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桂高校校舎への思い出作文
優秀賞
「つながり」
3年5組
佐藤暖美
朝起きると、刺すような寒さが体を冷やし、吐く息は白くなっていた。季節はもう冬だ
った。時間の経過は、私が思っていた以上に早かった。
授業中に、校庭のわきの道の工事の音が聞こえるようになった。その校庭の桜の木は切
られてしまうのだと聞いた。新しい校舎への引っ越し準備を、教師も生徒も静かに始めて
いた。どうやら、私たちの母校は本当になくなるらしい。
そのことを初めて実感したのは、三年に進級した一学期の始業式。入学生がいない桂に
は入学式もない。昨年までは窮屈に感じていた体育館は、目で見るより広いように思えた。
どこの学校も入学式をしている四月。私たちは静かに始業式を行っていたという事実がな
んだか寂しくて、鼻の奥がツンとしたのを覚えている。
そんな春から九ヶ月が経って、私は母校がなくなる虚しさのようなものを一層強く感じ
ている。朝、校門に入る時、二号館三階の視聴覚室の窓に朝の光が反射しているのを見る
のが好きだった。見る度に写真におさめたいと思いながら、一度も撮ったことがなかった。
もったいないことをしたと思う。この景色を「卒業したら見ることができない」のではな
く「校舎がないから見ることができない」というのは、とても寂しい。
玄関に一歩、足を踏み入れる。玄関のにおいがする。家の玄関とは少し違って、もっと
複雑なにおいだと思う。汗のにおい、靴についた砂のにおい、梅雨の時期は雨の生臭さが
ある。大勢の人の気配を感じるにおい。この玄関に何百、何千という人が足を踏み入れ、
最後は出て行った。それをするのは私たちが最後で、この先はない。実感がまた一つ。
廊下を歩いてみる。この廊下で内緒話をしたり、テスト前の追い込み暗記をしたりした。
一年生の時は長く長く感じた廊下は三年生になってからは少し短くなったように思えた。
教室のドアを開けて、一歩踏み出す。朝の教室。当然だけれど誰もいない。この教室で
何人の人が授業を受けて、ご飯を食べて、友達と話しをしたのか。目には見えない歴史が、
思い出が、ここにはある。
「母校で同窓会をした」「久しぶりに母校に行って恩師に会ってきた」というような話
しをよく聞く。校舎がなくなってしまうということは、それもできない。卒業してから後
輩に会いたくても、新しい、場所も違う、知らない校舎に行かなければ会えない。一つ下
の後輩たちは、自分たちの学年だけで新しい校舎に移る。様子を見に行きたくても、卒業
してしまえば部外者のようなものであるし、もっと行きづらくなる。こういうことを考え
て初めて「寂しい」とか「悲しい」とかそういった感情は抜きにして、校舎の大切さを思
い知る。校舎は、私たちと母校、学生時代の記憶をつなぐものだと思う。一歩足を踏み入
れただけで、当時の記憶を蘇らせてくれる場所。
吐く息が白くなって、一月の刺すような寒さが身にしみる今、母校がなくなるという実
感がじわりじわりと押し寄せてきている。学校がなくなるというのは運命だし、変えるこ
とはできない。だから、桂が終わるその日まで、思い出を、歴史を、記憶を、たくさん吸
い込もうと思う。
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