講座「ところ学のすすめ」受講記録 グループ名 Aコース1グループ 記録者 年月日時間 平成 26 年11 課 所沢農業と諸産業 題 講 師 名 阿部國弘 月16日(日)13:30〜16:00 渡辺隆喜(明治大学名誉教授) 受 講 者 渡辺先生による第2回「ところ学講座」は前回の宿題となっていた「ところ学のサブタイトル」を 例示することから始まった。師は①住民自立の地域学②赤土からの飛躍、と板書。これは、決して 肥沃といえない武蔵野所沢の人々がいかにして豊かになったか、 「民富」を得るに至る道すじであり、 いわば全編を貫く通奏低音となるものなのだ。 8代将軍吉宗時代、享保期(1716~1735)の社会は在郷商人、高利貸しの成立、地主の成 長や村役人の不正などによって貧富の差が激しくなり、享保改革の目玉といわれた定免法(じょ うめんほう)もそれほどの効果なし。所沢原の新田開発は、作物のためというより採草地として の「秣場」(まぐさば)であった。所沢地域村々の生産態様は三類型に分類され、主要産物として は①三富新田/大小麦、甘藷②享保期新田/甘藷③古村/甘藷は少なく、養蚕の比率が高い、な どの記録もある。寛延4(1751)年、所沢に甘藷が入ってきたことを示す碑(吉田家始作碑) が南永井村に建つ。古村に木綿縞、新村に狭山茶が多くなったのもこの頃からであった。 江戸中期から後期にかけての村落は、本百姓の変貌に伴う形態といえる。貨幣経済が浸透し、百姓 間にも階層性が生まれた。村々の肥料、穀商人に土地保有が集中、凶作時には高利貸しが成長し、 少数の地主と多数の小作貧農へと分化していった。農業の近代化は富農、豪農を生み、土地から の作物ばかりでなく養蚕から進んだ糸とりに従事する娘など、後のマニファクチュアに通じる資 本主義の芽生えがあった。農村が資本家と労働者に分かれるイギリス型の近代化であり、その中 でも、農村を変革するのは2~5町歩を有する富農層であったことは注目に値する。農間余業の 成立に重要な要素となる人口動態例として別添資料4-55表「岩間新田宗門人別帳集計表」の * 次回の講座までに作成し、コース別実行委員に渡してください。 講座「ところ学のすすめ」受講記録(裏) グループ・ミーテイーング記録 グループ名 記録者 説明を受けた。師は、民富となる原資として5公5民から7公3民になった年貢制度と、 木綿、茶などの余業拡充を挙げ、それらが農民自立化の芽として講を閉じた。 1.本日の講座について興味深く感じたこと。 先生の農業および地域に生きる人々に対する温和な眼差しを感じ、講義中にほのぼのと した気持ちになります。 吉宗時代、貨幣経済の成立期に「糞尿が武蔵野から江戸の武士に還元され、寄生虫がは びこった」との余談には意趣返しのような愉快な気分になりました。貴重な古文書から の抜粋で作られたであろう資料の数々には畏敬の念でなぞるほかありません。拝聴する わが身の稟賦を想ってしまいますが、猫に小判とならぬよう、後のご講義に集中します。 2.本日の講座についての感想 先生の農業および地域に生きる人々に対する温和な眼差しを感じ、講義中にほのぼのと した気持ちになります。 吉宗時代、貨幣経済の成立期に「糞尿が武蔵野から江戸の武士に還元され、寄生虫がは びこった」との余談には意趣返しのような愉快な気分になりました。貴重な古文書から の抜粋で作られたであろう資料の数々には畏敬の念でなぞるほかありません。拝聴する わが身の稟賦を想ってしまいますが、猫に小判とならぬよう、後のご講義に集中します。
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