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早稲田大スポーツ科学部【小論文】解答例 解答例1
課題文の筆者は、近代社会におけるスポーツの社会的意義の増大の原因の一つ
として、スポーツが集団的一体感を生み出す手段として機能するようになった点
を挙げ、そこから発生した問題点として、国際的に競争するスポーツ選手に加え
られる社会的圧力がスポーツにおける遊びの要素の破壊を推し進めていること
と、国際的スポーツの成功によってもたらされる国家的名誉の増大が、国家のス
ポーツへの介入を促していることを指摘している。私は第一の問題点に注目した
い。
現代の国際的なスポーツ大会に出場する選手は、幼少期から特定の種目の英才
教育を受けていることが多い。時には、家庭生活や学校生活の時間を犠牲にして
まで、スポーツクラブの練習に通い、科学的に組み立てられたメニューに基づい
たトレーニングを積む。彼らにとってスポーツは「遊び」どころではなく、耐え
ることや苦しむことが試合に勝つための当然の条件とみなされている。ここには、
近代社会における効率至上主義がスポーツにもたらした悪影響があると私は考え
る。
近代社会においては、経済活動においても教育においても「効率」が重視され、
「ムダ」なものは切り捨てられていく。しかし、スポーツにおいて徹底的に効率
を追求してしまったら、スポーツというものが「自分の肉体を苛め抜く苦しい練
習」と「狡猾な駆け引きによって相手を出し抜きポイントを稼ぐ試合」に集約さ
れてしまう。それは人間にとってスポーツの本質が失われることを意味するので
はないだろうか。
なぜなら、我々の子ども時代を思い出せばわかるように、多くのスポーツは「自
分の身体を動かす快感」と「複数の人間同士が身体を動かして、感覚的に同調す
る楽しみ」から発展してきたと考えられるからだ。例えば、
「走り、跳び、泳ぐ快
感」が「陸上競技・器械体操・競泳などの個人スポーツ」を生み出し、
「一定のル
ール内で複数の人間が動き回ることによって、お互いの心理・感覚の動きを察知
し合う面白さ」が「球技・シンクロナイズドスイミングなどの集団スポーツ」を
生み出したと言える。
遊びの要素を破壊するような社会的圧力は、スポーツの本質的な意義を見失わ
せる。
「効率」はあくまで手段であり、スポーツ本来の意義は各自が「自分の身体
を動かす喜び」や「他者の身体とシンクロする楽しみ」を味わうことだ、と私は
考える。
解答例2
課題文で筆者は、勝利をめぐって競争するという、スポーツに元来備わってい
る対抗的な性格が、「外部の敵」に対して自分たちの集団の「内部性」を作り出
し、集団的一体感を強めると分析している。こうした性格を持つスポーツの普及
は国際的な相互依存や世界平和に寄与する面があるが、他方で、国際的に競争す
るスポーツ選手への社会的圧力や国際的スポーツの成功によってもたらされる
国家的名誉の増大が、スポーツにおける遊びの要素を破壊し、国家のスポーツへ
の介入を促す危険性があると指摘している。
これらの問題の根本的な原因として、近代社会におけるナショナリズムの過剰
な表れがあるのではないかと私は考える。近代のナショナリズムは「民族国家」
の独自性を重視するあまり、政治・経済の面だけでなく学問・芸術・スポーツの
面においてまで、国際社会を「国家間の勢力争いの場」とみなそうとしてきた。
スポーツにおいては、国際オリンピック大会で国々がメダルの獲得数を競った
り、国際的なスポーツ大会での勝利で日頃の政治的な鬱憤を晴らそうとしたりす
ることなどがそれにあたる。モスクワ五輪やロス五輪におけるアメリカと旧ソ連
の勢力争い、国際的なスポーツ大会での日本に対する韓国の過剰な対抗意識など
が例として挙げられる。
しかし、私は、スポーツとは本来「人間同士をつなぐもの」であると思う。例
えば、屋外での子どもたちの遊びや大人たちのレクリエーションが集団スポーツ
の起源になったと考えられるし、現在でも、高齢者や障碍者のスポーツでは「競
争や勝敗」よりも「ゲームとして成立しているか否か」が重要になっていると考
えられる。一定のルールの中で複数の人間が身体を動かすうちに、お互いの感性
や価値観の違いを超えたコミュニケーションを可能にするのがスポーツなので
ある。
スポーツに備わっている「集団的一体感を強める」性格を利用して国家の威信
を高めたり、「外部の敵」に対するバッシングを国内政治の不満のはけ口にした
りするような国際スポーツ大会のあり方は危険である。近代スポーツは原点に立
ち返って、競技のあり方を見直さねばならない。スポーツを国家間の「代理戦争」
とみなすのではなく、スポーツとは「相互依存的な人間の形態」から生まれてき
たものであり、「異文化の者同士が一定のルールの中で行う交流」とみなすよう
な方向性が今後必要になってくると私は考える。