孫子 ・・ 臆さず、屈さず、ひれ伏さず 今回は、相 が誰であろうと、 分が宣

孫子 ・・ 臆さず、屈さず、ひれ伏さず
今回は、相⼿が誰であろうと、⾃分が宣⾔したことを翻すことなく実⾏し、公約したことを達成し
た人について書きたいと思います。
その人の名は孫子と⾔い、現在でも 「孫子の兵法」 として有名です。
実は、この孫子は単なる兵法書の作家でなく、実際に軍略家として⼤戦果を挙げた人でした。
時は今から 2500 年ほど前で、前に述べた勾践のちょっと前の人です。
孫子は、呉の国の軍師でした。
と⾔っても、初めから呉の国に居たのでなく、⾃分の住んでいた国が戦いに巻き込まれたので呉
の国へ引っ越してきたのです。
しばらく呉の国でひっそりと暮らしていたところ、呉の国の王様に乞われて軍師になることにしまし
た。
この頃の呉は、ちっぽけな⼩国でしたが、隣接する楚という超⼤国に対して敵対⼼を抱いてお
り、何とか楚を倒したいと狙っておりました。
そこで、孫子は、軍師になる条件として、⾃分に軍の全権を委ねてほしい。
そうすれは、10 年で楚を倒して⾒せる。と公約します。
呉の王様は、孫子の⾔うことに⼝出しはしないから、⼀切任せると約束しました。
そこで、孫子は、就任にあたっての所信表明演説の代わりに軍事演習をすることにしました。
軍をチームに分けて、それぞれのチームの総⼤将を呉の王様の姫様として、軍事演習のやり方を
説明しました。
「太鼓がドンと鳴ったら右⼿を挙げる。」
「太鼓がドンドンと鳴ったらその場で座る。」
みたいな、合図に合わせて変なポーズをするという内容でした。
余りのアホらしさに、みんなは⼤笑いして半分聞き流していましたが、最後に孫子は宣⾔しまし
た。
「できないチームがあったら、その総⼤将の首を斬るよ。」
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いざ、演習が始まりました。
やっぱり、誰も⼤笑いして真剣にやりませんでした。
そこで孫子は、「両チームともできなかったので、総⼤将の首を斬る」
孫子の真剣さに、総⼤将の姫様だけでなく、王様までちょっと待ったを入れます。
そこで孫子は、「これは説明済事項である。」
王様が、姫様の命乞いをすると、孫子は続けざまに
「王様はこの国と姫様とどっちが⼤事ですか︖」 と問うと、王様は諦めて姫様を斬るよう命令し
ました。
姫様が切られた後、もう 1 回同じ内容の演習をしました。
さすがに、今回は笑う者なく全員が合図通りの動きをしたそうです。
⾃分の宣⾔通り、王様に対しても曲げることなく実⾏した孫子も素晴らしいですが、これを認め
た呉の王様もすばらしいと思われます。
実際、この王様はこの頃は名君であり、楚を倒すための資⾦作りのため、贅沢などせず倹約に
勤めてコツコツと軍資⾦を溜め、孫子が軍師になって 9 年後に楚に攻めに出ました。
⾒事に楚の都を陥落させ、楚の王宮にあった⾦銀財宝を略奪し、⼀気に呉は豊かな国になり
ました。
しかし、残念ががら楚の王族には巧みに逃げられてしまったので、楚を滅ぼすことはできませんで
した。
その後は、呉の王様は倹約をやめて贅沢三昧となり、横柄な態度を取るようになったため、孫子
は呉の国を離れて隠居することにしました。
呉の王様も、⼝うるさくて厳しい孫子が半分邪魔になったので、軍師を辞めることを止めませんで
した。
その後、呉の王様は越に攻めに⾏って、勾践に返り討ちに遭ってあっさりと死んでしまいました。
この呉の王様も、典型的な晩節を汚すパターンの人でした。
せめて、孫子が軍師なら越に攻めに⾏かなかったかもしれないし、攻めに⾏っても勝ったかもしれ
ません。
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周囲の人の後方支援をないがしろにして、全て⾃分の⼒だと過信すると、最後には落とし⽳が
待っているという典型的な事例です。
私も、相⼿が誰であろうと⾃分の意⾒を 「臆さず、屈さず、ひれ伏さず」 に⾃分らしく⾃信を持
って堂々と生きていければかっこいいし、残りの人生はこのように過ごしたいと思っています。
但し、このような生き方をするためには⾃分⾃身に何らかの⼒が必要です。
現代社会においては、⾃分では、①生活に困らない最低限のお⾦、②人からの迫害に屈しな
い精神⼒、③他人が排除できないほどの圧倒的能⼒(と⾔うか人間⼒) と思っていますが、人
によってはその他にもあるかもしれません。
うちの事務所も、⾃分らしく、生き生きと というキャッチコピーなので、皆がお⾦に困らず物⼼とも
に⾃分らしく生きていけるように後方支援をしていきたいと考えています。
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