解答例 記事によると、命の教育の機会として、動物の飼育が見直されて

解答例
記事によると、命の教育の機会として、動物の飼育が見直されているという。
子どもによる悲惨な事件がしばしば報道される今日、
「命の大切さ」を学ぶこと
が強く求められているのである。こうした動きのなかで、動物を飼育すること
は、命の教育としてどのような意義を持っているのだろうか。
私たちは、道徳の授業などを通して、「命の大切さ」を繰り返し学んでいく。
例えば、人の生死を扱った物語や映像に触れることも、その道徳教育の一環であ
る。こうした教育を受けてきた子どもは、
「命の大切さ」を、少なくとも知識と
しては理解していると言っていい。しかし、そうした知識としての理解は、浅薄
なものになりがちなのではないだろうか。
なぜなら、物語や映像による教育は、道徳を伝えるための間接的な手段にすぎ
ず、その中の出来事と、子どもは直接的な関係性を持つことができない。それゆ
え、そこに描かれている「命の大切さ」を自分と関係深いものとして捉えること
は難しいだろう。また、
「命の大切さ」という言葉は、非常に抽象的なものであ
り、命を尊ぶために私たちが取るべき行動については具体的に何も教えてくれ
ない。そうすると、子どもはその言葉のイメージを曖昧に思い浮かべるだけにな
り、その本質的な意味を受けとめることができなくなる。そもそも、子どもは、
自分の身近にある具体的なものに、手で触れたり感じたりすることを通して、抽
象的な思考を身につけていくという。だとすれば、抽象的な観念である「命の大
切さ」を、実感を持って受け入れるには、命あるものの温かみに触れ、それを亡
くす痛みを経験することが必要になる。
そのように考えると、動物を飼育することは、日々の動物とのふれあいを通し
て、子どもが命そのものを実感する機会を提供するところにその意義があると
言える。また、動物を守り育てる経験は、動物に対する慈しみの心を育てるとと
もに、同じように命を持つ他者への思いやりを学ぶことも可能にするだろう。さ
らに、こうした経験を通じて、他者に暴力的に振る舞うことをためらう気持ち
や、いじめを拒絶する正義感を子どもたちが身につけることができれば、社会に
起きる問題を未然に食い止めることも期待できるのではないか。
このように、学校教育における動物の飼育は、子どもたちが「命の大切さ」を、
言葉の上で理解するのではなく、心で実感する契機を与えるという点で大きな
意義を持っているのである。