毎朝感じること

毎朝感じること
朝校門で分団登校の子どもたちを「おはよう」の挨拶で迎えています。それに対して、大きな声で挨
拶をしてくれる子、目を合わせてにこっと笑ってくれる子、会釈をしてくれる子等々、約半数の子ども
がこのような形で返してくれます。あとの子どもたちは無言で通り過ぎていきます。
しかし、その後、校舎内外で出会う子どもたちに、再びおはようの挨拶をすると、ほとんどの子がし
っかりと「おはようございます」と返してくれます。これって不思議ですよね。両者の違いは「みんな
の前」か「個別」かです。多くの子どもたちは、人前で自己を表現することにとても躊躇してしまう傾
向があります。高学年になればなおいっそうその傾向が強くなるようです。時折、地域の方から「子ど
もたちが登校時に挨拶をしない。
」という話を聞きますが、実際は挨拶をしないのではなく、常に周囲を
意識してしまい、声に出すことをためらっていると言った方が正解なのかも知れません。
以前、ある学校で、授業参観には多くの保護者が来てくださるのですが、学級の全体懇談会になると
急にみなさんおられなくなるので、何人かの保護者の方に理由を尋ねたら、こんな言葉が返ってきまし
た。
「みんなの前で意見を言うのがなんとなく嫌だから・・・。
」
休み時間に大きな声で友だちと話をしている子どもたちですが、学習の時間になるとシーン。学年を
重ねると、発言する子どもが少なくなります。理由を聞くと、「間違っていたら恥ずかしいから。」
私も、多くの人が参加するような集まりの場で発言をすることにどうしても億劫になります。言いた
いことがあっても言わずに済ましてしまうこともあります。先日、ある外部の会議の場で思い切って意
見を言いました。しかし、私以外の方は何も発言されなかったので、結局その会議はそれで終了。
「なん
だ、自分だけが思っていたことだったのか・・・。言わなければ良かった。
」と孤立感に伴うなんとも言
えない後味の悪さだけが残ってしまいました。ところが、会議終了後に廊下で参加者の一人から「私も
同じ思いでした。
」と言われ、
「おいおい、それなら言ってくれたら良かったのに・・・。
」
気の合う仲間や親しい人との会合ならば話せることも、教室や会議となると途端に言葉を発しなくな
るのは、結局は私が感じたような、周囲から突出することへの恐怖と自分の発する言葉に対しての自信
の無さだと思います。私たちの行動の基準の一つに、
「正しいか、間違いか」でなく「みんな一緒かどう
か」というのがあるように思います。みんなと一緒なら安心という気持ちです。
周りからなんと思われようが、自分が正しいと思うことを言葉や行動に表すことが、今の子どもたち
に一番身につけて欲しい力ではないのかと毎朝校門に立つたびに感じる今日この頃です。
校長
五十嵐 信博