Title 初期古英語の仮定法 - HERMES-IR

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初期古英語の仮定法--その形態と用法
久保内, 端郎
一橋大学研究年報. 人文科学研究, 13: 243-279
1971-03-31
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/9939
Right
Hitotsubashi University Repository
初期古英語の仮定法 その形態と用法
久保内端
初期古英語の仮定法1その形態と用法 二四三
れわれの資料によれば、例えば、。。8鵯口、8ω哉”ぢ≦8雪.8ω曙、といった動詞の後に従う接続詞α聾に導かれる
うに、直説法と明瞭に区別される語形をもち、しかもかなり広い使用範囲を有するものであった。事実或る環境では
︵3︶
仮定法の方が優勢で、直接法形の方がむしろ﹁法性標識形﹂と呼ぶべきではないかとまで感じられるほどである。わ
ンテクストー文法的にも、文体的にもーに局限されているのに対し、古英語のそれは多くの揚合、後に述べるよ
れに無語尾の三人称単数現在形以外には直説法︵ご象8註ぎ︶との語形上の区別を持たず、その用法も或る特定のコ
現代英語の仮定法がpP碧ρぢに対するぴΦ、≦霧に対するづ、R。、プ霧に対する冨お、38に対する&、そ
史に見ることができる。
二節︶が想い起されると述べているが、それと全く逆の例の一つを、われわれは英語の﹁仮定法﹂︵貿げ一99貯。︶の歴
︵1︶ ︵2︶
カーム︵O・ρρ一⋮o︶は英語の動名詞の発達について、かの一粒の芥子種に関する聖書の言葉︵マタイ伝士二章三
一、はじ め に
B
良
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二四四
名詞節では、仮定法形と直説法形の比は九対一、8﹁ぎhOお.”α8器・葺き、︾α。号、些自讐、等の接続詞に導かれる副
詞節では、それぞれ四・五対一、一八対○、九対一である。これらの環境における直説法は、現代英語におけるそれ
が初期英語の仮定法が担っていた領域までも自らの用法の領域の中に含んでいる法としてあるのとは異なり、﹁直説
法性﹂︵冒良8試≦身︶というそれ本来の法性︵客&島蔓︶を積極的に担って使用されていると考えることができよう。
古英語において仮定法が如何に優勢であったかを物語るいま一つの例として、古英語期の一種の標準語であったウ
ェストサクソン方言︵≦。のδω霞9︶の一人称単数直説法現在の語尾6の由来を考えてみたい。これは原古英語,継
に潮るのであるが、それは英語の仮定法の語形が由来している印欧共通基語の希求法︵○鷲緯貯。︶語尾−δ冒がゲル
マン共通基語で−曇巴旨となり、そして語末の子音が脱落した形−斎巴に対応するものである。すなわち仮定法の語尾な
のである。︵ただしウェストサクソン以外の方言には、ゲルマン共通基語の直説法の語尾−管αに由来する形ーロ︵後に
︵4︶
6︶が見られる。︶このような語尾転用の現象が生じたのは、一つには、仮定法の使用範囲が広汎で、かつその頻度
が相当に高かったことに依るものと考えることができると思われる。
右に述べたような状態は、しかし、永くは続かなかった。英語の仮定法は既に古英語期後期から衰退の歴史をたど
り始めるのである。このことは、例えば、古英語、中英語、現代英語の各時代になされた聖書の英語訳を比較してみ
るならば、容易に看取することができよう。
ているので、ここに簡単に紹介してみたい。彼は、ラッシュワース福音書︵﹃書囲§、きミミ9愚塾︶の古英語訳の
ハーシュ︵≦曙9国碧・。げ︶がその著書↓ぎ蜜ξミ§畿ミき肉遣鴨罫︵≧筈9ヨ貸一80。︶の中でその比較を行なっ
︵5︶
部分︵九五〇年頃︶、中英語で書かれたウィクリフ訳︵=二八九年頃︶、近代英語で書かれたティンダル訳︵一五二六年︶、
欽定訳聖書︵一六一一年︶、そして現代英語のグッドスピード訳︵周ぎ≧§§讐ミミ﹄ミ﹄ミミ軌ミ§写§§畿§︶
︵一九二三年︶の五種の英訳聖書から特にマタイ伝の第七章から第十四章までを取上げ、それぞれ約一、000個の
定動詞の中において、︵屈折︶仮定法形、法助動詞による迂言形式︵零a巴窪邑昼曙8一邑置。臨9︶及び法的過去形
︵竃&巴冥9①鼻Φβ詩9凶9︶が占める比率を調べ、それらの消長をたどっている。それによれば、その三者をあわ
斗/ \\
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粥/》収\、\
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50 1380 1520 1611 1923
950 1380
一・・一法的構文総計
一一一一屈折仮定法
_L」L_L
法助動詞構文:
一・一法的過望、構文
初期古英語 の 仮 定 法 ー そ の 形 態 と 用 法
/へ
(V㌧7aylle Haおh:Tみ85歪のゴ得π42π6¢”E銘g’∼s尾p.148。)
朝\\
6σ\
二四五
助動詞による迂言形式、法的過去構文の三形式が全体とし
できるように思われる。すなわち、︵屈折︶仮定法形、法
ことはできないかも知れないが、凡その輪郭は掴むことが
制約もあって、ここに挙げられた数字に全幅の信頼を置く
︵7︶
資料が限られており、しかも資料の性質からくる種々の
る。縦軸は例の数を示している。
上のグラフはそれらの関係を分りやすく図示したものであ
一・七、○という百分比になるという︵℃﹂舞↓昌一。b⊃︶。
一・五であり、仮定法形だけでは五・八、一・八、一二二、
︵6︶
に挙げた各版の順に、六・四、四・九、四・九、五・三、
せた揚合、それが全体に対して占める比率は百分比で、先
』
一橋大学研究年報 人文科学研究 路 一 二四六
てその使用頻度を、一六一一年の欽定訳聖書に一種の﹁揺り戻し﹂現象1これは文法的変化というよりはむしろ文
体的考慮に依るものであろうと思われるーを見はするけれども、総じて漸次減少させていること、なかんずく︵屈
折︶仮定法が古英語から中英語にかけて急激に衰え、その後もそのまま、もっともこの揚合も一六二年の欽定訳聖
書に揺り戻し現象をみるが、衰退・消滅への過程をたどっていること、法助動詞による迂言形式と法的過去構文の二
つの形式は○・六、三二、三・六、三・六、一・五という線を描き、特に古英語から中英語にかけての増加は、
︵屈折︶仮定法の急激な減少と対応していること等を読み取ることができるであろう。
しかし仮定法は凡ゆる環境で一様な衰退の過程をたどったのではない。環境によっては逆に増加の傾向を示した例
もある。仮定法の用法の歴史を詳細に追ってみると、それが用いられる節の種類によって、それがたどった過程に種
種の相があることが分る。節の種類によって古英語から中英語にかけての主要な傾向を調べ、その分類を試みてみれ
︵8︶
ば次のようになるであろう。
ω 古英語において仮定法が圧倒的に優勢であったω。おき.8ω曙.㌧婁&窪ぎω還、等の動詞の後に従う名詞節、
§ゴ臥o冨.に導かれる時の副詞節︵過去形︶、9自o.些昏、に導かれる比較を表わす副詞節、α8ロ.昌o品F
2夢o夷7、に導かれる譲歩を表わす副詞節︵過去形︶等では一般的傾向と軌を一にして減少の傾向を示す。
㈹ 古英語においてその使用範囲が狭く制限されていた独立節、形容詞節、揚所、結果、理由等を表わす副詞節等
ではその範囲をさらに縮小する傾向を示す。
@韓、σ①8き、に導かれる時の副詞節︵現在形︶、男Φ一8、霧置.に導かれる比較を表わす副詞節、︵89菖α聾
、8夢鉢.に導かれる目的を表わす副詞節︵現在形︶、騨魯.跨o夷F巴夢o品ゲ。に導かれる譲歩の副詞節︵現在形︶、
げ三自.目一霧ω、㌧α§.㍑、に導かれる条件を表わす副詞節等では、古英語における﹁優勢﹂の傾向を維持する。
㈲ αQ一隔.篤.に導かれる条件を表わす副詞節、。αα聾.琶注、に導かれる時を表わす副詞節︵現在形︶等では、一般
的傾向に逆行してその使用範囲を拡大する傾向を示す。
注目すぺきは、全体として衰退の過程をたどる中に、@に見られるような、そうした一般的傾向に逆行する傾向が併
存することである。
とは興味ある問題である。仮定法を衰退せしめた要因として古英語期から始まる音韻変化ー強勢の無い音節のす
英語の仮定法をしてこのような歴史をたどらしめた素因は何であり、それを促進した要因は何であったかを探るこ
︵9︶
ρPξ︿Pρρξが\o\︿o﹀となり、区別が失なわれたーによる過去複数語尾の融合︵−2∵8V−o員−撃︶と、
︵10︶
重複︵菊亀昌39鴫︶を避けようとする一般的傾向の存在とを挙げることが普通行なわれる。前者で過去形における
衰退を、そして後者で現在形におけるそれを説明することは可能であり、また或る程度までそれは事実であったろう
と思われる。しかしわれわれは今、後者とは逆の原理によって支えられた傾向もまた存在したことを知った。すなわ
,ち、切に見られるような傾向は、﹁重複﹂ないし﹁冗長度﹂という語を用いるならばそれを一層増大させようとする
意識がまた一方に存在していたことを物語るものであろう。したがって、素因、或いは原因を探るとは冗長度云々に
それを求めるべきではなく、或る環境において甲という時点では﹁冗長﹂1主動詞の辞書的意味や接続詞の意味等は
仮定法の持つ意味とは同義ではないのであるから、正確には﹁相関関係﹂という語を使用すべきであると考えられ
初期古英語の仮定法1その形態と用法 二四七
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二四八
るーと感じられていなかったものが、その後の乙という時点で﹁冗長﹂だと感じられるようになったのに対し、別の
或る環境においては、甲の時点では﹁冗長﹂なりと感じられていたものが、乙の時点ではそう感じられなくなり、強
調を一層強化せざるをえなくなる、そういった仮定法に対する文法的な考え方の変化にこそそれを求むべきものであ
ろうと思う。言い換えれば、甲の時点における仮定法の法体系における意義と乙の時点におけるそれとの相違にこそ
それを求むぺきであろうと思うのである。
仮定法の歴史を研究するに際しての主要な課題は、それ故、各時期、各時点における仮定法のもつ法的意義を明ら
かにし、法選択の際の言語的意識を探り、その変容、変質の様を言語事実に即して正確に把握することにあると思わ
れる。その際、方言上の問題、または外国語との影響関係、文体のレベルにおける間題等に十分な考慮が払われる必
要のあることは言うまでもないであろう。また仮定法性︵望σ一目9三身︶を表わす他の統辞論的な同義表現、すな
わち法助動詞による迂言形式、ならびに法的過去等について、︵屈折︶仮定法との関りにおいて法体系におけるそれ
らの位置を各時期について確認することもまた重要である。︵屈折︶仮定法は、それらと共にそれが成立せしめてい
る望σ甘馨鼠お竃o&という体系の中の、主要ではあるが、或る一つの構成要素にしか過ぎないからである。
本稿はそのような仮定法の歴史的考察への一つの足掛りとして、英語で書かれた文献がかなり大規模に残されてい
る時期では最初期に属する九〇〇年頃の、方言的にはウエストサクソン方言で書かれた文語資料に基づいて、初期古
英語における仮定法の形態はどのような状態にあったか、そしてその用法の示す種凌の相はどのようなものであるか、
その使用範囲はどのような状況にあったか、そして仮定法のその時期における法的意味ないし根本機能は何であった
か、を直説法のそれとの対比において探ることをその主要な目的としている。
そしてその際、できるならば、仮定法の用法のそれぞれの相がどのような傾向を有していたか、歴史的観点に立っ
た解釈を試みたいと思う。すなわち、仮定法の用法のどの相が一般的であり、どれが一般的でないか、そして一般的
なものもその状態を更に維持する趨勢を孕んでいるのか、いないのか、また日言9な用法も、それが旧語法︵畦。鼠−
一ω巨︶であるか、新語法︵琴90σq跡旨︶であるのか、についての解釈を言語事実に即して可能な限り試みることが必要
だと思うのである。或る一時期における言語現象の共時的な研究も、歴史的な見通しの上に立つて始めて成立するも
のと考えられるからである。
ここで扱かう写本は次の三つで、初期ウエストサクソン方言の言語的8旨一を形成するものである。
eo。も窃9冨禽o。一一。αqρo弩げ&σqρ蕊﹂冨︵国。げご・国。壽;邑野σpプω巨昌︵。・一e一寒馬㌧ミ計ミGミ§,
ミ恥§職卜黛§・>蜀8巴昌一9国国日oo・ρoo・80。・這鼻一yこれは一般には遺贈者の名に因んで勺p詩R目ψ
或いは勺碧ぎ﹃9§旨一①と呼ばれるものである。これの第一葉から第十六葉の表まで、すなわち紀元前六〇年か
︵n︶
ら西暦八九一年の項までは一人の写字生︵。。&げ①︶の手になるもので、書かれた時期は九〇〇年前後と推定され
ている。それ故この部分を対象にする。例の引用に際しては↓§魚鳳書砺嚢§Gミ§ミ塁㌧ミミミ・&・ξ
Ω影二①ω型一一ヨヨRoロ夢oσ霧肪o協目巴三gげ図一〇げ⇒■畦一pN<o一90圏○&︵Ω鴛o且oコy一〇。8占ooB︵一ゆ器︶
の頁数及び行数に よ る 。
初期古英語の仮定法iその形態と用法 二四九
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二五〇
◎ ω曇﹃げ冒島雲ヨ>︵往一3塁一窯9巨。。。昌︶什ミ℃ひN︵≧翼p騨9ヨ唇。目︵①α。︶一﹃書ご詳§§ξ98黛恥 ︵口騨7
ぐ国お野げ客嘗霧9障の一昌悶霧。。冒ぎ﹂貝︶Oo鷲巳一pσq自︵国oω9詩まo彗α弱謎頓R︶口℃鴇yこれは一般にい塁令
。三巴Φ竃ψ或いは日o浮ヨ8ぎ冒ψという名で知られている写本で、評巳拐98一島の窺ミミ帖ミ設ミミ唱ミ裟ミ
博論§身§蕊§︵拐薯撃ω8厨oh国帥簿&8おa霧けH︶お目ω︶の古英語訳である。かなり自由な訳で、全然別
の記事まで入っている。訳者は十二世紀の年代記作者の≦ま嘗ぢh冒畿ヨ。筈賃曳によってアルフレッド大王とさ
れるが未だ定説とはなっていない。この↓o箒巳8富零ψの成立年代は、この写本の筆跡が悶p詩R零qo・の八九
︵12︶
二年から九二四年までの項の一部の筆跡に非常に良く似たところがあるため、一応九〇〇年から九二五年の間に
成立したと考えられている。引用はこれの第一巻からである。頁数と行数は国魯曙ω≦8曾き亮﹄零裏.動9。−
訟§・勺p詳H国国日¢ ○・ψご一一c。ooい︵這$︶のそれに従がう。
◎ 零oo,国簿8コNO5些。切o色。芭一ごσ轟q暮○ほo旨︵客即民。﹃︵。︹一。y§ミ、窺乳ミミGミ恥■︵国母ぞ醇一σQ−
冴プン鼠目ωR首﹃5閃鷲巴邑5くH︶Oo窮昌品o員這まyこれは・iマ教皇9おoqHのGミ&㌧翁馬ミミ麸、ま
︵13︶
たは葡爵ミ黛㌧翰鳳ミミいという題名で知られる﹁牧者心得書﹂をアルフレソド大王が古英語に訳し、そしてその
序文にもあるように、自らの治めるウェセックス王国の全ての司教区にその英訳本の写しを一冊宛持たせるべく
書写を命じて成った写本の一つで、それらの写本の中では最も完全な形で残っている。成立年代は九〇〇年の前
︵K︶
後十年以内の間と推定されている。引用は国自曙oo譲8含調§恥﹂零匙、い﹃§6嚢§﹃ミ詮§県9禽ミ頴、い㌧禽ミミ
Gミ魯国中日oQ’9ψ&紳8い一〇。二㌧一〇。認︵一30。︶の頁数およぴ行数に従がう。調査の対象としたのはこの
員閂日oo■版の一〇一頁までに当る部分、すなわち第二一葉の表側の十行目までである。
︵1︶ O■○臼O霞ヨo\.震。。8qo︷90国夷一一号O段毒q..■問謹騨もぎのミ熱§一図い<︾い一G富,
︵2︶ ここで用いられる﹁仮定法﹂なる用語は、特に断らない場合でもすぺて﹁屈折仮定法﹁︵ぎ自9α9巴磐ぴ甘昌騨一くo︶の
意味である。
︵3︶ 言う迄もなく<一。。のR︵..円冨円Rヨ。。.望げ冒蓉氏くo.き山、冒&9自お、’..肉鳶騨鳶いミ褻3図図図くH妖︶の用語のもじり
であるが、ωβσ甘⇒9貯①を零o山巴マ旨畦犀o山8厩旨とし、一コ象o即自<oを冒oα巴ぞ昌o亭ヨp詩oロ3﹃ヨ或いは零oα巴ξ
N。3h9唐とする≦召臼の定菰に従うならぱ勿論このような語の使用はできないことになる。
︵4︶H6卑[喜︸。コミ∼§悪8ぎ9§§ミ詠醤ミ壽魯・﹄薦勢詩酵誉神§o着§ミミ罫§雫・肉ミミ“吻§ミ防︵曽玄轟魯﹂8管y
㈱雛称>口5ごω■ヌ寓■撃田お∵﹄国§。倦県肉誌騨魯︵[8qop這ざy℃い畠参照。
︵5︶ 小野茂﹃英語法助動詞の発達﹄︵研究社 一九六九年︶にも趣旨は若干異るが同種の詳細な調査報告がある︵第一章︶Q
︵6︶ 国碧昏・魯・匙・㌧マ嵩いの表では五・一になっているがミスプリントであろう。同書の原となった彼の一九六三年カ
リフォルニア大学︵バークレー︶提出博士論文四八頁によって正した。
︵7︶ ℃国の例としてアメリカ訳が用いられている点も一つの問題になるが、ヒの結果はイギリス訳に関してもほぽ当てはま
︵8︶ O臼国o嘗”Oきき鮎q鴇県蝋ぎ砺寂9黛§ミ恥ミ8“き込轟No−い§§㌧§織蓼、ミミミ魔ミo鳶きOミ肉鳶騨︾︹竃こ貸o
るものと思われる。
団昌αQ一一旨︺︵N辞8F一〇。ooNyコ’国三〇,b爵句ミきミぎ§幡愚醤頓守竃G︸割§ミ︵=o己9σ巽中お三y−や轟1一軌曾6肇竃臣$−
昌o一2亀ミ蕊ミ恥閏§恥調罫防随ミ嚢,b貰θ一︵閑〇一のぎ匠レ80ソ℃マa一i斜Vいい問■↓7≦昭o﹃,﹄§鳶傍む蕊“ミの史ミa訣貝Wぎ
初期古英語の仮定法−その形態と用法 二五一
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二五二
奪曵帖罫卜§恥ミ蕗魯b畦げ=︵いo箆oPおまy℃℃・Mひ学嵩ρ謎?翠一等における記述に従って分類を試みた。
︵9︶ 後に述ぺるようにこの音韻変化は、 ︿PPρεの混乱が既に九〇〇年頃の文献において見られるところから、九世
南部方言では一一〇〇年頃とされている︵牢国望一巨δ異凝韓ミ傍息馬§覧跨qぎ9ミ︸§ミき︵蜜冒90P一8いyやひざ9
紀末にはもう既に始まっていたのではなかろうかと考えられる。なおこの変化の完了した時期は北部方言では一〇〇〇年頃、
7noo﹃o”霞傍馬o、凡“R馬OミWミ§も砺県閏醤恥農向神 ⇔oミ書織q翁書載﹄蕊恥“欺o醤恥﹃o<一〇Qo創げ尾>,頃’7︷帥円o弁乏曽貝創け︵三剛O一一一σQp昌’一〇ひ高︶︸℃・MN
参照︶。
︵m︶ 問●目一ピ!、厨㎝oH℃o暦。町燃■b℃、博ooO︸菊,∪、ω一〇<一〇一白 閏養恥調砺︸貸醤職賊ぴ蔑凝∼o、黛■同,︸恥肉qoNミ職o醤o、黛 卜象§恥ミ象領恥 ︵︼Woωげo一!
一まo。y唱や岩下竃ご一’ρ家畠窪αQ巨帥舅﹂落象融県き馬霞§ミ黛魚肉誌§︸︵客¢乏磯曾ぎ一〇ざyやまひ参照。
︵11︶ 白に挙げる目ぎ㌧§覧ミミqミ恥︵ン富・謂︶のファクシミリ版の編者客刃区Rが同書の前書きで述べているところ
よる︵マ這︶。︾串ω一三9は八九一年頃としても差支えないとしている︵↓ぎ㌧ミぎ、Gミoミ器o。認180︵ぴo昌αo員
げ一〇鴎O吸ω↑O島”Mの≦P一〇げ一〇帥昌ασコ犀︷=一一80ωけP﹃OOO①斜昌 一昌o帥げ一P 一〇一昌Oひコ国昌σq一一ωOP’くΦ昌畠O一〇口α 一〇 舘一〇ロ員F ご跡OO噂ooけo一〇〇昌
げO一q¢ 目一昌醒コ一 一昌8ω切o℃艮o㏄仲o圃8汁 一〇び帥ココo ⇒島昌=︻昌 ヨ舘ooωo唱Hoo切酔ρ ω一αOpづ一〇 7凶o O帥 の〇一一〇﹃コO亀 一一蹄hαρ oo∈9 の≦帥 幽o
g睾凝萄︺貫男帥。。≦四一。ゴ。αQ魯。躍&。聾国濃目巨箒⋮2ヨ聾8募8鷲刈聾>馨8巨昌日房8窮M聾9巨,
’<oコ畠㊤昌ひ目団口σq=ωoOoδ⑳o⇒o回昌昌o畠ひ昌]い8畠o口℃四の肯o門p一一〇〇㌧特ひ昌国昌αq一一〇no︸目o門匹①げひP﹃≦障β日︵o﹃畠げo≦o﹃自P7≦==コ一費昌ユ吸界
団お房。鵯轟答貰8鼠p鍵ひお窪89の①ヨp贔&盆ヨ邑鴇2葺M目雪喧呈身ヨ募讐ヨ謬霧ξ莞§8窪ぎ。
︵B︶ .、田V卸一〇α騨αqoヨ目コユ㊦び= on㎝O一帥﹃いお島oロσq①α一〇qooo 8Hα一〇〇〇〇ロヨ 四︷oρ=o昌≦800αq一〇昌αQ >昌吸o一〇冤μ昌︸Mαo帥び ヨO旨凶のo O自αO口
︵12︶ >・O騨日勺訂=︵周ぎ日.ミ馬ミ§富9島誉い﹄マま︶の述べるところに従う。
一〇ω軌 ︵一■Oひ一■︶︶一 ℃. い︶。
巨目日﹃一8色一①き。。暑&警る診毘。器まぎ塞葺の①げ5診ま語毒暴g。。・ω四︹呂, ω窪罵巨。g
葺。国愚診些。げ8一︻茎一。三。。8一一8目冨誉評旨邑一切﹄呂首国最善浮①嘗Rqゴω。。ぎω。墓試墓の署。艮
暴昌8邑巴−鼠国茜酵∼<﹃酵礎﹂げ韓p弩。おgげR養﹃一塞四区塁轟&3量8。=募犀碁3β8鼠β
。&目・、.︵≦ぎ昌=。目弩幕同亀ぎ碕芽ぎ睾巨㏄。g罫爵げ鼠h。毒。身爵。超亀菅8讐。暮浮讐巳レ区藩梓
の目げ&§。げぎβα艮ぎ幕薯8宕ヨ㎝。乱目巳$算。﹂。貝擢日一・=冴。。・ヨ①α。簿。p①や。①い毘。島℃露8一墾富
国邑ω。由一ヰ①書巳§零。且⋮α曇≦。一。㍉ げ一ξ§ω。&。の&ン。き。冥齢.砿き一§ぎ篭
。<。蔓げ酵名旨ぎ目図喜覧§いp且g。p号些器一器畠ぞま酵ゆぞヨ男奮■ a§毒昌賦一おと富α3串
琶含霧3&拝帥呂田一8Eα目。簿。ぎ身葺巷曇律㌧H鼠琶器旺=旨。団夷一醇N且H色ポ。且p8写8
日﹃げ一昏oや彗q9冒ぎざヨ図ヨ帥串讐韓﹄&甘ぎ日冤目器甲冒婁’>&善窪H富山一①畦暮写島同8巨αぎ偉
菖ぎ三p且ω。露怠馨ω§。巳凝沖。昏。・・婁p錺Hゲ鼠一弩暮一蔚︷8ヨ勺一①窒§山ξ馨蔓旨。℃﹄呂>馨﹃
一
2・菊・国臼︵o︾9︾や一〇︶の所説による。
一一、形態
期古英語の仮定法 その形態と用法 二五三
英語の仮定法は、前にも少し触れたように、形態的には印欧共通基語の願望法に由来する。印欧共通基語の願望法
14
o=ぎヨ目&a一戸≦、げ。す9<言二葬一。g§。︶︵ミ一軌−迎Qも、一N占ひ︶
。旨器αヨ。お誓9εげ。訂。轟まぎ巨日聾R昏のΦ蓉目冨︾芸鉢ぎ昌αq算u・。鼠普弩ε募σ警。写算の。馨
き多§。β︹∀一き景多き。難喜団一窒ρ旨畢.影旨。a。。。§、§葺
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二五四
と接続法望三琶&おとは、前者が−議9−︵暮ぎ旨註。の揚合︶ないし−*9,︵︿。±・暮。ヨp訟。の揚合︶を附してそ
の語幹を形成するに対し︵後者は長母音畳廻o或いは斎帥を語幹と人称語尾の間に挿入して形成する︵のが一般的な
形︶といった形態上の区別を有しはするものの、意味機能の上では非常に近接していたと考えられる。通常行なわれ
ている定義によれば、願望法は願望︵三昌︶、非現実的な条件︵琶話巴8巳蕊o昌︶、事実に反する陳述︵。。$け。ヨ。ロ6
8ロ#騨曼8砂9︶を表わし、接続法は期待︵臼鷲9毘曾︶、希望︵ぎ需︶、警告︵卑山旨。巳含。、一︶、蓋然性︵℃﹃。σpσ監
ぐ︶を表わす法であったと言われる。そのためにそれらが混同して使用されることとなり、大概の印欧語において何
れか一方だけの語形が残り、それで以て両者の機能を果せしめるという事態が生じる.︺とになった。ゲルマン語派で
は語形的には希求法が残った。したがって英語の仮定法は、語形的には印欧共通基語の希求法に対応し、機能的には
印欧共通基語の希求法のそれのみならず、接続法のそれにも対応するものなのである。
現在形の語尾−o︵単︶、−8︵複︶は印欧共通基語の−菅o団−︵目o+剛︶に第二次人称語尾︵ゲルマン共通基語に関する
限り希求法とアオリストの語尾︶、すなわち直説法現在に属する第一次人称語尾の語末の、一を欠く語尾のついた形
﹄9ヨ︵一茜・y﹄o富︵Nのの・︶、δ冒︵い茜・︶、斎9暮︵い且・︶が、ゲルマン共通基語でそれぞれ,砦勢一目・,斎p一N︵,斎巴ωy
﹄蝕マ﹄巴尋となり、さらに語末の子音が脱落した原古英語の由、おロから来たものである。なお複数形においては
三人称が他の一・二人称形に取って代っているのである︵これは直説法の揚合と同じである︶。
過去形の語尾も−①︵単︶、撃︵複︶であるが、これは印欧共通基語の−斎同日︵一馨y,蚤國の︵N郵y,繋H叶︵いの叩y
−嵩嘗︵ω覧︶がゲルマン共通基語で﹄冒、誉同N︵−斎一の︶、菅同、菅冒︶となり、語末の子音が脱落した,回、,日から通常の
Strong Verbs(強変化動詞)
Subjunctive
Indlcative
初期古英語の仮定法1その形態と用法
Pres.Sing,1。
一e
2.
(e)st(一(e)S6)
3.
(e)δ
PL1−3.
a6,一e6①
Pret,Sing,1.
Imperative
一e
の一a6(2PL)
en(一an,一・n)
o鴫 ♂
2.
3.
P量.1−3.
−Qn,一un(一an)
一en(一an)③
Weak Verbs(弱変化動詞)
Subjunctive
Indlcatlve
Pres.Sing、L
(e)st(一(e)S6)
3.
(e)6,一a6,一et④
PL1−3.
a6,一at⑤
一e
一e,o,一a
a6(2PL)
en,一a∋n⑥
_de
2.
dest,一(1es6⑦
3,
de
P1,1−3.
don,一dun(一dan)
一de
e皿(一dan)
音韻変化を経て生じたものである。これは
ゲルマン語派においては、強変化第四類お
よび第五類の動詞における仮定法︵希求
法︶形成法、すなわち−同を︵幹︶母音で
終っていない︵緯ぽヨ豊。︶語幹に直接付
加する方法が、強変化、弱変化を間わず、
他の全ての部類の動詞にも及ぼされたため
である。これはまた過去複数形の語幹に基
づいて形成されることを意味するものでも
ある。−一によって惹き起されるウムラウ
トに関しては、古英語においてはつとに現
在形の語尾−ρ−8と一致するに至ったた
め、その現象は、過去現在動詞に若干認め
︵1︶
られる外は、余りその例を見ない。
右のような沿革を持つ仮定法の形が、
二五五
他
一e
2.
Pret、Sing。L
Imperative
一橋大学研究年報 人文科学研究 B 二五六
の二つの法、すなわち直説法と命令法のそれと如何なる対立を示すかをわれわれの資料に代表される初期古英語につ
︵2︶
いて見れば、一般に前頁の表に示すような動詞の活用語尾の差違によってその法的対立が示されていることが認めら
れる。
︵3︶
①Oや譲\ご鉱。毘&︵O鑑。些&yρ溶騨巳59魯﹂鮮㈱まρ︸目一・ド
②訪&き.8嘗α、︵強変化第三類︶の過去単数一二二人称形は砂呂ではなくh暮α。が見出される。これは過
去複数形の語幹に弱変化過去形語尾がついたものと切置目段は述べているが、仮定法形が拡張されたものとも解
することができよう。Oやお≧o葭名8・q・>・O騨目℃げo拝Oミ肉詰讐罫qミ§§ミ︵○臥oa・這鴇︶諭翼ご民・犀昌,
昌g骨ミこ㈱ω。。9ぎヨリω●
③ 仮定法過去複数の語尾−8の異形態として−導︵−8︶が存在し得るのであるが、ここではこの形は動詞形不
明として扱かう。従来の伝統的な分類の方法では、−目︵−9︶が、仮定法が規則的ないし頻繁に現れる環境に現
れた揚合は仮定法と分類された。従がって逆に−窪が直説法が普通である環境に現れた場合、それが直説法、2
の異形態であるとされる可能性もあった。以下の記述でとられた分類の方法は純粋に語形に依り、,9︵,昌︶で
あれば直説法、−自であれば仮定法とし、−き等は動詞形不明として扱かおうとするものである。
④語尾−9は弱変化動詞とともに見出される。Oや置\軍一凶8戸Oや誠\099無Oや置㍉暮霧93R・︾
O帥ヨ唱σo一一一愚、ミこ㈱鴇,ざ㈱博雛︵び︶ー
⑤Oやお、ひぴo色辞Oや獣、一Npαq邑p壁O︷﹂︷.切ヨ§Φお魯。ミ‘㈱まρど︾昌5一・
⑥ 仮定法複数形の古形由昌が一例見出される、︵ヴひミ8言傍℃蔓ヰ田ロ︵O毛pも蔓ヰ魯ソ
⑦8−8\一〇露己①8︵O琶一αoωε㌧9象08︵09&oω叶︶。
法的対立は、右に見たように、かなり多くの場合明瞭に異なる語尾によって明確に示されているが、現在一人称単
数形︵強変化、弱変化とも︶、過去一・三人称単数形︵弱変化の揚合︶、過去二人称単数形︵強変化︶等では直説法か
仮定法かの判別は語形的には不可能である。また過去複数語尾−きも動詞形不明として扱かうべきものである。命
令法との間では、弱変化の捧魯三一目.8需践9ヨ、型の動詞の揚合、仮定法とそれの区別が出来なくなる。
更に環境によって語形が曖昧となる揚合がある。例えば
○μ軌O\一匡βs§価のoげづ.一一8巴σσo寸㊤≦R霧げ艮α窪8同∀8ヨoユω一窪αoヨρ︶9器ぎo声三hω譲9日o巳σp8巴山
胤o一αgα①≦お︻go賞盲oωp昌ヨ一qα雪σq8巳o■︵20チ昌嘗一︷薯げ暮℃臼8日Φ昌げ畳げ臥oおO日﹃江p巳身一≦げg夢o冒
∼<○日g合島ωo旨870≦一目9幽ω8三一■︶
︵4︶
e■。。。\嵩2ミミ§σq。旨自ω琶8旨8ヨ。。・εαp一・8&Φ旨。︸8三H匿のの8=op碧ξ円。鍔O$語αq。臨。o身
刈げ琶&8≦e崔O§①誓一鴨雪㌧。。轟器ゲ異養9goび03きミ巳脇σq窃芭昼︵<。3昌9︵g畠○くR跨ob8犀
&夢夢。N邑≦鼠。7げ。9ω芸¢。。箒菩。旦g6器瀞。=ざ巨邑5σqωいゆ呂一旨Φも弩ω。一隔5巴一。8ρ=ぎ葺。三目。−
言⑳≦︸一。p一おω。。の昌①一<〇一じ
︵5︶
初期古英語の仮定法1その形態と用法 二五七
13
bi6
eom,iQm,eam
2,
eart
3.
js,ys,his
slendon,siendun
bio6,beo6
Subj,Sing.
Sle, S10, S1, sy
bio,b邑o
P1,
Slen,Sln syn,
Imp,Sing,
wes
bion,beon
bio,beo
PL
wesa6
bio6,b606
sient,sindonsyndon
Preterite
二五八
右の例文に見られる≦。コ。︵σQ①y冨巴留︵碧︶はく−ω
構文のため複数語尾が−①に縮小化されており、それが
≦①蓉樽サ$ざ匙︵命令法︵・直説法︶︶を表わすものか、
w紀re
PL
Sub3、Sing,
w肥ron,wa∋ran,W記run
wa3re
PL
wa∋ren
≦一8ロi︵鴨︶三3昌1︵αqo︶三9αの対立によって
等の対立によって直説法と仮定法の区別が、また︵鴇︶
︵直説法過去︶1︵落㌧σqρ日︶三珠雪︵仮定法過去︶
1︵3︶三雪ρづ、誘o︵仮定法過去y︵ミρ鴨”日︶三。。8昌
︵仮定法現在︶い︵3︶三緯8ρ≦誘8︵歴︶︵直説法過去︶
三8p︵直説法現在︶1︵∼くρσqρ冒︶三富p︵≦㎝︶≦5g
法現在︶ー︵す曾レ㎝︶急ε︵仮定法現在︶ス譲o邑ρ寓︶
.8ぎ9<.を例にとれば、︵す冨︶毒翼︵蜜︶≦蹄叶︵直説
次に過去現在動詞の場合を見てみたい。例えばヨ5昌
きないのである。
︵6︶
W毘S
2.
または≦臼§いぎ巴q§︵仮定法︶を表わすものか断定で
Ind.Sing,1,3.
一橋大学研究年報 人文科学研翫
sint,synt,synd
{
PL
blst
Ind.Slng、 1,
が直説法過去であり、何れが仮定法過去であるか語形的には判別できないし、︵3︶&審の場合は仮定怯と命令法の
直説法、仮定法およぴ命令法の法的区別がなされ得る。 しかしながら︵す冨︶&ω8︵≦望o︶の揚合は何れの揚合
Present
区別が曖昧となる。この葦δ雪の例からも判るように、過去現在動詞では、弱変化動詞と同様に、過去一・三人称
単数の語形は直説法、仮定法ともに同形なので両者の識別ができない。また惹ε昌や8き9とともに三5P8ロー
昌きの形も見出され、oと①の対立が脅かされんとしていることが窺われる。なお<−ωの語順の時、三誰鴨の
ように,薮㌧,oP,9の複数語尾がすべてゐとなり法の区別が失なわれることは、先に規則動詞の個所で述べたと
︵7︶
ころと同じである。
︵8︶
ぎ訂.の意味を持つ動詞の場合は右頁の表に見られる通りである。
この動詞では法的対立は殆んど凡ゆる場合において語形の差違によって示されている︵但し過去二人称単数の揚合
は例外であるが︶。しかしここでも<−ωの語順をとってσ同o≦ρ鴨・冨o≦α・鴨となった揚合は法の区別は明瞭で
はなくなるのである。また主語が省略された時にも語尾が落ちる揚合がある。
Oや鵠\一〇零&o﹃g富o。o≦①二〇ho鮮︹一震8≦p︺︵ωHo荘Rω﹂g跨Ro昌gげ080一奏曙巳霧言冨㊤ヨo韻岩F︶
その他の動詞では、三一一雪.βづ、一豊三一一.の仮定法単数形として、他の語形からの類推によって後から作られた
玉浮が本来の仮定法形≦ぎより頻繁に用いられ、三一。の方がむしろ三人称単数の直説法形として多く用いられて
いること、古英語に残った唯一の受動態形、すなわち冨ヰΦ.粧9矩霧8一一&、︵︿鼠σP複数形は菰暮自︶は通例
︵9︶
直説法として扱かわれるが、語形的には一応不明な形と見るべきものであることなどが注意すべき点として指摘され
初期古英語の仮定法1その形態と用法 二五九
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二六〇
る必要があろう。
以上仮定法の語形の由来と、われわれの資料に代表される九〇〇年頃の初期ウェストサクソン方言において仮定法
とその他の法との法的対立がどのように示されたか、そして如何なる揚合にそれが曖味となったかを述べた。一般的
に言って文語資料の上では語形的にはかなり明瞭な区別があって、法的対立が多くの揚合明瞭に示されていると言え
よう。しかし語形的対立がすでに無い領域も若干存在し、しかもその領域は拡大する趨勢を孕んでいると言えるので
はないかと思われる。それは特に過去形について言えるのであるが、弱変化動詞−古英語によって動詞活用変化の
主要な構成原理となっている弱変化によって語形変化をするもので、古英語の動詞の約四分の三を占めるーの単数
形では一・三人称形で已に区別はなく、複数形においても、この揚合は強変化動詞にも当てはまるのであるが、,oP
−窪の異形態として幽P−琶等が数の上では僅少ながら併存していることから説明することができよう。また強変
化動詞の過去単数形についても、一・三人称で直説法形のh窪αを駆逐して用いられている甘呂①の例︵O℃・$≧
︵10︶
o耳琶αΦ︶は、過去形を一つの形で統一しようとする中英語期に特に顕著になる変化の一種の先触れをなすものであ
見られるのではあるが。古い時期の語形の残照として−窪に対する由⇒といった古形を保ちながら、この時期の法
ると言えよう。尤も中英語期におけるその変化は、直説法形を拡張させてそれでもって統一しようとするものが多く
︵11︶
的対立の動詞の屈折変化による表示形態は右のようなこの時期以降の語形的対立の混乱・消滅といった現象へつなが
るその現象の初期的段階を已に示しつつあったのである。
︵−︶ 国’津oぎω。マ﹄9§博ミミ尽馬oミミ§昔Oミミミ塁︵ω巳試ヨoβ這ωo。︵一8ひ︶y℃やNoγPNま19>・O帥5勺げ①嵩
︵一獣Oy㈱冨ご民■国2昌器斜oサ§、、翻まド ま弥参照。
︵2︶ この表の作成に当っては>,O騨ヨ℃σo一一︵這$y℃やN獣身零ω﹃目昌ぎ5尽甲§■、翻誤O玉一ざρコ属段93↓鳶
ミミ黛ミo畦魚肉黛恥﹄ミ匙.砺辱§旨畿§貝き恥93§砺︵↓訂頃おき曽一まo。y毛・軌一鱒ρ980譲一”﹃富卜§恥§鷺
魚㌧ミ、ミぎ鳩Gミoミ“劃<o一﹂︵月冨閃お垢、這aybや圏O中等をも参照した。
︵3︶ OrO℃こり費はそれぞれOξ劉誤一〇ミ割、翰馬ミミ罫㌔ミ詠ミGミoミ亀もの略。
︵4︶ Oこ魯霧の現代英語訳は主としてω9口、。。>暮昼q鴛誉昌ぼげ冨蔓の中の一巻﹃富卜慧§&ミミ酵魚民ぎ恥﹂零幾
︵[O邑O戸一。。冨︶所収のω’目さも①の訳文によっている。
︵5︶ G窯ミ、§Wミミ嵩の現代英語訳は国・ω譲o辞︵a。y愚・&■に付されているuう≦09の訳文に主として負っている。
︵6︶ 距9言筈色︵這岩ソ⑳Mω9区・切旨暮9。>ミ■一ゆま9b。参照。その他のーoで終る仮定法複数形についてはい,
国8ヨゆ巴昏、.05団お房げ=貫aoo目げ一⋮9ぞ窃冒§、、∼閏O旗図図一図︵這8y℃や一〇〇占嵩参照。
︵7︶ 国。ω暑⇒冨ツ愚■息‘誘爵OムN斜参照。
︵8︶ 参考にした文献は︵2︶に同じ。
︵9︶︸O帥日℃げo一一︵這$︶は..冒藝−oo包創ズげ義−跡器ざo日①尊撃身qεω三。。叩層審・ぎ色ρ︵巴鼠囎創一田$ロo窃pお
昌oの↑ぐ雪三︶、、︵伽Nひoo︶と述ぺている。なおH︷・ω2目9魯・ミ︾伽畠o。㌧>昌3ど戸O∈﹃一︷知○い≦お昌R込§Oミ
奪曵軌罫Oミ§§ミ︵■o⇒3Pお鴇︵G8︶y㈹o。o。参照。
︵10︶ 臼団冒霧貫8一P魯・も焼︾や呂Nによれば、その過程はこうである。すなわち強変化動詞の直説法過去︸二二人称
単数の形︵例えばξ区︶が二人称単数およぴ複数形︵本来はげ旨自Pご仁ゴ畠9であった︶に拡張され、更にこの直説法形
がもとの仮定法形︵げ一一区ρげ昌区自︶を駆逐するに至ったのである。この変化の起った時期は方言によって異なり、北部方
初期古英語の仮定怯−その形態と用法 二六一
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二六二
ンn律OげO=”﹄
言では古英語期の末迄にすでに完了しているのに対し、中部方言では十三世紀から十四世紀にかけて進行し、 南部方言では
十五世紀以降になるのであると言う。
︵11︶ 或いはこの由踏も古形の残渾というよりは語尾の乱れの一つの証左と言うぺきであるかも知れない。中
Oミ§&Oミ肉粛禽︸︵04g鼻這摯︵Gひ軌︶y伽=斜い参照。
三、用法
さて、右に述ぺたような語形上の対立によって法的対立が示されるわけであるが、ここで言う﹁法的対立﹂の
︵1︶
﹁法﹂︵匡oa︶とは﹁事態・行為を言語的に表現する際の話者の心的態度の文法的呈示形式である﹂と定義すること
ができよう︵その意味では盆09という語よりはむしろ竃○号といシ語を用いるべきであるかも知れない︶。そして
その事態、行為の現実性・事実性或いは実現性を主張することに自らを委ねようとするとき話者は直説法、あるいは
昌oげoooヨ犀①αo置一〇
︵屠5αo≧坤Φqげ茜。。
命令法という言語形式を、そしてその主張に自らを委ねずあろうと考え、或る一定の距離を置かんとする時仮定法と
いう言語形式を用いるのであると言うことができると思われる。
直lOや建一由年a5巨お、ミ職讐再き≦弩8&玄。。8℃げ一望ε巳自二島一8刈弁。8象8,
讐8仲玄こ。びo℃≦8匡臼P≦一9三ω≦o巳ω一〇<5σqぐ餌口α且浮坤一〇一一留臣℃ー︶
Oや凝\這oo。お8R。い題ミげ一曾。。巨一。。竃まg三。。σq80算ρ審ヰ。尽コ目。毎目窃巨昌。
﹃3α品昌おρミ麹恥港ミ﹂。&おヨα艮箒ヨ認。&q鵯嘗g&声
88プRヨ島伴げ。。<霞唱霞05一・8拝9暮8一昌・℃霞一ぐα。詮。げ昌
。尽げ一。げ巨8&唱。&9Φ言℃巨身。脇。夢ΦHヨ自、。・げ$誘ー︶
Oやホ≧刈92欝α∪曙算①員肉&9目o巨昌ωo$罰咀h曾
ヨo昌昌騨げ8拝⇔昌α紹伴
9Φβ一三ωヰ塑怠○昌 傍o
α韓8︷巨。のの一。■︵一,誇
一臨αqρ︵︾且9曾ω巴α跨oい9,免..頴8
︸
<¶﹃F①P ]﹁① 仁肖F島O﹃叶帥︼︽Oω
昌一〇
初期古英語の仮定法 その形態と用法 二六三
機能を持つように見えるが、事態・行為の現実性ないし実現性を主張することに自らを委ねる法であるから、われわ
﹁命令法﹂︵H巳一︶。声葺お︶は話者の意志︵≦葺くo一三目︶、要求︵閑Φ2Φ簿︶を表わし、一見仮定法と近接した意味
︵oh切・魯ヨ窪Ω巳界ぞoぎ旨一訴ooぞ①一㌦、いg昌o巳目一お算騨一目8旨琶α日p墓霧弩ρ、、︶
oや&b]wΦ旨。一2ヨ旨o目一旨9。。汁g一話⑳。αの℃亀。88轡2。象翼馬ロ目ヨg匡§①旨毘きβ且R巨ヰ塁■
雪α。<R昌。≦5巨。。ヨo邑ω菖お屈o呂ω①ωぎ目&①g葺暮08量o昌800e
①㎏冨σ。ロo巨ooHo二〇≦玄目些し。叶げ巨①く曾8甥一α。同夢。ぎσ⋮蔓o︷器σq目。声自op≦三9一ω置σも駐B
暴ωp。聾、旨8審ヨ自︹一︺旨けρN。・葦鴛燃謄§8げ一&$藝ヨgα凝。。﹃&舅o&。αQ①更。︵勾且喜。静
oやo。蔓三1ま刈鷺評§馬ぎ甑巨。§。。轟毬①一Φω二9爵菖9。器田α段訂讐α㊤塁。冒留器田津①霞雪8雪−
↓置跨。り℃oざ一.、国pく。。。巴二け嘱8卑温℃88騨日自αqも・.、甲︶
oや還8切&8ヨの一。ω&霞・・9。の2思一融&ミ職碧馨洋。三8ヨご酵。ぎ§︶σΦ茸<8三。畢︵Oh毛げ喜
目望。。ぎ。℃﹂︷夢8一〇<婁目①。、、︶
二六四
一橋大学研究年報 人文科学研究 13
︵2︶
れの定義によれぱ直説法と同系列に入れることができよう。これはまた、 古英語期ですでに語形的に仮定法形と区別
ができない揚合もあり、消極的な証拠としてしか援用できないけれども、 語形の上の関係からも言えるのではないか
と思われる。即ち単数形では
OやOO\旨国8げげ①艶o旨o目三ω三戸N駐o&︷巨①器o一〇拝刈包8︵Oαo︶α曇註囲αおヨ≦臼Φ①馨巨o巨目
目答曙耳。agω8塾Σ5巨器ω轟8ヨp身一塞三〇gβ目︸、耳げ8唐窪,︵、、卜9臼9ヨき冨ぎ三ω∼<一すp昌
①p3≦oヨ墜訂二巨旨昏合き︵=g芸。︵・ヨ雪a≦一夢夢Φ日魯註声二乙ρ註β磐島ぎ&島冨二昌葺①弩語
ミ塁﹂①繋筈28目ヨ詳8H巳8怠g、、,︶
右の例の30のように仮定法との間で語形的に混同が起る揚合が多少あるが、複数形の方はその語尾の−&が直
説法のそれと同形であり1事実、古英語の命令法複数語尾はもともと直説法複数形の語尾︵三人称複数形︶であっ
たものが拡張されたのである﹂これは古英語の話者によって十分意識されていたところであろうと思われるから
︵3︶
である。
仮定法と直説法︵或いは命令法︶の使用を特徴づけている法選択の根本原理を右のように﹁事態・行為の現実性.
事実性の主張に自らを委ねるか委ねないか﹂に求めたのであるが、ここで注意しなければならないことは、法の選択
が、それは本来は意識的な選択であるべきであるが、往汝にして無意識のうちになされるーいや寧ろ意識的になさ
れることの方が少ないと言うべきであるかも知れないがーことがあるということである。或る一つの法の無意識
的・無自覚的使用は即ち、その法の法性︵蜜a裟身︶ないし法的意義に対する意識.感覚の未分化につながるであろ
う。従ってその法はその用法の外縁部にその未分化の法性感覚に対応する領域を持つことになると考えられる。この
未分化の法性感覚に対応する領域が、語形の崩壊・融合といった外的な原因等の為に、他の法の領域の中に編入され、
ひいては法的用法に対する意識の変化をもたらすのであると考えられるのである。英語ではこの変化は仮定法から直
説法へという線で行なわれるのが普通であったことは言うまでもないことである。それ故、後の時代の直説法の用法
はそれ本来の領域に加えて、初期の仮定法が担っていた領域のかなりの部分をも併せ持つものなのである。
初期古英語の仮定法の用法に法性感覚の未分化の領域を多分に認めることは、仮定法が急激に衰え、直説法に取っ
て代られていった環境、即ちω。品き.8ω睾、も≦&彗.8ω曙、等の後に従う名詞節、Oo蒙。、夢9⇒、に導かれる比較
節等におけるそれの用法のその後の変遷に徴して、その妥当なることが認められるであろう。何故ならもし.︼れらの
環境において仮定法がその法性に対する明確な意識をもって使用されていたのであれば、急速に直説法形によって取
って代られてゆくという事態はおそらく起り得なかったであろうと考えられるからである。しかし、如何に無意識
的、無自覚的に法選択が行なわれたにせよ、そして仮定法の選択が如何に未分化の法性感覚に基づくものであれ、対
立する法である直説法をその揚に用いることには違和感を感じ、躊躇する、そういった法性感覚はやはり存在してい
たと考えなければならぬと思われる。そこで仮定法を無意識的にせよ選んだのは、この時期の話者が仮定法の法的意
義と考えているところのものとその揚における仮定法の使用とがさして大きな抵抗感もなく一致しているからに他な
初期古英語の仮定法1その形態と用法 二六五
一橋大学研究年報 人文科学研究 B 二六六
︵4︶
らないからであろう。
われわれはいま仮定法の法的機能を、﹁話者が或る事態・行為を言語的に表現する際、それの現実性・事実性︵な
いし実現性︶の主張に対して自らを委ねずあろうとする心的態度を呈示する法﹂と一元的に定義した訳であるが、そ
れが実際に使用される時はそれが置かれる文法的環境によって種々の意味機能を持つことになることは述べるまでも
無いであろう。すなわち、主動詞の辞書的意味或いは文法的意味によって、或いは接続詞の意味、語順、イントネー
ションによって、そして広く前後の文脈等によって、或いは﹁勧告﹂︵国首o箒彗8︶、﹁願望﹂︵≦一跨︶を、或いは
﹁譲歩﹂︵9目鵠。。一曾︶、﹁条件﹂︵9区三9讐身︶等の二次的機能を獲得するのである。それは先に述べたような第
一機能を有する仮定法が、それの置かれた文法的環境がそれにかぶさることにより、その文法的環境が持つ意味合い
を付加的機能として持つに至ったものと考えるべきものなのである。
ところで仮定法はそのような独自の固有の機能を有するものとして使用されるのではあるが、その使用の頻度数と
それが置かれている文法的環境との間に密接な関係があることが観察される。例えば、ω。。⑳彗.8ω竃、噌。毛&昏.8
.といった動詞の後に従うα馨.昏暮、節では仮定法の使用回数は直説法のそれの九倍であるのに対し、︵σq①︶o旨−
存在が、﹁事態・行為の現実性・事実性の主張に自らを委ねずあろうとする心的状態を示す法﹂としての仮定法の選
定法の使用とそれの現れる文法的環境との間に、主動詞ω8αqpP。≦&窪の辞書的意味の存在が、また接続詞霞の
詞の中でも聾、ぎ88.に導かれた揚合には、極度に頻度が高くなるのである。すなわち、これらの例に見られる仮
§.8旨異。ぎo︵P冥8一巴ヨ、の揚合は直説法のそれの約四分の一なのである。また時を表わす副詞節を導く接続
。。
択を心理的に容易ならしめているといった意味での相関関係が存在しているのである。このような相関関係は殆んど
全ての場合に存在すると言っても過言ではないと思われる。従って、仮定法の用法を知るとはその相関関係の対立項
を求めることに半ば等しくなるのであり、仮定法の用法の歴史を述べるとは、その相関関係の変動ないしずれを記述
することに他ならないのではないかと思われるのである。
初期古英語における仮定法の時制は現在と過去のそれであるが、仮定法現在は現在・未来の時間領域の中における
法的関係を示し、
Oや≒\云1ま2①σδα8梓昌9ω&①&ヨo身①即閃篤ヨo=o⇒讐o洋①鋒ひ田げOoα①uり∼<一=p亀馬α8梓一一①oh①﹃&おぴ8旨
鴇ミ魯①聾ぎαo雪。§︾§魯8富。巨階&一aao&。ω三一一目v置ω山o営ρ刈誉こ襲恥曾⋮2ω富α磐①缶ヨ<一。一−
諾ω$︵H江ωき什#ま7一ヨま蔓﹂︷卑ヨ臣鷲8虫く舘夢p江ユωoa.ω三目島鋒ぼ幕30奉o些塞﹂曾喜=8
器h5Φ一戸ぴ暮8ω号昌叶80&、ω註=p且α8﹃。ρ即邑﹃。一冒ρ一計プ跨。<一80hoげωけ一尽。零︶
︵5︶
仮定法過去は過去の時間領域内の法的関係を示すばかりでなく、
9・軌ミ零男。;三げ。ω℃§&崖馨・冨ωR凶の言コ凶︵5団。・8零α▽馨旨毒﹃・−きまpω雪∀婁・。冨sミ§、
冨・亘・寸巴一奉ミミミ三α冨ヨ2旨⑳老・自三。声の。三一胤①一︵一。区ρ︶馨三。ω奉︶。昌8ニソぎ器露洋g
初期古英語の仮定法ーその形態と用法 二六七
一橋大学研究年報 人文科学研究 B 二六八
皇α冴ロ目。ぎ⇒且p巳︵≦芽α。一・善β睾8日冨冒。︷跨Φ器o区のけぎ仲目①・。﹄民ω避爵;。乏琴誘舘,。
看ω。仲琶琶器義9善。p巴ぎ尋還§姦。≦爵跨。ω。一︷ぎαq盆。農¢<帥憂ま乙婁ρけ耳巨貧
昌g罵曾b且聲属目Rqぎ日鶴。一覧︶
過去における黍 時 ︵ ぎ 邑 ⇒ , § 屡 ︶ を ・
9娠ミ8−ま浮冨ω奉身αρN⑳睾。身。き。ω臣。弩。。D曽一巨。。・ω。oh警ρ8α。p▽。目。耳gけミミ恥﹂
e●ω一\嵩ω①.O①8巳αQ一一。蜜ωp一。§冒σQpげ。ω三&﹂一ぎ霞§馬σ魯。おα聾臣旨鎧§恥。。β蜜信。ω三。壽o旨8審ヨ
したのである。
た時間的観念の欠如した非現実︵98呂ぐ︶の観念 従って現在・未来の時間領域内にも属し得る をも示
h。ユお8Hヨ。暮ぎ一ε
跨。目誇声巨①ヨ聲≦。﹃。酔町暑昌葺○詫9Φ巨σq拝ぎ貝︺げ9くαqお鉢爵㊦。曙き巳αげp喜曾毎曙壽器誓や
3豆︵国。象創。n。る民壽。品耳言げ霧ω夢。鼻g。。。。・。︷㊤げ三どぎ。巳曾夢p什善自律語ω一・。ρp呂琶・①p
旨g冨$馨き旨8。三目昏儀g§§、ゴの。巨看一ご壽累弩§3寸o目㊦一・一。寸馨ω琶冨8コ耳。葦。且。名$,
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なお仮定法過去完了の例は見出せなかった。
さて、次に仮定法が初期古英語において、如河なる使用範囲を有していたか、そしてそれが如何なる趨勢を孕んで
いたかを詳しく見てゆきたいと思う。前に述べたように仮定法の用法を究めることはそれの生起する相関項を求める
に無く、○惜に三例︵その他に動詞形不明の
ことに半ば等しいと思われ、これからの記述の努力の半ばはそれに向けられるものであることを始めに断っておきた
い。またそれに際しては通常の節の分類が適当なのでそれに従う。
ω独立節
ここにおいて最も普通な法は勿論直説法である。仮定法の例は勺勲
二六九
轟Q\一い︸轟い\二︸
斜い\一鈎 轟ミ
もの十二例︶、Oやに五七例︵その他に動詞形不明六例︶を見出され、 合計六〇例︵動詞形不明のものを除く︶の中
現在形は五六例、過去 形 四 例 で あ る 。
現 在 形 の 例 を 主 語 ・ 動 詞 の 語 順 に よ っ て 分 類 す る と 、
<人oり︶一8︵>日σ,ま︶
ω℃震・D・ω5中“お︵○き軌O\8一〇や軌\どミ一い、8\一軌矯卜oQb♪N軌\一り 誠\鈎a\N︵のo風oy
初期古英語の仮定法fその形態と用法
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二七〇
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9、顛。\N器尽§菩。言①冨声ま匙匿冨郭薯喜8︵■薯蝕書︶︵プぎび。二曲g。&︵び。伴螢昌g。豊蒔二、。p
人称の例を挙げる。
在形の例五六例の中く−︵oり︶型の語順をとる環境で用いられた例は五〇例で、約八九%の割合を示す。先ず三
9﹂。。奮し。ミ■9■&\一ρa\。。い≒\N﹂。。ま・
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期古英語の仮定法 その形怨と用法 二七一
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α。置ω報o厩身日ロ①吸。一帥o︷8,︵げ暮一霧夢①h①畦o︷臣のo≦昌h窪一岱ヨ&。β富芦帥呂一9置ヨ8ロ導p一三夢跨。
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一橋大学研究年報 人文科学研究 13 . 二七二
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ヨ窪げ匿σ。hoおO訂一。。賦騨昌帥ぐ::︶
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︾g8ざ睾p呂≦富ξ2曾①。竜pσ一。o︷閥昌・&昌の・︶
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称の例。
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四区島。包言募ぎ巳。。﹂8叶ぎぎ名目量α婁鼠江の島。彗8名鶏ぎgも。p犀ぞゲ暮。お耳εぎぎ讐。。ゆ−
一一
一一謎≦﹃gゴ。の8堕島。ぎ一い、.︶
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8層o日鼠≦♂=簿巽8霞ωo■..︶
動詞形不明のものを含めて五例中三例︵Oで8鳶90。。\年ε\三︶が命令法形︵三99詩09ξ39。一畦&︶と
共に用いられている。動詞形不明が複数形で多くなるのは先に二で述べたように、一・二人称の人称代名詞が動詞の
後に来る時、往々にして複数語尾−&、oP−聲が−①になるからである。
︵6︶
次に一人称の例を挙げる。すべて動詞形不明の例であるが、げおσσ。の例は普通直説法形とされる。
○戸一ミ軌2ロ︾亀さ恥≦o震≦穽8︶8門o>ω一き曽∀α毘一ゴロ§詳≦oh88匪88&匹毘p︵≦Φげ雲o昌o乏≦葺け8
0h夢。ψ2菩冒詳o︷>ω5昌oを註一一名Φ層08&倖o跨⑦昌○ヰび醤拝︶
Oつ&\昌Ωo︷譲oα8器げぎσ&ω一声目一〇一〇のo茜o刈ω仁帥ヨ一〇一〇σq一①旨琶窮声ロ一3簿目騨。ゆ置帥旨p葺oωo一賄﹃p
α8目︾亀導恥≦oげoσq睾hgσqggqoωロδoβコ§≡09︵にミΦ砕接o器旨ロ9貫8巨①pロαo霧o即げ050旨昌o一σqげげ○旨ω
霧〇二露一<。ρ器鼠<Φび。一げ︷86。。︸げ&<。曼巨pヨ①一①。。。。ぎ︶
初期古英語の仮定法’その形態と用法 二七三
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二七四
ふ§9協語9目。ω8巨&α馨壽8琶。&・目ヨ8旨ヨ。Q琶。ω鷺。8P言§ミ恥壽9昌。8Ω・3
梓言ω彗αqβ跨。H8跨。冒昌・。鼻ωo=。蔑。ヨ。暮騨鼠ω。一答区。夢嘗巴良おo夢。=器昌舘目仁。7器℃o。・。。琶。∼︶
℃曾∼︵≦富=。霧g富く①一げ8ρ≦げoω一旨。三夢ω・。プき﹃厨螢且。きσ。ωo島①︷三8島。嘗鼠αq菩。暴﹂。同
α曽声σq。雷筥暮のpNα一品。一まω器刈器。ヰ。げ。こミ§恥§︵O叶旨&魯︶α。目。α段。巨巨。&。﹃βヨo弓費ヨ霧けσq。匿−
﹂ミぴ。鵠≦聾α窪8&①騨曾03斥一。昌・語9e日。・gβ9刈ヨお8巨。声三。訂言ヨω轟曙暮①げ8pげξ幕
︵=。凶部一㎝・品げξ昌&gg。︷oo一〇巳ざ餌且ざ旨巴一げ。8一一8言一σq一一〇昌ξ夢。旨。。ゲ&■︶
曇
,軌
︶ \。。。。。げ一α。⋮§﹃§憲§ω昌げ帥ー8馨︵。ω。一一①︶。。げ一ω§旨ω。p昌ω。§’
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諾ωω卑−︵2。<R芸。一。誘喜。。く曾α①巴目88一白。≦F一①=・巨﹃。&言幕げ。。厨≦げ緯目一ωロもωp民善鉢・。8旨8ω
温。蔦冒①魯ω語薯。一8。ヨg。。奉蓄富∀聾&鼠pミ魯。一旨δげ。8ヨ耳。一8昌αq①試尽vぎ①一8怠σ。﹃−
︵窪α葺o豊マH。需。。㌧。費9ω営身Φ一奮一g中ヨ区。。酵。﹃9≦げ巴。−匿α①03︷ωΦ巴、ω︶
︵7︶
9・一。。\§曇⋮骨㊤℃pω暮。ξ畳讐帥凝。葦︸き冤暑翼。置。。凶。一。幹
ω之型は六例あり、現在形では一一%になる。
跨①一。ω冥。8蔦︵一h壽弩Φ霧鼠ヨa8招。爵の。8。・叶﹃斜お塞レ暑畠8ぎ名。接ω。酔oo。亀︶
■$\嵩ω。α。き①ω。α①。①。民①げδ。3蓄巨ヨ。羅ぎヨ刈頓①雷韓巨σq・β。。語一8奉韓る・℃§8p刈α。g。ε
上の例から見るところω−<型の語順をとる環境に現れる揚合、その環境は多くの揚合修辞疑問文とか相関否定
冥。器幹一一ho。︶
山貰ま。ωヤ︵20二。什ゴ巨α①の一器酔ξ藍おS詳ケぐげ曙o且9餌計昌9σ。一島目88qξ㊤塁①貰琶矯︷Φ碧oh鼠の
・。。Q㌃2Φ証巨αqΦげ①塁ロ88邑麟8。。o︷。&鴨㌧器げ①げ巨ま。ミミ魯ぎ目。8邑一。g。の①9ω8騨且壽寧
H。8一<8置島o冨宴言ヨ①算一目&身9岳江o匡ωOoぞ9︶
目①呂gaぎoβp民εoo訂ぎ鉢①ぐ艮賃巴ω夢①ω后話目8ざ訂8邑巨唇#oぎ昌夢①巳22ぎ訂ω
図冨け﹃巳び。ω℃§。8富のa。。℃亀①ス︾鼠一露試B・昌o旨⑳痒区&叶げ旨9ρ轟霊。ωp且ヨR一冨器毒鼠<。
の三α。&Oω。8﹃&審ヨ$一α。乱oヨρぎミ辞罠琴α聾﹃①困8旨富α磐毒α&oお器h87g鼠葺箸魅島器α①
おO℃■$\嵩は殆んどく人ω︶型と見てよいのではないかと思われる。
呂\旨留曾舘三αq屋α厨騨一窪三おpσ8巳8一窯ヨ霞ミ恥げ。富3審二旨⇒≦鞍。霊旨直
去形の例は四例︵曖昧なもの二例 9・ε鳶鉾Oや茸溝︶見出される。
O℃●
五
一け 妄O﹃O げO叶け①厩 隔O肘
一一
ω焦霞⇒ σq。叶蒔&も。D轟魅≦oも窪梓oω腎σqヨ区ρ︵.、国。≦ぎ88貯窃o器9二一8。一犀一。8β
初期古英 語 の 仮 定 法 そ の 形 態 と 用 法
Φω三9器oヨ8α舘日
詞構文等の特殊な環境に限られるか、或いは主語が限定された特殊なものの揚合に限られているように思われる。な
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二七六
匡ヨ87pくo帥ヨ三答g①江a8げ厨ロ8ぎも一己ω08げo夢﹃○≦コ8些oσo#9昌o︷二一〇のΦp、、■︶
ε﹂ミ曽ω。αQき。8田一σq・ヨげ&。げ8冤ヨひ㍉0。目⑦昌旨旨・旨げ巨⋮・&。ω看a帥09。蓄98&8
0コ≦診のΦ耳ヨαq貸σo貫Φ﹃一ヨきミもα8二一〇〇昌奮。。都p7践①刈38&一一2日ミ8同2ヨ巨。。一陣h⑳08αo山9︵瞑o≦ぎ
㊤暮a島げo蔓o巳oβ窪α三9げ鼠o釜ヨ℃一〇望o一夢Ro︷毛o巳のo﹃o隔≦o鱒。。、一〇器ωo跨o﹃ω霧ぼ帥ざ捧毛R①σo“
一震︷o﹃巨ヨ8gα三ω年oぎ即﹃目ヨ三震の鼠怠oβ帥昌山一昌o胃跨ぐ≦o﹃訂一︶
Oや鴇もoo一〇ωo風︵一三屋。。三〇〇︷8属o︷①包声げ巴一⑳βユ日oミ薦魯OB叶巨筥o津Opαqoω三poVgo巽h&=お⑳魯巳−
需昌︵目箒巴昌≦2=鼠<o賊。ヨo︿&臣ヨく。qh碧坤8一9Φ雪旨げRo︷巴一跨o舞冒貫7区昌g臣㎝8=。匹騨且
鉾2亘$8eo8巨ω﹃〇一℃帥σq蝕p︶
Oや蟄\旨圃o謹ぎミ範這o崩①︻ヨOq㌧⑳需冨︹三甲︺o≦田qoα紹叶ぎ”お﹃oロ昌像o&こ匹巨のooo首℃g山o■︵餌ロα︾お巴Pげo
譲○巳αぎ<。σ。自冥。旨旨℃葺2ω﹂︷げ。訂q艮霧。α8,σΦ旨互。g8夢竃費ぎこ
前の二例は 、巨ヨ≦聾。ぎ8おO馨⋮、、型であり、後の二例は条件節に対する帰結節の中に現われ、ω−<型をたまた
まとっている。 −
独立節における仮定法は以上の例から、現在形では命令・勧告︵見出された例は殆んどこれに属する︶、または譲
歩︵Oやo。蟄峯︶等の﹁意志﹂︵<○︼三9︶の色合いを第一機能の上に付加的に帯びており、過去形では﹁条件﹂、すな
わち﹁非意志﹂︵29之o一三9︶の色合いを帯びて用いられていることが観察される。しかしそれらの勧告、命令、譲
歩、条件といった意味はあくまでも二次的に文法的環境によって付加された機能なのであって、ここでの仮定法の使
用を支えている根本的な機能は先に規定した﹁事態・行為の現実性・事実性︵ないし実現性︶の主張に対して自らを委
ねまいとする心的態度を表示する法﹂としての仮定法のまさにその機能に他ならないのであることは明らかであろう。
︵8︶
そして仮定法が置かれている文法的環境を見ると、現在形ではく人ω︶型の語順を持つ揚合が圧倒的で、ω−く型の語
順では文脈、主語の種類といった面からの制限が強く働いていることが判明した。過去形では例が限られているので
概括化を試みることは危険であるが、、ゴ営ミ聾①訂8器α聾::.、型の文型および条件節の帰結文にしか見出せなか
ったところから考えて、やはりいずれにせよそのような限られた環境にしか見られないであろうと考えることができ
よう。独立節の仮定法が相関関係を持つ他方の対項iそのような環境の存在即仮定法の使用とは結び付かないであ
ろうこと、またそういった環境の示す意味即仮定法の意味ではないことは言うまでもないが、このような環境の存在
が仮定法の選択を心理的に容易ならしめるであろうといった意味での相関関係が存在すると考えられるがその対立
項1の領域はすでに限定されたものであり、特に現在形のoo−く型の語順を持つ型ではその限定は一層強化され固
定化に向う傾向を示していると考えられる。われわれの資料に見られる初期古英語の独立節の仮定法の用法は以上の
ような状態にあったと言うことができるであろう。
︵この稿続く︶,
︵1︶ R■、.ぎ。。げo拝90δRヨ.旨oa、一ωび①簿器の#一9&ぎα自o試昌破日a巴臣oHヨのo﹃ho厩ヨー鵯oξω冥oのo暮aぎ芸0
8三夷葬一g9<R富p且震℃賊島甑おヨo旨巴卑葺一旨o即費器馨ユgす一ぎ器昌器σq窪①声一ぐ区o営aげ冤梓訂国昌oq房7ご㌣
初期古英語の仮定法﹂その形態と用法 二七七
αq
一橋大学研究年報 人文科学研究 13 二七八
。﹂言8島募2壽けωp匿畳。蔓言尊三ぎ騒註霧。hヨ蔑→、日§ま。の.讐.目。量毯8誘.︶書﹃。・。の。島
︾恥戚防 亀馬砺 O、O砺燐 恥 醤 ㌧ 一 目 ﹄ o o , 団 O ,
︵6︶Oh.、・−ωo註乱ぎぴ富き巨σQ①5轟。問o毒p一ωH&一ξ江諾ω9鐸..︸。国≦三降夷、ミ馬留ミ嚢き織§馴、塁︾§ミー
︵這呂y唱﹂占甲
魯匙ζや参避≧雛og’o■ρ9§ρ=冒琶轟。り一も89①国夷一一ω一=5α爵。o。毒塁oo呂一自・穿Φ.−ζ肉o淘図図図
ζひ Pω 一げO OO日℃O口昌島 砕①旨ωO切 山O<Φ一〇℃甲一げ一〇〇 ︷目昌Oけ一〇昌一ω沖即﹃O目 O︿O﹃ げ﹃け7Φ℃一貢℃O円hOOけoo口σ一ロロO砕一<O。、、↓●閃ひ 冒口切叶ゆ口O一帥り
︵5︶oh,、.○凝一墨ξ9。冒①哉一言巴三巨&<。跡塁&8①巷塞。・ヨo鼠=蔓三9一昌9。一冒。−ω嘗R。oh昏。窓聾εo魎
めなけれぱな ら な い と 思 う 。
。︷§注症。醤浮四§犬£。︶と述ぺてい嘉・われわれはできるかぎ包括的奮幕︵。・︶を設定することに努
一。ω簿o昇号o話o︷盆⇒・き詩∫旨。εp一凶gび。薯。雪窪①誓三巨。身①窪山荘①一区富身①ぎ○図8昏。一窪ω①。。一㎝
︵4︶ ω・冒洋9毘︵﹄9奏謄&Oミ肉醤覧焼罫︶が名詞節における仮定法の用法について.ぐΦヨ亀ωξ些暮魍三旨〇一ぎ
︵3︶ >◆O騨日℃び。旨︵這$︶、伽器一︵。y客ω﹃⋮器斜魯、ミこ㈱まドQ参照。
ス語接続法﹄︵東京、一九七〇︶七四−六頁参照。なおこれに関する詳しい議論は別の機会に譲りたい。
︵2︶ 佐藤房吉教授が現代フランス語の命令法を直説法と同じ系列に入れておられることは参考になる。佐藤房吉﹃現代フラ
0目 ①<O昌 一〇≦ρ﹃qoo げ70 ≦ザO一〇 仁一一Φ目ρPOO。讐、 閃曾 ω①げ吋O、 ﹃︾恥 い設ぴ風§醤“蔑磐馬 帖醤 O馬画 肉苫恥壽吻評 ﹄UO馬馬、黛 ︵Oα一〇σO﹃⑳’ 一■Oω“︶︸ ℃, N、
。邑ぞ。訂§耳一Naげ望峠。目㎝山雪。仲一お馨暮騨言梓自ε山霧9葺。℃葺・=訂名$鐸ε辞昌昏。急。一。の。馨雪8
︷O﹃昌一〇〇︸ Pゴ自 曽一〇〇〇 h﹃Oヨ 砕げO ロoOヨ帥目叶一〇 〇費叶Oσ環OH一①on HO℃﹃OωO⇒一〇匹 げ﹃ 一昌qO℃O昌αO目叶 ωO目一〇昌OO卸 oo一ヨ℃剛O OH OOヨ℃一Φ図︸ 帥づユ 伽O⇒・
冨馨琶す暴巷葺ぎ一ご。⋮墨ぎ駐。ゴ旺巳昏嘗b巳ぎσq畠膏呉旨邑g・芸。轟げg酔冴壽睾のg暑量
初期古英語の仮定法1その形態と用法
二七九
︵昭和四六年三月二三日 受理︶
に全然異なるものなのであると考えられる。
七−八頁︶。但し命令法と仮定法が結果的には極めて近接した意味を持つとはいえ、その両者の根本的機能は前述したよう
周oHヨ十主語︺を採ったものであるが、そこに何の不思議もなく理解せられ得ぺく云々﹂と述べておられることを参照︵六
に立つものである。それであるから、今は屡々一人称及ぴ三人称の命令文と称せらるるものは、古くは此構え︹n、、b話8琴..
︵8︶ 細江博士︵﹃動詞叙法の研究﹄︵東京、一九三三︶が﹁叙想法︹“仮定法︺は一面、命令法と極めて緊密なる思想的関係
8田一曾蜀夷。。oぼ、という訳文を与えている。
︵7︶ 国,国ε昌⇒o繋b旨鵯旨恥識8調馬い、ミ“ぎ隔目”︵目ρげ冒碧P一8㎏y98ひでこの個所を引用し、.︵くo厨9二諌︶器α$8=
‘