「日々笑顔」

中学生人権作文コンテスト
「日々笑顔」
中津川市立苗木中学校三年
澤下 朱子
中日新聞賞
ます。また、父の仕事の関係で中学は苗木中学校に転入
することになった私に、みんなは黒板によせ書きを書い
てくれ、一人一人のメッセージがある手作りのカードも
プレゼントしてくれました。みんなのサプライズに、我
私が「友達」という事について真剣に考えたのは小学
慢していた涙が一気にあふれて号泣してしまいました。
六年生が初めてだったかもしれません。もっと早くから
そんな嬉しさの反面、幼なじみを失った心の大きな穴は
真剣に考えていたら、私の今の生活は全く違うものだっ
うめられませんでした。二人とは半年間、全く会話もな
たのでしょうか。
く卒業しました。
小学校は一組しかなく、転校、転入以外のメンバー変
「みんながいて本当によかった。」
更はありませんでした。幼いころから一緒だった子が多
そう思った時、一人の子の顔が浮かびました。私が六年
いせいか男女がすごく仲よく、遊んだりするのも普通で
間なにもしてあげられなかったあの子です。その時にや
した。そんな仲のいいクラスでしたが、一人だけなにか
っと気づきました。助けてあげられなくてもできる事は
あるとターゲットにされている子がいました。その子は
あったんじゃないかと。そばにいて話したり、今までと
ハーフで思っている事がうまく表現できなくて、何か言
同じようにしてあげるだけで私が救われたように、少し
われても物事を言い返せない子でした。私はその子と家
はその子に笑顔が戻ったんじゃないかな。そう思いまし
が近かったためか保育園のころから仲良しでした。しか
た。絶交した二人に対して、私はわがままばっかり言っ
し、小学校に入ると幼なじみや他の仲のいい友達といる
て嫌な思いをさせていた。失ってからではもう遅いけど
ようになり、気にはするものの助けたりかばってあげる
自分の足りなかった部分にやっと気づくことができまし
ことを六年間で一度もできませんでした。今想うとなん
た。
でかばわなかったんだろうと思いますが、あのころの私
この夏休み、卒業からもう三年がすぎ、久しぶりに友
はある事件が起こるまで、正直なんとも思ってない最低
達の所へ遊びに行きました。そこには絶交していた幼な
な人間でした。きっと、そのバツだと思っています。
じみの一人がいました。私の頬はこわばりました。する
卒業の約半年前。今思い出すだけでも胸が痛く涙があ
と、彼女は私の所へ来て、
ふれてくるような出来事が起こりました。私には幼なじ
「あのときはごめん。私もすごく子供だった。」
みが二人いました。一人は同じ団地に住み、家族ぐるみ
と言ってくれたのです。私はその言葉を聞いてすごく嬉
で仲がよく毎日のように遊んでいた赤ちゃんの時から姉
しく、三年間の穴を埋めるのは時間がかかるかもしれな
妹のように育った幼なじみ。もう一人は、親同士が仲よ
いけれど、少しずつでもいいから笑顔いっぱいの私達に
く、保育園はちがったがよく遊びに行っていた幼なじみ。
戻りたいと思い、その気持ちを伝えることができました。
私達はいつも三人で行動していました。しかし、そんな
〝いじめ〟。これをなくすことはむずかしいことかも
ある日、突然二人から、
しれません。でも、だれかが味方になってくれたり、一
「絶交しよ。」
言、声をかけてもらうだけでも、その人に少しの笑顔が
そう言われました。大好きな二人を失い、すごく悲しく
戻ったり生きる力がわいて、自分から大切な命を失うよ
頭が真っ白でした。その時から私の地獄は幕を開けまし
うなことは起こらないと思います。私のように嫌な思い
た。二人とは一切しゃべらない、目も合わせない、名前
をして、大切な人を失ってほしくありません。失ってか
さえも口にださない。私達は全く他人になってしまった
らではもう遅いのです。
のです。昼休みも三階の教室から、外で遊んでいる姿を
私は今、毎日がとても充実しています。それは、あの
悔しさと悲しさが一杯の気持ちを押し殺して見ていまし
事件を反省して、友達を思いやってすごすように心がけ
た。でも、一日も休まずに通いました。それは他の「友
ているからだと思います。いさかいや心のすれちがいが
達」の存在でした。幼なじみと絶交したあの日から毎日
なくなったわけではありません。けれど「日々笑顔」を
はげましてくれそばにいてくれる子がいました。手のひ
私の合言葉にして前向きな気持ちで生活しています。私
らを返さずに今までと同じように接してくれるクラスの
の周りの人も、もっと相手を大切にし笑顔が増えること
みんなの姿があったからです。
を願っています。
支えてくれた友達やクラスのみんながそれまでと同じ
ようにいてくれたから私は無事に卒業できたと思ってい