予備審査を通過した一般の部の作品は七十七点、一通り目を通しただけで十分な手応えを感じ た。二つのテーマのうち「私の好きな世界遺産」はスケールの大きな作品が多く、それらと向き 合ったときの感動がくっきりと描かれていた。建造物の見事さばかりでなく、それを造った民衆 の姿にも目を配る視点が新鮮だった。 もう一つの「大島紬の思い出」は、早朝から機を織る母や祖母の姿や、胎児に「つむぎちゃん」 と名付けて生まれる日を待つ若い母親の想いを描いたもの。母親が持たせた反物で困窮した学生 時代を凌いだ話。孫の成人の日のためにと丹精込めて織り上げたものの、晴れ姿を見ることもな く旅立った祖母のことなど、その内容は多種多様、読みながら何度か目頭を熱くした。大島紬へ の憧れや、紬を通して結ばれた奄美との縁の深さを書いた、県外からの応募も目を引いた。大島 紬は人々の生活にこれほど密着していたのである。 これらの中から入賞作品を選び出すのは至難の技だが、読者が思わず引き込まれるような内容 になっているか、分かりやすくて読みやすい文章で書かれているか、独自の切り口になっている かなどにポイントを置き、他の二名の審査員と審議を重ね、時間をかけて絞り込んでいった。 学生さんの部は応募総数が十六点と少数だったが、どの作品からも「これを書きたい」とい う意図が伝わってきた。奄美の自然の豊かさを描いたものや、世界自然遺産登録に向けて、島人 の意識を問うものなど、故郷を見つめる厳しい指摘もあった。エッセイコンテストに応募するため に、大島紬の工場に足を運んだり、家族から聞き取りをしたりしたという「おさ音」を知らない世 代の文章はほほえましく、時の移り変わりを感じた。 十代から八十代まで、わずか八百字の中に、それぞれの人間ドラマが織り込められている。 おそらく奄美では初めてになる全国版エッセイコンテスト。手探りの募集要項作りに始まって、 募集、審査を経て、表彰式まで漕ぎ着けられた関係者の皆さまの志に心からの敬意を表したい。 政治、教育の分野で多くの著名人を生んだ龍郷町が、文芸の町としても全国にその名を馳せ るように、このコンテストが定着することを願うばかりである。
© Copyright 2024 ExpyDoc