2000年2月、ユジノサハリンスク空港 写真・文 9 片山通夫 1945年8月、ソ連(当時)が日本領・樺太とソ 連領・北樺太との境界を越えて進撃し日本は敗退した。 当時5万人とも6万人ともいわれる植民地朝鮮の出身 者が樺太にいた。いわゆる残留朝鮮人である。ソ連と 韓国の間には長い間国交がなかった。日本も樺太に残 留していた30万人もの日本人の帰国はそれんと交渉 したが、朝鮮人に関しては全く交渉しなかった。 そして半世紀以上が過ぎて2000年2月、ソ連邦 の崩壊を経て、日本と韓国の赤十字社などの尽力で、 残留朝鮮人は韓国へ帰国出来ることになった。 写真は2000年2月ユジノサハリンスク空港で別れを惜しむ祖母と孫 10 ユジノサハリンスク駅近くで しかし諸般の事情で帰国をためらった人たちもいた。 その事情は人によってまちまちなのは当然だ。 病気の家族を抱えている。 配偶者(二人1組でないと帰国できない)がいない。 家族と別れることができない。 などが帰国できない理由だった。 11 帰らなかった人々、 若しくは 帰れなかった人々 戦後70年という長い月日が経った。帰国出来た人 もできなかった人も相当な年齢になった。年月という ものは人間にとって非情なものだ。 12
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