フォトエッセイ 写真・文 中野智明

■フォトエッセイ■
ボートの縁で川を見つめる少年。「どこを見ているのか」
と視線を追うと、広大なサッドの風景が広がっていた
写真・文 中 野 智 明
Tomoaki Nakano
牧畜民キャンプで毎朝、必ず行われる重要な作業。
害虫などから牛を守るために、牛糞を燃やした灰を、
体に擦り付ける
早朝の牧畜民キャンプで起き出した子どもたちが、ナイル川の水で顔を洗っていた
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アジ研ワールド・トレンド No.248(2016. 6)
南スーダン
牛に牛糞の灰を擦り付ける少年。
大人だけでなく、子どもたちも
牛を大事に扱う
闘が止む気配はない。独立によって急激な生活
昨年八月の和平交渉は合意に達したものの、戦
まま、多くの国内避難民が行き場を失っている。
た紛争が、治安を悪化させ、経済を破綻させた
元副大統領の間で二〇一三年一二月から始まっ
サルバ・キール大統領とリエック・マチャール
新たな石油国家の誕生。あれからわずか五年弱。
に涙を浮かべた人たちが大勢いた。アフリカの
南スーダンの首都ジュバ。二〇一一年七月九
日の独立式典会場には誇りに満ちた喜びの瞬間
った。
る こ と な ど、 ま っ た く 予 想 も で き な い こ と だ
く さ ん 目 撃 し た。 当 時 こ の 地 が 独 立 国 家 に な
れ、 逃 げ 遅 れ た 村 人 た ち の 遺 体、 牛 の 屍 を た
村はスーダン軍の空爆でことごとく焼き払わ
だ っ た。 ケ ニ ア 国 境 か ら ボ ル ま で の 牧 畜 民 の
いわれていた地域へ繋がるシャンベという村
し て い た の は、 牧 畜 民 キ ャ ン プ が ま だ あ る と
(現南スーダン政府)と繰り返していた。目指
渡 る ボ ー ト に 乗 る 交 渉 を、 当 時 の 反 政 府 勢 力
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牧畜民を撮影するために川の東岸から西岸へ
環境の変化がもたらされたが、どれだけの国民
に浸透しているのだろうか。
ボルは、ナイル川最大の難所と呼ばれる「サ
ッド」(アラビア語で障害の意)の南に位置す
が 水 の 流 れ を 阻 み、 川 は 無 限 に 広 が り 巨 大 な
る。 パ ピ ル ス に よ っ て 形 成 さ れ る 大 小 の 小 島
ドキュメンタリー番組の撮影隊とスーダン南部
湿 地 帯 と な る。 マ ラ リ ア な ど 風 土 病 が 蔓 延 し
第二次スーダン内戦が激化していた一九九一
年の年末から一九九二年の正月にかけて、私は
の白ナイル川畔の町ボルに滞在した。戦時下に
て い た サ ッ ド で は か つ て、 多 く の 探 検 家 た ち
の 群 れ を み て い る と、 内 戦 時 に 訪 れ た 記 憶 が
な か を、 ゆ っ く り と キ ャ ン プ に 戻 っ て 来 る 牛
を 守 っ て く れ る の だ。 雄 大 な サ ッ ド の 風 景 の
ち 上 る 煙 が、 夜 間 の 蚊 の 攻 撃 か ら 家 族 と 家 畜
に備えて、乾燥した牛糞に火をつけていた。立
ンプが対岸にみえる。夕刻のキャンプでは、夜
上に上ると当時は壊滅状態だった牧畜民キャ
川 沿 い に 建 設 中 の 大 き な ホ テ ル が あ っ た。 屋
装 さ れ て い る 場 所 は 非 常 に 少 な い。 白 ナ イ ル
立 は 果 た し た が、 地 方 へ 向 か う 幹 線 道 路 で 舗
二 一 年 ぶ り に ボ ル を 再 訪 し た。 首 都 ジ ュ バ
か ら 約 二 〇 〇 キ ロ の 道 を 車 で 四 時 間 以 上。 独
いう。
い る 間 に、 水 量 の 半 分 以 上 が 蒸 発 し て い る と
先 が み え な い。 ナ イ ル 川 は サ ッ ド で 停 滞 し て
何 が 潜 ん で い る の か、 と 想 像 し た く な る ほ ど
て 命 を 落 と し た。 生 い 茂 っ た パ ピ ル ス の 奥 に
が移動するパピルスの島のために方向を失っ
ありながら、伝統的な生活を守り抜くディンカ
密猟者が分け前の獲物を抱えて歩いていた。野
生の動物は撃っても、牛は狙わない
蚊よけのために牛糞を燃やした灰を、
体中に塗って寝るため、朝起きると
こんな顔で「おはようございます」
サッドは、パピルスをはじめ様々な水草で覆われている
放牧からキャンプに
戻って来る牛の群れ。
牛の数は富を表すだ
けではなく、尊敬の
象徴でもある
蘇 っ て き た。 あ の 頃 は、 服 を 身 に 着 け て い る
人 は ほ と ん ど い な か っ た。 全 裸 の 若 者 が A K
を背中にかけて闊歩していた。
翌 朝、 船 外 機 の つ い た ボ ー ト で 対 岸 の 牧 畜
民 キ ャ ン プ へ 渡 っ た。 ま だ 起 き 出 し て い な い
キャンプの様子をみて周辺の川を下ってみる
と、 パ ピ ル ス の 小 島 が い く つ も 現 れ、 行 き 先
を 塞 い だ。 今 で も 首 都 ジ ュ バ と 上 流 の 町 を 結
ぶ航路が遮断されることがあるという。
牧 畜 民 た ち は、 蚊 よ け の た め に 体 に 灰 を 塗
っ て 寝 る た め、 早 朝 は 顔 や 体 が 白 っ ぽ く な っ
て い る。 一 日 の 始 ま り は、 殺 菌、 虫 よ け の た
めに大事な牛に牛糞の灰を塗る作業から始ま
る。牛が放尿するタイミングをみつけると、近
付 い て 尿 で 顔 を 洗 う 人 が い る。 殺 菌 作 用 が あ
っていいらしい。キャンプ内を歩いていると、
内 戦 時 と 違 う 風 景 に 気 が 付 い た。 誰 も が T シ
ャ ツ 姿 で、 小 さ な 子 ど も た ち で も パ ン ツ を は
い て い た。 物 が 入 り 込 ま な か っ た 牧 畜 民 キ ャ
ン プ に、 服 だ け で は な く、 ビ ニ ー ル シ ー ト や
空 の ペ ッ ト ボ ト ル な ど も あ っ た。 独 立 し て か
ら の 南 ス ー ダ ン で は、 急 速 な 貨 幣 経 済 の 導 入
と物流がボルなどの主要な町を変えただけで
は な く、 周 辺 の 牧 畜 民 キ ャ ン プ の 生 活 に ま で
浸 透 し 始 め て い た。 四 半 世 紀 程 の 時 間 が 経 過
し て も、 サ ッ ド の な か の 牧 畜 民 の 生 活 は ま だ
し っ か り と 残 っ て い た が、 牧 畜 民 の 牛 を 中 心
に し た 生 活 は、 確 実 に 変 化 の 波 に 巻 き 込 ま れ
ている。
四〇億ドルという国家の公金が二〇一二年、
政府関係者によって盗まれ消えてしまった。キ
ール大統領は返却を求める手紙を書いたが、こ
の 巨 額 の 金 の 行 方 は、 今 も 不 明 の ま ま だ。 牧
畜 民 に と っ て は 牛 の 数 が 富 の 象 徴 だ が、 貨 幣
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夕刻の牧畜民キャンプでは、牛の糞に火がつけられ、夜を過ごす準備が始まる
なかの ともあき/フォトジャーナリスト
フォトジャーナリスト。83 年からアフリカ大陸で活動を続け、
ルワンダ大虐殺、南アフリカのアパルトヘイト終焉の現場など
を取材。2015 年までに 47 カ国を訪れた。
サッドの中をボートで進む。水草を避けながらなので
真っ直ぐ進めず、時間がかかる
夕日が沈んだ直後に、ボートを漕いだ
男がナイル川の対岸から牧畜民キャン
プに戻る
経 済 の 価 値 観 が 広 が っ て い く な か で、 富 め
る者と国家経済の底辺にいる者との格差の
自 覚 が 始 ま る ま で、 時 間 は か か ら な い の で
は な い か。 原 油 が も た ら す 富 の 分 配 な ど あ
る の だ ろ う か。 巨 額 の 公 金 を コ ン ト ロ ー ル
できない政府の存在と牧畜民のシンプルな
生 活。 こ の 二 つ の 両 極 が ひ と つ の 国 の な か
で、 ま っ た く 別 の 風 景 を 作 り 出 し て い る。
二 〇 年 以 上 前 に み た 戦 場 は、 異 な る 民 族、
違う宗教に対して自らの存在を勝ち取る戦
い の 場 で あ っ た。 し か し 今、 仲 間 同 士 が 殺
し合う。権力、石油の利権のための争いには、
戦 い の 大 義 が 不 明 だ。 昨 年 か ら、 ジ ャ ー ナ
リ ス ト の 殺 害 も 続 い て い る。 キ ー ル 大 統 領
は「 報 道 の 自 由 は 国 家 に 刃 向 っ て も い い と
い う こ と で は な い 」 と し て、 反 政 府 的 な 記
事を発信することは許さないと警告してい
た。 自 ら の 国 家 の 姿 を 理 解 せ ず、 石 油 マ ネ
ー の 使 い 道 を 考 慮 せ ず、 富 め る 者 と、 そ う
ではない大多数の国民の差は大きくなるば
かりだ。
独立四周年記念日に、独立をみることなく、
謎のヘリコプター事故で死亡した南部スーダン
解放闘争の父ジョン・ギャランの妻レベッカは
も還元できていない現状を申し訳なく思う」と
「解放闘争を戦ってきた南スーダンの国民に何
いう遺憾の意をイギリス国営放送のインタビュ
ーに答えて語った。
開発するには、あまりにも広大なサッドは、
今も変わらず悠久の姿をみせる。しかし、この
風景の奥には残念なことに、私利私欲という紛
争の種が大きく広がっている。豊富な原油を有
するこの国の将来が、サッドで蒸発しているナ
イル川の水のようにならないでほしいものだ。
目に映る原風景は今も変わらない。
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