄付金としての金銭の交付は、交付した金銭が標榜されている目的に役立てられ るという目的達成のためになされるものであるから、寄付金が標榜されている目的 のために役立てられるかどうかは法益関係的錯誤の対象となる。したがって、行為者 において、寄付金を標榜する目的にために役立てる意思がない場合には、法益関係的 錯誤が認められ、詐欺罪が成立する。 これに対し、行為者において、寄付金を標榜する目的のために役立てる意思はある が、多額の寄付を支出させるために、虚栄心の強い者に「他の人たちは○○円寄付し てくれた」と偽ったという場合、寄付金が標榜されている目的のために役立てられる 以上、寄付の目的は達成されるから、 「他の人たちがいくら寄付したのかどうか」は 寄付の目的達成とは直接関係しない付随的事情にすぎず、法益関係的錯誤にあたら ない。したがって、詐欺罪は成立しない。 【相当価格の商品の提供】 有償契約・双務契約において、反対給付の属性は財産交換の目的の重要な条件であ るから、その点についての錯誤は法益関係的錯誤である。例えば、一般に市販され、 容易に入手可能な電気あんま器(相場 1000 円)を、一般には入手困難な特殊治療器 で高価なもののように偽り 5 万円で販売したという事案(最決 S34.9.28 参照)では、 被欺罔者は 5 万円の交付により 5 万円相当の特殊治療器を獲得できることを取引目 的としているのであるから、それにもかかわらず 1000 円相当の電気あんま器しか入 手できないのであれば、取引目的を達成することができないので、反対給付される物 が一般には入手困難な特殊治療器であるかどうかは法益関係的錯誤の対象となる。 このように、被欺罔者が取引において獲得しようとしたものが獲得されたかが基準 となるのである(山口各論 269 頁)。 これに対し、医師でない者の診断を受けて売薬を所定の代価で購入したという事 案(大決 S3.12.21)では、疾病に適応した薬品を購入することだけが目的であるな らば、診断をした者が医師であるかどうかは、目的達成とは直接関係しない付随的事 情にすぎず、法益関係的錯誤にあたらない。 【公的規制下にある物の不正取得】 ある積極的な行政目的を実現するために、希少な物を配分することに具体的な規 162 講師/加藤 喬 制目的がある場合には、財産の交付はその規制目的の実現との間に交換関係に立ち、 当該物を交付した相手方が当該物を交付するべきものであったかどうかは、当該物 の交付により達成しようとする規制目的に直接関係するものであるから、法益関係 的錯誤に当たる。例えば、県知事を欺いて未墾地の売渡しを受けたという事案(最決 S51.4.1)では、詐欺罪の成立が認められる。 これに対し、未成年者への販売が禁止されている物品を年齢を偽って購入したと いう事案では、買主が未成年者であるかどうかは、当該物品の交付により代金を取得 するという取引を達成するうえで直接関係しない付随的事情にすぎないから、法益 関係的錯誤にあたらない。 2.欺罔の手段 欺罔行為には、①積極的に真実と異なる事実を述べる場合(作為)のほかに、②真 実を告げる告知義務に違反する不作為による欺罔(不真正不作為犯)と、③挙動に よる欺罔(作為)とがある。 【論証 2】挙動による欺罔 ある挙動が特定の意思(又は事実)の表示を内包していると構成できる場合には、 挙動による欺罔が認められる。 ex1.例えば、代金を支払う意思がないのに飲食店で飲食物の注文をした事案では、飲食店における注文行為は 代金の支払いを当然の前提とするものであるから、注文行為は、代金支払い意思があることを(黙示的)に 表しているといえる。 ex2.銀行支店の行員に対し預金口座の開設等を申し込む行為は、 「申し込んだ本人がこれを自分自身で利用する 意思であることを表していると」いえる(最決 H19.7.17‐H19 重判 9 事件)。 【論証 3】不作による欺罔 これは、相手方が錯誤に陥ろうとしていること又はすでに錯誤に陥っていること を知りながら、真実を告知して錯誤を解消することを怠った場合に認められるもの であり、不真正不作為犯に位置づけられる。 ↓ 不作為により「人を欺いて」と言い得るためには、真実を告げる告知義務(法的作 為義務)が必要である。 3.交 付 行 為 欺罔行為(「人を欺いて」)は、人の財産の交付行為に向けられたものでなければな らない(山口各論 250~251 頁)。 したがって、交付行為が認められない場合、交付行為に向けられた欺罔行為も認め られないこととなるから、詐欺罪は成立しない(このように、交付行為は、詐欺罪の 実行行為の成否レベルで問題となるものである)。 163 講師/加藤 喬 【論証 4】交付意思(1)(直接性の要件) ↓ 交付行為とは、意思に基づく占有移転のことであるから、これが認められるため には交付意思が必要である(山口各論 255~256 頁)。 ↓ そして、交付行為が認められるためには、被欺罔者の意思に基づき財産の占有が 直接移転(あるいは、終局的に移転)したことが必要である(直接性の要件)。 ↓ したがって、交付意思としては、占有移転についての認識が必要であり、占有を 弛緩する認識では足りない。 ※1.交付意思が問題となるのは、大別して、(1)移転する物・利益自体には錯誤がない場合と、(2)移転する物・ 利益自体に錯誤がある場合とがあり、交付意思の内容について【論証 4】 「直接性の要件」という観点から問 題となるのが、(1)の場合である。(2)の場合には、移転する物・利益についてどれだけの認識が及んでいれば いいのかという観点(意識的交付行為説 vs 無意識的交付行為説)から、交付意思の内容が問題となる。 ※2.「占有を保持しながら単に弛緩する行為では足りない」(新判例から見た刑法 242 頁参照)。 ※3.「…瑕疵ある意思に基づいて財物の占有が終局的に移転した」という表現もある(西田各論 196 頁)。 【論証 5】交付意思(2)(意識的交付行為説 vs 無意識的交付行為説) 交付行為とは、意思に基づく占有移転のことであるから、これが認められるため には交付意思が必要である。問題は、被欺罔者にいかなる意思内容が認められると きに、交付意思が認められるかである(山口各論 255~256 頁)。 移転する物・利益自体について錯誤がある場合(移転する物・利益自体について 完全には認識できておらず、その価値・内容・数量について錯誤がある場合)にお いて、交付意思が認められるためには、移転する物・利益についてどれだけの認識 が及んでいればよいのか。 ↓ 交付意思は、盗取罪と詐欺罪とを区別する趣旨で、占有移転が占有者の意思に反 しないという限度において要求されるものである(新判例から見た刑法 237 頁)。 ↓ したがって、相手方に移転する物・利益について完全な認識を有していない場合 であっても、(1)物・利益の外的的移転の認識があれば(山口各論 259 頁)、あるい は、(2)物・利益の移転について被欺罔者の意思に基づく側面が肯定される限り(新 判例から見た刑法 238 頁)、交付意思が認められると解すべきである。 ※1.意識的交付行為説と無意識的交付行為説の対立は、交付行為の要件として交付意思を要求するかどうかと いう点にあるのではない。交付行為の要件としての交付意思の内容として、どれだけ厳格なものを要求する かという点についての対立にすぎない(新判例から見た刑法 238 頁、山口各論 259 頁)。 ※2.例えば、X が、V の本に 1 万円札が挟まっていることを知りながら、V に対してその本を 500 円で買い取 らせて欲しい旨を申し向けたという場合であっても、本という物の移転については認識があり、本の占有を 移転するという意思に由来して本とともに 1 万円札の占有も移転したのであるから、1 万円札の占有移転に ついての被欺罔者の意思に基づく側面を肯定できるのである(不作為又は挙動による欺罔行為も問題となる)。 164 講師/加藤 喬 《詐欺と窃盗の区別の論じ方》 《問題意識》 詐欺と窃盗の区別という問題意識については、どの段階で、どのような形で指摘 するべきか。 《事 案》 X が V 宅の玄関先で「家の奥でなにか物音がする、誰かいるのではないか」と V に対して嘘をつくことで V の注意をそらし、その間に玄関先においてあった高級 花瓶を持ち帰った。 《検 討》 結論として、詐欺罪の検討から入り、交付行為の要件の段階で、「被欺罔者の意 思に基づく占有の終局的移転があったか」という点を論じるに当たって「窃盗にと どまるのではないか」という問題意識を示すべきである。 まず、①形式的理由として、詐欺罪と窃盗罪とが法条競合の関係にあるというこ とが挙げられる。詐欺と窃盗の区別が問題となる場合、法益侵害は1つであるため、 両者は法条競合の関係に立つ。したがって、重い詐欺罪が成立する場合には詐欺罪 のみが成立し、窃盗は成立しないこととなる(窃盗罪には選択刑として罰金刑があ るから、詐欺罪のほうが重い)。 次に、②実質的な理由としては、事案の実体に沿った検討を行うということにあ る。詐欺と窃盗の区別が問題となる事案では、行為者による「相手方を騙す」とい う行為があり、相手方は何らかの点について「誤信」している。この「騙す行為」 ・ 「誤信」が詐欺罪における〈欺罔行為〉 ・ 〈法益関係的錯誤〉に当たるかどうかは別 として、相手方を「騙す行為」と相手方の「誤信」があれば、事案の実体は詐欺に 近いから、詐欺罪の限界事例として、詐欺から検討するべきである。 《論 述 例》 問題提起〉交付行為が認められるか、詐欺と窃盗との限界が問題となる。 論 述〉交付行為が認められるためには、被欺罔者の意思に基づき財物の占有が 終局的に移転したことが必要である。 V は「家の奥でなんか物音がし、誰かいるのではないか」という点につ いて誤信し、その場からいったん離れているが、「高級花瓶に対する自己 の占有を解き、これを X に終局的に移転することを認容する意思」までは なく、「高級花瓶からいったん離れることで占有を弛緩するという意思」 を有するにとどまる。 したがって、V の意思に基づき高級花瓶の占有が X のもとへ終局的に 移転したとはいえず、交付行為は認められない。 よって、X が V に嘘を言った行為は、V の交付行為に向けられたものと はいえないから、詐欺罪における欺罔行為にあたらず、詐欺罪は成立しな い。 165 講師/加藤 喬 【論証 6】三角詐欺 三角詐欺とは、被欺罔者と被害者とが同一でない場合をいう。欺罔による財産 侵害から財産権の主体を保護する必要から、詐欺罪における交付行為の主体は被 害者(それにより被害を被る財産権の主体)よりも拡張されている。 ↓ ① 被欺罔者と被害者が異なる場合、被欺罔者が被害者のためにその財物を処分し 得る権能又は地位を有することが必要である。 これがない場合には被欺罔者を利用した窃盗罪の間接正犯が成立し得るにとど まり、詐欺未遂となるのではない。 ↓ ② 被欺罔者と交付行為者とは同一人でなければならない。 そうでなければ、錯誤に基づく交付行為を認めることができないからである。 ※ 交付の相手方が第三者である場合、その第三者は欺罔行為者と特別な関係を有する者でなければならない。 不法領得の意思を肯定できないからである。 4.その他の論点 【論証 7】詐欺被害者から金員を騙取するために、被害者をしてクレジット契約を 締結させ、信販会社から立て替え払いを受けた事案 《事 案》 X は V から釜焚き料(祈祷料の一種)の支払いを約束させ、その支払いを受ける ために、V が X ら経営の薬局から漢方薬を購入したかのように装い、その購入代金 について V をして信販会社 Y との間で仮装売買に基づく立替払契約(クレジット 契約)を締結させ、同立替払契約に基づき信販会社 Y から立替払いを受けた(最決 H15.12.9)。 X の行為について、V に対する詐欺罪の成立を認めることができるか、ここでは、 X の欺罔に基づく V の錯誤と、Y による立替払いとの関係をいかに捉えるのか、す なわち交付行為をいかに構成するのかが問題となる。 1.欺罔行為 欺罔行為(「人を欺いて」)とは、人の錯誤を惹起する行為であって、人の物・ 利益の交付行為に向けられたものでなければならない。本件では、X は V の…と いう錯誤を惹起している。 それでは、V による交付行為は認められるか。 (1)交付行為者は V と Y のいずれであるか 交付行為者は V と捉えるべきである。仮に立替払いをした Y を交付行為者 と据えると、被欺罔者による交付行為を認めることができないからである。 ※ 被欺罔者と交付行為とは同一人でなければならない。 (2)被害者を V と構成できないか 仮に、本件詐欺について、V を交付行為者・Y を被害者とする三角詐欺と捉 166 講師/加藤 喬 えた場合、V について、Yのためにその財物を処分し得る権能又は地位を有す ることが必要とされるところ、V はそのような権能又は地位を有しないから、 交付行為が認められなくなる。そこで、V を被害者と構成できないかが問題と なる。 詐欺罪における被害者は、財産の帰属主体として損害を被る者をいうとこ ろ、V は Y とのクレジット契約の締結により Y に対して返済債務を負担して いるから、これが V の損害であるといえる。したがって、被害者は V である。 (3)直接性の要件 交付行為は、被欺罔者の瑕疵ある意思に基づき財物が直接移転したことによ って肯定される。 確かに、現実に振込入金により立替払いをしているのは Y であるから、V が 立替払金を直接移転したとはいえないとも思える。 しかし、V は Y を介して金員を振込入金させたのであり、Y は V の道具と して振込入金を行っているにすぎないと捉えることができる(⇒V が Y から 金銭を受領し、その後これを X に移転したのと同視できるのである)から、V が立替金を直接移転したといえる。 よって、被欺罔者及び被害者を V とする立替金の交付行為が認められる。 2.被欺罔者 V に対する詐欺罪と信販会社 Y に対する詐欺罪の関係 ここでは、1 つの騙取金について両罪の成立を基礎づけるために二重評価する ことになるのではないかとの問題が生じることになる。 しかし、Y の立替金と V の支払債務は、それぞれ別個の法益侵害であるから、 両罪の罪数関係(併合罪か、包括一罪か)は問題となりうるとしても、両罪の成 立を肯定することは不可能ではないであろう。 ※ なお、本決定は、 「被告人ら及び被害者らが商品売買を仮装して信販業務をして立替金を交付させた行為」 としていることから、Y に対する詐欺罪については、X と V の共謀共同正犯としているのであろう。 【論証 8】誤 振 込 み 《事 案》 受取人(預金口座の名義人)が、自己の口座に誤振込みがあったことを知りつつ、 これを秘したまま、預金の払戻請求をして預金の払戻しを受けた行為について、詐 欺罪が成立するか(最決 H15.3.12‐百Ⅱ51) 1.預金の占有 確かに、民事法上、誤振込みの場合においても、受取人は銀行に対して預金債 権を取得するから、受取人に占有があるとも思える。 しかし、占有概念が法律的支配にまで拡張されている横領罪とは異なり、移転 罪における占有は事実的支配に限られているから、受取人が払戻権限を有してい ることを根拠に受取人の占有を肯定することはできない。 したがって、預金を現実に管理することで事実的支配を及ぼしている銀行に占 有がある。 仮に受取人に「預金の占有」を認めると、銀行との関係においては財産犯の成 167 講師/加藤 喬 立が認められないこととなる。遺失物等横領罪は、所有者である振込依頼人との 関係が成立するものである。 2.欺 罔 行 為 欺罔行為(「人を欺いて」)とは、人の錯誤を惹起する行為であって、人の物・ 利益の交付行為に向けられたものでなければならない。 (1)錯 誤 銀行が誤振込みの事実を知った場合、受取人に組戻しの同意を求めたり、振 込依頼人に対し当該振込みの過誤の有無に関する照会を行うなどの措置が講 じられるのであり、これらの措置は、安全な振込送金制度を維持と紛争発生の 防止にとって必要かつ有益なものだから、銀行はこれらの措置を講じるまでの 間払戻しを引き延ばすことができるという意味で、受取人の払戻権限が一定の 制約を受けるといえる。 したがって、銀行にとって、払戻請求を受けた預金が誤振込みによるものか 否かは、直ちにその支払いに応じるか否かを決する上で重要な事柄であるとい えるから、直ちに預金を交付する目的として錯誤の対象になる。 (2)告知義務(不作為による欺罔) 受取人が誤振込みの有無に関して銀行を「欺い」たといえるか。 預金の払戻請求に「誤振込みに係る入金記帳がない」との意思表示までが含 まれているとみることには無理があるから、誤振込みであることを秘して払戻 請求することが、挙動による欺罔(作為による欺罔)に当たるとはいえない。 したがって、不作為による欺罔に当たる。そして、不作為により「人を欺い」 たというためには、罰刑法定主義との関係から作為との同視可能性が必要とさ れるため、真実を告げる告知義務が認められることが必要となる。 本件において、受取人は、誤った振込金額相当分を最終的に自己のものとす べき実質的な権利はないのだから、社会生活上の条理からしても、銀行に前記 措置を講じさせるために、誤振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の 告知義務がある。 (3)交付行為 …認められる。 【論証 9】国家的法益に向けられた欺罔行為 これには、①欺罔手段による脱税、②欺罔行為による証明書等の不正取得、③欺 罔手段による統制機能の侵害などがある。 ↓ 詐欺罪は個人法益に関する罪であるが、国・地方公共団体も財産権の主体として 保護されるから、その財産的利益も刑法上の保護に値する。 ↓ したがって、国家的法益に向けられた欺罔行為であっても、財産権を侵害するも のであれば、詐欺罪の適用を排除する特別の規定が存在しない限り、詐欺罪を構成 すると解する(最決 S51.4.1‐百Ⅱ47)。 168 講師/加藤 喬 【論証 10】不法原因給付物の詐取 被欺罔者の交付行為が不法原因給付(民法 708 条)に当たり、同人に返還請求権 が認められない場合であっても、詐欺罪が成立するが。 ↓ 通説は、「財産処分の目的が不法であり、保護に値しないと考えられるため、疑 問の余地はあるが、交付する物・利益自体には何らの不法性も存在しないから、詐 欺罪を肯定することができる」としている(山口各論 272 頁)。 ↓ 通説に対しては、不法原因給付が成立する場合には返還請求権が否定されるか ら、財産上の損害を肯定しうるか疑問であるとの批判があるが、そもそも詐欺罪に おいては財産上の損害は独立した要件ではなく、交付した物・利益が詐欺罪の法益 侵害をなすのだから、かかる批判はあたらない(山口各論 273 頁)。 ※ 関係判例として、最判 S25.7.4‐百Ⅱ46 第2.「財物を交付させた」 これは、詐欺罪の既遂要件である。すなわち、詐欺既遂罪の成立には、①欺罔行為 のみならず、②欺罔行為により被欺罔者が錯誤に陥り、③錯誤に基づき交付行為を行 い、④③により物・利益が移転したという一連の因果経過を辿ることが必要である。 ※ 交付行為については欺罔行為(実行行為)の問題として取り上げたが、あくまでも、欺罔行為では、現実に 交付行為があったかどうかを問題としているのではない。 第3.故 意 上記第2‐①~④についての認識・認容。 第4.不法領得の意思 詐欺罪においても、不法領得の意思が必要である。 第5.詐欺罪の成立範囲 詐欺罪が成立するのは、欺罔行為と因果関係のある物・利益の移転に限られる。 169
© Copyright 2024 ExpyDoc