ヒラリズム 3の15 陽羅 義光 「いじめ」は日本社会永遠のテーマである

ヒラリズム
3の15
陽羅
義光
「いじめ」は日本社会永遠のテーマである
知人夫婦から相談を受けた、小学四年生の息子がいじめに
あっているというのである。
ご主人は日本人だが奥さんはフィリピーナ、つまりその息
子はハーフということになる。
フ ィ リ ピ ン の DNA な の か 、 そ の 子 は 肉 が 好 き だ か ら 高 校
生くらいの図体をして丸々と太っている、けれども気が弱い
から毎日いじめられて泣きながら学校から帰ってくる。
それでも一対一なら喧嘩をしても誰にも負けないだろうが、
だいたい三対一とか五対一、
「 デ ブ 」と か「 ば け も の 」と か 囃
されて悔し泣きするのだ。
この囃し方の内実には人種差別すら含まれているとわしは
見ている。
親は担任の女教諭に相談したのだが、
「子供のやることです
から」とか「お宅のお子さんの心が弱すぎるのね」とか「勉
強ができないからばかにされるのよ」とか、そんな答しか返
ってこない。
それで想い出した、わしの娘が小学三年生のときの話だ。
娘の健康がすこぶる悪くなった時期があって、原因を探っ
たら同級生の男の子たちにいじめられていると、ようやく解
った。
わしは早速小学校に出向き、担任の女教諭と話をした、す
る と そ の 答 は「 子 供 の や る こ と で す か ら 」だ っ た 、
「ふざけて
い る だ け で す よ 」。
「ふざけるな」とわしは女教諭を叱りつけ、教室で生徒た
ちに話をさせてくれと強引に頼み込んだ、女教諭は渋々首肯
したものだ。
子供たちを前にわしは十五分くらい語りかけた、その一部
始 終 を 書 く つ も り は な い の で 、無 理 矢 理 ひ と こ と で 云 う な ら 、
「弱い者を助けるのが男というものだから、弱い者をいじめ
る君たちは男ではない。男でないならチンチンは必要ないか
ら 、 お じ さ ん が ち ょ ん ぎ っ て あ げ ま す 」。
翌日からいじめはなくなった、いじめっ子たちは道でわし
に 会 う と 、最 敬 礼 し た 、そ れ は 彼 ら が 大 人 に な っ て も 続 い た 。
べつだん自慢話をしたいわけではない、娘からは感謝され
るどころか「死ぬほど恥ずかしかった」と非難されているの
だから。
ともかくも「子供のやること」だから残酷なんだと、先生
たる者は認識すべきだ、しかもその陰に大人がいる。
たしかに大人の眼から見て、子供のいじめなんか可愛いも
んじゃないかという発想はある、だが問題はいじめる子供た
ちではなく、いじめられる子供の心の疵なんだ。
深く疵ついている子供が現実にいるのに、安易な「子供の
やることですから」という台詞は言語道断、こういう先生が
いるうちは学校は相変わらず腐敗ゾーンなのだ。
子供は大人の真似をする、子供を見れば大人が解る、要す
るに大人社会がいじめの氾濫なのだよ。
上 官 、上 司 、先 輩 、親 方 、師 匠 、先 生 、コ ー チ 、オ ー ナ ー 、
大家、社長、有名人、人気者、お金持ち、政治家、暴力団等
による、そうでない者に対するいじめが、日本社会に氾濫し
ている。
教育というものは勉強を教えるだけが役目ではない、教育
というものを根底から考え直さないと、日本社会は腐敗し続
けるだけだぜ。