テクノえっせい - 中国経済産業局

テクノえっせい 341
モノ運びは経済の始まり
広島工業大学名誉教授
中山勝矢
おはらめ
弥生三月と聞くと、いつのころからか京の大原女がふと頭
に浮かぶのです。連想といえば連想ですが、不思議なこと
に齢をとっても変わらないから奇妙です。(写真1)
初期の大原女は野良着でしたが、次第に紺木綿の黒襟・
筒袖、白の腰巻と脚絆、刺繍をした手拭いを被り、紅の入っ
た帯を締めるなど、ファッション化して現在に至っています。
平安中期の11世紀ごろから京では、貨幣を得るため近在
の村から市内に炭や薪さらには野菜や花を売りに来る女
性たちがいて、13世紀には既に大原女と呼ばれたとありま
す。
(写真1)束ねた粗朶(そだ)を頭に載せた大原女
(よく見ると粗朶と頭の間にリング状のクッション
を挟んでいることが分かる。衣装が一種のユニ
フォームになっている。)
●<運ぶヒト>
ところで大原女は、売り歩く品を手に持ったり、担ったりし
ません。頭に乗せて運んでくるのです。頭と荷の間には、藁
を丸く鍋敷き状にしたクッションが置かれています。
世界を見たら決して珍しくないのです。熱帯アフリカでは
日常のことですし、古代のギリシャ、ローマ、エジプト、さら
にフランスにも例があり、歴史は古いのです。(写真2、3)
背負った荷の重量の一部を、ベルトによって額で受けるこ
ともあります。とはいうものの女性たちにとって頭上運搬は
意外と楽で、危機のときには逃げ易いのだといいます。
しかし日本列島では殆ど見かけません。宮城県牡鹿半島
の離島「陸前江島」、伊豆半島南部、伊豆七島の一部など
で見られたとあるくらいで、極めて稀なのです。
最近、面白い本に出会い、一気に読んでしまいました。神
奈川大学の川田順造教授が書かれた「<運ぶヒト>の人
類学」(岩波新書2014.9)です。
(写真2)(左)水運びをする熱帯アフリカの女性
(JICA’S World 2012.8 No.47から)
(写真3)(右)頭に牛乳を載せて運ぶフランスの農婦
(この絵は一般的な運搬方法だったことを示す)
旬レポ中国地域 2015年3月号
その中で、人類がアフリカを出て新しい土地に移住したと
き、子どもや食料、あるいは武器である棒や石、それに獲
物をどのようにして運んだのかと問題を提起しています。
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多くの動物の中で、こうしたことができるのは例外中の例
外に属します。<ヒト>と、それに一部の<サル>だけでしょ
う。この説明には思わず頷いてしまいました。
手がふさがっていたのでは他のことができません。長い旅
に出るときには、たぶん袋の類いを肩から下げ、または背に
担い、頭上に置くといった姿だったことでしょう。
牛馬や荷車を使う前の荷運びの基本は、背負うか、抱くか
下げるか、頭に載せるかです。ときには棒で担ぎますが、ど
れも今に至るまで人類全体に見られるものです。
●経済はモノ運びにはじまる
3月になると、連休も近いし、どこかへ出かけるかなと浮き
立った気持ちになります。一方で来日する観光客が増えて
いますから、お互いに知見が広がり結構なことです。
ところでどんな旅でも、裸一貫で済むものではありません。
何がしかの身の回りの品を携える必要があり、それだけでも
かなりの量になってしまいます。
(写真4)羽田空港でバスを待つ二人連れ
(ちょっとした旅行でも、荷物が多くなるの
は今も昔も変わりがない)
先日空港で見ていたら、キャスター付きのトランクの他に背
中に大きいナップザック、腕には別の袋という二人連れに出
会いました。このくらいは当たり前なのです。(写真4)
平成20年度の第16回中国地域ニュービジネス大賞に応募
してこられ、優秀賞に輝いた鳥取県倉吉の㈱バルコスを思
い出しました。
受賞されたテーマは「高級バックの輸入販売及びオリジナ
ルブランドバッグの企画・販売」とありましたが、門外漢には
ピンときません。
それで直接、山本敬社長さんに話を聞いてみると、最初に
扱ったのは爬虫類の皮のさまざまな高級バッグで、工場は
中国、デザインはイタリアという国際展開の話でした。
これを全国の問屋や専門店、デパートを通じて売っていく
のですが、高級であろうと並であろうと、人とバッグの縁はい
つになっても切れることがないと、改めて考えさせられました。
大原女は、貨幣収入が目的で売り歩きましたが、モノを運
ぶことなしに経済は始まりません。このことは興味深く、もっ
と掘り下げて考えてみたいと思っています。
HP
http://www.barcos.jp/
経済産業省 中国経済産業局 広報誌
旬レポ中国地域 2015年3月号
Copyright 2015 Chugoku Bureau of Economy , Trade and Industry.
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