ぐ る り 宇 和 島 城 蘭 学 の 小 道

宇和島伊達なまち歩きマップ 観光スポット紹介
ぐ 城山
る 界隈
り コー
宇ス
和
島
城
蘭 神田
学 川界
の 隈コ
小 ース
道
⑧上り立ち門
⑭法円寺(妙長山法円寺)
国内最大最古の薬医門
国内に現存する薬医門では最大級で、
木材分析により藤堂高虎創建期まで遡
ることができる最古級の貴重な門です。
西須
賀
洋川
界
技隈
コ
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ム
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伊辰
野
達川
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寺
を
た
ず
ね
て
藩主生母が眠る寺
4 代村年の生母、夫人の
墓が造られ、藩主が墓
参するために御通橋が
できたといわれます。
龍華山(龍華山等覚寺)
萩森騒動
文化 9 年 (1812)、宇和島藩番
頭役、萩森宏綱は下士や領民
を苦しめる財政再建案に反
対、刃傷事件を起こし法円寺
にて切腹。その後、同寺には
首塚が祀られ、弱者の味方「萩
森様」と崇められました。
和霊神社
伊達家菩提寺
秀宗が生母を弔うために開山しました。
初代・2 代・3 代・4 代・6 代・8 代藩主
の墓があります。
⑥桑折氏武家長屋門
⑮オランダおいね三角屋敷跡
シーボルトの娘で日本初の女性
産科医である楠本イネが住居と
していました。
②宇和島中町教会
③児島惟謙生誕地
伊達家とも縁が深い教会
護法の神は宇和島藩士
宣教師ランバス父子により設
立された宇和島初の教会です。
明治末にアメリカから来た鐘
が平和な音色を奏でています。
児島惟謙は父が仕えていた藩
老宍戸家の長屋で生まれます
が、里子に出されるなどつら
い幼少期を過ごしました。
ゆ
か
り
の
先
達
9
藤 とう
堂 どう
高 たか
虎 とら
高虎は、豊臣・徳川の両氏に仕え
戦功をあげる。文禄 4 年 (1595)
宇和郡 7 万石を拝領し、板島丸串
城(宇和島城)
・大津城 ( 大洲城 )・
今治城を築城。その後も数々の城
を手がけ、「築城の名手」とうた
われる。
児こ
島 じま
惟 これ
謙 かた
下級武士の家に生まれる。剣術に
優れ、4 度脱藩し勤皇の志士とし
て活躍。明治 4 年(1871)司法官、
同 24 年 (1891) 大審院長となる。
同年起こった大津ロシア皇太子襲
撃事件では、政府からの圧力に屈
することなく司法権独立の基礎を
築いた。
歴史資料館
金剛山(金剛山大隆寺)
城下唯一の武家長屋門
昭和 27 年 (1952) 今の桑
折医院前から移築。桑折
家は 16 世当主宗臣をは
じめ伊達家と縁戚関係を
もつ名門の家柄です。
怨霊から海の神様へ
山家清兵衛の祟りを鎮めるため造営さ
れ、その後漁業の神として信仰が広まり
ました。
⑬大村益次郎居住地跡
⑰佛海寺(法寶山佛海寺)
⑱光国寺(仏性山光国寺)
蘭学者たちが眠る寺
近現代の偉人が眠る寺
藩蘭方医学の租、富沢礼中をは
じめ、加古朴庵、砂沢中安など
の蘭学者たちが眠っています。
別府温泉を全国に広めた油屋
熊八の墓、漢詩の世界で活躍
した中野逍遙の墓があります。
ゆ
か
り
の
先
達
周防生まれ。蘭医緒方洪庵の適塾
に 学 び 医 者 と な る。嘉 永 6 年
(1853)、8 代宗城に招かれ兵書翻
訳、軍艦設計や砲台建造に携わっ
た。この間神田川原に村田塾を開
く。宇和島在住は 2 年余、藩在籍
は 7 年に及ぶ。
伊達家菩提寺と和霊廟
鹿鳴館と同時期に完成
5 代・7 代・9 代の墓と
山 家 清 兵 衛 の 墓「和 霊
廟」もあります。幕末に
活躍した晦巌禅師の寺。
宇和島警察署、その後旧
西海町役場として使用。
当時の愛 媛県では先駆
的な建物でした。
嘉永 6 年 (1853) 大村益次郎は 8
代宗城の招聘に応じ、約 2 年半
ここを住居としました。
龍光院(臨海山福寿寺龍光院)
大 おお
村 むら
益 ます
次じ
郎 ろう
明治17年(1884)
楠 くす
本 もと
イ
ネ
シーボルトと長崎の遊女たきとの
間に生まれる。シーボルトの門人
石井宗謙、二宮敬作に医学を学ぶ。
8 代宗城に厚遇され、宇和島で医
院を開業。長崎と宇和島を往来、
情報収集にも携わる。また9代夫
人宗徳夫人佳姫の出産にも立ち会
い、娘高子は宗城夫人猶姫の奥女
中となる。
転車台
西江寺(仏日山西江寺)
昭和12 年(1937)
多賀神社
宇和島伊達家祈願寺
宇和島最古のお寺
鉄道マニア、必見!
生と性を祀る社
天守の鬼門にあたる丘の上に
建立しました。松尾芭蕉の母
が宇和島出身との説があるこ
とから芭蕉の句碑があります。
宇和島藩の蒸気船を完成させた
前原巧山の墓があります。また
庭園は江戸時代初期の作庭で、
桃山様式を伝える名園です。
転車台の他に、給水塔や国内
には 13 しか残されていない扇
形機関車庫があります。
(普段
は立入禁止)
神功皇后の時鎮座された宇和
島 最 古 の 社。健 康・治 病・子
授けなどのご利益で有名です。
ゆ
か
り
の
先
達
高 たか
野の
ち
長 ょう
英 えい
陸 奥 水 沢 生 ま れ。文 政 3 年
(1820) から蘭医学を学び、同 8
年シーボルトに入門。天保 9 年
(1838)「戊 戌 夢 物 語」で 開 国 論
を唱え入牢となるが、脱獄し各地
に潜伏。8 代宗城の庇護を受け、
宇和島で蘭学教授、兵書翻訳、久
良砲台(現愛南町)の設計に従事。
穂ほ
積 づみ
陳 のぶ
重 しげ
宇和島藩士穂積重樹の二男。藩
校 明 倫 館 に 学 び、明 治 3 年
(1870)16 歳の時、貢進生に選ば
れて大学南校 ( 東京大学の前身 )
に入学、さらに開成学校に進み
法律学を専攻した。33 歳で日本
初の法学博士となる。
ゆ
か
り
の
先
達
大 おお
和わ
田だ
建 たけ
樹き
宇和島藩士の生まれ。14 歳で 9
代宗徳に講義したほど優秀であっ
た。明治 19 年 (1886) 東京高等師
範学校の教授となるも 4 年後に退
職、文 筆に専 念。国文 学・随 筆・
紀行文・詩歌に厖大な作品を残す。
特に詩作に心を傾け、民衆に親し
まれる作品を数多く残した。
山 やん
家べ
清 せい
兵べ
衛え
米沢生まれ。仙台藩主伊達政宗の抜
擢で初代秀宗の総奉行となる。財政難
を立て直そうと献策するが反対派によ
り陥れられ、元和 6 年 (1620) 6 月 30
日夜、秀宗の命により一家斬殺となる。
事件後、災変が多く清兵衛の祟りとさ
れ、秀宗は承応 2 年 (1653) 和霊神社
を建立、以後「和霊様」として藩内外
から厚く信仰されることとなる。
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