Title Author(s) Citation Issue Date Type キーツの位置 菊池, 亘 一橋大学研究年報. 人文科学研究, 13: 1-64 1971-03-31 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/9937 Right Hitotsubashi University Repository キーツの位置 池 亘 キーッの位置 一 出発点をギリシアあたりに持って行き、その辺あたりから流れを、問題として扱っている位置にまで引いてくると奇 いたいこのような問題が生じた揚合には文学の揚合でもその出発点をギリシアあたりに持って行くのが通例である。 の経過をたどろうとすると、一体その出発点をさらに過去に属する部分のどの辺に設定するかということである。だ がつかみ得るような気がする。しかしここで直ちに問題になってくるのは、もしさらに過去からその位置に至るまで れの方向に従って、さらに過去の方からその位置にまで由,って来たる経過をたどってみる方法がより正確にその位置 ってその位置は流れを逆にして未来の方からも、あるいは横の方からでも決定し得るであろうが、やはり穏やかに流 そしてその位置は過去の方に向かって流動し、未来の方に向かって流動し、揚合によっては横の方にも流動する。従 って来たるものがあるわけであろうが、表面的には静止しているように見えるその位置は実は極めて流動的である。 家に置き換えてみる。ある作家が文学史のなかにおいて、ある位置を占めているのには、それなりの理由あるいは由 のようなことはそのまま当てはまることであろうが、論考を進めやすくするために、芸術史を文学史に、芸術家を作 いかなる芸術史についても、あるいはその芸術史のなかに、ある位置を占めているいかなる芸術家についても以下 菊 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二 麗に論考に片が付いて爽やかであろう。爽やかであるということは、いい換えれば図式的であることでもある。ここ に文学に限らず広く芸術を扱うときに伴う危険性があるのである。いうまでもなく芸術というものは、数式で割り切 るようにはいかないものであり、数式で割ってみた場合に出てくる端数のところにその本質があるとしたら、やはり この危険性は避けるぺきであろう。なぜ私が、このような周知の事柄を述べるかというと、私がこれから扱おうとす るキーツの位置という問題について、この方法を当ては夢ることがなかなかむずかしぐ、もし当てはめてみた揚合そ れはキーツの姿が薄れてくる恐れがあるのである。というのはこの方法でキーツをとらえて見ると、それは広くヨー ・ッパの文学の小さな一存在に化してしまう可能性は充分にあるのであり、これでは私の論考の目標の輪郭は薄れて くる。どこまでもキーツの位置という問題の輪郭をはっきりさせて置くためには方法を変えなければならないであろ う。このために私は流れを逆にして、出発点をキーツ自身に求めようとするのである。これを出発点とすることによ って私は絶えずキーツに帰ることができるし、湖る限界をイギリスのルネッサンスあたりまでにしようとするのであ る。限界をイギリスのルネッサンスあたりまでにしようとするのは、こうすることによって、イギリスの文学史上に おけるキーツの位置は明確なものになるであろうし、私はまたそこで満足しようとするのである。そしてルネッサン スからさらに湖ろうとすると、キーツとは縁がなくなってくるとまではいわないが、縁が遠くなってくるごとは事実 であり、そしてキーツの姿がぼやけてくることは否定できないのである。とこのようにいうと直ちに反論する人があ るであろう、﹁ギリシアの古い壷によせるオード﹂の殊に末尾のあたりは、どのように説明付けるのか、あれこそギ リシア思想の表現ではないであろうかと。これに対して私の答えは甚だ動揺的である。そうかもしれないし、そうで ないかもしれないが、今のところ私の考えは後者の方に傾くと。いずれこれは後程大切な問題になってくるので暫く それまではこれ以上の答えは保留して置きたい。また話を先程のところに帰して、ルネソサンスからさらに、たとえ ばギリシアあたりまで湖って行くことは、私の扱おうとする問題とは違った別個の問題となると考えるので・ここで 論考に一線を画そうとするのである。そうしないとそれはキーツとは遠い関係を保ちながら、ギリシアの文化を大き く前面に押し出てくることになる。このことを私は警戒するのであり、問題がギリシアヘと方向転換する恐れが充分 にあるのである。.︺れは他の代表的な・マン派の詩人たちワーズワス、コオルリッジ、そして少し遅れてバイ・ン、 ロ シェリーにも当てはまることであろうと思う。このなかのシェリーの﹁束縛を解かれたプ・メシュース﹂に対しても 私は先程と同じくキーツの﹁ギリシアの古い壷によせるオード﹂のような返辞をするであろう。しかしシェリーの思 想においては他の詩人たちよりも余程ギリシア的色彩は濃いことは事実である。従ってシェリーの揚合は論考の出発 レ 点をギリシアに持って行くことも可能であるかもしれない。しかしシェリーの揚合でもギリシア的なものを前面に大 きく出すと危険な.︸ともあるア︶とはいうまでもないであろうが、今はこれは問題としなくてもいいであろう。先程い ったように作家の占めている位置というものは流動的なものであるので、この流動的なものを全面的にとらえようと 欲張ξことは、それが成功した場合でも単なる概観に終わるか、あるいは方向を見失なってしまって努力が無駄にな ってしまうか、いずれかであろう。この徒労を避けるために私はキーツを座標に決めて、そこに至るまでのいくつか の系譜のうち最も中心的と考えられるものを逆にルネソサンスあたりまで湖らせ、範囲もだいたいイギリスを出ない ようにしようと思う。.︸のようにしてキーツがイギリスの文学史のなかにおいて占めているロマン派の、もう少し詳 キーツの位置 三 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 四 しくいえば後期・マン派の詩人としての内容がどのようなものであるかということを少しでも明らかにする.一とによ って彼の流動性の一端が浮び上がってくることをこれから目差そうとするものである。系譜をたどるといっても、そ れは中心的なものを抜き出そうとすると縦の線にどうしても限らざるを得なくなってくる。従って必要と考えられな い限り横の系譜および未来へと延ぴて行く系譜はこれからは一応無視してかかって行くことになる。横の系譜と未来 への系譜について私自身も興味を持ち、ある程度調べてみたがこれも範囲を余程ちぢめてキーツの周辺にのみ限って 見ないとなかなかうまく行かないようである。この範囲を周辺からイギリスのあたりにとどめないで、外国にまで延 ばすとかなり無理な関係を使った妙なものが出来上がってくるのを私は経験している。この具体的な例については他 日稿を改めて触れてみようと思っている。このことは全く未来への系譜についても同じである。横と未来との系譜に 関連する無理というのは簡単にいってしまえば、環末的な事柄を中心的なものであるかのように、あるいは重大な要 素で決定的なものであるかのように扱わなければならないということである。この程度ならまだいいかも知れないが、 ある作家が同時代の他の国のある作家と平行的な類似性を有することを指摘し、あるいは解明するア︶とに終わってし まう揚合もあるのである。とにかく私はカの届く範囲内で、縦の系譜を逆にたどってみてキーツの位置の内容、ある ロ いはその意味するところのものを探ってみたい。 一八一七年︵キーツニ十二歳︶十一月二十二日土曜日詩人が友人ベイリー︵国窪すヨぎω毘3、︶に宛てた一通の手 紙がわれわれにこの論考の出発点を与えてくれる。この手紙はキーツが残したかなり多い手紙のなかでも詩に関係す るところを含むものとして重要なもののひとつと数えられるものである。論考に関係のある個所と思われるところを 少し長くなるが抜き出してみる。 ⋮私は︵中略︶そしてさらに想像力︵昏oH巳お一9菖目︶のことについて話してみたいと思います。︵中略︶想像力 が確かなものであるということを聞いての君の一時的な驚きが終わるのと同じように、すぺての君の.コタゴタの終 わりが確実でありたいと願っております。私は昌。国8詳”の賎9匡○冨の神聖なる.︶ととそして想像力の真実であ ることについてのほかは何事にも確信が持てないのですー想像力が美としてとらえるものは真実でなければなり ませんーそれが以前に存在していたにしようとしなくともですーというのは私は愛と同様すべてのわれわれの 激しい感情について同じ考えを持っています、われわれの感情はすべて崇高な状態においては本質的な美を創造す るからです。︵中略︶想像力はアダムの夢にたとえることが出来ましょう1彼は目を覚して夢が真実であるのが 判りました。私はどんなものでも関連する推論によって、どんな風にして真実として知られるア︶とが出来るのか未 だに判ることが出来なかった故にーそしてしかもそういうことはあるに違いありませんがーそれだけ一層ア︶の 事柄に熱意を抱くわけです。どんな偉大な哲学者でも今までに数多くの異論を排除せずに彼の目差すと.︼ろへ到達 したということはあり得るでしょうか。それはまあともかくとして、思考の生活よりも直覚の生活がしたいもので す! それは﹁青春の形をしたあるヴィジ日ン﹂、来たるぺき現実︵注︵28︶を参照︶のある影ですーそしてこの 考えはさらに進んで次のことを私に納得せしめました、というのはそれは、私のもうひとつの好きな思索を助ける ものとしてやってきたからなのですが、それはわれわれがこの世における喜びと呼んだものを、より美しい調子で キーッの位置 五 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 六 繰り返す、そしてそんな風に繰り返すことによって、後にここで楽しむであろうということです。そしてしかもそ のような運命は、君のやっているように真実を渇望するよりはむしろ感覚に喜びを見出す人たちにのみ起きる可能 性があるのです。アダムの夢がここでは役立つでしょう、そしてそれは、想像力とその天上における映発は、人間 の生活とその精神的な繰り返しと同一のものであるという確信であるようです。しかし私がいいましたように1 単純な、想像的な心は、美しい唐突さでもって絶えずその魂にやって来て、それ自身の静かな働きを繰り返すこと にその代償を持つかも知れません1大きなことと小さなこととを比較してみれば1君は今までに、ある古いメ ・ディーに驚かされることによってー心地よい揚所で1心地よい声で、それが最初に君の魂に働きかけた時の 君自身の思索と推測を繰り返して感じたことはありませんか1歌い手の顔をあり得ない程に美しく想像したこと はありませんか、そしてしかもその時の高揚で君はそうは考えなかったのでしょうが その時まさに君は想像力 の翼の上に乗って非常に高く舞い上がっていたのですfだからその原型は後になっても現在ここにあるに違いあ りませんーその美しい顔は君に見えるでしょう。なんと素晴しい時でしょう! 私には、いつでも主題から逸れ る癖があります1確かにこのことは複雑な心の持ち主にはどうもぴったりとは、当てはまらないでしょう 想 像力があって・てして同時にその結果するものに気をくばる人ですーその人は一部は感覚に一部は思考に基づいて 生活しようとする人ですーその人にとっては歳月が賢慮のある心をもたらすことが必要なのです 君の心はそ んなようだろうと考えます、そしてそういうわけですから、君の永遠の幸福にとっては、この世におけるわれわれ の最も霊妙な沈思の再試食と私が名付けるであろうと思われます天上のこの古いブドウ酒を飲むだけでなく知識を 増し、そしてすべてのものを知ることが必要です。 ここに訳出した個所はこの手紙の約三分の一ぐらいの分量に当たる。そしてこの僅かの個所にキーツの系譜をたど ︵4︶ るのに最も重要なものが含まれているが、そのことについては次第に触れてくるのでこの暗示だけにとどめて置く。 訳出した個所の分量は僅かとはいえ、この訳文に対して私は自信を持つことはできない。それは私のキーツ理解の未 熟に最も多く由来することはいうまでもないが、キーツの用語のむずかしさにも由来するのである。いかなる文章で も表面的に読んでいる時には何事もなく理解出来たような錯覚を与えるものであるが、少し細かく読み出すと途端に むずかしくなることは誰でも経験するところであろう。責任をキーツに転じようとする気持ちは全くないが、とにか くキーツの手紙における用語の理解への困難さについては、彼の手紙を精読してみたことのある人ならば必ず同感し てくれるであろう。一八一九年二月十四日から五月三日にかけて弟のジョージとその妻に宛てた長い手紙があるが、 そのなかの三月十九日の分のところにある短い個所、﹁路上での喧嘩は嫌なものであるが、そこに発揮されるカは美 しいものです。平凡人は彼の喧嘩のなかで流動の美を現わしますーある優れた存在によって、われわれの推理は同 じ調子を取るのかも知れません1間違いはあっても、それは美しいかも知れませんーこれが詩の存在する紛れも ないものなのです。そしてもしそうなら、それは哲学ほどは美しいものではありません1一羽のワシはひとつの真 実と思われるもの程美しいものではありません﹂の一番最後の﹁そしてもしそうなら⋮⋮﹂以下のところの解釈につ いては、さすがの大家ブラッドリi︵>●○卑&一2︶も理解出来ぬといって投げ出している。この個所については後 キーッの位置 七 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 八 の研究家がそれぞれの考えなり解釈なりを示してはいるが、それについてはここでは触れないで置く。このような個 所が彼の相当量の手紙の至るところに転がっているのである。従ってキーツの手紙をいかに読むかということも彼の 詩を読む揚合と平行して大事なことになってくるのであり、おそらくまだ彼の手紙は誰によっても決定的な正確さを もって読まれてはいないということは確かであろう。先程訳出した個所についてもこのことはいえるのであるが、こ のままの訳文では到底その意味が充分に伝わらないと思われるので、私が今まで多くの研究家たちが示した解釈など も参考しながら少しく注釈を加えてみる。注釈を加えるといってみてもそれはたいてい限られた個所に加えられてい ることが多く、われわれ外国人にとって知りたいと思うところには何も触れられていないことがかなりあるのである。 これは英米の研究家にとっては既に理解済みであることのために生じてくるのであろうか。私にはどうもそればかり ではないように思われる節がある。英米の研究家の触れていないところに対しては、今まで私が考究してきた見解を 述べるしかない。私の非力を顧みず及ぶかぎりの理解への努力は試みてみるつもりである。始めの方から順を追って 進めて行くことにする。最初にこの個所の意味する内容を煮詰めて行くと想像力と美という二つの事柄になるという ことが判ってくる。彼は想像力の方から始める、﹁⋮⋮さらに想像力のことについて話してみたいと思います。﹂ここ で早速﹁想像力﹂とはキーツの揚合、どのようなことを意味するのかという問題が起きてくるが、これは後回しにし てその折りに述ぺることにする。とにかく今はこの個所の字句的な注釈を主眼として行くことにする。とにかくキー ツにとっては﹁想像力は確かなものである﹂という確信があった。このことを友人ベイリーに話したら、きっと﹁一 時的な驚き﹂を受けるであろうということは、おそらく間違いのないことであろう。というのはベイリーがもし詩人 ででもあったならばこのようなことは起こらず、すぐに同感してもらえたであろうが、何しろ相手は神学を専攻する 人物であり、詩に余り縁のない人にこんなことを唐突にいい出したら驚くことは当然であろうが、いずれ詩人のア︼れ からの説明によってそれは収まるであろうことと同じく、■ちょうどすべてのベイリーのゴタゴタが終わるア︺とが確実 であろうことを願っている。﹁すべてのベイリーのゴタゴタ﹂したものというのは、おそらくベイリーが副牧師の資格 ︵5︶ を得たのに、リンカン︵目b8ぎ︶の主教の責任であるベイリーの聖職任命式についてのある故障を指したものであろ う。この一節には詩人の友情とユーモアが見える。友情とユーモアを交えながら二十二歳の青年詩人は想像力に対す る自分の信念を神学者の友人に納得させようとする。次に原語のまま出して置いた夢。匡雷誹、の臨9戊o嵩について である。私はこの句に対し以前から疑問を抱いていた。そしてこの句の解釈について、ようやくこの.ころになって私 なりの意見がまとまってきた。まず閏雷詳.ω⋮のように抽象名詞の所有格についてである。この使い方は一一厨ミミ蝋、笥 騨富︵鐸一塁すいる一◎矯房§ミ、乙。器︵寄轟β一。ε噌耳ぎ着翁富︵。Q曉霧①厩一﹄§。、偽塁曳図ε などに見え、さらにシェイクスピアには、鴫o目ぎミw、砺留旨8訂惹夢岩一一一︵昏鴫ミ鳶書簿H芦田斜︶︵あな たの心からの望みが、かないますように︶あるいは叶ξぎミ馬、恥≦o詩一お切︵騎§§w3︶のような例が見え、さらに 新らしいところではその詩集のなかには収録されなかったがイェイツに↓ぎ鍔区9霞恥ミ馬、恥∪。。。一賊Φという一篇が ある︵イタリソクは筆者︶。このように所有格にして使用することは文語的であっても珍らしいことではないので、こ のことには問題はない。その次の艮。&o霧であるが、これを跨。員8言、の温①&o屋のように夢o国①㊤円梓の所有 格に直接連結した例はキーツ以外に私は見たことがない。直接に連結したのではないが、これと似たような例はいく キーッの位置 九 一橋大学研究年報 人文科学研究 賂 一〇 つか見てきている︵以下訳文は省略、イタリックは筆者︶。 、罵貸こ㌧・:、ーHN四費犀タ、巴梓O昌● .>呂・090勺9く震o︷Oロ弩・げ,ヨ島凶〇一二些諄国碧ヨo昌累&αa89一の国冤ヨ昌訂ω﹃巴。。aw富﹄慧ミo§皇ミ壕 ︵6︶ ︵7︶ .§§ミ§動⋮禽§富ミ、1穿。目器≦鋒o鑑9雛§§§§ミ評ミ鴨O§§恥● .浮o。。帥ヨo℃o妻R囲巳巷℃o巴。。8き馬書ミ、鳳亀ミ§黛ごま、IO8おoO声げσo● ︵8︶ .⋮﹃書壽ミユω9。ω8言。二騰pゆ且・h&ミ厭§防﹄&需腎gg蕗・岩。コ2ρ9鼠貫葬ρ・厩駐犀匿p⋮.− 睦ヨo島属ωユαqげ¢﹄円§ミ傍恥母ミも誉§ぎミ︵賦ooひ︶● ︵9︶ もし昏Φ国⑦p詳.脆践8鉱09というように直接連結された用例がキーツ以外にあったならばご教示を頂きたい。と にかくこれはキーツ独自の用法であるといっていいようである。そしてこの&。&o塁という複数形の一語は大きな 問題を含む。すなわちこれは単数の形でも用いるが、これを現代の用語的に解釈して今までは愛情の意味に取ってき た。そして夢。国塁詳、ω農。呂。塁を心の愛情と解するのである。このように解することによって﹁心の愛情の神聖 1肉ミ魯§ご鮮H、博O圃IooON。 さ﹂という言葉を次のようなところに結び付けようとする。 叶 什げ①増Φ ㊧層⑦ キーッの位置 あるいはまた、範囲をもっと広く取ってさらに これらのものの冠は 一一 ﹁エンディミオン﹂ の第三巻へと延ばして行こうとする。 そしてそ 愛と友情で作られ、そして人間の額の上に高く乗っている。 自己を破滅させるような魅惑的なものがあり、次第にあの主たる強烈さへと導いて行く。 より豊かな紛糾、さらにもっと しかしそこには d℃8些㊦隔○おぎ区oh日旨騨⇒帥蔓、 Hω目四α①oh一〇︿①費昌α坤一2αω眠や卑昌αω一誘匿⑳げ 夢Φ。置①コ馨魯ω芽一夢。R薯ロ。︷葺8。 冒・器ω。一左①。。窪oロロαq、一$&夷一薯αΦσq§ω︸ 男一〇げRo昌鼠pσq一 ① ヨ o 馨 即 o ロ 叶 ぼ 巴 ヨ o ⇒ 寵 ♂ 同 }W 一、 ご一 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 ︵10︶ の第三巻のなかに、愛他的なそして人道主義的な愛を見出そうとする。さらにまた、 この延長線上において有名な次 の一節をもとらえようとする。 、。20話8昌島弩勺昌厨冨碍げρ.、器ε旨.α夢警。。げ帥αP ..切5一一げoω〇一〇≦げoヨ酔げO旨一器ユ窃9叶げo≦Oユα ..︾器日δRざ餌昌α≦≡昌o陣一〇げ島o日おω戸 1円書﹁蕊脳母$慧§§㌧H一≒IO、 ﹁自分にとってこ の 世 の 悲 惨 な こ と が 悲 惨 で あ り 、 そしてそれが彼らをして休ませぬ人ぴとを除いては、 この高みを奪うことはできぬ﹂とその影は答えた。 このようにして遂に島①出$旨.ω誌8ぎ房はキーツの一種の人道主義的なヒューマニズムにまで発展させられる。 しかしこのようなヒューマニズムはキーツにだけ特殊に見出される態度ではないのであって、このような人道主義的 なヒューマニズムは、ワーズワスにもコオルリッジにもバイロンにも、そしてシェリーにもそれぞれ共通して見出さ れるものである。もう少し湖ってみればトムスンにもク:パーにも同じ態度を見出すことはむずかしいことではない。 もちろんそれぞれの詩人によってその態度にはそれぞれのニュアンスの伴うことは断わるまでもない。今はこれ以上 このことについては触れる必要はないが、これにはシァーフツベリ︵>・︾ρoo訂箒の言q︵一宅一ーヨ。︶︶の影響が ︵n︶ あったようであるということだけを、後でまたこのことが重要なことになってくるので断わって置く。そしてこのよ うなヒューマニズムは一七九〇年代に流行したもののようである。ここで妙なことからキーツのひとつの系譜が明ら ︵12︶ かになった。シァーフツベリーの影響ということは後でまた触れることになるがキーツの揚合他の面においても、そ れは重要性を持ってくる。今はその暗示にだけとどめて置くが、やはりこの種のヒューマニズムはまだキーツの生存 していた時代にまでその尾を曳いていたと見なければならない。やはりキーツも時代の子であり、その時代の影響は 免れることは出来なかったものであろうと見ていいのであり、とにかくこの態度はキーツ自身が編み出したものであ るなどと誤解しないようにする必要がある。そしてこのようなわけであるから、もしキーッのヒューマニズムを正し く見つめようとするならばここに出発点を求めてはいけないのであり、他の点から始めて行かなければならない。そ れではどこにその出発点を求めればいいのかという問題が出てくるであろうが、これはこれだけで優にひとつの重要 なテーマとなり得るので、このこともこのような暗示にだけとどめて置くよりほかはない。このように9。閏8昌.㎝ 8穿島o諾を﹁心の愛情﹂と解してこれを﹁神聖さ﹂ということと結び付けるとこのような結果に屈折してくるので ある。﹁想像力のことを話したい﹂といっている詩人がなぜ愛情などを問題にする必要があろうか、これが第一の私 の疑問である。確かにこの個所からすぐに﹁愛﹂︵いo<。︶という言葉が出てくる。これについては、すぐまた触れる ことになるが、ここを今度は根拠にして﹁心の愛情の神聖さ﹂と結び付けてはいけないのである。﹁心の愛情﹂とい キーッの位置 一三 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 一四 うならばなぜわざわざ茜。呂o島などという言葉を使用したのであろうか、この言葉をキーツは同じ手紙の終わりの 方では単数形を使用している。もし複数形で愛という意味を表現しようとするならぱなぜ終わりの個所のところでは 単数になるのか。これも疑問としなければならないことであろう。もし愛ということを表現しなければならないとし たならばやはり島o頃8詳、ω騒Φ&o諺などとはいわないで一把ヨき一る奉とかあるいはビoおといったであろうと 考えられるが、今触れたところの、後ですぐ出てくるピoくΦとの混同を避けてこのように言葉を変えたというならば =8属.ωと大文字が使用されていることに注意する必要があろう。ただなんの意味もなく大文字が使用されたとは考 えられない。いうまでもなくこの語にアクセントがあるであろうということは推測される。現にそのよい証左として この手紙の前の方に大文字を使用した9。頃雷濤という言葉が見える。そしてもちろんこれは90ぎヨ雪国窪井 ︵謬ぎ肖ざ呂誘密申。ざ。一巨。一。。一。︶を意味する。この語はだいたい巨鼠とあい対するものであって知に対する情 の.こときものであることはいうまでもない。とすると知性あるいは理性に対するものを示すものであることが判るで あろう。とにかく想像力のことについて語りたくて仕様のない詩人が何も人間の愛情など今さら改めてしかも想像力 の方よりもさきに挙げて神聖であるなどと断わる必要はないであろう。少なくともここではこの語句はこれにつづく ﹁想像力の真実であること﹂と直結するものでなければ、話は余りにも屈折するであろう。既に彼はこの前のところ で﹁想像力は確かなものであるということ﹂を断わっているのであるから、やはり詩人の思考はあくまで想像力のこ とに集中されているわけであり、彼は彼の思考が到達した想像力の詩における問題をとにかく相手に判らせたかった のである。あるいはやっと、とにかく考えた挙句に掴み得た詩というものの本質に対する自信がこの時あったであろ うと考、えられる。こうなると賎①&o塁という語の内容を別の角度から考えてみなければならないであろう。そして この語につづく﹁そして﹂︵きeという接続詞は前の語と後の語をゆっくりと区切るような性質のものではないであ ろう。それはおそらく切迫感を伴ったものであり、ほとんど同稽的なものを結び付ける緊密感を有するであろう。こ う考えてみると芸。国8井、。。践o経o霧という語句は心が受ける影響すなわち感情を意味し、.夢臥8巨σq。。○ヰぎ冨胃げ、 ということであろう。私は今までこの語句について英米の研究家たちの、はっきりとした見解を得たかったのである が、私の知る限りの範囲でこの語句についてこのように明確な定義付けを行なったのはバイア︵≦。ヨR巧﹃国薯R︶ である。私が今まで読んだ研究書のうちで、この語句のところでゆっくりとどまったのはバイアのみである。あとは ︵13︶ この語句をそのまま素通りしてしまうか、あるいは全く触れようともしないというのが事実であった。このように解 釈し、そして先程の﹁そして﹂についての考察を加えてみると、﹁心の感情が神聖であること﹂と﹁想像力の真実で あること﹂が同価値を持ってくる。キーツは同じ手紙の末尾の方で﹁私の感情の真実なること﹂︵9。鴨ロ三ロ魯。誘9 ヨ﹃診Φ一冒鵯︶と.いう語句を用いている。であるから浮oぎ一ぎo鴇9昌①国①碧け、ωpぬ。呂o話の意味する内容というこ とはこのようにパラフレイズができるわけである。ここでさらに次のような疑問が浮び出てくる。この9①国8嵩、ω については先程触れたように問題はないにしても、賎8ぎ霧︵”︷8ぎ鵯︶という語をキーツはどこから得たかとい うことである。これに関する考究は今までのところ私の読書範囲には這入ってこないので、確信の持てることはいえ ないが、私の考えるところでは、おそらくシェイクスピアからであろうと思われる。というのはキ;ツがシェイクス ︵M︶ ピアをもっぱら読み出したのは一八一七年の第一の詩集が出版されたころからであるとされている。もっと出版の時 キーッの位置 一五 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 一六 日を詳しくいえば同年三月三日である︵ρ∪・穿9需︶。このような事実を見てみるとキーツがシェイクスピアに没頭 するようになったのは、そんなに早いことではない。二十二歳のときのことであるから読書慾の最もはげしかった.︶ ろであるはずであり、シェイクスピアの詩がキーツの肉体となるまでに読み抜かれたことであろう。.あ語の見える 一い一’一■OI一一. ー﹃富↓恥ミ腎題ひ<・い一Ml一〇. 個所を二、三拾い上げてみる︵訳文省略、イタリックは筆者︶。 :∴鴇o目博oげ畦ヨo・oω畦o昌σq馨≦o詩o。梓げo一戸 月げ響広網o=旨oミげo﹃o匡夢oヨ㌧網o賃愚黛ご禽 !ぐOq一αげOOOヨO叶OPαO﹃● ↓ぽ暮㌧冒6げo≦o賊ド言σqo隔嘱o口増o§熱窯ご§勲 国器試目Φ8ぎH.q三島覧8①9厄8。&讐三受韻一 ーミ馬畠砺黛§甘鳩ミ恥貸的設ミ﹄ ■oく①一巨o。§無ご§砺山o昌9梓げ彗≦四﹃言p臼 1霞亀§馬戚、H一H。一■一圃一。 ︵め︶ 三番目に採用した﹁ハムレット﹂の例は多少ずれがあるかもしれないが、いずれも感情に関するものであろう。こ のような用例がキーツの記憶に残っていたのではなかろうか。それに加えて一七九八年に発表されたワーズワスの ﹁ティンタン・アビー﹂︵§ミミ§﹄導遷︶の次のような個所が交錯することによって﹁心の感情の神聖さ﹂︵夢㊦ぎ− 一言$ω9浮o国舞答、。。轟8試o房︶が出来上って行ったのではなかろうか。バイアはワーズワスのみの例を挙げている が、やはり、その上にシェイクスピアが重なっているであろうと見るべきであろう。以下イタリソクはバイア︵訳文 省略︶。 ︵16 ︶ ⋮9鋒ωo冨ロ①9一6ミ馬鴇&ヨoo阜 目≦ピ990§“職o醤防⑳臼#蔓一sα島oP 間題にしている個所はおそらくこのようにして出来上って行ったものであろうと考えられる。一七九五年に生まれ て一八一二年に没したキーツは確かに十九世紀の初頭の方を多く生きた詩人であるが、やはりまだおそらくこの初頭 の年代は十八世紀がその影を濃く投げかけていたであろうということは間違いのないことである。私はキーツを考え るとき十九世紀人としてよりも十八世紀人としてみる方が万事に付けて処理が簡単であると前から思っている。前に も使ったことのある表現であるがキーツには十九世紀の方から照明を当てるよりも素直に時代の流れに従って十八世 キーツの位置 卜 一七 、 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 一八 紀の方から照明を当ててみるのが正しいと考える。まして十八世紀人キーツを二十世紀人と錯覚すると、そこには二 十世紀のキーツが出来上って面白く、そして新鮮さも伴った解釈が出てくるが、それは二十世紀を解釈しているので あって、正しい姿においてキーツをとらえることにはならないであろう。エリザベス時代というなかに正しくシェイ クスピアを入れてみないで、いきなり現代の感覚のみでシェイクスピアを解釈したならば、やはりそれはシェイクス ピアは現代解釈への一素材に化してしまうであろう。これと同じように、やはりわれわれはキーツを現代解釈︿の一 素材でないようにすることは極めてむずかしいことであるが、現代的感覚あるいは理解を当てはめることは常に警戒 すべきことであろう。>自。&o旨への解釈がこのことの好例であろうと考えられる。﹁心の感情の神聖であること﹂、 あるいは﹁私の感情の真実であること﹂イコール﹁想像力の真実なること﹂であり、これに対しては彼は絶対の自信 ︵17︶ を持ち、いわぱ想像力への信頼は彼の宗教であったー﹁私の想像力は修道院であり、そして私はその修道僧です。﹂ 想像力に殉じようとする気魂すらここには現われている。もう一度まとめてみるとこの手紙のなかには感情あるいは 想像力についての同じような表現は、順を追って眺めてみると次のようになるー﹁想像力は確かなものであるとい うこと﹂︵跨o婁葺Φ簿§蔓9夢①一eお言呂9︶、﹁心の感情の神聖であること﹂︵爵・ぎぎ①器a昌Φ国。鴛梓、m轟8− ま霧︶、﹁想像力の真実なること﹂︵9。窪一些9目ヨ品営註9︶、﹁私の感情の真実であること﹂︵90鴨圏⋮琴琴器oh ヨ︾8呂鑛ω︶。こう並べてみると第一と第四の表現は第二と第三のそれへの注釈あるいはパラフレイズの位置に立つ と考えられる。いずれにしろ感情あるいは想像力だけしかキーツは信ずることができなかったのである。いうまでも なく徹底した詩人的立ち揚であり、これがキーツにとって唯一の宗教であった純一性は他の・マン派の詩人たちと区 別されるべき点であろう。 今までしばしば想像力という言葉が出てきたが、この言葉について簡単に触れて置く必要があるであろう。この言 葉をめぐって細かに分析を加えることは、ひとつにまとまったテーマを意味してくるので骨組みだけに触れて、今後 の論考に関連してくるようにだけするつもりである。キーツにとって想像力というものは﹁否定的能力﹂︵20覧試お 9℃呂.澤図︶︵この言葉は一ヵ月後の十二月二十一日二人の弟ジョージとトマスに宛てた手紙のなかに出てくる重要な ものである。この言葉についての出典およぴその内容については詳しく説明すべきであるが、ここでは簡単に、自分 を取り巻く環境あるいは周囲に存在する事物のなかに、自己の存在を否定し去って同化し得る能力をいうということ にして置く。︶によって裏付けられた、一種の直観的能力を指し、美を把握するカをいう。ここで誤解のないように いって置かなければならないが﹁否定的能力﹂は想像力の構成要件であって、否定的能力すなわち想像力ではないと いうことである。同じ手紙の後の方に次のような個所が見える。 沈む太陽はいつでも私の調子を整えてくれますーあるいは、 もし一羽の雀が私の窓の前に来ますと私はその存 在の 一 部 と 化 し そ し て 砂 利 の あ た り で 啄 む の で す 。 ここには既にまだ、はっきりといってはいないが否定的能力とそして想像力のことが、おぽろげながら出てきてい る。後半の部分は否定的能力を先取しようとし、そして前半の部分は想像力を示そうとする。周囲の事物の﹁存在の キーツの位置 ﹄九 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二〇 一部に化する﹂ことが出来なくては﹁沈む太陽が私の調子を整えてくれる﹂ことはないであろう。﹁調子を整えてく れる﹂ということは、いい換えればそれは美を把握するための準備的条件であり、これが想像力へとつながって行く。 ここで注意しなければならないのはキーツの目は常に具体的な物にそそがれるということである。沈む太陽、砂利道 に餌をあさる雀のような具体物が彼の詩心を掻き立てるのである。このことについても他日稿を改めて論じてみるつ もりでいるので今はこれだけでとどめて置く。あるいは同じようなことを、一八一八年十月︵十四日から三十一日にか けて ︶ 弟 ジ ョ ー ジ 夫 妻 に 宛 て た 手 紙 の な か で い う 。 私は彼女のなかに生きていますので、すっかり私自身を忘れてしまいます。 ここにいう﹁彼女﹂という人物については具体的にいう必要はここではないのでこのままにしておくが、この女性 は﹁豊かな東洋的な表情を持っており、美しい目と美しい挙措動作を持つ﹂女性であることだけを判ればいいであろ う。すなわちここにおいても前の例と同じく、彼女の存在の一部と化し、そしてそこから美を把握しようとする態度 である。そしてこのような態度は強い自信に支えられてくるようになる。同じ手紙のなかでさらにいう。 私の想像力が強くなってくるにつれて、 私はこの世にだけでなく一千もの世界に住んでいるのだということを日 に日にますます感じます。 この言葉は想像力は一種の鋭い直観力でもあることを物語っている。少くとも﹁一千もの世界に住﹂むためには強 烈な直観力に支えられなければ為し得ないことであろう。以上三つの例からも判断されるように想像力にはもうひと つの能力すなわち同感力あるいは共感力が伴ってこなければならないということである。人によってはキーッの想像 力を同感的あるいは共感的想像力︵ω巻も暫昌窪。言品一轟ぎ昌︶とも呼ぶ。だいたいキーツにおける想像力の構造は このようなものであると考えられるであろう。そしてこのような内部構造を持つ想像力の唯一の働きは美をつかむこ とであることは既に少しながら触れて置いた。彼はこのことについて手紙のなかで次のように説明する。﹁想像力が 美としてとらえるものは真実でなけれぱなりませんーそれが以前に存在していたにしようとしなくともですー﹂ 前に、﹁一千もの世界に住む﹂という横の関係において想像力がとらえられているのを見たが、さらにこれは縦の関 係においてもとらえられている。手紙の書かれた時日からいえば、この順序は逆になるわけであるが、とにかく想像 力の自由にして自在な性質を説明している。ちょうどこの部分に当たるところをキーツは一八一八年十二月三十一日 ︵日付けは串国ぎ⋮島による︶同じく弟ジョージ夫妻に宛てた手紙のなかで次のようにいっている。 二一 なにか真実をもったあるものを、私はそれの美についての明確な感知からでなければ決して感ずることは出来ま せん。 キ﹄ッの位置 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 二二 いま取り上げた二つの個所に﹁美﹂と﹁真実﹂という語が出てくるがこの二つの個所に共通して、﹁美﹂を大文字 で切。窪ぐと始め、﹁真﹂については小文字で梓控芸と始めているのが罫ω・閏o旨声P甲国男o≡諾㌧閃3①増ぼ 9注夷ω㌧匿9巴げ臣一夷などの諸版においてである。とすればまだこのころはキーツは﹁美﹂の方に﹁真﹂よりも 重点を置いていたのではなかろうか。殊に後者の方の例についてみれば﹁なにか真実をもったあるもの﹂︵8旨費冒9 p還梓毎跨︶とあることから、まずこの推測は誤りがないであろうと考える。﹁美﹂と﹁真﹂が対等の位置を固定せし めるのには一八二〇年一月に発表される﹁ギリシアの古い壷によせるオード﹂まで待たなければならない。とにかく 今の時点においては想像力は縦横に自由に、何にこだわることなく美をとらえようとする。しかしこの想像力が自由 でありそして自在な働きをするからといって、果してそれは限界を持たぬものであろうか。キーツは詩というものは, 毒を持つものであることを知っていたように、やはり想像力にもおのずから限界があることを知っていた。 批評家たちが判断力についていうようにわれわれは想像力を和らげなければなりません。 これは一八一九年四月二十一日︵日付けは累国男o≡房にょる︶同じく弟ジョージ夫妻に宛てた手紙のなかに見出 される。なぜこのような限界を想像力のうちに見出さなければならないのであろうか。 日一一〇℃巴80乏一一三ω ≧o 目 匹 α Q 一 & 鴇 ヨ 身 巨 o 員 ω ① 。 一 話 ﹃ 。 ≦霧匪RΦ寓弩避亀ヰoヨ目o#p一一身, =oo2=8叶げ①貝津1ω﹃客巨。。o藩のβ 一目お言註gσq奨。即島鼠①円鵠3 宮殿は <巴互 目まいするエンディミオンのまわりに回り、 有限から遙かに迷ってそこで彼は見ていた。 i肉ミ&、§ご斧目H一〇〇軌IP 彼はそれに耐えられなかった1目を閉じても無駄であった。 想像力はさらに目のくらむ苦痛を与えた。 キーツの位置 二三 のである、﹁私は覚めているのだろうかそれとも眠っているのであろうか。﹂われわれはただ余りにも急速な詩人の魂 にはさせないのである。ナイティンゲールの鳴く声に誘われた詩人の魂も遂に再び地上に戻らなければならなかった への目がここにキラキラと輝く。ここまで、はっきりと限界を見つめる目は決して詩人をして天上に舞い上がり切り 詩にもそして想像力にもおのずから限界があり、それぞれに毒の伴うことを知っていたキーッの詩人としての芸術 ρ 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二四 あるいは思索の円熟に驚くのみである。つづいて詩人は﹁想像力が美としてとらえるものは真実でなければならな い﹂理由について述ぺる。﹁というのは私は愛と同様すぺてのわれわれの激しい感情について同じ考えを持っていま す、われわれの感情はすぺて崇高な状態においては本質的な美を創造するからです。﹂ここで問題になるのは﹁愛﹂ ︵■o︿。︶という語である。これは普通にわれわれが含めようとする意味を持つ語すなわち単なる愛情ではない。これ は宇宙における究極の原理であり、自然のなかにそしてその下に内在し、動植物の新らしい形とそして美を創造する カをいい、もし人間が美か真実のいずれかを知り、あるいは創造しようとするならば従わなければならない原理であ り、要するに美と真のいずれかをこの宇宙において生み出す原動力をいうのである。先程述べたようにこれを前出の ︵18︶ HHり Obのー9 誌。&o霧と関連付けて考えてはいけないのである。この愛の意味することをキーツ自身は自分の言葉で歌う。 ○一〇く免ゲo乏℃08旨﹃霧げ葺o目げoΦp8峠08げ ωぼ帥づσqo一〇霞3曙ぎσq巴ノぎRΦ︿Rぴ①㊤謂¢9くo一一ω、 一”の巳嘗o﹃器﹃一ρヨo巳一叶巴諺o円山oぞα。一一ω, ぎ一貫耳=昌αq一〇 〇 ヨ ’ 冒 界 鴛 o ﹃ 巨 欝 営 の ω ロ P ↓げoロ℃o一昇Φ界o暮夢①≦pざ四昌qω葎吋巴σq洋、二。。譲o戸 −肉ミ魯ミ魯鮮 ああ愛よ! 汝はいかに力強いものであったか、見知らぬところへ旅に出ることを教えるとは! はどこでも、 底無しの淵に、あるいは高い巣に、山に、あるいは深い谷間に、 光りのなかに、闇のなかに、星あるいは輝く太陽のなかに、 汝はその行く手を指し示すと、すぐにそこに到達する。 美の住むところ このようにキーツのいう愛は創造力を秘め、美の発見の指標ともなるものである。この愛を単なる愛情などと解す るとこの﹁エンディミオン﹂の一節の意味を明確につかむことが出来なくなる。﹁激しい感情﹂︵勺霧。。δ諾︶も全く愛 と同じく創造的なカを持つ。この語をキーツが用いた理由は大きくシェイクスピアにかかわりを持つようである。前 にも触れたように一八一七年はキーツがシェイクスピアに没頭した時期に当たる。殊に彼はシェイクスピアの悲劇に 強い興味を持っていたようであり、﹁リア王﹂、﹁マクベス﹂、﹁オセ・﹂に現われる激しい感情すなわち、リアの怒り ︵19︶ と悲しみ、マクベスの野心と恐怖、オセ・の愛情と嫉妬心というものは見物するものに美の感情を生み出させるので ある。このようにわれわれ人間の感情は崇高な状態︵窪呂ヨ。︶に高揚されるときに本質的な美を創造するのである。 路上の喧嘩は嫌なものだが、その時凡人でも一種の美を生み出すものであると彼はいっているがこれはここと関連す る。ここでちょっと彼の用語について触れておく。﹁崇高な状態﹂を表現するのに彼は曽菖旨。という語を用いてい るがこのように形容詞を名詞として使用するのは彼の特色である。その一例として同年十二月二十一日弟トマスとジ キーツの位置 二五 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二六 ヨージに宛てた手紙に同じような用法が見える。この手紙において有名な芸術の優秀さを論じた個所に﹁すべての不 快なものを蒸発させることのできる⋮⋮﹂という文句があることは誰でも知っているはずである。この文句のなかに ある﹁不快なもの﹂は原語では良8讐Φ雷三窃であり、さらにその個所のすぐ後にも﹁流行的なもの﹂︵︷霧匡o畠配8︶ ︵20︶ が発見される。そして美を創り出す場は心である︵9。一一8詳−曾器暮9梓ぎど旨き︸器。。δ島︶。ここでも9① 国雷拝、。。騒8註o田の意味するところが一層明らかになってくる。であるからこれはけ箒頃鍔昌、ω一冒旨婁目“塗○島 と書き直してもいい訳である。キーツはさらに想像力について比喩をもってこれを説明しようとする、﹁想像力はア ダムの夢にたとえることが出来ましょう1彼は目を覚して夢が真実であるのが判りました。﹂この個所も有名なと ころでアダムの夢というのは注釈によるとミルトンの﹁失楽園﹂第八巻四百六十行目から四百九十行目に関連する。 ここに、・・ルトンの原文約三十行を引用するのはやめるが、想像力が夢を現実の揚として持つことを理解すれば充分で あろう。従って夢に見たものが真実となるのである。どうして夢が真実となり得、そしてそれが実は芸術の世界であ ることがようやくキーツの確信となってくる。﹁ナイティンゲールによせるオ;ド﹂の末尾を思い出してみると、そ れは実はここにもかかわってくるのである。覚めていることは実は眠っていることであり、またこの逆も成立するの である。今までキーツには﹁どんなものでも関連する推論によって、どんな風にして真実として知られることが出来 るのか未だに判ることが出来なかったが故にーそしてしかもそういうことはあるに違いありませんがーそれだけ 一層この事柄に熱意を抱くわけです。﹂ここの個所はキーツがいわゆる哲学的に分析してみても想像力の構造を知る ことが出来なかった告白であろう。ここにいう﹁どんなもの﹂︵帥ξ些冒σq︶というのは形而上学的な説を指すと解す ︵21︶ る。要するに哲学的な学説は、それに関連するどんな推理によって真実あるいは真理へと到達できるのかよぐ彼には、 哲学に熟さ煮い故もあるのか判らなかったのである。よくこのことは呑み込めない事柄であるが、そんなこともあり 得るに違いないということぐらいは彼にも判るが、本筋のところは不確実なのである。こんなわけであるからアダム の夢が1必ずしもアダムの夢に限ったわけではないが夢が真実に変化するというところに哲学の分析を許さない芸 術の領域があることを彼はやっと確認するのである。だから彼はこの点に熱意を持つのである。芸術は推論によって 構築される哲学とは違うのである。哲学のことはよく判らないが、確かに芸術と哲学とでは真実のとらえかたが違う のである。ここでまたキーツ独特の用語について注意する必要があるであろう。﹁関連する推論によって⋮⋮﹂とい うところに見える﹁関連する﹂という形容詞を彼は8冨。2三おと書いているが、もちろん正しくは8霧8暮貯。 と綴るべきである。そして意味するところは岳の2透奉ということである。このように彼の用語についても独特なも ︵22︶ ︵23︶ のがあり、彼の手紙の内容を理解するのを妨げるひとつの原因をなすことがあり、こんなことでも彼の手紙の真意を つかむことを困難ならしめているのであるから、今まで見てきたように彼の用語をまず第一に正確につかむことが、 われわれが彼の手紙を読むにあたっての最初にして最後の仕事となってくる。このことは、いうまでもないことであ るが彼の作品において竜同様である。これは他の文学者についても当てはまることであろう。文学の研究は訓詰に始 まりそして訓詰に終わるのである。このことをはっきり教えてくれるのはキーツの手紙である。つづいて﹁どんな偉 大な哲学者でも今まで数多くの異論を排除せずに彼の目差すところへ到達したということはあり得るでしょうか﹂と いう。﹁彼の目差すところ﹂︵臣ω磐巴︶というのはいい換えれば﹁真実﹂ということである。夢についての確信を得 キーッの位置 二七 一橋大学研究年報 人文科学研究 B 二八 た彼は、哲学のことについては自信をもっていうわけにはいかないが、哲学上の真実は推論によって把握し得るに違 いなさそうである。確かにそれには違いはないであろう。しかし果してどんな偉大な哲学者でも多くの推論を排して、 いい換えれば直観的な方法をもってしか真実に到達し得ないのではなかろうか。推論を構築するということは実は不 適当な他の推論を排除するということではないであろうか。とすればそれは直観的方法が滑らかに進んで行くための 操作に過ぎないのではなかろうか。こう考えてみると哲学も詩も夢が現実と化するように直観的なものではないであ ろうか。詩人にはどうもそうとしか考えられないが、これはあるいは誤りなのであろうか。しかしこれは哲学者の領 域に属することであって詩人の領域には属さないことである。とにかく詩においては夢がそのまま現実とならなけれ ばならない直観あるいは直覚が大きく作用するのである。だから﹁それはまあともかくとして、思考の生活よりも直 覚の生活がしたいものです! それは﹃青春の形をしたあるヴィジョン﹄、来たるぺき現実のある影です。﹂これが詩 人の生活というものである。この個所は実は大事であるとともに難解なものを含む。﹁それはとにかくとして﹂とい うことについては別に問題は出てこない。詩人には、哲学的方法と詩的方法とに、真実へのアプ・ーチには余り大き な距離があるような気がしないが、それは当面の問題ではない、の意で別に問題はない。問題になってくるのは、そ れ以下の文章である。﹁思考の生活よりも直覚の生活がしたいものです:﹂の原文は次の如くである。 Oho吸騨 目龍①鉱ωoコ塁鉱o昌の梓ゴp⇒鉱↓ゴo=αqげ富一 この有名な文句を語っているとき彼はコオルリッジとワーズワスを念頭においていたものであろうという。その意 てしまおうとする研究家もいる。しかしもう少しこの文句について考えてみなければならないであろう。↓ぎ夷耳ω 味するところは、﹁浮情民謡集﹂︵トミ魯ミ切ミミ勢︶の純粋なる信条が望ましい、ということであるとあっさり解釈し ︵蟄︶ は哲学の方に関連する語で、思考とか思索とかいう意味であることには間違いがないであろう。キーツ自身の言葉で いえば﹁関連する推理﹂であろうからここは、哲学的な、あるいは哲学者的な生活を意味するであろう。要するに間 題はω魯紹ぎ島の一語の究明にかかってくる。この言葉は約二年後の一八一九年九月二十一日友人のレノルズ︵い 舅即超宕一駐︶に宛てた手紙のなかにも次のような個所がある︵イタリソクは筆者︶。 一名一号8讐<o目器o一hロ℃倖oo叶げ震防§砺ミご§, ところがこれが同年同月同日弟ジョージ夫妻に宛てた手紙のなかには同じような内容のことが次のように書かれて いる。 二九 ω窪鶏ぎ冨となり後者においては、それが単数形で用いられている。 同年同月同日にこ 一巧一ω一一8山o<08ヨ篇〇一h8曽po叶げR砺§砺ミ画§ー 前者においては複数形で キーツの位置 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 三〇 の二通の手紙は書かれたのであるから複数形も単数形も全く同一の内容を意味すると考えたくなる。事実また同じよ うな二通りの書き方を彼は、今問題にしている一八一七年十一月二十二日の手紙においても行なっている。さらに前 においては複数形で用いられた同け8讐葺民8戯o霧、℃霧。。δ岳がそれぞれ単数形で用いられ、かつ後者の二語には 不定冠詞まで付けられている。このことについては後程触れることにして今はこれだけにして置く。話をω①霧暮δ房 に戻すが、おそらくこの一一語の意味する内容は大きな差違はないものと考えられるが、やはりそこには多少のニュア ンスがあるであろう。どちらの手紙の方を先に書いたのか判らないが、その時間的な順序はともかくとして、複数形 を使用していた時、私が先に触れた研究家の考え、すなわちキーツはこの文句を書いていた時コオルリッジとワーズ ワスを意識していたであろうという考えと違った意味においてキーツはワーズワスをより多く意識していたのでは なかろうか。例えばワーズワスはこの言葉を、砺§偽ミ帆§ω男①簿︵§ミミ§﹄きミ、卜。oQ︶あるいはω名Φ。け砺§偽ミ帖§砺 るところは﹁汚れあるいは腐敗を知らぬ﹂ということであるようである。ワーズワスの揚合、ω9紹ぎ旨の意味する ︵↓ぎ㌧§ミ辞︵一〇。8yHま一︶として使用している︵イタリックは筆者︶。ここにおけるω零o魯という形容詞の意味す ︵25︶ ところはどのようなものであるかまだ私は確信を持つに至っていないので断定するわけにはいかないが、おそらく感 ︵26︶ 情の意味に用いているのであろうか。この辺のことについても専門家のご意見を仰ぎたい。ワーズワスの二つの用例 いずれも意味する内容は同じであろうと考えられるが、キーツが影響を受けたのはおそらく前者の方の用例からであ ろう。というのはキーツは後者の方の例の出典である﹁序曲﹂を読んだかどうか確証が得られないからである。いず れにしろこの言葉がキーツによって使われるとワーズワスの場合とその内容が異なってくる。ワーズワスの場合はこ 8蔓oh鴇誤ミご§、p⇒qαpイ三σQ耳日鴛oω■ キーッの位置 三一 圏﹃騨<o言αoaωo碧8ξ臼昌閃夢冒⑳o一器8ωpざ一〇pα一一韻ωo茸og88諺pに隔oい賃8讐H≦器8阻<o曳o口帥巨。。− 彼が用いている例は次のようなものである︵イタリックは筆者︶。 などということを考えてみると、どうしても直観という条件は入れて見ないと処理できないであろう。なおこの語を うに日本語に移せばいいのか判らないが、やはり直覚という語がややその意味に近付くであろうか。殊に﹁想像力﹂ るまでもないが、諸家の見解に照らし合わせてみると直観もしくは直覚に近付くようである。従ってこの語をどのよ 研究家もいる。いずれにしろこの言葉はキーツのいう﹁心の感情﹂あるいは﹁想像力﹂と結び付いてくることは断わ ≦曹切薯震y旨Φお営ε葺9︵ρ∪■↓ど弓。︶等である。そしてこの語についてはハズリソトからの影響をみとめる ︵い舅目導曙︶ロロ言凶ぎ富︵ω,H■閏くき。っ一=聲受匡一①窃げ署y#琶の8且①馨葺曾ω毛。珂鋒o冨=昇且江o湧︵≦ o﹂p旨Φωy巨巳げ一。ロ︵≦﹂﹂w馨。y..轟①g一・屋oh夢①一器p詳、、㊤民践Φ℃R8暑g・hσ①窪蔓ξ跨①一日お営駐g 挙げてみると、o巷民魯試p一一ロ8岳憲窃︵鼻罰乏器ωR5昏︶﹂ヨ冥o。。ωδ屋︵H憲冒爵y5ε一叶δ話9酵臼ヨω︵∪■ どめて置く。ここで複数形の揚合の方から見て行く乙とにするが、この語の解釈で私の目に触れたもので主なものを であり未来を志向しているということである。この未来性のことについては間もなく触れることになるからこれでと の言葉は多分に過去に関連して用いられ、すなわち回顧的な内容を含んでいる。キーツの揚合はこれとは逆に前向き ’ 一橋大学研究年報 人文科学研究 B 三二 これは一八一九年八月二十四日レノルズ宛ての手紙のなかに見出されるものであるが、その内容は前述の説明と同 じもので変わるところがない。次に先に挙げた二つの例の後者の方すなわち単数形に用いられたω魯雷註9のことに ︵盟︶ ついて述ぺなければならない。これは前にも述べたようにその複数形の揚合とは意味するものはそう大きい距離があ るとは考えられないが、やはり複数形の方が語勢が強く、その内的要件として直観というものを含んでいるようであ る。挙げた例のほかに、かなり彼はこの単数形を使用している。挙げた例を補助するような他の例をひとつのみ取り 上げて置く︵イタリックとカッコは筆者︶。 螢目伽Hpヨ8算a昌夢Ro一ω夢簿。Qo詳竃訪お冒ヰ︵肪卜蟄§蔚︶∼<巨9旨仁。。け言犀巴5包oh℃8覧oぎωoヨ①≦曙 −αq一<。9。ヨ。菩段覧①器p暮9=昌一。霧き瓜§砺§§。≦け鉢夢醸轟昌二ω帥動§向§§o訂o日①。。o拝 これは一八一九年九月十八日弟ジョージ夫妻に宛てた手紙のなかにある。この二つの例によって単数形の方の意味 が把握出来そうである。これについても前の揚合と同じように諸家の解釈を二、三挙げてみる。これは私の見たう ちでは前と違って、やはりこれに注意を払う研究家はそれほど多くないようである。その例−爵oぞo昇鴛8島 再富審ロ80晒9Φ8梓巴一一5昌叶ぼoおプ跨o一日斜αqぎ緯凶oコ︵い目●冒β畦図︶、ぼ睾ω8昌α83一<一。。一〇po昌。。⊆℃o日帥ε吋巴 冒ε三g︵≦・薯・国2巽y︷8ぎαqo肖。ヨo江8ω9ωΦ岳Φも震oo讐一8︵O■ρΩ鴛一︷①y昌ohp99脇8一一渥︵一9β 甘諾ω︶等である。これでも大体判るように複数形の揚合と大きな距離はないようであるが、やはり前にいった通り 語勢に欠けるところがあり、やや感情の意味が加味されているようである。前の複数形の揚合には直観的要件が、か なり強く這入ってくるようであるが、単数の揚合も同じ要件が這入ってくることは這入ってくるが、これに感情とい う意味が加わってくると解釈される。このように二つの用法については明確な線を引いて区別するというわけにはい かないようであり、やはり単数の揚合には語勢が弱くなって感情の意味に近付いてくるようであるとしかいえないで あろう。垂直な裁断はまず不可能であろうと考えられるが、一八一九年九月十八日の手紙における揚合は簡単に感 情の意味に取れないこともないが、やはりそのなかには直観的なるものを含んでいるようであり、そしてこの語が 9鉢8属9津。の補足的説明にもなっているので、かなり強い感情を意昧しているようである。そしてこの﹁直覚 ︵28︶ の生活﹂は﹁﹃青春の形をしたあるヴィジ日ン﹄、来たるべき現実の影﹂であり、詩人の生活はシェイクスピアの言葉を ︵29︶ 借りれば﹁予言する魂﹂︵胃○嘗。鉱。。・○巳︶を持つことである。ここが先程触れた通りワーズワスとは異なるところで あり、キーツの目は常に未来に向けられている。すなわち彼の芸術は﹁われわれがこの世における喜びと呼んだもの を、より美しい調子で繰り返す、そんな風に繰り返すことによって、後にここで楽しむであろうということです。そ してしかもそのような運命は、君のやっているように真実︵月2夢︶を渇望するよりはむしろ感覚︵ω曾鶏鉱9︶︵一応 訳語はこうしておく︶に喜びを見出す人たちにのみ起きる可能性があるのです﹂ということになり、未来の方を志向し ているのが判る。ここでは問題が二つある。その第一は﹁後にここで﹂という文句である。原文では誇お㊤津Rで あるが、これにはげR窪津雪と一語にする読みかたがある。前者の読み方を採用するのは国蜀男03βP胃国 園o臣房︸戸国閏品す甲国・ωユ器。。い男9。旨9葺コσQ。白、勾品R留鴛8。ぎ牢。α豊鼻勺品ρご9色目艮一ぎσq等であ キーツの位置 三三 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 三四 り、後者を採用するのは国窪蔓国一Rωヌチ即客霞5。即甘ぎ国曾目筈舅、”O■q日ぎ弓ρ誓鴛一曙O斜巳器﹃等 である。私は今前者に従う。そしてこのぎ8帥津Rと二語に読むのはもづ一度出てくる。前者に従う根拠はキーツ は絶対に足を大地から離さない詩人であり、﹁この世における﹂︵9国胃9︶という言葉も二度用いられているので私 は訂器を重視するからである。後者に従えば﹁そのうちに﹂とかなり意味が軽さを帯びてくると考えるからである。 もう一度終りの方に﹃臼臼津震が出てくるがこれには今挙げた研究家は全員一致して一語としている。その第二はこ この時点においては﹁真実﹂よりも、まだはっきりと美とはいっていないが美に近いものの方が重視されていること である。さらにキーツはもう一度アダムの夢を持ち出してくる。そしてその夢は次のような確信であるようにキーツ には思われるのである、﹁想像力とその天上における映発は、人間の生活とその精神的な繰り返しと同一である。﹂ア ︵30︶ ダムの夢と同じように想像力が天上において反映するのは、あるいは天上的なるものと深くかかわるのは、ちょうど 地上における人間生活とその人間の精神的なるものの繰り返しと全く同一であると断言する。いい換えれば夢はすな わち現実であるとする断定であろう。夢が現実となり、そして夢が現実になり得る境地は真の詩人のみがよく為し得 るところである。このことが神学者のベイリーに判ってもらえるであろうか。いや是非判ってもらいたいのである。 これ を キ ー ツ は 次 の よ う に 歌 う 。 園o巴碧oけげΦα目o即ヨooo︷Ooαωい帥コqooヨoo汁げマ℃帥ωo。 冒Φ冒厄①器旨。ωぢ2。お巨ヨ。量一騨8・昌・ 神々の夢は現実であり、そしてその楽しみは 長い不滅の夢となってゆっくりと過ぎて行く。 i卜象§適、H一N博loo。 しかしこのように﹁神々の夢﹂を﹁現実﹂のものとしてとらえ得ない普通の人たちはどうなるのであろうか。平凡 な人たちもそれなりの詩心はおそらく持つであろう。﹁単純な、想像的な心は、美しい唐突さでもって絶えずその魂 にやって来て、それ自身の静かな働きを繰り返すことにその代償を持つかも知れません。﹂たとえ真の詩人でない人 であっても、﹁美しい唐突さ﹂︵費旨。ω鼠号目雷ω︶がその人の魂にやって来て、それが静かに反復されることにおい て詩の訪れを味わうことが出来るであろう。そしてここにその代償を持つであろう。おそらく誰にでも詩心があるは ずであり、この地上的存在は想像力の所有の多い少ないの差によってそのありかたに相違は出てくるであろうが皆同 じような経験をすることが出来るであろうし、またこの経験に、より豊かな深さを加えようとするならば、それは想 像力をより豊富に持つことであり、そしてまたそれは、このような豊富な所有によってのみ可能なのである。ここで も彼は想像力の優位を説くと共に、その確信を披灘しようとするのである。そして想像力の働きは静かに深いもので なければならず、また反復的な性質を持つ。神んの夢がすなわち現実であり得るように、また同時に神々の夢のもつ 楽しさは永く、いつまでも消えることのない夢となってゆっくりと過ぎて行く。過ぎて行ってもそれは永遠の夢とな キーツの位置 三五 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 三六 って反復的に思い出され、あるいは繰り返し現われ、人間を慰め、夢独自の世界へと誘って行くことであろう。だい ぶ話が抽象的になり、やや判りにくくなってきたのにおそらくキーツ自身気が付いたのであろう。想像力とか感情と か美とか、かなり抽象的な言葉が出て自分の確信するところを相手に伝えることが困難になってきたことは事実であ る。確かに﹁思考の生活よりも直覚の生活がしたいものです!﹂という個所のあたりから﹁⋮⋮その代償を持つかも 知れません﹂あたりまで、なかなかむずかしいことであり、今まで加えて来たような注釈を要するであろう。これは 余程キーツの芸術を理解しそして同感する人でなければ素直に受け入れにくいところであろう。殊に﹁想像力とその 天上における映発︵あるいは反映︶﹂などと言ったところで、これは注︵30︶において触れてあるように一年後に書 かれた鳴ミ魯魚㌧禽無§§戚魚ミミ︾などがこの辺の事情をよく説明していると思われ、かつ一八一七年十一月 二十二日の手紙が書かれるまでに既にこのような考えは、他の多くの作品のなかに現われてきているから、これはキ ;ツ自身にはよく判ることであろうが、ほかの人にとってはキーツ独自の考えかたであるのでそう簡単に相手に理解 してもらえるかどうか、むずかしいところであろう。われわれにもむずかしいところである。しかし、なんとかして 詩の本質というものに対するキーツ自身の考えは相手に判らせたいのである。このことについて言葉は更に重ねるよ うに、そして畳み掛けるようにつづけられる。もう少し具体的に話したならぱ判ってもらえるであろうか。今度は今ま でのような抽象に傾いた﹁大きなこと﹂をもっとわれわれの周囲に直接見出せるような﹁小さなこと﹂と比較してみ ることにする。たとえば﹁君は今までに、ある古いメロディーに驚かされることによって1心地よい︵含呂90島︶ 揚所で1心地よい声で、それが最初に君の魂に働きかけた時の君自身の思索︵98巨豊○房︶と推測︵望ヨ誘8︶ を繰り返して感じたことはありませんかi歌い手の顔をあり得ない程に美しく想像したことはありませんか、そし てその時の高揚で君はそうは考えなかったのでしょうがーその時まさに君は想像力の翼の上に乗って非常に高く舞 い上がっていたのですーだからその原型は後になっても現在ここにあるに違いありません その美しい顔は君に 見えるでしょう。なんと素晴しい時でしょう!﹂ある古いメ・ディーがなんともいえない時と所を得て歌われるとき、 それが最初に魂に働きかけた時の君自身の思索あるいは黙想と推測を後になって、ある時間的距離をおいて繰り返し ーO織馬o§“ O鳶馬欝醤q喰き目■ て感じたことはあり得るはずである。その時歌った人の顔が現実のものとは思われないほど美しいと思ったであろう。 ω≦ooρげ自一自一〇ωo目pげOρHα これをキーツは後に こ の よ う に 表 現 す る 。 ︼悶O餌H臨目巴○山凶Ooo 費HO ︸H① ω∼<①O叶Oり・ 始 がしかし聞えないメ・ディーの方が 三七 このことを相手は気持ちが高ぶって、 意識していなかったであろうが想像力の翼に乗 聞えているメ・ディーは甘美である、 もっと甘美である。 理由は想像力の作用による。 キーッの位置 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 三八 って高く舞い上がり、そしてその美の原型は後にも現世において失なわれず繰り返されるであろう。その歌う人の美 しい顔が後になった今でも見えるはずである。これこそ詩的時間というのであろうか。ここで用語についての注意を 二、三して置く必要がある。﹁心地よい﹂揚所と﹁心地よい﹂声、それから﹁美しい﹂顔の形容は三つとも同じく 畠島巳o島であるから、この語が余程詩人には気に入っていたのであろうということが推測される。それから﹁思 索﹂﹁推測﹂それぞれ大文字で複数形である。これは、ひとつにまとめてしまえば相手の心を指すのであろうが、 勺霧ぎ冨の揚合と同じく強い語勢を伴うのであろう。そして﹁想像力の翼﹂という表現は後に﹁ナイティンゲール によせるオード﹂の第四スタンザにおいて、﹁詩の見えない翼の上に乗って﹂︵9些Φ≦。三8。。惹コ鵯9℃09園︶とい う形でも出てくる。キーツは翼の象徴を好む詩人でこれに関する表現は他にもあるが今は代表的なものだけにして置 く。﹁後になっても現在ここに﹂は前に述べたようにぎ8鉱砕9と二語に分けて読む方に従って置く。理由は前に述 べたことと全く同じである。さらにここでは原文を示せば夢oギ08身℃。ヨ島叶富ぽ8帥津臼であり、このように 二語に切り離して読む方が自然であろうと考えるからであり、もし一語にして冨おpヰRとするとかなり意味が現実 を離れ、そして、﹁そのうちに﹂、とかあるいは﹁来たるべき世において﹂、というようになってきて意味が取れない こともないが、やはり﹁繰り返す﹂揚としてこの世の現実を考えて置いた方がいいように考えるので、二語として私 は読むことに従うのである。その原型というのは﹁美しい顔﹂であり、それは永遠のものとなって相手の頭のなかに 美しい残像を残すであろう。そしてこの美しい原型が折りに触れて思い出されることであろう、﹁詩は読む人に彼自 身の最高の思索を表現するものとしての印象を与え、そしてほとんど追憶ともいうぺきものであるように見えなけれ ばならないのです。﹂つい筆が走って想像力の働きについて語っているうちに自分の心が﹁高揚﹂してしまい、﹁なん ︵31︶ と素晴しい時でしょう!﹂などと陶酔的な文句が出てくる始末である。どうも私には﹁主題から逸れる癖﹂があるの でまた話を元に戻すことにしなければならない。このように美しい原型をそのままに受け取って、それがもたらす結 果に無心にわが全精神を浸しておくのが詩に対する正しい態度であると思うが、これもその人の心の傾向によっては、 そう行かない場合があるのである、﹁確かにこのことは複雑な心の持ち主にはどうもぴったりとは当てはまらないで しょう。﹂﹁複雑な心の持ち主﹂とはどういう人かというと﹁想像力があってそして同時にその結果するものに気をく ばる人ですーその人は一部は感覚︵oD9紹広曾︶に一部は思考︵些o夷算︶に基づいて生活しようとする人です。﹂ 想像力があって、そこからどういうものが出てくるかが気になる人、いい換えれば感覚と思考が依然として共存する 生活を行なおうとする人がこれに当たる。どこかに推論的理性がある人には、詩人のいう、いわば詩的生活あるいは 詩的存在という概念を当てはめるわけにはいかないであろう。詩的生活を行なうためには、そこから一切の推論的な 理性を締め出してしまう必要がある。﹁その人にとっては歳月が賢慮のある心︵爵。嘗まωε臣・霞呂︶をもたらすこ とが必要なのです。﹂今詩人が述ぺた詩的生活の意味の真意が判ってもらえるためには賢慮のある心を時間をかけて 獲得する必要があるのである。﹁賢慮のある心﹂というのは諸家の注によれば、ワーズワスの﹁不滅へのオード﹂ ︵O魯&国§§ミミミ更︶の第百九十行目にある文句で、これをキーツは生前愛諦していたという。この辺の文句はかな りベイリーにとっては辛辣に響いたことであろう。この響きはさらに、もっとはっきりとした言葉になる、﹁君の心 はそんなようだろうと考えます。﹂.なぜこのような相当相手の心を揚合によっては傷つけ兼ねないようなことをいう キーツの位置 三九 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 四〇 のであろうか。キーツは自分の考えていることは極めて明確にいう癖があるが、友人の心を傷つけてまで自分の思う ことをいう性格の持ち主ではないのに、なぜこのようなことをあえて友人にぶっつけるのか。おそらく彼はベイリー を﹁誠実と、そして私心のない﹂ことでは尊敬すべき友人と考えていたので、友情に甘えてこのような遠慮のない言 ︵32︶ を為したということは充分に考えられるが、相手のベイリーは神学生であるので、これに対して反宗教論者であるキ ーツの心が無意識のうちにこのような形になって現われてくるのではなかろうかと私は考えている。とにかく以上の ように、なかなか君には私のいうことが判りにくいであろうから、﹁君の永遠の幸福にとっては、この世におけるわ れわれの最も霊妙な沈思の再試食と私が名付けるであろうと思われます天上のこの古いブドウ酒を飲むだけでなく知 識を増し、そしてすべてのものを知ることが必要です。﹂君が永遠の幸福を味わうためには、この世におけるわれわ れ人間の有する最も霊妙な沈思瞑想をもう[度味わってみることと私が名付けるであろうと思われるこの古い天上の ブドウ酒を飲むことが必要であろう。﹁この古い天上のブドウ酒﹂︵葺びo匡乏営。9頃雷奉昌︶というのは美と真を ︵ 3 3 ︶ 想像力によって把握することを意味する。すなわちこれはわれわれ自身の﹁最高の思索﹂を繰り返し味わってみるこ とであろう。しかしこれで詩あるいは詩的生活とはどのようなものであるかがかなり充分に理解されるであろうが、 君にとってはこれだけでは永遠の幸福が得られないであろうから、さらに知識を増し、そしていろいろなことを学ば なければならないと考える、という。しかし知識を増し、その上いろいろなこと学ばなければならないという友人に ︵34︶ 対する言葉は、一層鋭い刃先をギーツ詩人にも向ける。﹁絶えず知識を飲み込むこと以外にこの世の楽しみを持ち得 ないことが判りました﹂、そして﹁心がその幼児期においては偏向はほんとうに偏向なのですが、われわれがもっと 力を身に付ける時、偏向は偏向でなくなるのです。知識のあらゆる部門をわれわれは、素晴しいものと見、そしてあ るひとつの大きな統一体へ向けて考えられていると見るのです。﹂したがって末尾の分節はキーツ自身の告白である ︵35︶ と共に願望でもあろう。最後に今までの手紙の一節のなかの残された問題を片付けて置かなければならない。それは 今までは℃霧。。δβ践8臨o田と複数で出ていたものが、この手紙の終わりの方になると勾評裟99農。&8と ︵36︶ 単数になることである。蜀霧ωδ霧 のことは少し触れたが、髄。o江8の場合も同様に考えて、余り強調を必要とする ことがないときは単数形になるようである。ここで注意すべきことは接続詞の9であるがこれは﹁あるいは﹂と切 るのではなく﹁すなわち﹂とつづくことを意味するはずである。というのは不定冠詞は評路29艮9鉱8をひと つにまとめて付けられたものであることは確かなことであろう。もし﹁あるいは﹂という意味ならばp勺霧巴9曾 き卑瀞豊2となり異質のものを指すことになる。ここでも艮8ロ9は感情を指すものであって愛情を指すもので ないことは判る。以上で引用した手紙の一節についての概略的な注釈を終わる。一応私なりの注釈を付けてはみたも のの、まだいろいろな個所において諸家によっては、その見解に異なるところがあり、とにかく今は私なりに納得の 行くと思われる見解を採用して置いた。もちろんこの引用した一節のいくつかの個所については論ずべき事柄が多く あるが、それを試みることは当面の課題ではなく、この一節の意味がこのままでは判りにくいので、意味が一応の筋 を為して理解されれば、それでいいのである。この一節から私は当面の問題であるキーツの位置ということに戻らな ければならない。少し長きに失したきらいがあるかも知れないが、以上の注釈も実はこの位置という問題とかかわる ところが浅くないので、あえてこれを行なったのである。 キーツの位置 四一 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 四二 今まで間題とした一節を引用するにあたって、この個所に含まれている重要な内容は、想像力と美という二つのこ とに絞られてくることを断わった。この二つについての問題を考察することによって、われわれは・マン派のなかに おいてもキーツがどのような位置を占めているかが、はっきりしてくると考えられる。最初にキーツにおける想像力 という問題から考えて行く。引用した一節から見ただけでも、いかに彼がこの間題に熱意を抱いていたかは充分に判 ることが出来る。しかしこの問題も、先に出てきたように人道主義的ヒューマニズムがキーツ独自に限られたもので なく、これは一種の当時における時代的風潮であったように、やはり当時の一般的思考の形のひとつであった。想像 力のことについてはコオルリッジの考察が周知の如く有名であるが、この問題についてはワーズワスも、シェリーも バイ・ンも、だいたいにおいて同じように熱意を持っていたのである。ただ先のヒューマニズムと同じように、それ ぞれの詩人にニュアンスのあることはいうまでもない。キーツの揚合は、既に見たように直観的な、そして自己否定 を要件とする、いってみれば同感的な、あるいは共感的な想像力ともいうべきものであった。彼が想像力という言葉 を始めて使ったのは、残っている手紙のなかでは、引用した手紙の書かれた時から約一ヵ月半前に当たる同年十月八 日同じくベイリー宛ての手紙においてである。この手紙において想像力に関係のある個所は次の二ヵ所である。 とにかくエンディミオンが仕上がるまで私には語る権利はないのですーそれは、 私の想像の力とそして主とし て本当に薄弱な私の創造力を試すものであり、試煉であるでしょう。 この個所から暫く間を置いてまた次のような個所が見出される。 その上、長い詩は、空想力が詩の帆であり、 そして想像力がその舵であるように、私は詩の北極星と思っている 創造力を試めすものなのです。 ここに出てくる三つの言葉ー想像力、創造力︵ぎお馨一8︶、空想力︵蜀き2︶に注意する必要があるであろう。 この三つの言葉はかなり古くから、すなわちイギリスのルネッサンス時代から使われて来た言葉であり、少なくとも キーツの時代までには、そう大差なく使われていた。コオルリッジが想像力と空想力とを区別して空想力が想像力の 補助手段を為すような印象を﹁文学的自叙伝﹂︵boご恥ミ慧8自韓ミ欝︶のなかで一般の人たちに与えてしまったが、 しかしこの著作を仔細に読んでみれば、彼は決して空想力をそのようには考えてはおらず、むしろその重大さすら説 いている。とにかく今はその詳細を述べる余裕はないが、この三つの言葉は少なくとも十六世紀以来の歴史の重みを 担っていて、それぞれの重大な意味を持っている。キーツ自身一八一八年十二月に﹁空想力﹂と題する九十四行に及 ぶ、かなり長い詩を書いている。この三つの言葉のうち何故想像力という言葉だけが、先に問題の個所を含むとして 引用した手紙においては取り上げられるようになったのか。それも確かに時代的風潮として、この言葉が他の二つよ りも多く用いられるようになってきたのも、そのひとつの理由とはなるであろう。しかし、これには、もっと直接的 な理由がなかったであろうか。私には、あったように思われる。それはおそらくコオルリソジからの影響があったの キーツの位置 ・ 四三 一橋大学研窮年報 人文科学研究 13 四四 ではなかろうかと私は推定する。﹁文学的自叙伝﹂を果してキーツは読んだかどうか私には今のところ確証がつかめ ていない。しかしこの著作が出版されたのは一八一七年のおそらく三月かあるいは七月である。しかもこの著作は同 ︵37︶ ︵38︶ 年八月﹁エディンバラ評論﹂において、ハズリットにより酷評が加えられた。しかもその批評にはこの﹁エディンバ ラ評論﹂︵↓書閏§菖ミ怨さミ§︶の編集者であるジェフリー︵寄窪畠冒孕亀︶による五頁におよぶ脚注付きのも のであった。ハズリソトの批判がどのような内容のものであったか判らないが、極めて私事におよぶ、項末的なもの であったらしい。しかも十月にさらに﹁ブラックウズ・マガジン﹂︵Ou脳§、§。&、曾ミ禽§賊ミ︶が同じ記事を取り上げ るという事件がもち上がった。﹁文学的自叙伝﹂はその表題とはおそらく関係を有しない、雑多な文学的内容からな ︵39︶ るもので、批判の餌食にしようと思えば簡単になり得るものである。このような騒ぎがあったのであるから十一月二 十二日付けのキーツの手紙が書かれるまでには、たとえ﹁文学的自叙伝﹂は読んでいなくてもだいたいの内容をキー ツは知っていたのではなかろうか。そしてこの影響によって想像力という言葉が彼の頭のなかに強く定着したのでは なかろうか。とにかくキーツはハズリソトを尊敬していたのでこの論争について聞き洩らすということはおそらくあ り得ないであろうことは推測に難くないのである。しかしこれと平行してもうひとつの影響が、これと重なり定着度 をいよいよ強めて行ったものと思われる。この平行的影響については、もう少し後に触れる方が便利なのでそれまで 待つことにして今はその暗示だけにとどめて置く。なお以上に挙げた類似の三つの言葉のほかに。n。島暮§一という言 葉も他の・マン派の詩人たちによっても使用されているので、キーツの揚合だけにこの言葉が見出されるというわけ ではない。もちろんこれにもキーツ独自の二.一アンスが加えられていることはいうまでもないが、このこともこれ以 上触れる余裕はない。話を想像力のことに戻すが、この言葉の歴史をたどってみると先に述べたように、その由来す るところは古いものを持っている。これからこの言葉を時代的に湖ってその系譜を見て行くことにするが、実はこの 言葉は、より多く思想史あるいは哲学史にかかわりを持っている。この方面の知識に乏しい私には、この言葉の由来 に従って精密にその跡をたどって行くことは到底出来ないので、私に判る範囲で述べて置く。想像力の問題は十八世 紀において盛んであり、アディスン︵円書憩ミ蝋ミミ︶がこの問題をやかましく取り上げている。これがカントあたり にも影響を持ってくる。面白いことには、今日では経済学者となっているが当時は哲学者として遇されていたアダ ム・ス、・、ス︵﹃ぎ↓ぎミ博皇ミミミ蟄ミ帆ミ§冴︵旨岩︶︶に想像力に触れた個所がある。 われわれの兄弟が煩悶していても、われわれ自身が楽な状態にある間は、われわれの感覚︵・。。霧窃︶はわれわれ に彼の苦しんでいるものを伝えはしないであろう。感覚は、われわれ自身の身以上にわれわれを運んだことはなか ったし、そしてそれは為し得ないのである、そレて想像力によって始めて、われわれは彼の感情︵ω臼鋸鉱o富︶が どのようなものであるかについて何らかの思考を形づくることが出来るのである。⋮⋮われわれの想像力が模倣す るのはわれわれの感覚の印象だけであって、彼の感覚の印象ではないのである。その想像力によってわれわれは彼 ︵卿︶ の置かれた揚所にわれわれ自身を置くのである。 アダム・ス、・、スという名前を挙げなければキーツの手紙の一節かと間違えそうである。殊に。。曾路広8ωなどとい キーツの位置 四五 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 四六 う言葉が使われていたりするので尚更そのような印象を与えかねないのである。さらに十七世紀に湖るとドライデン 昏、論︶、・ソク︵﹂§騨旨受8§恥§ぎ恥毎ミ§§wqミミ砺ミ§§誌︵ま81旨8︶︶等によって想像力論が行なわれ、 れていたのではなかろうか。このように想像力についてシニイクスピアからの系譜に基づきながら彼独自の考えを練 です﹂というキーツにとっては﹁存在しなくともです﹂の方にむしろ﹁存在していた﹂ことよりもアクセントが置か 美としてとらえるものは真実でなければならないはずであるー﹁それが以前に存在していたにしようとしなくとも してこの夢こそは﹁青春の形をしたヴィジョン﹂であり﹁来たるぺき現実の影﹂でなければならなかった。想像力が も想像力はアダムの﹁夢﹂でなくてもよかったのであり、真夏の﹁夢﹂でもよかったであろうというア一とである。そ ろう。それより先へは前に断わった理由により延ばさないことにする。ここで注意すべきことは、キーツの揚合必し ︵43︶ 語に絞られて行ったのではなかろうか。このようにしてキーツの想像力の系譜はシェイクスピアまでたどり得るであ つの影響が重なり合ってキーツの頭脳のなかに定藩して行ったのではなかろうか。そして彼の用語が想像力という一 って出てくる︵八、+四、+八行︶。これが、先に暗示にとどめておいたコオルリッジと平行した影響である。この二 詩人についてのシーシアスの有名な台詞がある。この十六行の間に想像力という言葉が三回も今日と同義の意味をも アの﹁真夏の夜の夢﹂にわれわれはすぐに行き着K。長くなるので引用は控えるが第五幕第一場七ー二十二行目に る。ここまでたどってくると、一五九五i九六年に制作されたと推定される︵一・q名酵9にょる︶シェイクスヒ ︵招︶ 。 ミ§︵一ひ旨︶︶、およびベイコン︵↓言﹄き§驚ミミ魚トミ§欝恥︵ま8︶︶において想像力についての論考が見出され ︵41︶ 同じく十七世紀に引きつづいてホソブズ︵﹄誤§、ミbミ§象ミ、偽㌧㌣昏R︵ま8y鴫窪§黛醤之黛鳳ミ馬︵一aOy卜恥eぎ, (. り上げて行ったのであり、夢の哲学を作り出したのである。これが他のロマン派の詩人たちと区別される点である。 そして後の北方への旅行に携えて行った一八一四年に発行された三冊本のケァリー︵匡閏9曙︶訳のダンテの﹁神 曲﹂がさらに、この哲学の確かであることを教えたであろう。この三冊本のタイトルは↓ぎミ籔§、ミb鴫ミ、㌧ミー 恥ミミ聴§軋、ミミ誉㌧皇b§鷺ミ尉ミミ帖であった。これに触発されて彼は一八一九年四月ソネソト﹁夢﹂︵Oミa b鳩ミミ﹄﹂凝ミ唖ミ“誉恥∪割ミ恥、砺肉黛8誉母、魯ミ。§織、ミミ携ミ︶を書き、さらに同年八月から九月にかけて﹁ハイ ピリオンの没落・夢﹂︵↓ぎ肉ミ賊県鴫愚&§、﹄∪、ミミ︶を書く。ここにおいて想像力−夢−青春の形をしたヴィ ジョンー来たるべき現実の影という自分の哲学を実験して見たかったのであろう。そしてこの想像力は背後から彼の いう﹁否定的能力﹂︵20σQ鉢貯oO昌暮ε芝︶とさらに芸術の﹁強烈さ﹂︵冒3房一¢︶ という要件によって、しっかり と支えられている。以上がキーツがシニイクスピア以降の系譜上に立ちながら、濃やかに作り上げて行った芸術哲学 の一面であった。そしてこの夢は単に天上的なものではなく、常に地上的なるものに深く根を下したものであり、そ こから芽生えてくる二重の構造性を持っている。誰が﹁ハイピリオンの没落﹂を、そしてダンテの﹁神曲﹂を夢想的 ︵ 4 4 ︶ な作品と呼ぶであろう。 引用した手紙のなかの一節において、次に問題としなければならないのは、キーツにおける美あるいは美に対する 意識ということである。﹁美は真実であり、真実は美である﹂という有名な文句は暫く措き、後に触れることにする。 美はキーツの生活の最後に至るまで、何にもましてその優位を保っていた。一八一八年六月二十五ー二十七日弟ト マス宛ての手紙のなかでいう。これは彼が行なった北方旅行についての個所にある。﹁ここで私は詩を学び、そして キーツの位置 四七 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 四八 これからも今まで以上に書くことでしょう、それは、非常に美しい精神によってこれらの立派な素材から得られ、そ して人の友人たちに味わってもらうために天上的な存在のなかに入れられるような量の美に応分の貢献を加えること が出来る想像的な努力のためなのです。﹂それからさらに一年経過して一八一九年七月八日恋人のブ・iン︵閃き曙 ω声≦冨︶に宛てた手紙のなかでは、﹁すべての私の思索、私の不幸な昼と夜は全く私の美に対する愛情を癒してくれ ず、それを非常に激しいものにしましたので、あなたが私と一緒にいて下さらないので私はみじめなことが判りまし た。﹂ここにいう﹁美に対する愛情﹂は美の﹁原型﹂となって、何度かキーツの胸中によみがえったことであろう。 この簡単な一節のなかにもキーツの美意識を読み取ることが出来るであろう。単なる恋愛の告白のなかにも彼特有な 美意識が働いているのを見逃してはいけないであろう。このように彼は恋愛においても彼独特の美意識が働いていて、 妙な甘さが後に残らず、彼の美学が形作られているのが特色である。この特色をよく現わした好例をさらに、もうひ とつ挙げてみる。 私の優しい人よ、私がワイト島に行くためにあなたと別れた日から、あなたのために私の受けた苦痛と懊悩を顧 みるとき、何日かをそのなかで過した悦惚とした状態と、今度はその代わりに起こるみじめな状態を顧みるときに、 それだけ一層、これ程激しくその魔力を保持してきた美に驚くのです。︵中略︶﹁もし私が死ぬようなことがあった ならば、﹂と私はひとり言をいいました、﹁私は不滅の仕事をー私の友人たちをして私の追憶を誇らしめるような ものは何物も1後に残さなかったわけです、がしかし私はすべてのものにおける美の原則を愛してきました、そ してもし私が時間を持っていたならば私は自分を思い出させたでしょう。﹂ ア︶れは一八二〇年二月︵推定︶同じくファニi・ブ・iンに宛てた手紙の一節である。この短い文章のなかにすらキ ーツの美に対する強烈な意識が窺われる。苦痛懊悩そしてあるときは悦惚とした状態が起こるかと思えば今度はそれ を打ち消すようなみじめな自己嫌悪のような状態、いい換えれば精神の激しい動揺と不安定のなかにあって美はその 妖しい魅力を失なうことがなかったのであり、自分の生涯の終わりがそう遠くないことを予感するかのごとく︵そし て彼はちょうどあと一年の生しか許されなかったのであるが︶、このまま一生を終えれぱ友人たちに自慢の種にして もらえるような不滅の仕事は残さなかったことになるが、自分はすべての物のなかの美の原則を愛してきたつもりだ。 これは彼の美に対する自分の鋭い意識あるいは感覚への自負を示すものであろう。そしてこの意識は死の影が差して いただけに一層鋭いものがあったであろう。同年三月︵推定︶またファニi・ブローンに宛てていう、﹁死は最後には やってこなければならないでしょう。シャロー︵望艶o≦目鑑い鴫§鳶ヒき目H﹂一≦OIお︶がいうように人は死なな ければならないのです。⋮⋮私に幾年かのもうひとつの機会を与えて下さい、そしたら死んでも記憶に残るようにし ︵筍︶ てみせます。﹂もちろん美を基底にした不滅の作品を残してである。このように彼においては美あるいは美意識が大 きな優位性を示している。そして愛する母と末弟の死、それから次弟と妹との生別、次第に精神的なものにして行く ︵46︶ 美のカについての苦悩する人間の体験は、平凡な真実を越えたものになっていたのである。ここでこれからキーツに おける美の系譜をたどることになるのであるが、先の想像力の揚合とは違って美の揚合においては、文学とはいって キーツの位置 四九 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 五〇 も詩の方により多くのかかわりを持たせながらたどることが出来る。同じロマン派の詩人たちもそれぞれのニュアン ︵47︶ スを持ちながら美に対する強い意識によって支えられていた。ワーズワス︵§冒§醤︵一〇。8y↓ぎ、・魯ミ黒一〇。8y H・総ひー。押図目H一おi器㌧簿ρ︶、﹁私は自然の愛好者でありそして美の崇拝者である﹂と称するバイ・ン︵Gミミ恥 ︵48︶ ︵49︶ 霞ミミ.的遮讐噛ミ題︵一。。旨−一。。︶︶、シェリi︵さ§ミ。ミミ§ミ切暴ミ疑︵一。。Sい∼ミ§§駄ミミミ。︵一。。琶︸ 村書b慧ミ恥魚、。無ミ︵一〇。ε︶︶などそれぞれの美意識は特色を持つ。ことに叙情の排斥者でもあったバイロンの美意 識は異常に強いものを持つ。コオルリッジについても触れなければならないが、これに触れるためには迂回的な操作 を要するのでここでは一応留保して置くが、もちろん美意識は強烈なものがある。このように同じ・マン派の詩人た ちはそれぞれの美意識を所有するわけであるが、おそらくこの意識の点ではこれらの周囲から直接的な影響を見出す の ことはむずかしいようである。ではどのようにして彼の美意識は形成されて行ったか。これは次第に明らかにして行 くつもりである。つぎに注意すべきことは﹁ギリシアの古い壷によせるオード﹂の末尾にある有名な美と真との結び 付きについてである。このことについては私はかつてベイトスン︵7≦・切馨82︶に拠りながら、おそらくこれは ギリシア的な色彩を持つといわれるシャーフツベリーの影響ではなかろうかということを述べたことがある。おそら くそうであろうという考えは今でも変わらないので、もう一度このことをここに繰り返して置く。ただしこの影響も 果して直接的なものであったかどうかは断定しにくいが、間接的に時代の風潮のなかからつかみ取ったのではなかろ ︵50︶ うか。ここにおける結ぴ付きについてはエリオット︵臼oo、匡葺︶の有名な非難があり、最近になっても、ここには ︵肛︶ ﹁高度の詩的性質は欠如している﹂と断ずる批評家もいる。私などもだいたい、この結び付きには余り感心していな いひとりである。﹁美は真﹂はいいが﹁真は美﹂というところで立ち止って考えてみると少しおかしいのである。私 は美にあくまでアクセントを置いて読み流すのが最もいいような気がしている。しかしここはそれについて論ずる場 所ではないのでこれでやめて置く。美と真との結ぴ付きの関係でシャーフツベリーが先に出てしまったが、時間を少 しくあとの十八世紀に戻さなければならない。この世紀においてはキーツのように密接な結ぴ付きは見せないが、並 列的な美と真の関係を示しているのはスマート︵﹄防§恥ごb§ミ︵一Nひい︶︶であり、ポープ︵肉慧箋恥&ミ3、ミ器恥 ︵旨ま︶︶には美の永遠性が、既にかすかながら見出される。十七世紀に這入って行くと側面的な面からこの系譜につ ながっているのが見られる。ドライデンがその力強さということをキーツに伝え、これがキーツにおける美が頽廃に ︵認︶ 陥るのを防いだのではなかろうか。この美の健康さが後にくるホプキンズヘとつながって行ったようである。それか ら・ックのいう﹁はっきりと区別された理念﹂ということが、キーツの﹁レイミア﹂に、ハズリソトを通して﹁はっ ︵53︶ きりと区別された視覚性﹂を与えていると見る研究もある。あるいはデナム︵G8、ミ、砺霞ミ︵ま命︶︶にも美がカと 共存する考えが見える。これからもう少し潮るとダン︵目壽ビ8ミ﹄§邑§ミ融︵ま旨︶︶あたりになると美は女性 あるいはその容顔を現わすことに結ぴ付いてくる。同じような例はもう少し先のナッシュ︵ぎ§ミ恥県㌔婁§§恥 ︵嵩8︶︶にも現われてくる。この辺あたりになってくると言葉は同一であってもその示す内容が異なってくることに 注意しないといけないであろう。もちろんそれは美という抽象観念を肉体をもって表現せしめようとするとこうなっ てくるのは当然であるかもしれない。次に来るのはシェイクスピアである。シェイクスピアの場合はかなり特色的な ものを持っているので注意を要する。しかも表面的にはキーツに似たような表現が出てくるが、これを直線的にキー キーツの位置 五一 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 1﹃書㌧魯暑蔚疑a§“き馬↓ミミ置軌QI鉾 ツに結び付けようとすることは危険なことである。 例えば次の諸例。 国o帥暮ざ嘗客戸費己旨円騨ざ O声85p=ω巨讐。受㌧ 国Φ一,Φ Φ昌O一〇ωいα 一昌 O凶昌αO一φ 一一〇■ 美と真実とそして比類なき素晴しさが、 全き素朴な恩寵となって 灰に囲まれてここに横たわる。 五二 あるいはシェイクスピアのソネット、十四番、五十四番、百一番には美と真実に当たる言葉が出てくる。さらにこ れと関連のあるソネットは二十一番、五十三番、六十番、六十五番、六十七番、六十八番、百五番、百五十二番など ︵54︶ である。ここに見られるようにシェイクスピアはソネット集においては美と真実とを結び付けるのを極めて好む。し かし以上の諸例に見出される美といい、真実といい、それはキーツの揚合とでは意味するところにおいて、かなりの 距離を持つ。シェイクスピアにあっては美は若い人間の美を意味し、肉体の美に、すなわち美貌に近付いて行く。し かし美が精神に近付いた揚合でもそれは淑徳を意味する︵例えば﹁十二夜﹂三幕四揚四百三行︶。真実は誠実、献身、 貞節、情愛の不変などを意味する。要するにシェイクスピアの揚合は、どこまでも人間の肉体的あるいは精神的属性 にかかわってくるのであり、キーツの揚合のように芸術の本質などにはかかわってこないのである。従って文字が同 一であるからといって美の系譜をここにつなげるわけにはいかないのである。むしろこの系譜は別の面、いい換えれ ばシニイクスピアの作品全体から来る美しさというものがキーツの美意識を培ったと見るべきである。そのうちでも シェイクスピアの悲劇的作品の与える美しさがそれであろう。特に具体的な例を挙げれば﹁リア王﹂がそれに該当す るであろう。このようなシェイクスピアの影響がなかったならばキーツという詩人の存在はあり得なかったであろう ︵55︶ が、あるいは揚合によってはシェイクスピアと系譜の点からいって肩を並べ得るのはマーロオの美的態度であろう。 もちろんマーロオは劇作家としてシェイクスピアと同等に論じるわけにはいかないが、その激しい・マンチシズムは まさにイギリスのルネッサンスの側面を代表するものといっていい。マー・オは確かに神話という面から自然を眺め るという点において、ギリシア人に拮抗出来る詩人であった。﹁神話という面から自然を眺める﹂態度はまたキーツ ︵56︶ のそれでもあった。おそらくマi・オは﹁エンディミオン﹂において﹁ハーミーズの吹く笛よりも、もっと鋭い悦惚 ︵57︶ 状態﹂︵﹁エンディミオン﹂第二巻八百七十五ー六行︶を培うのを助けたであろうということも考えられる。従って ﹁エンディミオン﹂の真の精神的祖先はマー・オの﹁ヒア・オとレアンダ﹂﹂でありスペンサーの﹁美しい女王﹂で 誌︶ あリフレッチャーの﹁忠実なる女羊飼い﹂などであるということも加えて考えることが出来る。しかしもっと端的に キーツの美の系譜と近接するのはつぎの個所であり、この個所をもう一度キーツが改めて再確認した形になったとい キーツの位置 五三 ︵59︶ 一橋大学研究年報 人文科学研究 賂 っていいであろう。 孝緯一ωσ窪一詳ざω巴夢日鴇器中R言σqω曽些oロツ 諏巴一夢o℃9ω夢暮o<o同℃oo誘げo= 国費qha跨o︷8一ヨの○︷島色Hヨ霧言冨、荘oβσq耳ω﹁ >且。ぐ。曙男、8ε①ωω些暮一諾℃富q9。一二5畦梓。。、 目げo罵目冒山oo︸螢昌α]βqωooooロ釦α日﹃ααけげΦ目8い 崔9=些。げ8<①巳図 ρ 三 酵 ① 。 。 ω 。 目 。 跨 。 鴫 ω 艶 一 津o目芸跨言e9巨ゆ9く。富亀窓雷ざ ≦ぎ邑戸霧言卑目ぼg㌧≦①℃R8ぞ。 6﹃。ビαqプ①診N$9。ωo㎞帥げ自ヨ嘗三ご 目葺①器プpαヨ塑αΦoま℃oo日、ω℃R一〇9 >一己巴一8ヨげ5巳5げo曽ロ蔓、ω要曾夢ぎoo・o。㌧ くo叶ω﹃oβ剛αけ7ΦHΦげo<Φ同一旨仲プΦ罵㎏Φω菖ΦωωげΦ斜αω ○昌090ロσp︸登o昌oのβ8︾o昌o≦op島Rい鉢夢o一$o。登 ≦臣3陣昌8︵〇三ω昌o<嘗一β08昌臼鴨ω蛭 五四 それでは美とは何か、と私の苦悩はいう。 いやしくも詩人たちが握った筆が 層 彼らの主人たちの思索の感じとそして、 i目象§ぴミ、馬&§き恥Oミミ㌧︵H︶●く﹂●まOI博い’ 心と頭に霊感を与えそして賞賛された話題を黙想するあらゆる甘美さというものを 養ったとしても、 詩人の筆が詩歌の不滅の花々から すべての天上の粋を抜き出すにしても、 その花々のなかに、鏡のなかにおけるように、われわれは 人間の英知の最高の距離を感知するわけだが、 これらがひとつの詩の区切りを作り、 そしてすべてが合して美の価値あることになったにしても、 彼らの安定を知らぬ頭のなかには、 どんなカも言葉のなかにこなすことの出来ぬ 少なくとも、ひとつの考え、ひとつの美、 キーッの位置 五五 一橋大学研 究 年 報 人 文 科 学 研 究 ひとつの驚異が浮動するこ庫であろう。 一。一巨σ一お艮R一60註&σq⑦一呂巳8 >区ヨΦ霧目o①お蔓≦彗α窪お覧嘗魯、ω8霞β 目げ①毛oロαδ蕊日o巨富o言おohgo︵oユρ ○霞ωg5巧ぎ器壁8犀一霧。き8目冥魯①呂 Uo葺梓087島巴一8げ費<o器℃三昌σqヨぎO醗 1詳三昌σq譲詳巨ロo霞σHs器hoHお触昌一①昇 2pεお跨暮hβ目a畠98霞①一〇旨撃貫 にまた次の個所も同じようなかかわりを持つ。 五六 精神的な望みの役目と目的、手段と目的について、いい得る、あるいは考え得るすべてを集約した、と評する。さら ︵60︶ 的な真実をもって現わそうとするために、今までに作られた最も輝かしい詩句において、マーロオは、最高の形態の この個所について詩人のスゥィンバンは、詩人によって、彼の芸術の最高の目的と最高の限界を微妙なそして決定 13 ㌔ ︸ !ぐ一一一 口oo 梓O ぐ﹃O㊤﹃ OβHのΦ一く①ω ㊤昌α HF①く①﹃ ﹃Oω梓 >昌血巴妻印器ヨo<言の器葺o﹃o簿一〇器ω℃げRoρ oo d導旨≦088げ些o博首o簿砕三梓oh巴一㌧ ↓訂叶℃Rh。。叶σ冨ω費呂ωo一①h。一一。詳ざ ↓げoω≦①o什律巳立o昌o︷印昌8H爵蔓qo≦昌。 四元でわれわれを 形 作 っ た 自 然 が 、 統制を求めてわれわれの胸のなかで戦いながら、 われわれ皆にあこがれる心を持つことを教える。 われわれの魂は、その働きは この世という不思議な建築を理解し、 そして常に無限の知識を求めて登りながら、 あらゆる迫遙する惑星の径路を測り、 そして常に、動揺する天球のように動きながら、 われわれが消耗することを望み、 1﹃象§ミミ&ミ馬書O蓋ミ、︵一ソ目。≦一。嵩ーbooo。 そしてわれわれがすべてのうちで最も熟した果実に、 あの完全な喜びと唯一の幸福に、 キーツの位 置 五七 一橋大学研究年報 人文科学研究 13 この世の王冠の甘美な享受に達するまで、 休むことを知らない。 五八 ここに引用した二つの個所に現われている美意識と無限なもの︵これはキーツにあっては不滅なるものとなるので あるが︶への憧憬は、来たるべきキーツヘとマー・オを密接せしめる。キーツは果してマi・オを読んだかどうかま だ判明していないが、おそらく読んでいなかったであろう。少くとも彼の手紙においてはマー・オに触れるところは ない。従ってマー・オのキーツヘの直接的な影響は今のところ考えるわけにはいかないが、美の系譜からい、えばキー ツはその直系的な位置に立つことになる。しかしマー・オとキーツとの間にミルトンにおける異教的な美を挿入し て考えてみればこの位置は一層明確にそして堅固なものとなるであろう。そしてマーロオのなかに﹁美しい狂気﹂ ︵㎝︶ ︵診o目区諾器︶を認め美の追求を歌ったドレイトン︵ごミ史§裂辞ミ雫ご器蹴︾帖§亀定恥ミ疑笥遷ミミ砺肉おミミ剣 遠喜§“㌧S蕎︵まミ︶︶と系譜はすぐにつづいて行き、あるいは不調和の美を説いたベイコンヘも、ここで再びつ ながってくる。そしてこの系譜はスペンサー︵﹂ミ寅疑ミ§欝霞§。ミ県ご需︵6ま︶︶において終着点に達するであ ろう。スペンサーに現われてくる美そのものは神であるという考えかたを示している。美を何か神々しいものへと高 めて行くやりかたはルネッサンスの気質を満足させるもののようであったらしい。ここからプラトニズムヘは至近の ︵62︶ 距離であるが、これは前に述べた理由により、やはりここで止めて置く。キーツにおける美の系譜をたどると概略こ のようなことになるのであろう。 このように見てくると詩人キーツをして成立せしめている二つの大きな要件である想像力と美意識は太い線をもっ てイギリスにおけるルネソサンスヘとその根源がつながっていることが判る。そして殊にこの時代における美意識は 若々しい男性的な活力を失なうことなく、そのままキーツにおいて継承されていると見ていいであろう。この点にお いてもキーツの存在は貴重な意味を持つものと考えるべきであろう。そしてこのような美意識はイギリスの文学史に おいてキーツがそのピリオド的な役割りをなしている。従ってキーツのイギリス文学史における位置は、イギリスの ルネッサンスによって切り開かれた意識が、その最も重要な点において、すなわちようやく十八世紀において円熟を 見せたところに据えられている。このような意味において、キーツは十九世紀と接点を為す時代に生きたのであるが、 その時代は意識においてはまだ十八世紀的であったことがいろいろな意味において彼には幸福なことであった。 ︵1︶ >耳げ仁賊ω闇匿o田”↓ぎ肉o§犠ミミミo器§恥ミき肉ミ曳跨︾㌧oミ倦︵>容三げ巴匹Oo暴$三ρ一〇8︶においては大小のロマ ン派詩人が合計百四十六名扱われている。しかし本稿においては極めて有名な五名だけを取り上げれぱ充分であり、目的は ︵2︶oい一彗。切>・乞。ε℃。巳。辺﹃ぎミミ§帖いミ母防ミξ︵9一一︷・qヨく。寄﹂署︶一9﹃一8ω鼻①畳吻ミ∼遷.砺ミ&ミ 達せられるであろう。 ゆ 勺o黛ミ、↓ぎ、暮、箭魚黛ミ亀§︵刃岳8=彗α園岳器Fお竃y℃℃﹄章18・だいたい私の見るところでもシェリーをギ リシア思想との関連において扱う研究は少ないようである。この対極に立つ研究はO①β箆団島8曾閏き砺§戚、書肉o§§? 謹題︵竃〇一詳O戸這ひ団︶である。 ︵3︶国・⑳・中u・霞§F冒”︸[\ミ勢§き§匙量ミ誌ミ﹃憲§讐ミ砺ミ魯魚勘§§款駐ミ︵鴫巴。d号り∪﹃■℃ キーッの位置 五九 一橋大学研究年報 人文科学研究 一。ひo︶’ Oh’竃, へ 一p 閏旨帥昌o一のOp一一p∼くp実一開も象肋o§㌧淘ミ驚﹄黛ミ縞開恥竪o鳶賊§肉ミ恥N嵩︸ O馬亀騎詮職偽ミ ︵Ooけ騨吸o⇒ 切oo匿の㌧ 一〇a軌︶、℃・一〇ド 凶 昌 一。 一W。■①厨げ昌一pコ日 ↓魯恥 旨斜象象、評k物帖らa馬 ﹄Uo恥冴 ︵一困自ののo= 帥づα菊qωのo一評 一〇ひい︶、℃・ooひ・ 国 。 閃oH昌日斜昌 ︵㊦口。︶” 円︾価卜災鳶、恥 黛∼o魯§ 民恥象W肋 ︵○図﹁o﹃α℃ 一〇凱Ny ℃・頓oo 昌・ 一・ On≦o﹃p o ﹃ ぐく■一Wo冤o﹃ >恥&冴 a噛軸乳焼、ミ b&恥、醤o§ ﹄へ帖§恥 ︵OO仲麟αqOp劇oo犀μ 一〇ひO︶噂℃・ 一bo轟・ ︵5︶ 〇二〇一〇︵一 山ハ ︵8︶ O い ≦o﹃p o ﹃ ≦ひ ωO冤O﹃” O憾, “厭馬こ 唱■ 一ωQQ■ 〇置〇一a 一一一ピニ一P昌 M山p山含P吋一p一 ﹃︾恥 、oもW、疑 O、G矯、aぴ轡鳴 ︵Oゲp梓げO 即一一畠 !<一昌αqoo、一〇顛頃︶魍 ℃’ 轟O・ ◎二〇け①︵一 圃 ︵n︶ > ◆ 男 ︸ o ヰ o o 一 モO鳩賊晒亀O、、︸、向 b、恥N黛織鴨、 \陶 防眺ミ職兄 皇 ﹄職的 卜簿恥、9憶黛 ㌔O、ミ ︵Ooげp頓O口 ωoO犀の、 一〇ひひ︶、 ℃置 一ω回 昌’ Oい > h﹃ 儀 頃 お 一 o 総 げ Φ GO醤“も、識O罵砺 県砺評黛︾馬肋篭恥&、、恥 ︵︸H騨厩<P同α︸ 一〇ひひ︶” −■ oQ軌、 ︵15︶ ︵耳︶ ︵13︶ O、 ︸● ω一m㎝OP 国守こ ℃■ 軌 軌 目。 !ぐ①﹃P①巴≦ 。 ・の︸a神恥砺特価a、恥 ︵拓︶ ≦①同PΦ肖 ≦ ︸WO望O厩” O篭。 “畑覧こ ℃ー いOV, 一一β帥⑳ご一Pけ︻Oコリ o旨o寓o⇒とするのが注目すぺきである。 のそれぞれに付けられた屯8旨曙を参照のこと。殊に後者の冒琶8は屯8器qにおいて帥験&8目 oPY目︸恥Goミ㌧鳶鷺︻薗ミ詮&。コ蔵鳶鳶ミ玩︾a寿象博恥象ミおよぴ 旨頃■]≦ニコ﹃o︵o堅Y ﹃︸馬卜o醤匙o醤 ]W①犀二愚■§こやお斜, 醤 ∼ ミ 肉帖恥︾鳳 恥 恥“ 匙 評 G馬 機 疑︵一くO桟 Z凶Oげ〇一のO一一 Pコ自 類PげωO昌讐 一〇い頓︶一 ℃℃■ 軌ωー斜b 一NO 昌・ N” bo“ど N亭N・ Zo同ヨ 騨 昌 2一〇〇 口 印O , モミ調a§ qo弩感q、 ︵一〇げ昌 H、oげ日騨コロ魍 一〇U一■︶、 ℃, 一ひN一 〇出げo円け 日﹃o日斜oo” ︻鳶賊畑ミ象ミ 9琶特恥、 黛討“馬︾恥 一 昌 ︵12︶ 一 コ 一■≦一、9・①5賊ミ韓母&恥導§ト§騎§謹w︵旨g言。p一。ま︶も・旨博・ ︵−o︶ ︵7︶ 9一〇器畠 ︵6︶ ︵4︶ 13 ︵9︶ い。一醇8雪中望①一一聲一ひぎαQ■一。。ω。, ︵17︶ ︵18︶ <¶①目昌o同!<,切o欄Φ50憶●臓触こ℃℃’一轟b⊃ヤ一斜軌, ︵19︶ 国登、づ,いOoo ︵昌、一〇︶。 ■o窪o︻808おo帥昌αO①9αQす⇒p国雷貫鐸>冥,一〇〇一〇’︵日付けは=,口ヵoE房による︶ ︵20︶ U・O・匂費ヨoω”防R感議亀恥§魯茜織、o康遷︵Ooo同αQop昌畠d昌乏一P︵一〇いM︶びOyや一〇曾 ︵21︶ い。ヰ。﹃一。一。7一一月p二〇﹃、8一曽昌・一〇。おにも同じ用例が見える。︵臼・竃・中男9ヨ雪︵o阜Y魯・ミ︾や評くδ ︵22︶ 望﹃尽昌国8舜。墨↓詳G§§ミミq§︵gお暴βG$︶も﹄軌。R罫軍き声暴”﹃鳶韓、ミ§“ミ ︵23︶ トa § 博 ︵ON︷O﹃α’一〇軌Oy℃,い一轟。 ︵24︶ 一国・譲・O帥旨oα輯映馬&防︵○客hOH貸一〇いO︶︸℃■いN■ ︵25︶ O・O・O一pユお”淘oミ黛醤畿“、黛、蟄職o疑︵菊og二〇畠αqρ一〇ひNy℃。轟O● ︵26︶ ﹄ぴこ℃■ひ一, この複数形の語が始めて使用されたのは問題の手紙の書かれる約ニヵ月前すなわち一八一七年九月十四日レノルズ姉妹 ︵27︶ 後の四通はその以後に書かれたものである。これらの諸例についても検討が必要となってくるが今は一応説明 宛て の 手 紙 に お い て で あ る 。 そのほかこの語が用いられたのは次の手紙のなかにおいてであり、前の二通は問題の手紙より 先に書かれ キーツの位置 六一 0コ一pωH︷o”げωりO−O一目一網一〇〇一〇〇. ⇒一震口該昌ω四一一①蜜㌧い客oくゆ一〇〇一M● ロ一帥e一昌閃餌二①図、Oo¢一〇〇一ぎ した 解 釈 を て は て 置 く 当 め ︵以下宛名と年月日︶。 】W 一W 一. 一橋大学研究年報 人文科学研究 B ︾国。閑。旨〇一量一一ー嵩冒一冤一。。一。。・ 08お。p邑08喧四轟囚。霧、区1い一 中舛頃四琶op。。竃霧。ダ一。。一。・ O︷■ρ ピ● 09、ドoo一〇〇● o。喜。お﹃富ざ§県ざミ§§§︵穿3注。3b賊こま。︶も℃・。?9 一●∪.9ヨ℃σ。=︵。ε”3§・も・。凶・ 竃、>■ 山ハ一一 マNo。O︶ 一ヵ月ごとに計三通の手紙のなかにそれぞれ問題の語が出てくる。 昌“導肉ミ§§魚さ薯、防㌔婁遷︵田暴昼まひ︶レ鴇軌・ 十八世紀において詩独特の主題として強調されていたという。これがあるいはキーツに影響があるかも知 一 〇 ︾軍男。旨。一費い三薯一。。一。。・ 勺pの巴oβの い∪, ))))れ な 宝一1}いい 一き一。ω 留睾R塞︵。e重蝿麟薯象ミミ言︵○誉巳勉︵一§︶.顛。。︶﹄肇 。書旨又。e為鳶ぎ誉二奪書。ゑミミq曳ミミミ爵馬︵零帥。ヨ⋮四昌・§。。︶ら。・ oO︷● 界9国”巨ぎ歪﹃ぎ目§窺ミミ。§象︵○義。β這g︶もレ。。・ いo#o﹃ いo詳R 砕 〇 一〇ぎ6昌一。斜§言円﹂。。一。。・ け O 08お。p包穿。ヨ器︸︷。霧﹂い冒昌﹂。。一・。・ ピo雰巽 いo#o︻ 什 O 一〇言、h選一〇﹃るN田げ﹂。。一。。・ oい壽旨R≦■切馨昌魯“噛馬もる“。■︵国αq■b﹂ミ勢魚尋馨醤§“勲§喰導︶ Oいど§軸無ドOン幾s§ミ㌧H。<甲8, ここにおける現実は以下に出てくる天上的な現実を指すのであろう。︵Ω・≦。.、一。.ミ・閃。図。﹃”。︾。鋒 これでも判る通りベイリー宛ての揚合には (( (( ( ( ( ( ( ( ( ( ( 36 35 34 33 32 31 30 29 28 ) ) ) ) ) ) ) ) ) 40 39 38 37 ︵41︶ Oい切帥ω一一ミ≡o曳”円神馬切き馬器鷺馬毬W︸q恥醤、幅ミ▽切黛“寿恥、ミ§織︵Oプpヰ〇四づq︵冒αgoo”︵一〇い高︶、軌圃y℃マN一〇1一埠Ooo﹃⑳o 巧一一=p日ωo昌”﹄葡恥a織ミ、砺O裳帖匙恥& ﹃︾馬ミ馬ミ篭評k紅qミ㌧o馬∼防 ︵67帥三〇ωp一一α閃一乙oooP 一〇ひooy ℃℃,一〇ーNど ωo覧二p︼W, ︵42︶ >・ω・勺・壌ooq70ロωo”8、周恥㌔o魁亀毬織電蹄㌔§ミ︵日プoqロン・。o︷07一〇p⑳o勺﹃こ一〇ひ軌yや一ωN“Ooo﹃σqoイ︿二一宣邑ωo昌” ︼W一p図αo只 G、ミ酔ご博、還、的遣嚇9ミ象防象㌔o無剣鳶時 目軸ミミ︵フ︷o口叶Oロ︸一〇ひひ︶︸℃℃,轟ooー頓O■ O、置“職■、唱℃・ 一〇いー鼻■ ︵43︶ 一八一七年五月十ー十一日ヘイドン︵中茅頃曙&己宛ての手紙のなかに﹁シェイクスピアはわれわれにとって充分 であることに、私はハズリットにほぼ同意します﹂という文句が見出される。 ︵44︶ マックニースのいうように、キーツは果してシェイクスピアよりも逃避的であったであろうか。9,び2δ寓8客包8一 ミO織恥、養㌔O戚、疑 ︵○×hO﹃αり一〇ひQQy ℃■博● 09一︼p 、帥K“o特・、い♪℃℃・卜⊃嘉伊“⊃高ρ翰oo9 キーッの位置 ≦三昼口一≦亀ω7”目、ミq雛皇、§黛鷺醤ミご醤︵Oげρ洋o餌昌q≦凶昌畠ロωb一〇軌Oy唱マooooい 問・O・男﹃ooaoo雰一、oミ、疑鶏ミ織一へ黛ミ︵穴oコ三一︻pけ℃﹃‘ 一〇ひ刈ソ唱’一一3 六三 美と真との強ぴ付きについては実に多くのことがいわれてきている。このことについては、 たとえば次のものを参照。 一・一・目帥oOp昌昌一肉軌恥、疑 O窯累︵目︸一〇d昌陣く■o︷078餌吸oU﹃こ 一〇ひooy1,一一〇〇。 ここの個所には寓暮プp&げ畠耳鴇という文句が出てくる。 この詩のなかに︵八十一行目︶帥識①oユo拐という言葉が出てくる。9・§ミミ§﹂&遷・ Oい 一<O﹃昌O﹃イ<,一WO冤O﹃HO腎﹃“魯こ ℃.Noo曾 う こ を キ も 醤 ㌔ 窯 に い い 、 同 じ よ な と ー ツ は 既 に 曽 馬 貸 “ マ ド 8 − M お て っ て し る O 52 51 50 49 48 47 46 45 ) ) 零 ) ) ) ) ) ) ハ 一橋大学研究年報 人文科学研究 路 六四 ︵61︶>’ピ■即。誤99誌&慧ミミミ馬§恥︵爵。巳田p一ま恥︶もマ8軌い ︵62︶≦。い男聲三。ぎ疑ミ§“砕§ミ︵田墨&>ヨ。一負︵ド8軌︶.ひ一ソ℃・ま・ ︵昭和四五年一二月二一日 受理︶ ︵60︶田邑。鼻団壽︵。e”9蕊む慧ミミミご§︵醤。芽目巴島ω旦8ま。︶も・まp$・ ︵59︶9琶。。・垂=す暴u円ぎ曽窓罫ぎ§ミ帖ミ︵o義。a﹂。駕︶も℃﹂這ー。。Q・ ﹁エンディミオン﹂の背景はこれだけで尽きるものではないが、 一例としてだけ挙げて置く。 ︵58︶ い︾民,↓げOヨ8畳↓書Q禽紅ミ馬切§粛ミ§&魚寧軸曳賊罫卜疑ミミ黛ミ︵≧一窪雪αd一一’.、一一一・一濃Oyやbo睾・もちろ ︵57︶∼ぴこ℃﹂刈o● ︵56︶︸H貫実零<一冥国、罷9ミ馬§ミ︵3ぴ。3区評げ。び一。3も﹂9 ︵55︶ 9・Uo辞R808おΦ雲α日,70ヨ塁H︷8貫N一Uoρ一〇。一丼 働ぎか象黛ミ馬、砺象§昏︵d巳<,。h9まo量p零﹂8ω︶︸毛・軌。1い ︵餌︶一。ピ。国。§疑さゆ⋮霞、︵容艮げ国葺−u区ω﹂。3︸電﹂。。軌﹂。。9一。。。い匡帥ぎp■帥邑﹃く”ミ馬、㌧、災a畿。§砺ぎ ︵53︶一。ぎ︸88く。ぎさミ軌、防o§ミ魚寄§︵9葺。ρ民蓋&量ま。︶も﹄軌タ
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