第 かな 次 豆腐屋歌人としての出発 … ……………………………………… ある意味での使徒 ………………… 3 目 ─ 母の死 ………………… 0 歌集「相聞」の騒ぎ ………………… 0 意地 ………………… しあわせにしてあげる ………………… やさしい眼差しを寄せていく ………………… 挫折 ………………… 家出 ………………… 5 模範青年 ………………… 次 目 v 7 12 18 28 32 38 40 45 章│愛しい不安 1 第 ─ 騒動のあと ………………… 「豆腐屋の四季」………………… ……………………………………… 環境権と暮らしへの視点 …… ─ 第三次騒動 ─ 転機 人を愛したい ………………… しかし「よせ」という ………………… 「美しい日本」の「私」………………… 模範青年だって? ………………… さらばだ、豆腐屋よ ………………… 母の墓 ………………… 行動へ ………………… 周防灘はどうですか? ………………… ─ 母を愛せ 安定した静かな沈滞 ………………… やさしさを守るために ………………… 得さんの闘いと妻和嘉子さんの闘いと ………………… 「おもしりいお祭り」の現場にて ………………… 母よ、やさしくあれ ………………… 51 54 58 63 66 73 77 80 87 93 97 113 109 105 101 章│暗闇の思想 2 49 vi 第 190 182 177 169 168 165 160 159 153 147 139 135 125 121 やさしさが、そのやさしさのままに 章│ ………………………………………… 強靭な抵抗力となりうるか … つよ 一身のためにではなく ………………… わが心にも勁き砦を ………………… 『狼煙を見よ』後記 ………………… ルイズ ………………… 想ひ続けむ ………………… 息子の戦死 ………………… 母からわたしへ、わたしから娘へ ………………… つよ 『記憶の闇』………………… うつ やさしさは勁く ………………… やさしさは染る ………………… しびれる ………………… 『汝を子に迎えん』………………… そのことが進歩なんだ ………………… ─ ほんとうは怖ろしいやさしさ 覚悟する ………………… 次 目 vii 3 119 第 ─ つぐない ………………… 松下竜一 ………………… 松下児童文学の可能性 ある意味での使徒 ─ ビンボーくらべ ………………… 感動とは ………………… あしたの海 ………………… あ と が き ………………… …… ……………………………… 199 197 214 209 205 223 松下竜一 プロフィール/著作リスト 章│本好きにする本 4 203 viii 第 かな ─ 章 愛しい不安 1 豆腐屋歌人としての出発 ある意味での使徒 松下竜一は美しい童話のごとくに、母の愛とやさしさにあふれることばを魂に刻んだ。 〈お空の星が私の瞳に流れてはいったのだと、幼い日の私は信じた。右目はホシがあり、完全 に失明しているのだ。「それはね、竜一ちゃんの心がやさしいから、お星様が流れて来てとまっ てくださったのだよ」と、幼い私に母はよく語った。そう語る母は、どんなに悲しかったろう〉 生後間もなく、急性肺炎の高熱がつづいて両眼が飛び出したのである。ホシはそのとき入った はいのう しゅくあ という。十人もの医師に見放されたいのちは奇跡的に助かったものの、宣告が下された。〈熱で しろめ やられて白痴だろう眼も見えまい〉と。六十七年後の死因となる肺嚢症は、このときからの宿痾 のようである。 〈小学校でも、私はひどい虚弱児だった。そんな私をみなはおもしろがっていじめた。白眼と なぶられ、訳もなくいじめられた。泣虫の私はオイオイと泣いて帰るのだった。今でも忘れぬ、 あまり泣きすぎて目がくらみ、深い溝に落ちこんだ日のことを。母は「ホラホラ、そんなに泣く と、目のお星様が流れ出てしまうよ」というのだった。「目の星なんか流れた方がいいやい」と いっそう泣きじゃくる私に、さらに母はいうのだった。「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃん のやさしさも心から消えるのだよ」と〉 第 1 章│愛しい不安 5 つづくあまりにも苛酷な思春期、青年期における暴発を静めて、理性の眼を開かせたものは、 やはり幼少時の母のことばであった。 〈母は一度だって強い子になれとはいわなかった。ただ、やさしかれ、やさしかれと語りかけ るのだった〉 竜一はやさしさを心にいっぱい入れて満たそうとする。けれどたちまちその難しさにつき当たる。 〈母はたぶん知っていたのです。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。 でもほんとうにやさしくなることは、なんと至難なことでしょう。ぼくは今日も、つい些細なこ やさしさの とで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を〉 (毎日新聞大分県版一九六八年九月) ─ わたしは、やさしさに徹することができるか。松下竜一の生涯は自分との闘い 限界線を超えまいと抵抗する自分との闘いだった。やさしさとはほんとうは怖ろしいもの。その 恐ろしさと闘う竜一の真摯なありさまに、自然、わたしの脳裏へ「ある意味での使徒―松下竜 一」なる言葉が入ったのだった。 竜一の繊細にして鋭い情感は天性の才であろう。母はそれを、弱虫め、強くなれ、などとつぶ さずにやさしかれ、やさしかれ、おまえの心がやさしければやさしいほど、目の星は美しく光る のだよ、と子守歌のように語りかけたのだ。これほどにもふかくあたたかに魂を語ることのでき る母ではあったが、学問はなかったという。母の手紙が二通だけ遺されている。 6 〈かんじを忘れて一一きくのもめんだうです。かな文字ばかりで人が見たら笑ひます。読んだ らやきなさいね〉 母光枝は小学校も終わらぬ前に、町の紡績工場に働きに出され、その工場で読み書き算数を習 ったのらしいという。 竜一が母を書いて六年後の一九七四年。二十七歳の竜一は大分県豊前市周防灘、明神の海岸の 座り込み小屋にいる。魚を、海藻を、貝を、心の安らぎを捧げ、見返りを何一つ求めぬ無抵抗の やさしい海、母なる海を九州電力は暴力的に埋め立てている、陵辱しているのだ。その巨大な暴 力に丸腰で抵抗する若き者たち。はげしい闘いの渦中にあって、竜一は祈るような気持ちをこめ て考え続けている。 〈やさしさがそのやさしさのままに強靭な抵抗力になりえぬのか〉 せつないまでに考え続けている命題だと。 母の死 無惨にも「白痴」の宣告をうけた竜一だったが、中津北高校の成績は全校一位である。目指す 大学は東京大学仏文科。一九五六年の卒業だから、もしも入学を果たせばその年入学の天沢退二 郎、蓮實重彥 (フランス文学者・第二十六代東大総長)らと同窓である。が、結核療養のために浪 第 1 章│愛しい不安 7 人して二ヶ月後の一九五六年五月七日朝、悲劇は突然起きた。 〈母ちゃんが倒れた!〉 ゴム長のままの父が駆けつけてきて叫んだ。家業は豆腐屋である。母は豆乳のひからびる仕事 着のまま寝ていた。豆腐を固める三十五キロという重石を抱えようとして、脳溢血を起こしたと いう。翌日夕方、昏睡から醒めぬまま旅立っていった。 〈死んだのだ。とたんに、私たち子ら六人、母ちゃんと叫んでワッと泣き始めた。〔……〕号泣 し続けた。畳にうち伏して泣き続けた〉 翌九日の葬儀の最中、叔父は竜一に引導を渡す。〈父を扶けて豆腐屋として働け〉、竜一十九歳 だった。豆腐屋は一人ではかなわぬ家業だという。大学での学問は目指す作家へつづく道だと思 っている。叔父の仰せ付けはただ事ではない。家業に疎い竜一は母を亡くし、いまさらながら母 がいて、父の豆腐屋は成り立っていたのだと知る。松下家の長男である、父を扶けて家族を養う 義務がある。だが進学の断念は作家への断念にほかならない。 作家は母が示した道でもあった。幼いころからの本の虫が病気がちとくれば、本を読むほかに 時の費やしようがない。 〈母は無学だった。父も無学だった。わが家には蔵書など一冊もなかった。先日、ある文章の 8 中で、前市立図書館長今永先生が、私の母の思い出を書いてくださっていた。弟をおぶって、幼 い私の手を引いた母が、「何か、竜一の読むような本を貸してください」といって、図書館を訪 ねてきたという〉 ただ一冊の本『ニルスのふしぎな旅』が竜一少年の方向を定める。作家である。とはいえ図書 館の啓蒙的な書物よりも貸本屋へ通い、血湧き肉躍る刺激的な講談全集を乱読した。岩見重太郎、 塚原卜伝、真田十勇士の活躍は少年の冒険心という血をたぎらせつつ、気付かぬままに語彙を豊 富に蓄積させていくのである。勢いある文体についていえば「南洋一郎、高垣眸、吉川英治、海 あらき 野十三、野村胡堂などによる講談本が松下さんの、漢語調・文語調の元になっているかも知れな い」とは、 『松下竜一の青春』 (海鳥社) を著わした新木安利の分析である。なるほど松下文学は現 代のシリアスな講談本といっていえぬことはない。その魅力であり特徴でもある豊富な語彙、緊 張漲る文体と筆力のうねりは読者をはらはらさせ、笑いの渦に巻きこみ、はたまた深刻に己を考 えさせながら、一気呵成に読ませてしまうのだ。 少年竜一がいさぎよくも貸本屋と決別して本棚への眼を図書館へとうつし、文学を読みあさる 時がくる。高校に進み、教室内で公然と結核の薬をあおる福止英人との出逢いが契機となった。 講談本少年は一転、小林秀雄に心酔しヴァレリーからランボーを語る福止に圧倒され、導かれる ようにそして競うように梶井基次郎、小山清、田宮虎彦など、翻訳物ではシャルル・フィリップ、 第 1 章│愛しい不安 9 ドーデ、チャールス・ラムなどを読みあさり、町へ出れば映画に音楽に夢中になった。親友とな る福止との出逢いはこう言い換えうる。竜一はまさに文学と出逢うべきときに出逢ったのだ。 号』 (一九五四 竜一は福止のいる文芸部に入りペンをもつ。病弱からくる貧弱な肉体、そこに生じるコンプレ ックスは、すでに小学生時に自覚したところだが高校二年時、同校文芸誌『山彦 こす処女作と言える作品、「殻」を発表する。 精神によって測定しないのであろうか。 ぼくは れ家としての「殻」に閉じこもることになるのである。これはその予言的な作品ともいえようけ その手並みは、豊富な読書量を彷彿させもするが、じっさいの竜一も、青年時代を哀しむ魂の隠 露したという。シャイロックの忌まわしさに主役竜一の劣等感を映して進行させようとの企みと 「背伸びをした、生硬な文章で、掲載誌の発見されないことを祈る」と竜一は前出の新木に吐 ぼくの見にくさを利用されたんだ。 わしいユダ、シャイロックと現実の憐れむべき自分の姿に関連を見いだし愕然とする ─ ャ役の女高生の美しさに青春の情熱がときめく。自分がパッサニオ役だったらなあと思う。忌ま 「殻」の主人公は文化祭の演劇、『ベニスの商人』のシャイロック役を割り当てられる。ポーシ 僕は常にその精神的結合で友人を求めてきた。そして僕はその全てに失敗した〉 〈何故に我々は、未知の仲間を、彼の本質的なもの ─ に、 「高校生活に於いて肉体的劣等感を感ずるほど残酷な自意識はあるまい」より書き起 年三月) 17 10 れど、みかけの“見にくさ”の底には、清冽な川の流れの涸れることはなく、汚れることのでき ぬ哀しさがなおさらに竜一を苦しめるのだ。むしろ竜一にふさわしい役は、無数のシャイロック のなかに独りある、正義感が強く情に厚いアントーニオではないか。 作家になる、と竜一は宣言した。そのために東京大学仏文科へ進まねばならぬといった。周囲 はこれを当然として受け入れた。成績はその実現を約束している。だがそれも母の死によっても ろくも瓦解してしまった。そのころの日記にこうある。 〈 「我はあらゆるものに憩いを求めしかども、書物を手に室の一隅にあるほか、いずこにも光を 見出ざりき」というトーマス・ア・ケンピスの言葉を呟いてしまう。とうとう、午後図書館に行 き『日本殉教二十六聖人記』と『切支丹宗門の迫害と潜伏』とを借りてくる〉 挫折して本はもう読むまいとあれほど決めたのに、やはり本が恋しかった。図書館通いを再開 した竜一は書架を渉猟、手当たり次第に読んだ。よほど暇だったのかといえばそうではない。す でに開始されている豆腐屋の日常といえば、午前三時から起き出して、日の暮れるまで働く。そ の中にもある作業の途切れるわずかなスキの書物との逢い引きなのだ。 〈たとえば夜明けの配達を終えて朝食をすませ、次にあぶらげを揚げ始めるまでに三十分位の 休息がある。〉 屋根裏のような天井の低い二階が竜一の部屋だ。油の染みた作業着を着替える間も惜しみ、読 第 1 章│愛しい不安 11 書にふける。正午から三時までがまとまった休息時間で、やはり本に向かう。三時からは夕食用 に配達する豆腐造りが始まる。 〈私の青春は孤独で惨めであったが、それに耐え得たのも豊穣な本の世界に心が遊んでいたか らであろう〉 *以上の引用は『豆腐屋の四季』 。以下断りがない限り同様。 *トマス・ア・ケンピス Thomas a Kempis 一三八〇―一四七一年。中世の神秘思想家。その著『キリスト に倣いて』は聖書に次いで最も読まれたと言われる。 家出 母の死は松下一家の生活を根底から覆してしまった。母の突然死の衝撃から立ち直れぬまま、 六人の子らは社会へ恐る恐る出て行くのである。高校三年生の次弟雄二郎は進学を断たれ、当て もなく上京して行った。二番目の弟紀代一は高校を休学、豆腐屋を手伝いその一年後、兄のいる 東京に出て行った。頼るその次弟はといえば、住み込み店員などで転々としているのである。ふ たりは帯の仕立て職人になった。なんの保証もない賃仕事だがそうとは知らぬ、いまだ小学生の 弟満がふたりの兄に手紙を書いた。 〈兄ちゃんたち、早く一人前の帯士になり店を持て。おれが遊びにゆく〉 12
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