第 1 回「日本経済入門」課題レポート 担当:鷲見先生

第 1 回「日本経済入門」課題レポート
担当:鷲見先生
レポート提出期限:11 月 21 日
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1. テキストのまとめ
戦後 10 年して、1955 年から日本は 17 年間の高度経済成長期に突入したが、この時の実
質 GDP は平均 9.3%に達していた。需要では設備投資や耐久消費財による個人消費、円安
に伴う輸出拡大などが、供給では国際水準との技術競争や労働人口の増加、貯蓄率の上昇
あるいは高学歴化などが、経済成長を押し上げる要因となった。60 年代に入ると、特にア
メリカからの貿易自由化の声が高まり、GATT や IMF を介して自由貿易の体制に移行し、
63 年には OECD の加盟を実現した。
またこの期間において日本では基幹産業の大きな変貌もあった。高度経済成長の始まっ
た 1955 年と 70 年を比較すると、第一次産業の就業率は 21%低下しているが、反面第二次
産業と第三次産業においてはそれぞれ約 10%の上昇を見せた。
このように、短期間で急速に社会的変革をもたらした 17 年間であるが、必ずしも良いこ
とばかりが起こったわけではない。新幹線や高速道路など交通機関の多様化は進んだが、
一方で生活インフラの整備は滞り、都市の過密化、地方の過疎化、また全国規模での公害
が大きな問題となっていた。
アメリカの経常収支赤字に伴って一時は不況に陥った日本経済だが、その後の景気対策
によって 72 年には再び景気は拡大に転じ、急激なインフレが進行した。そのような状況に
人々が期待するなか、翌年 10 月に第四次中東戦争が勃発した。これに伴い原油の市場価格
はそれまでの 4 倍に跳ね上がり、第一次石油危機として全国に大混乱を招いた。74 年に日
本は戦後初めてのマイナス成長に陥った。政府は異常インフレを沈静化させるために公定
歩合の大幅な引き下げなどを実施し、総需要の抑制政策がとられた。その結果、物価の上
昇は 74 年で頭打ちとなり、景気も回復に転じた。
その後もう一度の石油危機を経験した日本は、高度成長を終了し、年率成長 5%の中成長
期へと移行した。この頃から常習的に国債を発行するようになり、その残高が累増し始め
た。基幹産業については、人々の生活の質的ニーズの上昇に伴って、サービス化・ソフト
化が進んだ。また国際化や「省エネ」が叫ばれるようになったのもこの時期である。
経済の成長に伴って日本は国際的な貿易においても大きな存在となり、貿易摩擦の激化
が指摘された。初めは集中的な輸出が問題とされたが、やがて日本の経済構造そのものが
輸入を阻害しているとされ、アメリカを中心として国際的な圧力が強まった。
プラザ合意を通して円高不況に陥ったが、これに対応するため日銀が公定歩合を大幅に
引き下げたため、結果としては内需主導というかたちで景気が回復する運びとなり、地価
の上昇が伴って以後数年に渡り「バブル経済」が始まった。
日本はその後、「失われた 10 年」を経験する。それは、90 年の株価大暴落を引き金として
発生した「バブル崩壊」の煽りを受けたものであり、資産と負債を両建てで増加させていた
家計や企業において、資産価格の下落によって負債だけが残されることとなり、銀行が大
量の不良債権を抱えるなどの原因もあり、非常に長引く不景気、低成長期あった。その後
95 年から 96 年にかけて経済は小康状態を見せ、政府は消費税率の引き上げなどによって財
政再建を図った。ところがこれに対し人々は抵抗的な姿勢を強め、また同時期のバーツ危
機も相まって景気は急速に悪化した。
長引く不景気に終わりの兆しが見えたのは 2001 年で、この後 69 ヵ月に渡って戦後最長
の景気回復を続けた。この頃の回復が高度成長期と違う点は、財政主導ではなく輸出に依
存した民間主導の回復だったということである。この年 4 月に発足した小泉内閣は大規模
な構造改革に乗り出し、地方への税源移譲などをはじめとして財政を大幅に立て直した。
日本のこの長期に及ぶ景気回復は、当初サブプライム・ローン問題などを抱えていたア
メリカの、2008 年のリーマンショックによって打ち止めとなる。この出来事は世界中に深
刻な経済危機をもたらし、サブプライム・ローンへの証券投資が少ない日本にもその打撃
はきた。最も多くの損失を被ったのは輸出産業であり、結果としてこの年の後半には戦後
最大のマイナス成長をマークすることとなった。
民主党の政権交代を挟んで景気対策を行った日本だが、依然として景気が大きく持ち直
すところにまでは至っていない。アジア各国からの外需が経済を下支えしてはいるが、内
需については今も政府投資に一存する面が多い。今後はより一層の構造改革を中心とした
経済の活性化が必要とされる。
2. 2012 年 7-9 月期 GDP(速報値)について
内閣府から 11 月 12 日に発表された 2012 年第 3 四半期の国内総生産速報値は、実質で
-0.9%、年率換算で-3.5%と、3 四半期振りのマイナス成長となった。世界経済減速の煽りを
多少受けているとも捉えられるが、前期が年率 0.3%だったことを考慮すると、日本経済が
景気後退局面に入っていることは否めない。
需要項目別に動向を見ていくと、まず民間需要は実質で-0.5%であった。衣類などの半耐
久消費財の需要は増加したものの、エコカー補助金の終了に伴う自動車販売の減少やテレ
ビ販売の下振れがあり、それらがマイナス寄与の原因と考えられる。また、住宅投資は前
期に引き続き微増した一方で企業投資が-3.2%と大幅に減少した。
次に公的需要は、医療費、介護費など社会給付が続いているため 0.3%の増加となった。
また東北地方を中心として復興需要も継続しており、政府投資は経済を押し上げている。
今期最も深刻な減少幅となったのが輸出入についてだ。ヨーロッパへの輸出が EU 各国
の景気悪化に伴って右下がりとなっていることに加えて、領土問題のデリケートな中国へ
向けた輸出もその煽りを受けて前年同月比 14%縮小した。輸出品目としては、やはり自動
車や IC 製品などが減少したとみられる。
経済成長に対して各項目がどれだけ貢献したかを読み解く指標となる寄与度を見ると、
内需が-0.2%、外需が-0.7%と、いずれも経済成長を押し下げる要因となっていることが分
かる。特に外需は 2 四半期連続のマイナス寄与度となり、その点からも日本経済にとって
いかに輸出が深刻な問題であるかが読み取れる。
このままいけば次期もマイナス成長である、という予想が多い。長く日本経済の牽引役
であった輸出が減少し続けているうえ日中関係が悪化しつつある中、今後景気を押し上げ
るためには、内需を一転させて景気回復の強みとすることが求められるだろう。