王妃はいかにして白雪姫を追い出したのか?

王妃はいかにして白雪姫を追い出したのか?
john.
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︻小説タイトル︼
王妃はいかにして白雪姫を追い出したのか?
︻Nコード︼
N2283CF
︻作者名︼
john.
︻あらすじ︼
暗い部屋に引きこもり、鏡を覗き込んではため息をつく王妃様。
﹁白雪はあんなにも美しいのに﹂。地位も財産もありながら、欲し
いものは決して手に入らない。そんな哀れな彼女に語りかけてきた
のは、突然現れた鏡の精だった。﹁ちょっとちょっと王妃サマ?あ
んたちょっと暗すぎるんじゃないの?﹂***愛する人に愛された
い王妃さまが、不思議な鏡の精といっしょにがんばるお話。白雪姫
パロディですが、白雪姫はおまけ程度です。
1
鏡の中の少年
青白い顔。かさかさとした肌に荒れたくちびる。肩口で切りそろ
えられた黒い髪にも艶はない。
鏡を覗き込むと、そんな不健康そうな、決して美しいとは言えな
い女の姿が映っていた。愕然として自分の頬に手をやると、鏡の中
の女も同じ動作をする。ああ、これはやっぱりわたしなんだわ、と
奇妙な気分にとらわれた。
昔は。そう、たった数か月前までは、こんな姿ではなかったのに。
自分で言うのもおこがましいが、それでも自分の容貌は決して醜く
はなかったのに。
﹁白雪は、あんなにも美しいのに﹂
雪のように白い肌と、漆黒のように黒く輝く髪と、ばらのように
麗しいくちびるをもつ美しい少女。白雪姫、と呼ばれる彼女を脳裏
に思い浮かべて、わたしは、ひとりため息をついた。
ひとり。そう、誰も部屋にはいなかった。いないはずだった。
それなのに。
﹁ちょっとちょっと、王妃サマ?あんたちょっと暗すぎるんじゃな
いの?﹂
﹁⋮⋮ひ﹂
ひぎゃああ︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱っ!?
聞き覚えのない少年の声が耳に入って、きょろきょろとあたりを
2
見回したわたしは、目の前の鏡の中でにっこりほほ笑む少年の姿を
みとめて、生まれてこの方出したことのないような悲鳴をあげたの
だった。
***
ひとしきり騒いだわたしのもとへ侍女やら衛兵やらが来て結構な
大騒ぎになったので、なんでもないとごまかすのにはひどく苦労し
た。一応わたしはこの国の王妃様なのだ。一大事があっては困るだ
ろう。ただでさえよくない噂もはびこっていることだし。
それはそうとして、わたしが先ほど直面した現実はとうてい受け
入れがたいものだった。冷静になろうと現実逃避してみたのだけれ
ど、鏡の中にいるのは不健康な女ではなくにやにやと笑うばかりの
少年だけだった。
わたしが落ち着くのを数刻待った彼は、自分を﹁鏡の精﹂だと称
した。
﹁鏡の精⋮⋮?﹂
﹁うん、そうそう。名前はないからカガミとでも呼んでよ王妃サマ
⋮⋮って、なにその疑わしそーな目は﹂
わたしのにらむような目つきに気づいたらしい。心外だと言わん
ばかりに少年︱︱カガミは頬を膨らませた。落ち着いてみてみると
幼い容姿をしている。12,3歳といったところだろうか。白雪と
同じような年頃だ。
﹁ボクのこと疑うのは自由だけどさ、それならちゃんとロンリを示
してほしいよね。なんでボクが鏡に現れることができて、しかも王
妃サマと会話できてるのか﹂
カガミの話ももっともだと思った。この鏡の後ろは壁で、その向
3
こうは何もない空中だ。しかもお城の4階。確かに何か不可思議な
術でも使わない限り、彼がこの鏡の中から現れることは不可能だろ
う。つまり、彼は不可思議な術を使える奇妙な存在であるか、ある
いは本当に鏡の精であるかなのだ。
そこまで考えて、なんだかおかしくなった。本気でこんなことを
信じているなんて、とうとう自分もおかしくなったらしい。薄暗い
部屋に3か月も閉じこもり続けたからか。
それでも、どうせならこの少年に付き合ってやろうと思った。ど
うせ暇を持て余しているのだし、気が滅入るこの生活に少しでも清
涼剤が欲しいと思っていたのだ。この不思議で快活な少年はこの場
に明るさをもたらしてくれるような気がする。
﹁それで、カガミとやら。なんで突然わたしの鏡に現れたのかしら﹂
疑問を尋ねると、カガミはうーん、と首をひねった。
﹁さあ。呼ばれるのっていっつも突然だから、理由はよくわかんな
いんだよね。たぶん、王妃サマ、あんたが何かを悩んでたからなん
だと思うけど﹂
﹁わたしが?﹂
カガミの言葉に、わたしは心臓を刺されたような衝撃を覚えた。
﹁わたしに悩みなんてないわ。わたしはこの国の王妃よ?地位も財
産もある。何一つとして不自由なんてしていないわ﹂
うそだ。本当は、わたしには足りていないものばかり。欲しいも
のは何一つとして手に入っていない。だけどそんなことを突然現れ
た少年に打ち明ける気にはならず、わたしは虚勢を張る。
しかし、そんなわたしの心の内をカガミはすべて見通していたら
しい。
4
﹁うそつきな王妃サマ。ボクなんか相手に虚勢を張ったって意味な
いよ?ラクになりなよ。言いたいこと、いっぱいあるくせに﹂
にんまりといたずらっ子のように笑うカガミに、なんだか泣きた
い気持ちになった。この少年は、いったい何者なんだ。
5
王妃の事情
﹁シラユキ、って言ってたよね。それに、自分の容姿に満足してな
いみたいだ。王妃サマの悩みっていうのはそれ?﹂
カガミは妙に真剣な表情で、頬杖をつきながらわたしに聞いた。
彼に話によると、わたしの悩みを解決するためにカガミはこの鏡の
中に現れたらしい。そう言われ、わたしは夢でも見ているのだと思
うことにして、自分のことを打ち明けることにしたのだった。
﹁あんた、本当に話を聞いてくれるの?﹂
﹁それが悩みの解決につながるならね﹂
小ばかにしたようにふふん、と彼は鼻で笑う。真剣な顔をしたり
あざけってみたり忙しい奴だ。実家にいるはずの弟を思い出して、
わたしは小さく笑った。笑おうと思って笑うのではなくて、つい笑
ってしまった。こんなことはこの城に来たあの日以来、初めてだっ
たかもしれない。
﹁わたしは、この国の王妃。つまり、王の妻よ﹂
﹁知ってるよ﹂
腹の立つあいづちに﹁まあいいから喋らせなさいよ﹂と告げ、わ
たしはどこから話すか思案していた。たった3か月前に始まったこ
とだけれど、案外話すと長くなるのかもしれない。どうしたら、簡
潔に、でもきちんとわかってもらえるかしら。
﹁白雪っていうのは、わたしの継子よ。あだ名だけどね。すごくき
れいで心優しい子なの。王と、今は死んでしまった前の王妃の間に
生まれた子﹂
﹁へえ﹂
﹁確かに、わたしはさっき白雪と自分の容姿を比べてたわ。でも、
6
別にそれは大した悩みじゃない。本当に白雪は美しい子だもの、比
べる方がばかなのよ。でもね、わたしだって、少し前までは、結構
美人だって評判だったのよ﹂
﹁まあ、わかんなくはないかな﹂
案外素直にカガミはわたしを褒めた。
﹁不健康そうだけど、つくり自体は悪くない。もっと栄養をとって、
陽の光をあびて、きちんと睡眠とったらだいぶマシになると思うけ
ど﹂
あんたは医者か。思わずつっこみそうになる。1週間前の検診で
主治医に言われた台詞そのままだったのだ。カガミはきょろきょろ
と部屋の様子を見渡すように首を振ると、眉をしかめた。
﹁ていうか、この部屋暗すぎ。雰囲気もどよーんとしてるけど、物
理的にも暗すぎ。カーテンくらい開けなよ。目悪くなるよ﹂
﹁まるで母親ね﹂
皮肉と愛情をこめて言うと、カガミはにやりと笑った。
﹁それで、王妃サマ。悩みの種は、その美しい白雪姫ってこと?義
理の娘との関係がうまくいかないって?﹂
﹁そう、とも言うしそうじゃないとも言うわ﹂
あいまいな返答に、カガミはまた首をひねる。
実際、最初はわたしも戸惑ったのだ。13歳の継子ができるとい
うこと。わたしはと言えば25歳で、12こしか違わない娘ができ
るのだ。それも思春期の。うまくやっていけるか毎日不安と困惑で
どきどきしていた。
しかしそれも杞憂に終わった。白雪は本当に心優しく、明るく、
しかも人懐こい子だった。わたしを母のように姉のように慕ってく
れて、お茶やお菓子の時間に誘ってくれた。時に子供とは思えない
壮絶な色気を放つような少女だったが、それでも白雪は13歳の優
しい娘だった。
7
関係がうまくいかないのは、その父親。つまり、夫との方だった。
***
国王ザルツは、今年で30歳になるまだ年若い王だ。それでもそ
の手腕は確かなもので、平和と繁栄を築き国民に愛されている。
そんなザルツとわたしは、幼いころ一緒に遊ぶような仲だった。
わたしの実家は王族と近しい貴族の家で、お城に連れられては、何
人かの少年少女と一緒にザルツの遊び相手となっていた。
決して不仲だったとは思わない。実際彼が10代も半ばになるこ
ろぐらいまでは社交界で顔を合わせれば笑顔であいさつを交わし、
軽い冗談を口に出せるほどに気安い仲だった、と記憶している。
関係が変わったのは10年ほど前だ。ザルツが隣国のお姫様と結
婚したころのこと。
社交界で会ってもお前ごときが話しかけるなと言われ、すれ違え
ば忌々しそうに顔をしかめられた。国王なのだからとあいさつに行
っても無視される始末で、わたしはすごく悲しくなった。
結婚したからとはいえ、幼いころから仲良くしてきた友人にそん
な態度をとるなんて、なんて男なのだと⋮⋮ザルツを嫌いになりそ
うだった。いや、嫌いになりたかったのだと思う。しかし、できな
かった。わたしはザルツのことが昔から好きだったのだ。
しかし相手は王子様。決してかなわぬ恋だと諦めていたし、実際
彼は隣国の美しいお姫様と結婚した。美しい娘も生まれた。
だが、運命はどこでどうなるかわからない。
お姫様は、どうやら体がそんなに丈夫ではなかったらしい。白雪
8
が12歳になったとき、母親である彼女は病に倒れ命を落としたの
だ。
ザルツもひどく嘆き悲しんだと噂で聞いた。しかし、まだ幼い白
雪のために、喪が明けた1年後、新しい母親︱︱王妃を迎え入れる
ことになった。それが、王族に近い貴族の娘であったわたしだった。
わたしとザルツの婚姻は3か月前に執り行われた。
しかしザルツの態度が変わることはなかった。昔のような軽い冗
談も、笑顔も交わしてくれることはない。事務的に、冷淡に、あい
さつをかわし、業務をこなす。そこにいるのはザルツの顔をした人
形だった。
わたしは、ずっとザルツが好きだった。だから、醜い女だと思い
ながら、後妻にわたしが選ばれたとき、ほんの少しうれしかったの
だ。きっと神様はそんなわたしを罰したに違いない。ザルツはわた
しを愛してはくれなかった。
わたしは必要がない限り部屋から出ない生活を始めた。できる限
りザルツの顔も、前の王妃の美しさを受け継いだ白雪の顔も見たく
なかった。それでも優しい白雪はわたしの部屋を1日に1度は訪れ
てくれたけれど、ザルツが顔を見せてくれることはなかった。どん
どん心が落ち込んでいき、カーテンも開けなくなっていった。
今、国民の間ではこんなうわさが流れている。
王に愛されず、継子を憎み、部屋にひきこもって継子を呪う陰険
で邪悪な王妃様、と。
9
改善計画
﹁うーん、それはヒドい噂だねえ﹂
わたしの話を一通り聞くと、腕を組んだカガミは難しそうに顔を
しかめてそう言った。最近共感してもらえることのなかったわたし
は嬉しくなる。ちなみに、白雪あたりに言ったら彼女はひどく怒り
そうだから言ったことはない。それに、いくら義理とはいえ娘にそ
んな弱音をはくことも、自らの矜持が許さなかった。
﹁でしょう、ひどい噂でしょう?﹂
ぐ、と身を乗り出すと、うんうん、とうなずくカガミ。
﹁ひどいね。確かに話を聞く限り王サマにも愛されてなさそうだし、
実際王妃サマは引きこもってるし陰険というか根暗っぽいけど、シ
ラユキのことは憎んでないし呪ってもないもんね?﹂
﹁⋮⋮﹂
確かにそうだけれど。でもそんな共感の仕方があるだろうか。も
ちろん冗談だとわかっていたから、軽い気持ちで突っ込もうと思っ
た。
思った、のだけれど、どうやら本当にわたしはおかしくなってい
たらしい。つん、と鼻の奥が痛いな、と思った時にははらはらと瞳
から涙がこぼれていた。
﹁ご、ごめんって、冗談だよ王妃サマ!﹂
焦ったのはカガミだ。わたわたと困ったような顔をして、こちら
に手をのばしたかと思うとそれを引っ込めた。どうやらわたしの頭
を撫でようとして無理であることを思い出したらしい。生意気だけ
ど、可愛い奴。
わたしの涙がおさまると、カガミはふう、と安堵したように息を
10
ついた。
﹁まあ、とにかく話はわかった。王妃サマは好きな人に好かれたい。
けどその好きな人は冷たい。継子はとっても優しくて美人だけど、
彼女の姿が好きな人の前の奥さんに似てるからちょっと複雑な気分
だし、なんかもう全部イヤになっちゃって引きこもってたらそこそ
こ美人だったはずの自分の姿までどんどん醜くなっているし周りに
は悪い噂をたてられている、と。こういうことだね﹂
身もふたもないカガミの要約に、思わずふきだす。事実その通り
なんだけれど、客観的に聞くとわたしの悩みって割と薄っぺらいの
ね、と感じてしまう。
カガミは思案気に首をひねっていたけれど、ややあって、ひとり
でうん、とうなずいた。
﹁とりあえず、引きこもりやめなよ。さっきも言ったけど、不健康
一直線だよ。病は気からともいうし、まずはそこから改善しよう﹂
本当に、まるで母親だ。だけど、なんだか楽しそうに言うカガミ
にわたしは反抗するような気も覚えず、とりあえず素直な娘役を演
じようと思うのだった。
***
朝起きて身支度を整え、いつもの習慣で鏡を覗き込むと、そこに
は案の定というか自分とは似ても似つかない少年がいた。
﹁夢じゃなかったのね⋮⋮﹂
﹁あれだけ会話しといて何言ってんの王妃サマ﹂
おもわず漏れたつぶやきに小さく返事をすると、カガミはじろり、
とわたしをにらんだ。
11
﹁特におかしなところはないけど、髪型に色気がない。やり直し。
ドレスももう少し流行の形のもの選びなよ。まだ20代でしょ。そ
れから化粧もっとちゃんとすること。クマが隠れてない。肌もがさ
がさだし、本当に薬つけて洗ったの?﹂
まだ10そこそこの、しかも少年のくせに王宮付きの化粧師より
厳しい。指摘されるままにわたしはドレスや髪型をやり直しすべく
侍女をもう一度呼んだ。こんなこと今までなかったので、すごく不
審な目で見られた。
侍女になるべく新しい形の華やかな色のドレスを着つけてもらっ
た。髪もいつもは特に何もせずおろしているのだけれど、﹁少し年
齢相応にしてほしい﹂と言ってみると、侍女は心なしか張り切った
ような表情をして、横に細い編みこみを入れてくれた。
カガミの言葉に乗ったようでシャクではあるけど、確かに少しだ
け心が弾む。久しぶりにしたおしゃれを自分でも見たいと鏡を覗き
込んでみた、が。
﹁あの、カガミ?あんたがいるとわたし自分の姿を鏡で見られない
んだけど﹂
﹁王妃サマが自分でチェックしたら改善されなさそうだから、この
ままでいいの。ボクが毎日指摘してあげるから﹂
この厳しいファッションチェックは毎日行われるのか。今よりよ
っぽど気が滅入りそうだ。はあ、とため息をついてみるけれど、そ
んなことを一切気にせず、カガミはたまりかねたように叫んだ。
﹁それから、暗い!昨日も言ったでしょ、カーテン開けてよ!いき
なり散歩に行けとか遠乗りに行けとまでは言わないから、とりあえ
ずカーテンだけでも開けてよ!﹂
12
はいはい、とわがままな弟を相手するかのように生返事を返し、
分厚いカーテンを少しだけめくる。陽の光がまぶしかった。
﹁そうそう、まずはちゃんとお日様を見ないとね。まったく、吸血
鬼じゃないんだからさ﹂
カガミが軽口をたたく。でも、わたしはそれに返事をすることは
なかった。
カーテンの向こう側。下に広がる中庭に、彼女がいたのだ。
雪のように白い肌と、漆黒のように黒く輝く髪と、ばらのように
麗しいくちびるをもつ美しい少女。
白雪姫。
あの人にそっくりな、わたしの美しい義理の娘。
13
改善計画︵後書き︶
ファッションチェック鏡がほしい。
14
白雪姫と国王
﹁ねえかあさま、今日カーテンを開けてたでしょ。お庭にいたとき、
気づいたの﹂
にこにこと、何がそんなにうれしいのか、目の前の少女は楽しそ
うに笑いながら紅茶を一口飲む。わたしは小さく﹁そうね﹂と答え
た。
午後になって、白雪がわたしをお茶に誘いにやってきてくれた。
ほぼ毎日のように彼女はわたしを誘い出してくれるが、それにわた
しが乗ることはめったにない。今まで2、3回しかないと思う。今
日は彼女のお茶の誘いに是を出した。カーテンを開け、少しだけ陽
の光が差し込むわたしの部屋に、2人ぶんの茶器が用意される。た
ぶんそれでこんなにも白雪は嬉しそうに笑っているのだと思う。
カガミは静かにしている。していてもらわないと困るのだけれど、
たまにいたずら心がむくむくと湧き上がるのか、白雪が鏡に背を向
けているのをいいことに、じろじろと彼女をぶしつけに眺めまわし
たりする。そのたびわたしは眉をしかめる。そうすると白雪が悲し
そうな顔をするので、あの小生意気な少年をわたしはすっかり無視
することに決めた。
白雪はわたしをじっと見つめると、花のように笑った。
﹁それに、今日のかあさまおしゃれだわ。そのドレスの色、とって
も素敵。かあさま、いっつも黒とか紺とかをお召しになってるでし
ょ?でもあたし、ずっと思ってた。かあさまはそういう明るい華や
かな色が似合うって﹂
それにこの髪もかわいい、と白雪が手を伸ばし、わたしの髪に触
れ、微笑む。わたしの心臓がはねた。この子、可愛いだけじゃなく
15
てどこか人たらしというか、無意識だと思うけどすごく色気がある。
女で、だいぶ年上のわたしでさえどぎまぎしてしまうのだから、将
来が不安で仕方ない。
﹁どうして今日はおしゃれを?何かパーティとかあったかしら﹂
﹁なんとなくよ。そんな気分だったの﹂
それ以外に答えようがない。まさか鏡の精が厳しくドレスから化
粧まで指図してきただなんて言えないし。わたしの返答に、﹁ふー
ん?﹂と白雪が小首をかしげた。
﹁ねえ、かあさま。あたし嬉しいわ。今日かあさまがお茶を一緒に
してくれて。こんなにたくさんお話するのも久しぶり。前のかあさ
まともね、体調が良いときだけだったけど、よくこうやって一緒に
お茶をしたのよ﹂
白雪は顔をほころばせながら、昔を懐かしむように語る。わたし
はその言葉にはっと身を固くした。
白雪の母親。前の王妃。ザルツの愛した、隣国のお姫様。白雪の
姿に、彼女の姿が重なった。結婚式の日、遠くから見た、あの人の
隣に立っていた美しい女性。
﹁白雪、そろそろお勉強の時間でしょう。部屋に戻りなさい﹂
白雪が紅茶をすべて飲み干したのを見て、わたしは彼女に告げる。
白雪は抗議の声を上げた。
﹁ええ!もう少し大丈夫でしょう﹂
﹁だめよ﹂
本当はもう少し時間があることはわかっていた。しかし、もうこ
れ以上白雪の姿を見ていたくなかったのだ。彼女が、あの人と違う
ことは分かっていたけれど。
16
白雪は、めったにないわたしとのお茶会を終わらせたくないよう
だった。いつも素直な彼女にしては珍しく、不満そうな表情を隠す
こともなく食い下がる。
﹁でもかあさま﹂
そんな姿にほだされてしまい、お茶会なら、また近いうちにやり
ましょう、と。そう告げようと思ったその時だった。
﹁白雪﹂
低く、冷たい、威厳のある声がわたしの部屋に響いた。
﹁とうさま!﹂
﹁⋮⋮ザルツ﹂
果たしてわたしの声は彼に聞こえただろうか。ザルツはわたしを
見ることなく娘に歩み寄ると、じろりと彼女をにらみながら、しか
しその表情とはうらはらに、武骨な手で優しく彼女の美しい黒髪を
なでた。
﹁ここにいたのか、白雪。家庭教師がおまえを探していた。早く部
屋に戻りなさい﹂
﹁⋮⋮はあい﹂
父親には彼女も逆らえないらしい。まだ少し不満げではあったが、
白雪は返事をすると上品な仕草で椅子から立ち上がり、﹁ごきげん
よう、かあさま﹂と礼をした。
残されたのは、ザルツと、わたし。
彼に言う言葉もみつからず、カップに残ったわずかな紅茶を飲み
干した。紅茶に溶かしたジャムが、底の方にたまっていたらしい。
17
甘酸っぱいりんごの味が濃く感じる。
﹁なぜ、お前の部屋に白雪がいる﹂
ザルツは、冷たく問う。こんな声音、昔は聞いたことがなかった。
結婚してからは、こんな声しか聞いていないけれど。
﹁お茶をしていただけです。母と娘だもの、それくらい構いません
でしょう﹂
彼につられてわたしの返事も冷たくなる。本当は、昔のように話
したいのに、あの頃彼とどんなふうに接していたかがもうわからな
かった。
ザルツは不愉快そうに小さく舌を打つと、じろりとわたしをにら
んだ。そこで、わたしの姿にひっかかるものがあったらしく、眉根
を寄せた。
﹁どこかへ出かけるのか﹂
﹁いいえ﹂
﹁それなら、なぜそんな服を着ている﹂
これまでのわたし、どれだけみすぼらしい服を着ていたのだろう。
特段余所行きでもない、ほんの少し流行に合わせただけのドレスで、
ザルツにまでこんなことを言われるとは。
自分の無頓着さと情けなさと、夫の厳しい口調に泣きそうになり
ながら﹁理由なんてないわ﹂と答えると、ザルツは何も言わず踵を
返し、無言で部屋を出た。
すっかり日が暮れていた。再び暗さを取り戻した部屋が、静寂に
染まる。そこに、ばかみたいに明るい声が響いた。
﹁これは結構難題だね、王妃サマ﹂
﹁そうでしょ﹂
わざと明るく言ったのだろう、小生意気のくせに優しい少年の存
在に、わたしはもう一度泣きたくなった。
18
白雪姫と国王︵後書き︶
ロシアンティー、原作白雪姫の舞台であろうドイツでは飲まないか
もしれませんが、あまりに白雪姫要素がないのでリンゴジャムを出
してみました⋮⋮
19
楽しい晩餐
翌日もまた、カガミの指令で少しだけ華やかなドレスを身に着け、
きちんした化粧と髪型を施された。ここまでは昨日と一緒。しかし
彼は結構鬼畜だった。
﹁じゃあ王妃サマ、今日は散歩に出てみよう﹂
﹁え!?﹂
散歩。彼は簡単に言うけれど、わたしはこれでも約3か月部屋に
閉じこもっていたのだ。彼が思うほど容易なことではない。そう訴
えたけれど、カガミは厳しい目をわたしに向けた。
﹁だめ﹂
にべもない。
﹁せめてもう少し涼しい時間帯になってからとか⋮⋮こんな明るい
中、歩けないわ。倒れちゃうわよ﹂
﹁あのねえ王妃サマ、あんた人間だよ?ユーレイとか吸血鬼じゃな
いんだよ?たった数分中庭散歩するくらいじゃ倒れたりしやしない。
お日様を浴びないとどんどん気分も落ち込むばかりなんだって。ほ
ら、さっさと支度する!﹂
ぱんぱん、とせかすようにカガミがリズムよく手拍子を打つ。わ
たしは追われるように部屋を出て、まぶしいくらいの日差しのなか、
そこそこの公園くらいの広さがある中庭をぐるりと1週したのだっ
た。
***
20
﹁うう⋮⋮﹂
﹁情けないなあ、それでも本当に20代の女性なの?﹂
部屋に戻るなりぐったりとソファに倒れこんだわたしに、カガミ
は呆れたような声を出した。わたしは淑女にはあるまじき姿だと思
いつつ、ぐでっとしたまま情けない声で彼を非難した。
﹁そうは言うけどね、かれこれ3か月まともに身体を動かしてない
のよ﹂
自分でも本当にどうかと思うけれど、ここ最近で部屋の外に出る
のは公務の時など、本当に必要な時だけだった。食事も量はそんな
にとっていないし、睡眠もクマを見てわかる通り十分とは言い難い。
そんな中で10分近く散歩をしてきたのだから、わたしはもっと褒
められてもいいと思う。
しかしカガミはわたしを褒める気などさらさらないようだった。
ふう、とわがままな生徒を相手にする教師のような気難しい顔をつ
くってこれ見よがしにため息をつく。
﹁いい、王妃サマ?今後は天気がいい日は毎日散歩だよ。最初のう
ちは中庭、慣れてきたらお城の外庭、都合のいい日は遠出もするん
だよ﹂
﹁あんたはわたしのコーチかなにかなの⋮⋮﹂
やってくる絶望的な毎日にうめいてしまう。カガミは﹁もっとし
ゃんとする!﹂とわたしを叱った。この城で腫物扱いを受けている
わたしには、それすらなんだか心地よくて、腹が立つことに彼の言
うことに従ってしまうのだろうという気がした。
***
これもカガミの改善計画の一環なのだろうか。鬼コーチカガミの
指示によって、わたしはこの日の夕食をザルツと白雪とともに晩餐
21
室でとることになった。
いつもは忙しいザルツは執務室で簡単に食事をとっているし、白
雪も部屋で食べている。まれにザルツの都合がいい時はふたりで晩
餐をとることもあったようだけれど、わたしはそれに参加したこと
はなく、いつでも部屋でひとりきりで食べていた。
この日は、ザルツの仕事が早めに終わったらしい。侍女が告げた、
いつも通りの形だけの晩餐の誘い。わたしは断わろうとしたが、鏡
の方からなにやら冷たい視線と小声で何やら指示がとんできて、結
局了承する羽目になってしまった。
侍女のあの驚いたような顔。きっと受けないものだと思っていた
のだろう、慌てたように準備に走って行ってしまった。
そして今、目の前には豪勢なディナーが並び、その向こう側に無
言のザルツ、左手に嬉しそうな白雪がいる。
﹁かあさま、晩餐にいらっしゃるなんて、珍しいわね!というより、
初めてよね!あたし嬉しい!﹂
たいそうなはしゃぎっぷりの白雪はとてもかわいいと思うけれど、
目の前のザルツの様子が気になって、わたしはそぞろに﹁そうね﹂
と返した。
ザルツの眉間にはくっきりしわが刻まれている。そんなに不機嫌
になるのなら、最初から誘わなければいいのに。そう言いたいけど
言えない。幼い頃だったらそんな喧嘩腰の軽口も叩けたかもしれな
いけれど。
そんな彼の様子に、白雪は無邪気に言う。
﹁もう、とうさまってば、もっと楽しそうにしなきゃ。かあさまが
晩餐に来てくれてうれしいのはわかるけど、夫婦なんだから照れて
ちゃだめよ?﹂
22
この子なんて命知らずなの!思わず叫びそうになる。ああ、ほら
白雪よく見なさいよ、ザルツのしわがますます深くなったじゃない
の。
﹁白雪、いいからお行儀よく食べなさい﹂
小さくたしなめると、白雪はにっこり笑って小首をかしげた。こ
の仕草、本当にこの子13歳かしらと思うほどに色っぽい。
﹁どうして、かあさま?一緒にお食事をとると、もっとおいしくな
るわ。どうせ一緒に食べるなら、楽しく会話したらもっともっとお
いしくなるのよ﹂
カガミも先ほどそんなことを言ってわたしを部屋から追い出した。
﹁食事を一緒に食べればおいしくなる。誰かとの仲も食事で深まる
ことも多々あるよ﹂と。
それでも今はそういう状況ではないと思う。けれど白雪は楽しそ
うに言葉をつづけた。
﹁それに、昨日も思ったけれどかあさま、今日の恰好も素敵よ。今
日はお昼にお散歩もしていたんでしょう?何かいいことでもあった
の?体調がよろしいみたいで、あたしもうれしいわ﹂
カガミが現れたことがいいことなのかどうかわからないけど、日
常に変化があったことは事実だ。わたしはあいまいに微笑んだ。こ
の純真な娘に嘘はつくまい。嘘はつかないけれど、真実は言うまい。
そこで、ようやくザルツが言葉を発した。
﹁白雪。淑女のマナーは食事の時間にパンを持ち続けたまま会話を
することだったか﹂
不機嫌そうな、低く冷たい声。それまで少しばかりおいしいと思
っていたお料理も、この声で一気に味がしなくなる気がした。
白雪も﹁はい﹂と黙ってしまい、無言の晩餐が終わりまで続いた。
23
楽しい晩餐︵後書き︶
自分で見返してどんな話だったか忘れそうだったので、話別にサブ
タイトルをつけてみました。サブタイトル詐欺ですみません。
24
デタント︵前書き︶
※王妃の年齢を修正しました。23歳↓25歳。よくよく考えたら
設定につじつまが合わず⋮⋮本当に申し訳ありません。
ザルツが着々と嫌われているようですので、ここらで少し。
25
デタント
その日から、カガミのスパルタ計画は一切の甘さを見せることな
く続けられた。まずは1週間、中庭の散歩。その次の週はそれより
広い外庭を歩かされた。こういう時に限って雨が降ることもなく、
公務などの合間にただひたすらに一人で歩くのが日課となった。
2週間が過ぎた翌日の朝、いつも通りわたしの身支度をしてくれ
ていた侍女が、おそるおそるといった感じで﹁王妃さま﹂と声をか
けてきた。彼女の方からわたしに話しかけてきたのは初めてかもし
れない。結婚当初のザルツとのやりとりのせいで、侍女たちにも心
を閉ざしてきたから。
﹁なにかしら﹂
化粧を施されているので、前を向いたまま返事をする。ああ、声
音だけで不機嫌だと思われませんように、と祈るが、杞憂だったよ
うだ。侍女は小さく、優しい声で答えた。
﹁恐れながら。王妃さま、最近とてもお化粧のノリが良くなったよ
うに思われます。薄化粧でも、ほら、クマもほとんど見えませんし、
今もそんなに頬紅はつけておりませんのに、赤みが綺麗に見えます
わ﹂
手鏡を渡され覗き込んでみると、もちろんそこには少年の姿はな
く、代わりに数週間まえよりだいぶ健康的な女の姿があった。結婚
前に戻ったとまではいいがたいが、確かに肌の質や髪艶が改善され
てきたように思う。
しっかり日中に運動すると、嫌でも夜眠くなる。これまでは王妃
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としての役目を果たせていない自分を責めてしまう夜が怖くて睡眠
もまともにとれていなかったが、最近は早い時間に床につくことが
多い。同時に、体力をつけようと体が無意識に栄養を欲しているら
しく、食事もきちんととるようになった。なぜか最近はザルツと白
雪との晩餐が多く、無言が多いその時間はあまり好きではないのだ
けれど、それでも二人の手前あまり食事を残すわけにもいかないと
いうのも理由のひとつだった。
たぶんわたしの不健康さの改善はそういったところが要因だろう。
それに、認めるのは悔しいけれど、確かにあの少年の言うとおり、
陽の光を浴びてただ散歩をするだけでもストレスが発散されるよう
な気がして、だんだん心が軽くなってきている。
現在は壁の鏡の中で大人しくしている少年を思い出し、少し微笑
む。そんなわたしに侍女が尋ねる。
﹁何かいいことでもおありですの?﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
この前白雪に聞かれたときにはしなかった返事ができるくらいに
は、いいことだったのだろう。
***
心が軽くなると、以前は苦痛で仕方なかった国王との公務でさえ
そこまでの拒否感がないのが不思議だ。
今日は国王夫妻として国外からの使者に謁見しなくてはならない。
この前まではザルツといるとその冷たい視線や無言の時間が耐えら
れず、心臓がばくばくしていたのだけれど、今日はそんなこともな
かった。わたしの精神は割と現金だ。
そんなわたしの様子にザルツも気づいたらしい。何かを言いたげ
27
な表情でこちらを見ている。
﹁なにかしら、ザルツ﹂
今までのわたしだったら、きっと彼に問いかけることはしなかっ
た。びくびくと不機嫌な彼を後ろから見ているだけ。けれどなぜか
このときわたしの口からはそんな言葉は滑り出していた。
ぶしつけな王妃の言葉に気分を害した様子はなさそうだった。ひ
とまずほっとする。
﹁体調が、いいようだな﹂
どことなく気遣わしげに聞こえたのはわたしの願望だろうか。無
表情には違いないけれど、いつものように眉間にしわを刻むことも
なく、ザルツはわたしに問いかけた。
﹁⋮⋮え、っと、はい﹂
﹁城の周りを歩いていると聞いた﹂
﹁はい。はじめのうちは中庭を散歩して、慣れたのでもう少し長い
時間、と思って⋮⋮﹂
﹁そうか﹂
たどたどしくも言葉を返すと、意外なことに会話が続く。こんな
に普通の会話をしたのは結婚以来︱︱いや、もしかしたら10数年
ぶりではないかしら。
驚きながらもザルツを見つめると、彼は視線をそらしながら小さ
く言った。
﹁無理は⋮⋮するな﹂
﹁ええ⋮⋮ありがとう、ございます﹂
その後はいつも通りわたしたちの間に会話はなかった。それでも
いつもよりずっと彼の雰囲気は怖くなくて、わたしはうれしくなっ
た。
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わたし自身のことも、ザルツとの関係も、本当に改善されている
のだとしたら、鏡の精がなにか魔法でも使ったに違いないわ。まさ
かあの小生意気で口うるさい少年にそんな力があるはずがないとわ
かりつつも、軽い心を喜びながらそんなことを考えるのだった。
29
デタント︵後書き︶
苦手!と思っていると相手に伝わってますます険悪になるものです
よね
30
狩猟会への参加
次回は遠乗りに挑戦しよう、というカガミの台詞にわたしが素直
に﹁わかったわ﹂と答えたので、彼はいたく驚いたような顔をした。
﹁え、ナニナニ、どうしたの王妃サマ。いつになく乗り気じゃない﹂
﹁確かに今は引きこもってるけれど、馬に乗るのは嫌いじゃないの。
昔から頻繁に弟と一緒に出掛けたわ﹂
風を切って馬で走る爽快感を思い出すと、それだけでわくわくす
る。結婚してからというものこの城から出ることはほぼなかった。
きっといい気分転換になるはずだ。
﹁ふーん。まあいいけどさ、ちょっと調子狂っちゃうなあ﹂
カガミがつまらなさそうに呟く。こいつは結局わたしを改善させ
たいのか、それともわたしにスパルタするのが好きなだけなのか、
どちらなんだろう。じろりと彼をにらむと、カガミはいつものよう
ないたずらっ子の笑みを浮かべて言った。
﹁ま、そう簡単にはいかないと思うけどね﹂
***
﹁だめだ﹂
晩餐の時間におそるおそる遠乗りの話を出してみると、ザルツは
当然のような不機嫌さで一言告げた。
﹁⋮⋮少しくらい、いいでしょう﹂
反抗してみるが、彼はわたしを冷たい瞳で一瞥するだけだった。
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この前少しだけ関係が良くなったと思ったけれど、勘違いだったら
しい。これ以上言葉を継ぐこともできず、わたしは下を向いてスー
プを一口すくった。
無言。重苦しい空気を変えようとしたのか、わたしを哀れに思っ
たのか、口を開いたのは白雪だった。
﹁遠乗り、あたしも行きたいわとうさま。最近たくさん練習したか
ら、上達したのよ。ねえ、ぜひ一緒に行って教えてほしいわ﹂
﹁白雪﹂
遮るようにザルツが白雪を呼ぶが、彼女はにっこり笑った。
﹁家族でピクニックみたいで素敵じゃない。ねえ、とうさま。かあ
さまの体調もよろしいみたいだし、絶対素晴らしいと思うの﹂
決して彼女が言うような光景は思い描けなかったが、味方がいる
というのはうれしいものだ。白雪を見ると、彼女は小さくウインク
をしてみせた。
熱心な白雪の説得のおかげなのか、晩餐が終わるころ、ザルツは
諦めたように小さく告げた。
﹁次の休日、狩猟会が行われる予定だ。それに同行することを認め
る﹂
言い終わると、ザルツは踵を返し部屋を出て行ってしまう。彼を
また怒らせたのは確実だったが、それでもザルツが参加する狩猟会
への同行を認められたことは、少なくともわたしという王妃の存在
を一応は認めてくれていることのようでうれしかった。多くの貴族
も参加する狩猟会にわたしを同行させるということは、わたし自身
を愛することはなくとも、少なくとも王妃という存在であることは
許してくれているからだ。それだけでも救いだった。一時はいつ離
縁されてもおかしくないと思っていたのだから。
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﹁よかったわねかあさま。あたし楽しみ。さっそく乗馬服を新調し
なくっちゃ﹂
無邪気に笑う白雪を見て、わたしもようやくこわばっていた頬を
ゆるめることができた。
***
そうして待ちに待った狩猟会の日。
﹁さあ王妃サマ!今日は王サマとの仲を深めるチャンスだよ。がん
ばってね!﹂
わたしの服や化粧に相変わらずいちいち指示を出しながら、にっ
こりわらったカガミが応援してくれる。その笑みに無邪気な白雪を
重ねて、わたしは苦笑した。
﹁どうやってがんばったらいいのかわからないけど、とりあえず行
ってくるわ。あんたはおとなしくしててちょうだいね﹂
冗談交じりに言うと、カガミは不服だと言わんばかりに眉をぴく
りと釣り上げた。
﹁ボクを誰だと思ってるの。ちゃんと留守番くらいできるよ。それ
より、報告を楽しみに待ってるんだから。王サマの馬の後ろに乗せ
てもらうくらいはしてきてよね?﹂
﹁鋭意努力はするわ﹂
絶対に無理だわ、と思いながらも、久しぶりの城外を楽しみに部
屋を出る。
外庭につくと、ザルツ以外はそろっていた。
﹁おはようかあさま!見てみて、新しいお洋服よ!どうかしら﹂
﹁おはよう。とても素敵だと思うわ﹂
早朝だというのに元気な娘だ。子供らしく明るい色の乗馬服に身
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を包んだ白雪だが、いつもよりずっと大人びて見える。
後ろで結った黒髪が朝の陽ざしに反射して輝いていた。この子の美
しさは本当に見る者を魅了する。多くの貴族たちが白雪に見とれて
いるのがわかって、わたしはそっと彼女を自分で隠した。
そうして少しの間白雪と話していると、突然男性の声に名を呼ば
れた。
白雪目当ての貴族か、それとも哀れな王妃を蔑むか、取り込もう
としてくる者か、と警戒しながら振り向くと、そこにいた懐かしい
顔にわたしは二の句が継げなかった。
﹁久しぶりだな﹂
栗色の髪と、柔和な顔。にっこりとあの頃から変わらぬ優しい笑
顔でそこにいたのは、わたしと、そしてザルツの幼馴染の青年、ア
ルノーだった。
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昔馴染み
﹁アルノー⋮⋮!なんであなたがここに!?﹂
突然現れた昔馴染みの顔にうれしくなって彼に駆け寄ると、アル
ノーはにっこり笑って説明してくれる。
﹁新しく王宮狩猟官に任命されたんだ。父の跡を継いでな。お前と
ザルツが結婚した後だったから会う機会もあるだろうと思ってたの
に、実際こうして会うまでには結構時間がかかったな﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
彼はわたしの﹁噂﹂を知らないのだろうか。聞くのも怖くて、曖
昧に笑って返事をした。そんなわたしたちの様子を見た白雪が近づ
いてくる。
﹁かあさま、お友達?あたしも仲間に入れてほしいわ﹂
白雪がにっこり笑ってアルノーに会釈をする。まるでその場に花
でも咲いたかのようにぱっと華やいだ気がした。
﹁これは失礼。存じておりますよ、白雪姫﹂
アルノーが白雪に礼をした。芝居がかったそれに彼女は綺麗に笑
う。彼は自分が王宮狩猟官を務めるアルノー・ラドラック男爵であ
ると名乗った。
そうして3人で会話をしているとざわめきが消え、この国で最も
高位の人物が城から出てくる。ザルツは、今日もまたその顔にはな
んの表情も浮かべてはいない。こちらをちらりと見たような気もし
たが、特に何かを言うわけでもなく、そのまま静かに出立を告げた。
狩猟会へ出発する時間がやってきた。
***
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昔から、馬に乗って駆けるのは好きだった。軽やかなステップの
音。めまぐるしく過ぎ行く景色と、吹き抜ける風。
一番最初に乗った時のことは、今でも覚えている。わたしはまだ
幼くて、一人では馬に乗ることもできなかったけど、その頃ちょう
ど乗馬が上達したころだったザルツがわたしを馬に一緒に乗せて、
城の周りを内緒で走ってくれた。
昔、わたしがまだ10になるかならないかぐらいのころだ。貴族
の少年少女たちと一緒に、この国の王子様︱︱ザルツの遊び相手と
して城に遊びに来ていたころ。実際ザルツはわたしより年上で、一
番小さかったわたしは遊び相手というよりは遊んでもらっていたよ
うなものだったのだけど。
その少年少女の中に、アルノーもいた。彼は人懐っこく、笑顔の
絶えない優しい少年で、今ほどではないにせよ昔から少々気難しい
性格だったザルツとも仲が良かったし、わたしのこともいつも気に
かけてくれていた。ザルツがお姫様と結婚してしまって落ち込んで
いたわたしのことも一生懸命に励ましてくれたし、その後ザルツが
冷たくなって傷ついたわたしを元気づけてくれたこともあった。
いろいろあってザルツとわたしと結婚することになった時にはよ
かったな、と祝福の言葉をくれた。これからはうまくやれよ、とア
ドバイスもくれたっけ。
この数か月間は会うこともなかったから、なんだか懐かしくなっ
てしまう。
王宮狩猟官は、ラドラック男爵家が代々つとめてきた役職だ。狩
猟は、平和な今でこそ王侯貴族の遊びだけれど、少し前までは戦争
の訓練としても行われていた。それを司どる狩猟官の中でも最上位
の職。つとめるラドラック男爵家がいかに重要な家であるかという
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ことを物語っている。
昔から優しくて、明るくて、そんなアルノーがわたしは大好きだ
った。生意気な弟しかいないわたしにとってはお兄ちゃんのようだ
ったし。その彼が重職についたのだと思うと、不思議な感覚だった。
うれしくもあるが、時間の流れを感じてしまう。
﹁なんだか楽しそうね、かあさま﹂
﹁白雪﹂
昔のことを思い出しながら馬を走らせていると、隣に白雪が馬を
つけた。速度を少し落として彼女と並走する。まだ13歳だという
のにずいぶん乗馬が上手だ。そう褒めると、白雪は﹁教えてくれる
先生がうまいの﹂と話した。
白雪の教育に関してはザルツが一切をこなしているから、わたし
は彼女がどんな授業を受けているのか知らない。王妃としてだけで
なく義母としても失格なんじゃないかと落ち込むが、白雪はまった
く気にした様子はなく、﹁乗馬って本当に気持ちがいいわ﹂と笑っ
た。
﹁あたし、馬に乗るの好きなの。だって気持ちいいでしょう?風を
切る感覚も、ぱーっと通り過ぎてゆく景色も﹂
﹁わたしも好きよ﹂
賛同すると、白雪が嬉しそうに笑う。その光景に、昔の光景が重
なった。
︱︱馬に乗るの、楽しいね
︱︱そうか、それならまた乗せてやるし⋮⋮自分で乗れるように、
教えてやろう
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あの頃は、彼とそんな会話を交わして。
︱︱わたし、馬に乗るの好きだわ、ザルツ
︱︱俺も好きだ。風を切って駆ける感覚も、通り過ぎてゆく景色も、
とても気持ちがいい
﹁白雪は、ザルツに似ているわね﹂
言ってから、なぜか泣きたくなった。白雪に気づかれないように、
きちんと笑顔は作れただろうか。
38
ふいにおとずれる
城から少し離れた森に着くと、狩猟会が始まった。狩りに参加し
ないわたしたちは、男性陣の帰りを待つ。白雪が一人で散歩に行く
というので、わたしは座り込んだまま何をすることもなく空を眺め
ることにした。
どのくらい経った頃だったろうか。ふいに横から聞き覚えのある
声に呼ばれる。アルノーだった。
﹁なにをぼーっとしてるんだ?﹂
﹁別に。空が青いわ、と思っていただけよ。アルノーこそ、狩猟官
なのにここにいていいの?﹂
﹁少しくらいならいいだろ﹂
アルノーは目を細めていたずらっ子のように笑う。鏡の少年を思
い出すような笑顔だった。彼は木にもたれて座るわたしの横に静か
に腰掛けた。
﹁部屋に引きこもってるって聞いたけど﹂
唐突な台詞に、わたしは思わず苦笑してしまう。やっぱり噂のこ
とを知っていたのだ。そんなわたしにアルノーは慈愛深い瞳を向け
る。
﹁あんな噂を信じちゃいなかったが、引きこもりだけは心配してた
んだ。お前、落ち込むとひとりで抱えるタイプだから。でも、ぱっ
と見た感じはそこそこ元気そうじゃないか﹂
今のわたしは、つい先日までよりだいぶマシだ。むしろここまで
になったからこそ今日アルノーと出会えたとも言える。カガミがい
なければ外に出ようとも思わなかっただろうし、彼のおかげで見た
39
目も改善したのだから。
あらゆる意味でカガミに感謝した。きっとあの頃のわたしを見た
ら、優しいアルノーはひどく心配するだろうし。
﹁大丈夫よ、アルノー。ありがとう﹂
微笑んでお礼を言うと、アルノーは﹁ばか﹂と呟いてわたしの頭
をぽんぽんと撫でた。
﹁見た目は大丈夫そうでも顔は全然大丈夫そうじゃないな。何かあ
るなら吐き出せ。どうせお前のことだから、ぐだぐだと一人で悩ん
で自己解決してるんだろう﹂
昔馴染みはこれだから厄介だ。わたしの性格も知り尽くしている。
アルノーははあ、とやや大げさにため息をついた。
﹁結婚前は会話もできない状態だったとか言っていたが、結婚して
から、まともに話したか?どこかに出かけたことは?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁いや、言わなくてもわかる。お前たちは本当に不器用だな。言い
たいことがあるなら声に出せ。自分で思ってるだけじゃ相手には伝
わらないんだぞ?﹂
アルノーの言葉はわたしのぐさぐさとえぐった。重々承知なのだ。
傷つくのを恐れて、わたしは自分の思いも不満も意見も何一つザル
ツに伝えてはいない。ここ最近は少しだけ彼と会話もできるように
なったけれど、それでもきちんと話をしているという状態には程遠
かった。
もうこれ以上ないほど嫌われている。これ以上傷つくことなどな
い。はずなのに。
それでもわたしは、彼のあの冷たい瞳や低い声に触れるたび、身
をすくませることしかできない。本当は昔のようになりたい。
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昔からザルツのことが好きで、ただ一緒にいたかっただけだった。
それが叶ってうれしいはずなのに。
彼はもう昔の彼じゃない。彼が愛したお姫様。愛する血を分けた
娘。背負う国。いろんなものがザルツを作っている。そしてその中
にわたしがいないのだと思うと、わたしはただひたすらに悲しくな
るのだ。
何も言えないわたしにアルノーは、﹁何かあったらいつでも言え
よ﹂と優しく声をかけて立ち上がった。きっと仕事に戻るのだろう。
***
ひとりになったわたしは森の中を散歩し始めた。白雪を迎えに行
こう、と心の片隅で思ったのは真実だったが、たぶん本音はあのま
まあそこにひとりで座っていたくなかったのだ。
道を踏みしめると、ぱきり、ぱきり、と小枝が折れる。いつもの
ような華奢な靴ではなくて、乗馬ブーツを履いているから、枝を踏
んでいる感覚はなかった。
ただ、ぼんやりと歩いていた。
その時。
﹁きゃっ、あ!?﹂
ふいに目の前に何かが飛び出してきた。よくよく見ればそれは小
さな黒い野うさぎだったのだが、ぼんやりしていたわたしには大き
な衝撃だった。
驚いた拍子に道を踏み外す。運悪く、そこは横が小さな崖のよう
になっている場所だった。高さはそれほどでもないが、うまいこと
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足がはまりこんでしまい、わたしはそこに転落した。
﹁⋮⋮﹂
じくじくと痛む感覚に膝を見ると、洋服が破れて膝をすりむいて
いた。我ながらなんて情けない。いい年して転んだ挙句怪我をする
だなんて。痛みと合わさって泣きそうだ。
何はともあれ起き上がらないと。ああ、この恰好を見られるなん
て恥だ⋮⋮と思っていると、目の前に大きな手が差し出された。
上を見ると、そこにいたのはザルツだった。
﹁え!?あ、ザ、ザルツ!﹂
﹁何をしている﹂
呆れたような、ばかにするような低い声。わたしはますます泣き
たくなって、彼の目を見ないように手を取った。力をこめなくても、
すごい力で引っ張り上げられて、まるで子供のようにわたしは元の
道へと降り立つことができた。
﹁ありがとう⋮⋮ございます﹂
﹁獲物を追っていたら、大きな獲物が足を踏み外して崖に落ちると
ころに出くわした﹂
わたしが落ちるところを見ていたらしい。珍しく冗談めかすよう
な口調で彼が言う。
﹁ぼーっと歩いていたら、飛び出してきたうさぎにびっくりしてし
まって⋮⋮﹂
言い訳してみると、ザルツがふん、と小さく鼻で笑う。本当に情
けなくて彼に顔を向けられないわたしに、ザルツは小さく﹁大丈夫
か﹂と聞いた。
﹁え﹂
42
﹁大丈夫か﹂
ようやくザルツを見る。不機嫌そうな顔をしているわけではなさ
そうだった。もちろん笑顔でもないけれど。膝の怪我のことか、と
思い当たって慌てて﹁平気です﹂と答える。
しかしザルツは﹁その足で帰りは大丈夫なのか﹂とそっけなく返
す。
その言葉に、なぜかカガミの表情を思い出した。⋮⋮なぜかしら。
***
帰路。
﹁まあかあさまお怪我しているわ!それは乗馬は大変だと思うのね
えとうさま大変よね!﹂
嬉しそうに大声で提案した白雪には誰も逆らえず、わたしはザル
ツの馬に一緒に乗せてもらうことになった。
ようやくカガミの台詞を思い出す。王サマの馬の後ろに乗せても
らうくらいはしてきてよね。部屋の鏡で報告を待ちわびる少年には
なんて言ったらいいのかしら、とザルツの腰におそるおそるつかま
りながら、考える。もちろんわたしたちの間に会話はなく、ただ静
かに、ひたすら長い帰り道だった。
43
ふいにおとずれる︵後書き︶
そろそろお話が動きます。
毎回うじうじとすみません。ひたすら悩む王妃様に、いい加減腹立
たしい方も多いのでは。笑
44
聞きたいこと
部屋に戻り、すりむいた膝を手当てしようと手ぬぐいでふいてい
ると、鏡の中からそれを覗き込んできたカガミが﹁うへえ﹂と小さ
くうめいた。なぜか自分の方がよっぽど痛そうな顔をしている。想
像力の豊かな子だ。
﹁それで、王妃サマ。風の噂によると王サマの馬に一緒に乗って帰
ってきたんだって?﹂
話をがらっと変えるカガミ。表情もにやにやといたずらっぽいそ
れに変化している。大体風の噂ってなんだろう。
﹁ええ、そうよ。足を怪我したから馬に一人で乗るのは大変だって、
白雪が提案したの﹂
﹁ふうん?それで、どうだったの﹂
﹁どうって?﹂
問い返すと、カガミはしかめっ面をした。
﹁どうって⋮⋮一緒に馬に乗ってきたんでしょ?なんか積もる話と
かさあ、今までできなかった話とかさあ⋮⋮するには絶好の機会じ
ゃない﹂
﹁そんなの﹂
今日あの時にできたならとっくにしているわ⋮⋮わたしの言いた
いことを察したのか、カガミははあ、と小さくため息をついてわた
しの台詞を遮った。やれやれ、と言わんばかりに首を振る。
そして、何を決意したのかやけに真剣な表情で彼はわたしをまっ
すぐ見つめた。
﹁王妃サマ。改善計画は次のステップだ。あんたのダメなとこは全
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部自己完結しちゃってるトコだよ。王サマはあんたとは違う人間だ
から、考えも行動も全部違う。だから王妃サマ、抱えているわだか
まりは全部ほぐそうよ。全部ちゃんと王サマにぶつけようよ﹂
折しも、カガミの提案は日中、アルノーに言われたことと似たよ
うなことだった。そうだ。言わなければ伝わらない。それはわかっ
ている。ただ、わたしに勇気がないだけで。
何も言わないわたしを、カガミは置いて消えたりはしなかった。
少年には不釣り合いなほどの慈愛深い瞳で微笑んで﹁王妃サマ﹂と
優しく語りかける。
﹁ねえ王妃サマ。あんたが王サマに言いたいコトって、どんなコト
?聞きたいコトは?文句も、注文も、お願いも、いっぱいあるんじ
ゃない?﹂
彼の柔らかで優しげな声音は、かたくななわたしの心をまるでほ
ぐすかのように染み込んだ。カガミなら、わたしの話をきちんと聞
いてくれるんじゃないか。悩みを解決してくれるんじゃないか。そ
もそも悩みを解決するためにこの少年はわたしの鏡の中に現れたは
ずなのに、なぜか今更そんなことを実感した。
﹁聞きたいこと、ならたくさんあるの﹂
今まで誰にも言えなかったこと。わたしはぽつりとつぶやいた。
カガミはうん、と優しく答える。
﹁あの時⋮⋮お姫様と結婚した時、急にわたしに冷たくなったのは
なぜ?わたし何かしてしまったかしら。わたしのことどう思ってい
るの。嫌いなら、なぜわたしを王妃にしたの。わたしを⋮⋮この先
愛してくれることはないの?﹂
せきを切ったように、わたしの口からこれまで聞けなかったザル
46
ツへの言葉があふれ出る。カガミは口を挟まなかった。
﹁文句も注文もお願いも、ないの。でも、言いたいことは⋮⋮昔か
ら、ずっと好きだったと、伝えたいわ﹂
言ってから気づく。わたしは、わたしたちは本当に今まで何一つ
として伝えあっていないのだと。そして、今まで心の内にあったも
のをカガミに吐き出してしまうと、とても心が軽くなった気がした。
﹁⋮⋮ありがとう、カガミ。あんたに聞いてもらったらとても楽に
なった気がするわ﹂
城の人間やザルツのことを知らないし、反対に彼の存在も誰も知
らないからこそ、言えたのだと思う。共通の友人であるアルノーに
は言えなかった。笑顔でカガミを見つめると、彼も晴々とした笑顔
をわたしに反した。
﹁うんうん。よかった。それじゃあ王妃サマ、まずは簡単なところ
からいってみようか﹂
﹁?簡単なところって?﹂
問い返すと、なぜか彼は首をかしげた。
﹁だから、聞きたいコトだよ。嫌いとか好きとかは初回はちょっと
ハードル高そうだし、そうだなあ、まずはお姫様との結婚の話あた
りからにしようか﹂
﹁ま、待ってよ!﹂
なぜかいい笑顔のカガミにわたしは慌てた。そのいいぶりだと、
わたしが本当にザルツにさっきのことを聞くみたいじゃない!しか
もまずはって、ゆくゆくは全部聞くってことよね!
﹁あ、あんたにだから言ったのよ!?わたし本人にそんなこと言う
勇気ないわ!﹂
﹁あんたバカじゃないの。ボクに言ったって王サマには伝わんない
でしょうが。何も全部最初から最後まで告白しろってんじゃないん
47
だから、いい加減うじうじするのやめなよ﹂
呆れたようなバカにしたような表情で息をつくカガミ。
わたしは知っていた。コイツは鬼コーチなのだと。そしてこの鬼
コーチが言ったことは、わたしは必ず実践しなければいけないのだ
と。
***
機会は、わたしの心の準備が済むより先にやってきた。もはや日
課となった晩餐に出向くと、待てども白雪が来ない。ザルツにおそ
るおそる尋ねると﹁白雪は出かけている﹂との返答。
ちょっと待ってよ。つまりそれって、ふたりきりってことよね。
というか義理とはいえ娘のこと何も知らない母親ってどうなのかし
ら。そして夜も遅いのにあの子はいったいどこに出かけているとい
うの。パーティの話なんて聞いてないわわたし。
混乱する頭をよそに、ふたりきりの晩餐は開始した。﹁まったく、
こんなにチャンスが早く来るとはね。わかってるよね、王妃サマ?﹂
いないはずのカガミの指令が聞こえるような気がした。
48
聞きたいこと︵後書き︶
大変遅くなり申し訳ありません。
49
酔い︵前書き︶
本当に本当に、遅くなりました。
50
酔い
﹁し、白雪はどこへ出かけたの?﹂
無言が流れるふたりきりの晩餐会。ようやくわたしが言葉を発す
ることができたのは、スープを飲み終えたころだった。そんなこと
は気にもとめていないのか、ザルツが何の感情もないような声で答
える。
﹁北の別城だ。今日の狩猟会に隣国の皇太子も出席していたのだが、
ヤツが今そこへ滞在している﹂
﹁隣国の、皇太子さま﹂
﹁ああ、そこで夕食を共にしたいと先ほど申し出があった⋮⋮あい
つらは、幼いころから一緒に遊んでいたからな﹂
隣国とははるか昔から貿易などで交流が盛んな関係だ。わたし自
身は行ったことはないけれど、平和で豊かな国と聞いている。そし
て白雪と同い年の皇太子がいるということも、知識としては知って
いた。
﹁わたし、ご挨拶もしていないわ﹂
王妃なのに。たとえお飾りでも、隣国の皇太子が来ているのにそ
れすら知らないとは、外交上まずくはないだろうか。そんな非難を
こめてそう言うと、ふん、とザルツは鼻で笑って、冷たい笑みを浮
かべた。
﹁ヤツが今日出席したのは私用だ。白雪が呼んだだけだからな。あ
まりおおごとにはしてくれるなと向こうからも言われている。お前
が王妃として挨拶なんぞしたら、狩猟会が始まる前に挨拶大会が始
まっていただろうよ﹂
51
確かに、今日の狩猟会には多くの貴族たちが参加していた。彼ら
が全員隣国の皇太子に挨拶を始めたら、きっと太陽がてっぺんにの
ぼっても狩猟は開始されなかったに違いない。
メインディッシュが運ばれてくる。ああ、今日はローストビーフ
なんだ。わたしの好物だけれど、白雪があまり好きではないからこ
の城に来てからはあまり食べていない。嬉しくなって、思わず頬が
緩んだ。
﹁白雪と皇太子さまは仲がよろしいのね?幼馴染ということかしら﹂
好きな食べ物を食べると、機嫌がよくなる。昔からわたしは家族
にそう言われてきた。まったくもってその通りだ。ローストビーフ
の美味しさにすっかり先ほどまでの気まずさを忘れ、わたしはザル
ツにそう話しかけた。
ワインを飲んでいたザルツも、酔いのせいなのか多少上機嫌のよ
うだ。﹁ああ﹂と返事は短いながらも、声にいつもの冷たさはない。
﹁そうなの。白雪にそんなお友達がいたなんて知らなかったわ﹂
幼馴染。わたしやザルツ、アルノーもそう呼ばれる関係だ。決し
て悪いものではないと知っている。アルノーとは15年以上たった
今でも何でも話せる、信頼のおける友人関係を築けているし、ザル
ツとだって、あの頃は本当に仲が良かったのだ。
思い出す昔の光景に、なぜか目頭が熱くなった。それを振り払う
ように一気にワインを飲む。久しぶりにアルコールを摂取したかも
しれない。わたしの勢いにザルツが少し慌てた。
﹁おい⋮⋮そんなに一気に飲むな。強いわけではないだろう﹂
﹁大丈夫です﹂
答えるけれど、自分の顔がどんどん火照るのがわかる。ザルツが
52
侍女に水を頼む。ああ、この人は本当に優しくて気の付く人だ。わ
たしのことが気に入らないだけで、本当はその性格だって変わって
いないのだ。昔から。
昔。ああ、そうだ。
﹁ねえ、ザルツ。覚えている?昔の話よ。わたしが5つをすぎたこ
ろだったかしら﹂
急に思い出した光景を、なぜかわたしは語りたくなった。ザルツ
も無言でわたしを見る。きっと聞いてくれるってことだわ。勝手に
わたしはそう決めつけた。
﹁あの時も、わたし、ワインを一気に飲んでしまったことがあった
わ。だってすごくおいしそうな色だったんだもの﹂
﹁⋮⋮ああ、そんなこともあったな﹂
答えてくれるザルツに、わたしはうれしくなった。
﹁そうよ。それで、わたし倒れてしまって。目が覚めたら、お部屋
のベッドで寝ていたわ。ザルツの手を握ったままね。ねえ、あの時
あなたは、わたしの手をにぎってずっと横にいてくれた﹂
昔から、何かを雄弁に語る人ではなかった。気難しくて、言葉も
少なくて、いつもしかめつらをしていたから、最初は怖い人でわた
しのことを嫌いなんだと思っていた。
でも、本当はザルツはとても優しくて、小さなわたしとも嫌がら
ず遊んでくれた。根気よくいつも何かを教えてくれて、わたしの世
界を広げてくれた。
﹁わたし、嬉しかったの。ザルツがずっと一緒にいてくれて。とっ
ても優しくしてくれて、嬉しかったの﹂
﹁⋮⋮﹂
53
酔っている。それはわたしが一番わかっていた。でも、そんなこ
とはもう忘れてしまおうと思った。この酔いに任せて言えるのなら、
そんなことは問題ではなかった。
﹁だから、あの時は本当につらかったわ。ねえ、ザルツ。なんであ
の時あなたはわたしに突然冷たくなったの﹂
酔っているからなのか。それとも、これもカガミの魔法なのだろ
うか。聞きたかったことのひとつが、わたしの口から滑り出た。
54
溶けたひとつのわだかまり
どうしてお姫様と結婚してからあなたは冷たくなったの?わたし
のことが嫌いなの?ずっと前から?それとも、わたしは何かしてし
まったの?わたしを後妻にしたのはなぜ?あなたはまだお姫様を愛
しているの?わたしはあなたを好きでいてもいいの?
聞きたいことはたくさんある。そのうちのひとつを︱カガミが言
う﹁簡単なところ﹂を口に出したわたしを、ザルツは珍しくも驚い
たような表情で見つめた。
ああ、ばかなことを言ってしまった。その顔を見てすぐさま後悔
した。酔いに任せた勢いとはいえ、失態にもほどがある。
自分のあまりの愚かさを恥じて、マナー違反を承知の上で席を立
とうとした時だった。
﹁あの時、は﹂
ザルツが小さな声で言った。
﹁あの時は、悪かった﹂
⋮⋮ザルツは、わたしの目をまっすぐ見ると、そう言って、頭を
下げた。
﹁⋮⋮あ、﹂
謝られたら、わたしだって何か言葉を返さなくてはいけない。頭
では分かっていたのに、今度は口から声が出てこなかった。まるで
言葉が喉に張り付いたように、いえ、張り付く言葉さえ浮かんでは
いなかった。ただ、ザルツの言葉だけが、わたしに届く。
﹁あの時⋮⋮俺が最初の結婚をした時。祝いの言葉をかけてくれた
55
お前に、冷たく当たった。正直に言えば軽蔑されるだろうが、何を
言ったかは覚えていない。だが、昔馴染みでもあったお前を邪険に
扱ったこと、そしてその時のお前の傷ついた顔は覚えている﹂
ザルツの告白はわたしにとって意外だった。わたしにとって忘れ
られない出来事ではあったが、ザルツにとっては些末なことだと思
っていたのだ。きっと忘れているに違いないと。
﹁覚えていたのね﹂
﹁ずっと気になっていた﹂
少しだけザルツが眉をしかめた。それから、またわたしを見つめ
て続けた。
﹁あの時俺はまだ子供で︱政略結婚への戸惑いがあった。それを昔
馴染みのお前に祝われて⋮⋮﹂
そこで、なぜかザルツは言葉を切る。少し迷ったように瞳をそら
して、そしてまた視線を合わせた。
﹁祝われて、腹が立った。受け入れたくなかった。お前やアルノー
といつものように会う機会はなくなり、俺は国のために結婚し、自
由を捨てなくてはならない。子供の俺にとって、ひどくつらいこと
だったんだ﹂
あの時、わたしは言わずもがなだけれど、ザルツもまた、彼が言
うように幼い子供だった。この国の王族として決して結婚が早すぎ
たわけではない。しかし、だからと言ってすべて受け入れられるよ
うな年齢でもなかった。
わたしはザルツをずっと年上の人間として見てきた。聡明で、す
べてを理解して、落ち着いている人間だと。だから、こんな風に彼
があの時考えていたことには少し驚いたけれど︱でも、当然だとも
思った。彼だってひとりのふつうの人間だ。10を少し越したよう
な少年にとって、自分の未来が縛られていくのはどれだけ受け入れ
56
がたいことだったろう。
もちろん、だからと言ってわたしを含め、誰かにひどい態度をと
っていいということではないと思う。だけど、あの時のザルツの態
度の理由を知ることができて、わたしは小さく笑った。最初から、
あの時のことをずっと怒っていたわけではない。ただ、理由が知り
たかったのだ。
﹁傷ついていたわ。本当に、ひどいと思っていた。でも、わたしも
あなたをわかっていなかったのね。許します、ザルツ。そして、あ
なたの苦しみを知らなかったわたしを、許してください﹂
﹁お前が謝罪することではない﹂
いつものように冷たく言い放つザルツ。しかしその声色にはどこ
か温かみがあった。
ザルツは、少なくともあの時、わたしを嫌ってはいなかった。だ
からと言って後妻であるわたしを彼がお姫さまより愛することがな
いのはわかっている。それでもわたしはうれしかった。
知りたかったひとつを知ることができて安堵していると、急に目
の前がくらりと揺れた。ここにきて急に酔いがまわったらしい。思
考がぼんやりとする。
ああ、だめだ。まだ晩餐は終わっていないのに。
﹁酔いがまわったか。もう部屋に戻れ﹂
わたしの様子に気づいたらしいザルツが言う。申し訳ないと思い
ながら、わたしはその言葉に甘えた。
﹁すみませ⋮⋮ありが、とう﹂
そこまで言って、席をたつ。足元がおぼつかなかった。視界が、
暗くなる。
57
﹁ねえ、ザルツ、﹂
最後に、わたしは何と言ったのだったっけ⋮⋮
***
﹁ねえ、ザルツ、あなたがわたしを、あいすることは、なくても﹂
ふらつきながら席を立った彼女は、ザルツを見て微笑むと、そう
言った。しかし、その言葉の続きは彼女の口の中に消えた。ふらり
と突然床にしゃがみこんだのだ。
﹁おい!﹂
ザルツが慌てて駆け寄ると、彼女は気持ちよさそうに寝息をたて
ていた。それほど酒に強くないのに、度数の高いワインを一気に飲
んだのだ。酔いも回るだろう。明日の朝、気分が悪くなければいい
が。
ザルツは彼女を抱えると、部屋へと送り届けるために歩き出した。
﹁俺を愛することがないのは、お前の方だろう。あの時本当は、俺
は⋮⋮﹂
聞こえていない彼女に、小さく呟きながら。
58
溶けたひとつのわだかまり︵後書き︶
反省ザルツ。しかしどうやらまだふたりはすれ違っているようです。
ようやく3分の2くらいまできました。たぶん。
59
報告、そして改めて
﹁酒臭い﹂
開口一番、顔をしかめたカガミが言い放った。鏡の向こうにいる
のに匂いがわかるものなのかしら。というより、量としてそんなに
飲んだわけではないから、匂いだってそんなにないと思うのだけど。
言いたいことはいろいろあったが、わたしが言えたのはただ一言。
﹁お願い、静かにしてちょうだい⋮⋮﹂
朝目覚めると、わたしは自分の部屋のベッドに寝ていた。
記憶を探ってみると、晩餐会の途中に席を立ったところまでは覚
えている。どうやらそこで気を失ったらしい。カガミは﹁王サマが
運んできてくれたよ﹂と言っていた。﹁自分のオクサンに何もしな
いなんてまったくシンシな王サマだよまったく!﹂となにやらぷり
ぷり怒っていたが、わたしは二日酔いの頭痛と戦うのに必死だった。
寝起きのわたしの状態はひどいものだった。正式な晩餐ではない
とはいえ、昨夜は簡素ながらもドレスを身に着けていた。まさか脱
がせるわけにもいかず、ザルツはそのまま寝台に転がせておいたの
だろう。しわくちゃになったドレスとぼさぼさの髪、はげかけたお
化粧を見て、わたしよりよっぽど美容意識の高いこの鏡の少年は悲
鳴でもあげそうな悲壮な顔をしていた。
だるい身体と痛む頭がようやく落ち着いてきたのは、カガミに言
われるがまま浴場で身を清め、新しい服に着替え、侍女が持ってき
てくれた果物をひとつふたつ食べ終えたころだった。
﹁あのさあ、ボクは思うんだ。女性が美しくいるためのヒケツはな
60
にか。それは心持ちだと思うんだ﹂
鏡の中で頬杖をついたカガミがぶつぶつと呟く。
﹁心持ちだよ。つまり、夜にはきちんとばら水で身を清めて、髪を
丹念にとかし、清潔なベッドで眠り、朝はお日様をたっぶり浴びて
散歩をしたあと栄養のある食事をとる。そういうコトをきちんとし
ようという心持ちだ。わかるかな﹂
そんな少年の大き目な独り言をわたしは無視していたが、嫌味が
ちくちくと飛んでくる。とうとうわたしは観念して彼に向き直った。
﹁すみませんでした。以後気を付けます﹂
﹁次やったら中庭10周の刑だからね﹂
じろり、とカガミはわたしをにらんだ。
***
﹁ふーん﹂
わたしが昨夜の晩餐のことを報告すると、カガミは興味なさそう
にそう言った。あれだけわたしにいろいろ指示を出していたくせに、
なんて反応なのかしら、と少し腹が立って彼を見ると、カガミはぷ
っくりと頬を膨らませ、つんとそっぽを向いていた。
﹁ちょっと、なによその顔﹂
﹁ベツに。うじうじ王妃サマにしてはがんばったじゃん。気になっ
てたコトひとつ聞けてよかったね﹂
褒めてはいても、声音に棘があった。カガミの変化に戸惑うわた
しを、しかし彼は気に留めない。
﹁じゃあ、次は告白でもしたらいいんじゃないかな。それがいいよ。
たぶんうまくいくよ。よかったね、王妃サマ﹂
なんて投げやりなアドバイス。カガミらしくないにもほどがある。
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﹁もう、なんなのよ。あんたらしくないわよ、気に入らないことが
あるなら、きちんと言いなさいよ﹂
わたしはたまりかねて怒鳴った。
﹁自己完結してばかりで、言わなければわからないとわたしに教え
てくれたのはカガミのくせに!﹂
その言葉に、はっとしたようにカガミはこちらを向いた。じっと
わたしを見たかと思うと、目を伏せて、小声でもごもごと話し始め
る。
﹁だってさ、今まで王妃サマのために、結構ボクだって一生ケンメ
イがんばってきたんだよ。なのにそんなに進展があった日に酒飲ん
で酔いつぶれて、遅くまで帰ってこないからコッチは結構心配した
っていうか、野次馬根性もあったけど、なのに朝起きたって二日酔
いでゼンゼン報告してくれないしさ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
わたしは言うべき言葉を失った。今のまとまりもないカガミの話
を聞いていると、この少年が拗ねているように聞こえてならない。
いやまさか、と考えて、けれどやはり思考はそこで決着した。
そう思うと、急に笑いがこみあげてきた。
﹁ふふっ⋮⋮やだ、なによカガミ、あんた拗ねてたの﹂
﹁拗ねてなんかない!ボクがなんで拗ねなきゃいけないのさ﹂
頬を紅潮させて言いつくろっても無駄だ。今までわたしの鬼コー
チで相談相手で美容アドバイザーだったこの大人びた不思議な少年
も、見た目相応に可愛いところもあるらしい。
わたしは笑い涙をぬぐうと、カガミに向き合った。
62
﹁そうよね。わたしが昨日頑張れたのは、今日が昨日より幸せなの
は、あんたのおかげだもの。ちゃんと一番にお礼を言うべきだった
わ。ごめんなさい、カガミ。ありがとう﹂
﹁⋮⋮ベツに⋮⋮王妃サマだって、頑張ってる、とおもうよ﹂
カガミが小さく返す。素直に自分を認めてくれる彼の言葉がうれ
しかった。
﹁そうね。うじうじしてただけのわたしからしたら、結構頑張って
ると思うわ。でもわたしには少し勇気がまだ足りないから、これか
らも、一緒に頑張ってくれるかしら﹂
わたしの言葉に、カガミは表情の眉根を寄せて、口をとがらせて、
すましたような顔をしようとして⋮⋮そして、表情の作り方を失敗
したみたいに、へにゃりと笑った。
それは、すごく彼にふさわしいような、可愛らしい笑顔だった。
﹁こちらこそ、ヨロシク﹂
63
報告、そして改めて︵後書き︶
大変長らくお待たせいたしました。
カガミとのお話回でした。
64
城内の噂
ボクをなめちゃいけない。ボクにはいろんなことができるのだ。
どうやってかって?それはキギョウヒミツ。
ともかくボクが主張したいのは、ボクは王妃サマとは違って鏡の
中に引きこもってる根暗なんかじゃないってことだ。
だから、城内の噂なんかもボクにはわりかし聞こえてくる。たと
えばドコソコのダレが堀におっこちただとか、ドコカのダレとダレ
が中庭でいかがわしいコトをしてただとか、それからたとえば︱︱
﹁王妃様、最近調子がよさそうだよな﹂
﹁ああ、確かに﹂
こんな井戸端会議だったりとか、だ。
カノジョの噂をしていたのは、城の警備兵だった。身分は高くは
ないが、公務をこなしたり、中庭をえっちらおっちら散歩したりす
る王妃サマの姿を立場上よく見かけるのだろう。
というか、そもそも中庭で見かけること自体が、カノジョの調子
が良くなった証か。今までは﹁王に愛されず、継子を憎み、部屋に
ひきこもって継子を呪う陰険で邪悪な王妃サマ﹂だったのだから。
﹁少し前までは暗くって不気味だったけど、最近はそんなに悪いっ
てわけじゃないよな﹂
﹁おい﹂
﹁いいだろ、俺ら以外にはだれもいないぜ﹂
不敬罪にとられかねない発言をもうひとりが咎めても、若いケー
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ハクそうな警備兵はにやりと笑うだけだ。確かに人気のない場所だ
から人はいない。まあ、実際はボクがいるんだけどね。
﹁まあ⋮⋮というか、婚姻の時は綺麗だったよ。お前はいなかった
んだっけ。姫様みたいな華やかな感じじゃないけど、落ち着いた美
人って感じだったな﹂
﹁ふーん。まあ、環境って人を変えるよな。俺が女だったら絶対王
様には嫁ぎたくないね﹂
﹁お、おい﹂
﹁大丈夫だって。だってそう思わね?いい王様だとは思うけど、正
直何考えてるかわかりにくいし、怖いし。それに前の王妃様はめち
ゃくちゃ美人だったし、その娘の姫様も国一番の美しさ。そんなと
こに後妻だなんてキツイだろ﹂
﹁⋮⋮まあ、実際まだ王様の訪れはないみたいだしな﹂
﹁だろー?愛されなくて、世継ぎも産めないんじゃ、そりゃ調子も
悪くなるって﹂
噂が単なる噂でしかないことを、ボクは知っている。その正誤は
半々だ。実際カノジョはシラユキに引け目を感じてはいても、憎ん
だり呪ったりなんかしていない。
だが、だからと言って言わせておけばいい、ってモノでもない。
温厚で素晴らしいシンシと評判のボクだって、腹が立つことくらい
あるのだ。
ちょっとくらいイタズラでもしかけようか、とにやりと笑っとき、
軽薄そうな男が発した言葉に手が止まった。
﹁王様に愛されてないとなると、じゃあなんで王妃様、綺麗になっ
たんだろうな?﹂
﹁え?そりゃ化粧とか、食事とか、運動とか﹂
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的をはずしたもう一人の答えに、じれたように男が叫ぶ。
﹁そーじゃなくて!なんでそうなろうと思ったかってことだよ。女
が努力すんのなんか、きっかけがあるに決まってんだろ?﹂
なんでって、きっかけはボクだ。じゃなきゃあのうじうじ根暗な
引きこもり王妃サマが毎日散歩に出かけたりするものか。
しかしそれを知らない警備兵は、にんまりと下卑た笑みを浮かべ
た。
﹁恋をすると女は綺麗になる﹂
﹁はあ、なら王様が﹂
﹁いや。俺、聞いちゃったんだよね。結構信憑性高い噂だぜ﹂
男は同僚の耳元に顔を寄せると、いっそう小さな声で囁いた。
﹁実は王妃様さ⋮⋮﹂
いくら小声にしたってボクには無駄だ。ボクをなめてもらっちゃ
困るのだ。
ボクはそのシンピョウセイの高い噂とやらを聞き終えると、ボク
は手に持ったグラスを床に落とした。ぱりん、と乾いた音が響いた
のが聞こえたらしい。この世の終わりみたいな顔面蒼白になってい
く警備兵の姿を見て、溜飲が下がる。
噂は噂だ。
だが、それが時として誰かを、そして誰かの大事なものをめちゃ
くちゃに壊してしまうことを、ボクは知っている。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n2283cf/
王妃はいかにして白雪姫を追い出したのか?
2015年2月9日19時07分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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