写真・文 磯野生 茂 フォトエッセイ ォト イ Ikumo Isono バンドン駅 バンドンは、一九五五年にアジア・ ア フ リ カ 会 議︵バ ン ド ン 会 議︶が 開 か れ た 場 所 と し て、ま た 当 地 の 名 を 冠する工科大学のレベルの高さから 日 本 で も よ く 知 ら れ て い る。オ ラ ン ダ統治時代からの歴史を有する街で あると同時に、バンドンはジャカルタ の 富 裕 層・新 興 層 が 週 末 を 過 ご す 場 所として、独 自の進化を続けている。 本 稿 で は、筆 者 の 身 近 に い る イ ン ド ネ シ ア 人 か ら 聞 い た 例 を 基 に、彼 ら ジャカルタ新興層がバンドンでどの ように週末を過ごすのか紹介する。 ま ず、バ ン ド ン の 地 理 的 位 置 を 確 認 し よ う。バ ン ド ン は ジ ャ カ ル タ か ら南東に高速道路で一三〇キロ︵ジャ カ ル タ・チ ャ ワ ン か ら バ ン ド ン・パ ストゥールまで︶ 、金曜日の夜ないし 土 曜 の 朝 に ジ ャ カ ル タ を 出 て、一∼ 二 泊 し、日 曜 の 夜 帰 っ て く る に は 無 理 の な い 距 離 で あ る。周 り を 山 に 囲 ま れ た 高 地 に あ り、ジ ャ カ ル タ が 年 間 を 通 じ て 最 高 気 温 三 四 度、最 低 気 温二六度程度でエアコンが手放せな い の に 対 し、バ ン ド ン は 最 高 気 温 が 三〇度 前 後、最 低 気 温 が 二〇度 以 下 と な り、過 ご し や す い。夜 は エ ア コ ン を 止 め 窓 を 閉 め な い と、寒 く 感 じ るほどである。 ジャカルタ市民がバンドンで過ご す 場 所 と し て、ま ず、定 番 の ト ラ ン ススタジオ・バンドンが挙げられる。 二〇一 一 年 六 月 に オ ー プ ン し た ト ラ ンススタジオは、二〇のアトラクショ ンを有する室内型の本格的テーマ 42 アジ研ワールド・トレンド No.233(2015. 3) ンの ・バンド 並ぶ人たち に スタジオ トランス クションショー ア 特撮効果 トランススタジオ・バンドンは室内型のテーマパークである パ ー ク で あ る。入 場 料 は 平 日 一 五 万 ル ピ ア︵一 四〇〇円︶ 、土 日 祝 日 が 二 五万ルピア、 VIPアクセスというア トラクションの優先入場レーンを使 える権利を得るには追加で二五万ル ピ ア 必 要 で あ る。大 人 も 子 ど も も 同 料 金 で あ り、た と え ば 家 族 四 人 で 週 末に来ると、 VIPアクセスがなくて も 一〇〇万 ル ピ ア、約 九 四〇〇円 と い う 金 額 に な る。二〇一 四 年 の バ ン ド ン 市 の 最 低 賃 金 が 月 二〇〇万 ル ピ ア で あ る こ と を 考 え る と、こ の テ ー マ パ ー ク の タ ー ゲ ッ ト 層 が 富 裕 層・ 新 興 層 で あ る こ と が わ か ろ う。ロ ー ラ ー コ ー ス タ ー、テ レ ビ 番 組 撮 影 の セットを模したものを体験できる コ ー ナ ー、科 学 実 験 コ ー ナ ー、ボ ー トを模した乗り物が高傾斜を駆け下 り 水 面 に ダ イ ブ す る も の、乗 り 物 に 乗ってインドネシアの各州の風習を 見 て ま わ る も の、パ レ ー ド、特 殊 効 果 の ア ク シ ョ ン シ ョ ー な ど、著 名 な 海外テーマパークに引けを取らない 体験を提供している。 バンドンの北部に位置するレクリ エーションエリア、ドゥスンバンブー が 次 の 場 所 で あ る。入 場 料 は 家 族 四 人 の 場 合、五 万 五〇〇〇ル ピ ア︵五 二〇円、駐車料金込み︶ 。レストラン、 ハ イ キ ン グ コ ー ス、ロ ッ ジ な ど が あ り、美しい景色に囲まれているため、 小さな子ども連れの家族だけでなく デートスポットとしても利用される。 子どもたちはレストラン横のプレイ エ リ ア で 遊 び、両 親 が ス マ ー ト フ ォ トランススタジオ・バンドンの入り口付近 ドゥスンバンブー ドゥスンバンブーのプレイエリアで遊ぶ子どもたち ドゥスンバンブーのレストラン ンや一眼レフで彼らの写真を撮ってい た。ま た 若 い カ ッ プ ル も、 iPhon e やAn dro i dと い っ た ス マ ー ト フォンに自撮り用のエクステンション ス テ ィ ッ ク︵セ ル フ ィ ー ス テ ィ ッ ク︶ をつけて思い思いの場所で自分たちを 撮影していた。 パ ド マ ホ テ ル の 朝 食 ブ ッ フ ェ も、美 し い 景 色 を 楽 し む こ と が で き る。バ ン ドン中心部から七キロほど北にあるこ の ホ テ ル は、丘 陵 の 中 程 に あ り、ホ テ ル 自 体 が 緑 に 囲 ま れ て い る。朝 は バ ン ドン中心部よりもさらに気温が低くな る こ と か ら、景 色 を 一 望 で き る レ ス ト ラ ン で、冷 房 に 頼 ら な い 涼 し さ を 得 る こ と が で き る。バ ン ド ン 市 な い し 郊 外 に 週 末 用 の 住 居 が な い 場 合、こ の ホ テ ルに宿泊するのもひとつの選択肢とな る。 バンドンにはまた多くのおしゃれな カ フ ェ が あ り、静 か な 時 間 を 過 ご す こ と が で き る。パ ド マ ホ テ ル か ら ほ ど 近 いミスビープロビドーレはその代表格 の ひ と つ で、外 観、内 装 と も に 理 想 的 な一軒家で寛いでいるような感覚にな れ る。ま た、バ ン ド ン 中 心 部 に 近 い ラ カ メ ラ コ ー ヒ ー は、質 の 高 い コ ー ヒ ー やラテを提供する。 バンドン郊外の不動産巡りも人気だ という。不動産価格の高まりを受けて、 中間層以上の層は不動産投資への選好 が 強 い。ジ ャ カ ル タ 新 興 層 と し て は、 投資目的と週末の拠点の両方を満たせ る、バ ン ド ン 郊 外 で ジ ャ カ ル タ に 近 い 方面の高速道路出口付近の物件が候補 パドマホテルは緑に囲まれている ミスビープロビドーレは一軒家タイプのカフェ のロ ビー テル マホ パド カフェ、ミスビープロビドーレの室内 ラカメラコーヒーのラテ パドマホテルのレストラン 44 アジ研ワールド・トレンド No.233(2015. 3) バンドン市内での渋滞 コタバルパラヒャンガンの一角。一軒家の価格は 2000 万円超 る。一 方、イ ン ド ネ シ ア 中 央 銀 行 が 二 〇一 三 年 以 降、特 に 二 軒 目 以 降 の 住 宅 ローン設定に対し高い自己資金比率を 設 定 し た こ と、ま た 不 動 産 価 格 が 手 の 届 か な い レ ベ ル ま で 上 昇 し た た め︵た と え ば 写 真 の 一 軒 家 が 二〇〇〇万 円 以 上 な ど︶、以 前 ほ ど の 活 況 は み ら れ ず、 開発のスピードもやや落ちている印象 だという。 以 上、日 本 人 向 け の バ ン ド ン の 観 光 名所としてはあまり挙げられないとこ ろ も 含 め い く つ か 紹 介 し た が、意 見 を 聞いてまわったインドネシア人から最 後 に 念 を 押 さ れ た の は、無 理 に ス ケ ジュールを押し込めすぎないことであ る。バ ン ド ン は 道 路 整 備 が 遅 れ て い て 中心部はジャカルタ以上に渋滞が酷 く、土日はそれが激化する。また、ジャ カ ル タ と バ ン ド ン の 行 き 帰 り も、ジ ャ カ ル タ∼プ ル ワ カ ル タ 間 は 工 業 地 帯 の た め 高 速 道 路 も 頻 繁 に 渋 滞 し、深 夜 な ら 片 道 二 時 間 で 行 け る と こ ろ が、運 が 悪い場合は六時間かかってしまうこと も あ る。ジ ャ カ ル タ・バ ン ド ン 間 の 高 速 鉄 道 は、完 成 の 暁 に は 三 七 分 で 両 都 市 を 結 ぶ と さ れ て い る が、 J ICA協 力による開発事業準備調査のフェーズ Ⅰが 二〇一 五 年 三 月 ま で の 予 定 で 行 わ れ て お り、実 現 ま で は 時 間 を 要 す る。 多 く を ま わ る の で な く、ひ と つ の 場 所 で長く時間を過ごすことが望ましい。 アジ研ワールド・トレンド No.233(2015. 3) 45 の ひ と つ と な る。実 際、バ ン ド ン 郊 外 には大規模な住宅開発プロジェクトが 複 数 存 在 す る。た と え ば、コ タ バ ル パ ラ ヒ ャ ン ガ ン は 一 二 五〇ヘ ク タ ー ル に お よ ぶ 大 規 模 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト で、道 路、住 宅、商 業 施 設 や 病 院 な ど そ の 他 生 活 基 盤、レ ク リ エ ー シ ョ ン 施 設 を 一 体 開 発 す る こ と で、古 く 比 較 的 貧 し い 住宅群と新しい住宅との混在や狭い幹 線道路に車が殺到して一日中渋滞する といったインドネシアによくみられる 景色から隔絶した生活環境を提供す バンドン郊外ではいたるところで住宅建設が行われている いその いくも/日本貿易振興機構アジア経済研究所 経済統合研究グループ 2005 年入所。2011 年∼ 2013 年国際機関東アジア・アセアン経済研究センター (ERIA、ジャカルタ)に出向。2014 年帰任。専門は空間経済学、東アジアの経 済統合、特にコネクティビティ分野。
© Copyright 2024 ExpyDoc