昭和八年五月十九日、 斎藤清衛先儀は、 『地上を行くもの』 の

斎藤清衛先生は、
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﹃地上を行くもの﹄の行脚につぐ﹃ばてしなく歩む﹄
東海道を歩みつづけて東京にお着きになったのは、去る十六日のこ
の野と涼々として流れる水一の方に、すでに先生の心は走っていたようである
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まもないことが気遣われたが、﹁陰惨に濁ったままの東京の大空﹂よりも、 一青空と白い雲、新禄
とであるから、東京御滞在はわずか一一一日間にすぎなかったわけで、長途のお疲れを癒されるいと
宅から始められたのである
ころで、そのころ東京府下千歳村船橋に住んでいたが、こんどの先生の行脚は、その千歳村の相
の旅の第一歩を、武蔵野の一角から起こされた。 私はまだ学窓を出てやっと一年あ一まり経ったと
昭和八年五月十九日、
姿
千歳村は現在船橋町と名を改められて世田谷区に編入され、人家が立ち並んで昔日の面影はな
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ろ
いが、今から三十年前のあのころは、 まだいにしえの武蔵野の名残を至る所にとどめていたし
毎年名月の夜は高藤武馬君を加えた三人
ち戸
後
れは先生が千歳村に住みつかれてから後の話であるが、
」
姿
ろ
後
で、機林にはさまれた小道や、 薄の穂のほころびそめた野辺を、あてどなくさまよい歩くのを慣
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わしにしていたことも、ここで思い合わされる。 先生のこんどの旅は、同じ武蔵野を横ぎる甲州
街道に出、 さらに中仙道を経て山陰道に及ぶ長途を、その行程に選んでいられたのである
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私は一筋道が村の外
その朝、私は先生を送って家を出た。 雨気を含む大気が低迷しているとはいえ、すでに若葉に
装われた橡林や棒並木は、さすがに武蔵野の初夏を思わせるものがあった
れの土橋のあたりにさしかかった所で先生にお別れして、そのまま先生の後ろ姿を見送って立つ
ていた。 何分経ったであろうか、ずいぶん長いような気がした。道が左に折れて、先生の姿はふ
と棒並木の陰にかくれたが、その時も、それまでも、先生はついぞ私の方を見返ろうとされなか
った。先生の一姿が見えなくなってからも、私はしばらくそこに立って、先生と自分との聞の距離
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一抹の孤高の影をまと
ということについて考えていた。 離れすぎもしない、 といって近よりすぎもしない、先生の後ろ
姿と自分との聞の距離をそのまま保っちづけようと、その時私は思った
いながら、 ひたすらに前方を見つめて歩んでゆかれる先生の後ろ姿を、けっして見失うまいと思
った。
一組の男女の結婚
これは、先生御自身、自分は他人の生涯に立ち入り、他人の運命にかかわることをひど
先生は他人に対してたいそう寛容でいられるに引きかえ、自己を責めることきわめて厳格な方
である。
く怖れる性分である、 と述懐していられることとも関連する。 考えてみると、
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を進んでとりもつことすら、 おそろしいことにちがいない
﹂のような先生の御性向が、厳しい自
c それは、一人の男一人の女の運命に、
みずから重大なかかわりをもつことにもなるからである
自然の数であったというべきであろう。
己凝視から出発して、肉身の個性特に性格遺伝の探究、さらにこれを拡大して民族性の究明へと
進まれた先生の学問の性格と方向とを規定したことも、
人生・学問一如の道をひたすらに歩まれる、求道者としての先生の姿がそこにあった。 反省して
みると、 私自身の基本的な生き方が、先生のこのような姿に知ら、ず知らずのうちに影響されてい
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たことを否むわけにいかない。 先生の一御教示と御叱正によっていくたびか人生の危機を切りぬけ
ることのできた幸運とも、おのずから異なった次元の、これはまた格別のことであった
先生は園内の行脚をひとまず終えられ、その延長のような白然さで、 気軽に欧米の旅に立たれ
シベリヤ鉄道の車中、 フィンランドの白夜の町、 アイルランドの片田舎、先生
た。東京駅頭にお見送りした時も、 先生がそう遠くへ離れてゆかれるという実感が来なかったの
も不思議であるじ
c
三
者
の行かれるさきざきに、先生の後ろ姿を追っていた
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不
生のお宅を訪問した
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先生は書斎に端座して、
一冊のぶあつい書物に読み入っていられた模様で
であったといわなければならない。 ある日、私は勤務校の疎開先から帰京して、戦後はじめて先
京城大学御在任中、 たまたま東京に帰っていられるあいだに、終戦を迎えられた
σ
フ
幸
中
ある。お尋ねすると、ダ lウィンの進化論を読み返しているところだと答えられた。 その時私は
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姿
ろ
後
身心ともに虚脱状態に陥っている自分の腹の底に、 ジ l ンと蘇ってくる何物かを感じた
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先生の後ろ姿に、七十歳の年輪にふさわしい枯淡さと崇高さを加えてきた昨日今日である
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こに先生の御加餐を心からお祈りするどともに、二一十年前千歳村の外れで自覚した距離感を、
つまでも欠わないようにしようと念ずる次第である
(三七・五)
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