Title フィッジェラルドの『ルバイヤート』 - HERMES-IR

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フィッジェラルドの『ルバイヤート』
山田, 泰司
一橋論叢, 94(6): 823-841
1985-12-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/12834
Right
Hitotsubashi University Repository
愛諦詩歌集﹂ともいうべきアンソロジーを編纂した。一
ずかに米国のものも合む︶だけを集めて﹁ウェープェル
軍務の含間に愛調し、完全に暗記するに至った英詩︵わ
ウェーヴェル伯爵︵向胃一峯竃o=︶は、詩歌に造詣が深く、
令官を勤め、やがてインド総督になった英国の陸軍元帥
次世界大戦中は申東方面、のちインド・ビルマ方面軍司
アレンビー将軍の下に第一次世界大戦に参戦し、第二
版、一〇一節、四〇四行全部を掲げている。また、最近
イヤート﹄︵﹃ぎ完§s営ミ県◎§ミ宗きミ“§︶の第四
︵■φ妻串己ヨ9Ωo蟹巨︶の﹃オーマー・カイヤームのルバ
残っている﹂と述べて、エドワード・フィッジェラルド
が、その詩行は、はじめて読んだとき以来、ずっと頭に
し、﹁ルバイヤートの哲学は浅薄で異教的かもしれない
リングなどの十六篇の詩を紹介するのに先立って註を付
詩Lという区分を設けて、主としてブラウニングやキプ
フィッジェラ〃ドの﹃〃バイヤート﹄
九四四年にジ目ナサン・ケープ社から出版され、一九六
刊行されたキングスリ・エイミス編﹃フェーバー愛諦詩
泰 司
〇年以降はペンギンブヅクスに移され、今日まで好評の
集﹄にも、﹃ルバイヤート﹄初版、三〇〇行全部が収め
山 田
うちに版を重ねている﹃他人の花﹄がそれである。
られていて、エイミスは、その序文で、
﹁第二次泄界大戦前、私が小・中挙生だった頃、 この
^1︶
このアンソロジーは、学者や書斎人ではなく、いわぱ
して興味をそそるが、この中でウェーヴェルは﹁談話
活動家が、どのような詩に心ひかれるかを示すものと
823
フィッジェラルドの『ルバイヤート』
(19)
第94巻 第6号 (20)
一橘諭叢
本に収められている詩の大部分は、あまりによく知られ
や﹁荒城の月﹂に覚える近親感に、ほぼひとしいと言え
旨旨鶉田邑︷︶︵一八ニハー一九〇二︶の﹃フェスタス﹄
う
、 よ
カo
のだった。教会や、その他の公の場合︵儀式・祝典な
︵∼急姜︶の辿った運命である。ゲーテの﹃ファウスト﹄
ていたので、翻刻する価値がないほどだった。一つのア
ど︶の時に歌われたものである。なかには古典語への翻
に想を得て、無韻詩形で蕃かれた、この約二万行の叙事
文学作品の人気というものは、まことに当てにならな
訳のためのテクストとして課せられたものもあるが、こ
詩が一八三九年に発表されるやいなや、ベイリーは、ワ
ンツロジーに載っていなけれぱ、他のいくつかのアンソ
れは他の手段では成就し難い洞察を与えてくれる練習課
ーズワスやシェリーに並ぷ新しい大詩人として、批評家
回ジ﹂に入っていた。これらの詩は、暗記されて教室で
題であった。⋮・−朗調という習慣が、家庭内ではすたれ
によって、そして世間から、こぞってもてはやされた。
ルドと同じヴィクトリア覇の詩人ベイリー︵勺⋮号
てしまったとしても、朗読は今でも行われているので、
大幅に改訂増補された第二版が一八四五年に出たときは、
いものである。それで思い出されるのは、フィッジェラ
私のアンソロジーが意図しているのは、このための材料
ベイリーはテニスンよりもすぐれた詩人と評されたりも
朗調されるか、おとなの集会で余興として演じられたも
を提供することである。L
と語っている。一般読者向けの、これら二つのアンソロ
あるが、すでに一八五〇年代の半ぱ、スコットランドの
れて、一八八九年の決定版では優に四万行に達するので
^2︺
ジーは、﹃ルバイヤート﹄という百年以上前に書かれた
詩人エイトン︵峯・戸>苫o冒︶によって、アレグザン
した。この詩は、その後も版を璽ね、そのたぴに増補さ
翻訳詩が、今なお、英語国民の間で、いかにポビュラー
ダー・スミス︵≧①x彗o彗ω昌−;︶、シドニー・ドベル
らと含わせて、﹁痙礫派﹂︵ω福㎝昌020m昌O〇一︶と命名さ
︵ω−ρ目①<Uoσo=︶、ジェラルド・マシー︵O①﹃巴︷]≦顯蜆閉o×︶
であるかを物語る。彼らがこの詩に感ずる親しみは、わ
れわれ日本人が、.藤村の﹁小諸なる古城のほとり﹂や
﹁千曲川旅憎のうた﹂、または晩翠の﹁星落秋風五丈原﹂
824
ン玉が裂けるように急速に衰え、今世紀初めに死亡する
れ郡繍攻撃されるに及んで、ベイリーの・人気は、シャボ
の約半分が収められている。そこから、まず一、二節引
に対して、フィヅジェラルドからは、﹃ルバイヤート﹄
なように翻訳しては時折魔名で発表し、やがてペルシァ
グヲンド東部のサフォークに閑居し、好きな古典を好き
↓oξ1暮ρ■o;ま里邑示昌艘①三冒箏
↓ぎ望邑o︷皇昌o=畠σ巨臼一奉−①峯顯︸
畠O峯ミ實Ω彗宝葦O︷尉︷彗庁冒8彗轟一
用して置こう。 .
語を学んで、当時英国では無名だった中世のペルシァ詩
* * *
頃には、彼は詩人としては、ほとんど世間から忘れられ
人、オーマー・カイヤームの四行詩﹃ルバイヤート﹄か
≧塞一艘黒ω窄ぎO膏争O邑qく蟹邑会至艘まO射〇一竃一
Oo旨“饒=“︸oO冒勺−顯目O︷目“ブo勾宇①O︷ω勺ユ目oq
ら数百行の白由訳を試み、これを匿名で出版することに
↓ケ牡く昌亭、㎜ωξ①9−眈8算①ρ峯彗易O﹃甘甘眈ブO目巨
てしまう。それに引きかえ、フィッジヱヲルドは、イン
よって、英文学史に不動の地位を占めるに至った。
巳oω9
﹁時﹂という小鳥の飛ぷ道は短いのに1
後悔の冬の衣をなげ入れよ。
さあ、杯を満たせ、そして春の火の中へ
ベイリーは、一時期、自分こそ時代を代弁する大詩人
と考えたこともあったであろう。フィッジェヲルドは、
自分をひとかどの詩人と考えたことは一度もなかった屯
一方は四万行も書いたのに忘れ去られ、他はその百分の
一の詩量によって、人々の心に今なお生きている。アメ
見よ、小鳥はもう飛び立っているではないか。
ああ、審がぱらと共に消え、
リカの詩人で、気難しい詩論家でもあるエズラ・バウン
ドは、フィヅジェラルドを、民衆の心を把えてきた唯一
^3︺
の名詩を書いたヴィクトリア朝詩人と高く評価している。
青春の香わしい書が閉ざされてしまうとは。
* * *
手許の引用句辞典、例えぱ﹃ペンギン引用句辞典﹄を
調べてみると、ベイリーからは一行も採られていないの
825
フィヅジェラルドの『ルパイヤート」
!(21)
第94巻 第6号(22)
一橘論叢
う翻訳のやり方は、われわれが普通考えている翻訳態度
という信念の実践なのであった。
﹁詩の翻訳は、まず詩として生きていなけれぱならない﹂
と非常に違っているが、フィッジェラルドにしてみれぱ、
?︶
ることなら、彼は何よりも詩人になりたかった。しかし、
フィッジェラルドにスペイン語とペルシァ語を学ぷき
フィッジェラルドが最も愛したのは詩であった。でき
自分が大詩人になる能カに欠けていることを早くして自
会ったエドワード・カウェル︵■ρミ彗OOoミo=︶︵一八
っかけをつくってくれたのは、彼が一八四六年に初めて
涯、主にそれにたずさわることになる。彼がかかわった
二六−一九〇三︶であ”た。カウユルは、オックスフォ
覚した彼は、外国詩の翻訳に専念することを決心し、生
外国語は、ギリシァ語、スペイン語、それにとりわけペ
なるソホクレスの二つの劇を、一つに仕立ててしまった。
まうのである。さらに乱暴なことには、作風も意図も異
た。気に入らない箇所や退屈な箇所は容赦なく省いてし
さえいるのであるが、その訳し方は風変りなものであっ
成果である。これらの翻訳は常に読みやすく、すぐれて
王﹄およぴ﹃コロヌスのオエディプス﹄の英訳が、その
スの﹃アガメムノン﹄とソホクレスの.﹃オェディプス
クールとケンブリヅジで徹底的に仕込まれた。イスキラ
ギリシア語についてフィヅジェラルドはグラマー・ス
年半ほどの間、ペルシァの詩人たちーサーディ、ハー
ジェラルドは、この外国語の文法に熱中し、それから一
をすすめられたのは、一八五二年の冬であづた。フィヅ
フィヅジェラルドがカウェルにペルシア語を学ぷこと
いと言われている。 ■
六つの劇﹄︵一八五三︶は、カウェルに負うところが多
﹃エドワード・フィッジェラルド白由訳、カルデロンの
親交を結ぴ、生涯その指導を仰いだ。スベイン語からの
授になった人であるが、フィッジェラルドは、この人と
ちに迎えられてケンブリッジ大掌のサンスクリット語教
ード出身のすぐれた学者で、諸外国語文学に堪能で、の
また、彼は、あまり凝ったり気取った表現が嫌いだった
フィズ、ジャー、ミー、アタール■−などの作品を読み、
ルシア語であった。
らしく、そういう箇所も抜かしてしまっている。こうい
826
一八五六年の夏、カウェルは、オヅクスフォードのボ
ペルシアおよぴペルシア人に関する本を耽読した。
たっても掲載されないので送り返してもらっている。
おとなしい三五節を選んで託したのであるが、いつまで
版者バーカー︵﹄・ミ・墨︸胃︶に、訳詩の中から比較的
部、自費出版の形で印刷し︵そのうち四〇部は手許に
は、完成した﹃ルバイヤート﹄七五節の翻訳を、二五〇
それから約一年後の一八五九年春、フィヅジェラルド
ドレァン図書館で、一四六〇年に書かれたオーマー.カ
ルドのもとに送った。一五八箇の四行連から成るこれら
残して︶、古本星クワーリヅチ︵田g冒まo毒ユけg︶に.
イヤームの写本を発見し、これを写して、フィッジェラ
の詩は、彼を魅了した。次いで、カウェルがカルカッタ
一部五シリング︵半クラウン、または一シリングという
った二つの雑誌、﹃アシニーアム﹄と﹃サタデー.レビ
フィヅジェルドはクワーリヅチに頼んで、当時有カだ
た。
説もある︶で売らせた。訳者名は、どこにも記さなかっ
の大学教授に赴任したのを機会に、カルカヅタからベン
ったり、フランスのペルシア学者ガルサン・ド・タッシ
ガル・アジア協会にあるこの詩のテクストを送ってもら
ー︵Ω胃oぎ忌H富︷︶に知識を仰いだりして、一八五
七年の夏は、この中世ペルシァ詩の研究に没頭した。
最初彼は、オーマーを中世風の押韻ラテン詩に翻訳す
年であった。大体、出版時期順に並べて見ると、ジ目ー
た。一八五九年は、出版界では、きわ立って実りの多い
ュー﹄に広告を出してもらったが、一向に効果がなかっ
して、一八五七年の秋までには、英語の押韻詩に訳した
ジ.エリオットの﹃アダム・ビード﹄、ハリェヅト・マ
ることを考え、その見本をカウェルに送ったが、考え直
かがえるように、フィヅジェラルドは、オーマーに並々
ーティノーの﹃イングヲンドとその兵士たち﹄、チャー
ものの最初の草稿を書き上げた。これまでの記述からう
ならぬ熱意を示し、その翻訳のために周到な準備をして
ルズ・リードの﹃少し愛して、長く愛して﹄、テニスン
ャード・フェヴェレルの試練﹄、ダーウィンの﹃種の起
の﹃国王牧歌﹄、ミルの﹃自由論﹄、メレディスの﹃リチ
いたのである。
翌一八五八年の一月には、掲載してくれる生言うので、
﹃フレイザーズ・マガジーン﹄︵ミ§ミ.㎞ミ昌寒ぎ§︶の出
827
フィッジェラルドの『ルバイヤート』
(23)
一橋論叢第94巻第6号(24)
原﹄、ディケンズの﹃二都物語﹄などの大作がひしめき
含っていた。粗質の褐色の紙で装丁された、片々たる小
1︵O﹃昌昏く︶であったという。スウィンバ
かなかった。そのうちに、店はレスタースクエァのカー
クワーリッチは度々値下げしたが、買手はさっぱりつ
ー・フィヅジェラルドの発見には、なんのかかわりもあ
最初の無削除版の英訳者︶も口ぜヅティも私も、オーマ
。﹁パートン︵注・探険家、旅行作家で﹃千一夜物語﹄の
は、
スル通りから、ピカディリーの十五番地に移されたが、
りません。⋮⋮ロゼッティの話によりますと、彼の二人
の間の事憎を次のように説明している。
引越しのどさくさの中で、﹃ルバイヤート﹄の多くの部
の友人、ホィトリー・ストークス氏とオームズビー氏が、
冊子が世間の注意を引かなかウたのは不思議ではない。
数が散逸してしまったという。そして、新しい店先の見
︵。こ存知でしようか、セントマーチン・レーンの︶とあ
によると、この訳詩集の文字通りの発見者は、口ぜヅテ
ベンソン︵ξg膏Ω・ユ津o暑睾田昌岨昌︶に宛てた手紙
ンバーンが、フィヅジェラルド伝︵一九二五︶を書いた
な意味以外では、この記述は正確でないようだ。スウィ
内o器o茎︶である、と書いてあるものが多いが、比楡的
ト﹄を﹁発見﹂したのは、ロゼッティ︵∪彗8Ωきま一
英文学史などでは、7イッジニラルドの﹃ルバイヤー
であった。
買手がつく。それは、出版後二年近くたってからのこと
部か手に入れようかしらと思いましたiところが、店
私たちは、友だちに配るプレゼントのつもりで、もう何
ことを誇張したくはありませんー投資しました。翌目、
ペンスだったかもしれません1私たちの金使いの荒い
値段で売られている本に、各自六ペンス以上−いや三
ゼヅティと私は、途方もなく高いとは言えない、そんな
いうところに移してしまっていたのです。一読して、ロ
て断るものですから、一ベニーで処分するために、そう
国大衆が、その小冊子に一シリング払うことを、こぞっ
とをロゼヅティに話したのです。クワーリッチ氏は、英
る売り場に売りに出ていた、こ.のすぱらしい小冊子のこ
ィの友人、ストークス︵峯巨まくoo庁oぎ蜆︶とオームズビ
一ペニーになっていた。この段階に立ち至って、やっと
切り本箱に入れて置かれたときには、値段は一部わずか
こ
828
た。それから一、二週間たつと、私の記憶違いでなけれ
うまくさとしました。私たちは二、三部買って帰りまし
ヅティは、憤慨したふりをして、彼一流のユーモァで、
の人は、なんと二ペンス請求するのです。そこを、口ぜ
という苦い体験を味わっていたのが、ちょうどこの時期
から、合意の上とは言え、彼女と別れなけれぱならない
のの、わずか九か月で、性格の不一致と生活習慣の違い
気が進まないままに、その一人娘ルーシーと緒婚したも
︵一七八四−一八四九︶の遺志を汲んで、義挾心から、
か︵引用は初版から。︶
^6︶
無常観が、どんなに7イヅジェヲルドの心に訴えたこと
にあたる。こういう時期に味読したオーマーにみなぎる
ぱ、残部が一ギニーで売られていました。その後、私は
1たぷん、あなたもごらんになったでしょうが−さ
らにとんでもない値で売りに出ているのを見ました。私
は一ペニーで買ったその本︵売物全部の中で一番きれい
こうして、今やフィッジェラルドの﹃ルバイヤート﹄
=ぎω目o≦目勺o目艘oU匪雪庁、眈φ畠︷句彗①
↓⋮冨>旨窃Io﹃岸召o︷o冨一彗o円8p
, ?︺
な一冊です︶を大事にしていて、今でも持っています。L
初版本は稀観書になっている。︵いつのことであったか、
=oqgぎ岬顯−ま一〇葭o冒o﹃暮o−−眈o司o畠1
↓序ミo﹃巨q=o潟昌旨器庁害9﹃︸s算m毛昌
米国の作曲家ジェローム・力ーン所有の初版本が八千ド
ルで売られたとのことである。︶
人間が心にかける現世の望みは
荒野のきたない面に、ひととき
灰となる−か栄える。そして、たちまち
フィヅジヱラルドがオーマー・カイヤームの翻訳に没
舞い降りる雪のように1消えてしまう。
このような一時期の
頭していた一八五七年、彼は生涯でただ一度の精神的危
には、
ド
機のただ中に居た。すなわち、クエー力−詩人で、古く
しかし、フ イヅジ エラ
829
二
からの友人バーナード・バートン︵︸①昌彗ら︸胃芹昌︶
ル
フィヅジェラルドの『ルバイヤートJ
(25)
会派の神学者の著作を研究。してもいる﹂彼は十全な信仰
彼は神学上の事柄について思いを凝らし、偉大な英国教
人間の魂の救いとしての宗教に対する深い疑念があった。
君がこう任務に就かせられさえしたら。誰だって君より
れぱいけないのです。おお、アルフレッド・テニスンよ
文学を尊敬すべきものにするには、このように書かなけ
﹁りっぱな書き方というのは、こういうものなのです。
苦い体験とは別に、若い頃から彼の心に居坐っている、
にあこがれたが、それに到達することはできなかった。
立派にはやれないだろう。自分の国を守る者たちの先頭
全面的に受け入れる気にはなれなかったであろう。﹃ル
の哲学に多くの重大な留保をつけたであろうし、それを
たのではないか。もちろん、問われれぱ、彼はオーマー
ただの一度を除いては、行動と行動に伴う決捷からも自
行く一時一時をいとおしみ、その先を見ない人であった。
であって、田園の静かな、安全な生活を楽しみ、過ぎて
不可知論者であると同時に、生活上は、エビキュリアン
ッジェラルドにはよくわかっていた。彼は、宗教的には
しかし、自分がそういう人間になれないことは、フィ
う。﹂
^8︺
に立つ人物として、看より雄々しい人は、いないだろ
規則的に教会へ通ってはいたが、心底は不可知論者であ
った。キリストに対しては、深い敬慕の念を抱いていた
らしいが、宗教の慰めを感ずることはできなかった。フ
ィヅジェラルドがオー々1・カイヤームに覚えた魅カは、
単に、その異国情緒や純粋に文学的な特質や、その思弁
バイヤート﹄を読むことからは推量できないが、偉大な
由な人であった。だが、近代のエビキュリァンとして、
の巧妙さにとどまらず、その観点、哲学、世界観であっ
思想家ーダンテ、シェークスピア、バイロンでーさえ
ポネス戦争史﹄の第四巻にある封鎖と戦闘の場面を読ん
揺らぐことはなかった。ある時、ツキディデスの﹃ペロ
1は、本質的に行動の人である、という信念において、
この二つのぶつかり合いをうたうオーマーの詩に、フィ
る宇宙の神秘、しかし問いかけずにはいられない衝動、
らさずにはいられなかった。解きえぬことはわかってい
彼は自分を取り巻く宇宙の本質と哲理について、思い回
^ア︶
で、彼はカウ㌧ルに、こう書き送っている。
一橋論叢 第94巻 第6号 (26)
830
ヅジェラ〃ドが隈りない共感を覚えたのは不恩議ではな
い。一方では、間いかけることの無用を圭張する、深い
︸①﹃=暮−oOブ目︷﹃Φ目9自目ヒU=目oq川箏一ブoU顯﹃庁∼、、
とo
>邑−1、>;邑巨Oqd邑彗眈庁彗昌目旺、匡塞く、胃﹃︷−
それから、運行する天自体に向かって
=op
ミぼさ竺艘oω巴鼻ω印自oω串σq鶉ξブo2肋昌窃.ρ
私は叫んで間うた、﹁運命は、闇の申につまずく
懐疑がある。
○︷艘①↓ミo考 o 二 象 m 〇 一 雷 ﹃ 罵 2 き 胃 ① “ ︸ ; g
子供たちを、どんなランプで導いてくれるのか﹂
するとー天は答えて、﹁盲目の悟性だ﹂
巨ぎ︷8=旨勺;勺ブΦ済︷o二F艘o守考oa二〇uo8﹃目
>篶眈s津暮”早彗口;9﹃昌g艘餉胃o蜆けo貝三艘
U冨け.
を求める人間の叫ぴに全く耳を貸さずに、人間の測り知
オーマーは、神の存在を疑ってはいない。ただ、啓示
れぬ﹁盲目の悟性﹂に導かれて、人間から見れぱ悪意か
さかしらに二つの世界を論じていた
聖人賢者たちは、みな、愚かな予言者のように
らとしか思えない行動をする神をなじるのである。
○戸↓ヴoξ毛ブo旨里目9σ竃Φ﹃︸串二巨9o黒昌與汗9
向目昌Φ争昌9陣■ρ−目℃暮Φ昌<勾與=ざ望え
↓ケo目ξ自庁5oけ薫岸ブ勺Hoq鶉ユ目雪9o目﹃o目目ρ
田鶉gまo射o印q−奏鶉ざ婁與目ρ宰巨一
○戸↓げoξξ−o昌o黒ξ岸−勺岸貯旨声目o老−け巨Ωぎ
はねつけられるだ。彼らのことぱは
さげすみに散り、その口は塵で塞がれる。
他方では、宇宙には、宗教の教えとは相容れない、それ
なりの不可思議な導きがあるのだ、とする信念がある。
↓=雪8;o;⋮目 o 目 匡 8 く . 目 弐 器 = − o ユ & 一
>ωぎ嘉・、ξぎけ■印冒℃言ωU黎武ξ8Φ巨宗
831
フィヅジェラルドの『ルパイヤート』
(27)
第94巻 第6号(28)
一橘論叢
>箏︷峯プoξ−艘向︷①目2og︷oi竃けブoω目凹ポ3
弓o﹃ρ=一巨o望目ξブo冨ξ箒ブ“すo勺閏ooo−旨四■
これまでの説明では、﹃ルパイヤート﹄が、こちたき
議論に終始しているように聞えるおそれがあるが、読者
が全体から受ける印象は、決してそうではない。オーマ
私が迷い入らねぱならぬ遭を
に、各連を巧みに配列し直した。対話体の﹁困園詩﹂
が朝からタ暮へと、ちょうど人間の一生を恩わせるよう
なく並んでいるのであるが、フィヅジェラルドは、全体
−眈妾〇一・竃.♀呂註.ω害畦き篶窃。・ぎー竃α“臼至
落し穴やわなで塞いだ、おお汝よ。
︵向〇一〇窄o︶の。こときものになるように並べた、と言って
ーの原詩では、内容的に独立した四行連が、何の秩序も
宿業の網に私を捕えて置いて
いる。さきの議論も、全体の中に無理なく組み入れられ
私の転落を罪のせいにするつもりではあるまいに。
唇、月などのイメージが、モザィクのようにちりぱめら
ている。庭、ばら、ぷどう、ぶどう酒、杯、鉢、つぽ、
れていて、全体を背葵な哀愁が包んでいる。例として唇
劣性の土で人間を造り
エデンと共に蛇を考案した、おお汝よ。
のイメージが現れる節を引用しよう。
おもt
人間の面を黒く汚す罪のすべてに対して
>自o庁巨ωま=oq算旨−葭胃σ冬ぎ窒一g宗﹃Ω冨彗
人間のゆるしを与え1また受けよ。
ここに引用した第二節に相当する節は、原詩のどこに
ヨ&。冒鶉旨①崔き・,団■号8き書姜一〇彗1
>戸一①岩毛昌一二耐;<一δ﹃三さぎo姜
も見出せない生言われる。特に、蛇のイメージは原詩に
は見当らないという。とすれぱ、フィッジェラルドは、
軍o目峯巨片昌o二〇至く■号岸蜆官轟ω目一嚢o己
↓プ①目δg示o彗艘o目d〇三ερ−串εo弓目.
* * *
最後の行で大胆きわまる不敬の言を吐いていることにな
るのであるが、文脈の申では、ごく自然に受け入れられ
るのである。
832
峯×■甘まo器昌gオ①二〇︷■岸①ε−$︸一
>巨[号a■号岸曇昌膏.qL。婁;二昌一ぎ
冒一算1︷昌昌富宗邑く昌目望o;巨=.冨巨員、
−彗鼻茅<①蜆箪艘算ミ葦︷曇葦①’
>き昌一豊昌竃婁胃、♀昌冨2φ享①
>目︷昌彗︷−昌鼻P陣自O艘OOO巨一号−区覇.φ
宙oミ昌彗<室窃窃昌揖巨岸冨斤Φ1嘗ρoq∼巴
句9ぎ“息峯胃ぎ “ − 旦 彗 〇 一 〇 罵 U 畠 斤 O ︸ U 里 さ
H妻里庁oヴ.O叶︸①勺o津o﹃叶︸目昌、⋮目⑭プ庁ξ①芹O−里く一
>■o至亭豪昌o ⊆ 津 實 ︸ “ & H o 目 o q ;
岸目膏昌⋮、ρ1,9邑さ零gぎ’。筥雪己くら墨ユ、
そして、わたしたちが寄りかかる川辺を
唇を移した、生の秘密の泉を知ろうと。
すると、唇うつしに、杯は眩いた、
﹁命ある間は飲め。死んで帰れる身ではないぞ﹂
思うに、把えがたい声音で答えたうつわは
かつては生きていて、歓をつくしたのだ。
わたしが口づけした冷たい唇は、
とo
いかに多くの口づけを受け−与えたことか。
.市場で、ある夕暮、焼物師が
湿った粘土をたたいているのを見ていると、
全く跡形もない舌で、粘土は眩いた1
﹁やわらかに、兄弟よ、やわらかに、頼む﹂
オーマーがあこがれる人間のことぱは、唇から唇へと
むかし美しかった唇からの芽生えかもしれぬから。
ああ、そっと身を寄せ給え。
必要条件とされているが、﹃ルバイヤート﹄におけるア
レーシ冒ン﹂の根本であり、理解できるかできないかの
い。ソシュールによれぱ、弁別的特徴が﹁アーティキュ
逃れ、唇が常に芽生えるこの世界を通じて把えようがな
* * *
ーティキュレーシ目ンは、目に見る形が、すでに有為転
柔かな緑でつつむ、この和草1
E二ぐ吉
次にわたしは、この土製の大杯に
833
フイッジェラルドの『ルパイヤート」
(29)
第6号 (30)
第94巻
一橋諭叢
戌毒、︶のである。右の引用で、オーマーが聞くのは、意
奪われた、ぱらぱらの人体器官が、生のはかなさ、世の
の人間の、責任ある発言は聞えてこない。いわぱ、魂を
れまた姿の見えない告知僧であって、知的な存在として
味を持った言語的発話の寸前にある音声化を表す、昌冒.
無常を語り、人間を官能的な享楽へと誘っているように
変の象徴なのであるから、把えることができない︵.巨oq一.
昌胃.であって、この語自体が、すでに一つの音節
杯に盛られた人生の酒が乾く間に杯を満たせ﹂と呼び、
感ぜられる。酒場の声は、﹁眉を覚ませ、小さな者よ、
の節に出てくる、陶工にたたかれている粘土も、すっか
そして、いったん去れぱ、もう帰れない﹂と応ずる。ナ
酒場の外に立っている者たちは、﹁われらの命は短い。
︵.昌胃.︶の繰返しに過ぎないことが象徴的である。最後
り跡形のなくなった﹁舌﹂︵それは発声器官であると同
イチンゲールは、﹁酒い酒、酒、赤い酒を﹂と囎り、ぱ
時に、言語能カをも意味する︶をもって眩くのであるが、
らの花は、﹁笑いながら、私は世に咲きこぼれる。ひと
恩いに私の財布のふさを裂き、その宝を花園の上に投げ
そのこどぱならぬことばは、適切にも、主語、述語を持
給え﹂と言い、つぽは、﹁ぽくを音なつかしい液で満た
ったセンテンスの態をなしていない。陶工に対する﹁兄
弟よ﹂という呼び掛けには、転生の思想が暗示されてい
情調が増幅される。
ちたアフォリズムとが交錨しながら進行して、享楽的な
このような誘いことぱと、オーマー自身の、自信に満
ため息まじりに言う。
してくれ。そしたら生き返ることができるだろう﹂と、
る。今、こねられている粘土は、いつかは陶工に生れ変
り、こねている陶工が粘土となって、こねられる運命に
なる日が、やがてやってくるのだ。別の節︵第六〇節︶
;o市o葦p勺轟さ竃ρξ︸o艘①勺o竈..︶と叫んでいる
で、つぼが﹁誰が陶工で、誰がつぽなのだ﹂︵、ミ9法
のも、同じ運命を言い表していることぱである。
外は、人間の化身かもしれない、ぱらの花であり、つぽ
↓o冨寿一9旨艘巨oq︸蜆8津串ぎ一艘箒■罵o雲鶉一
OF︹o冒①ξ岸げo巨肉巨串<×9昌一些目︷−o顯くo;o峯−器
この詩の中で発話しているのは、﹁天﹂すなわち神以
や杯であり、婆を見せぬ酒場の主人の﹁声﹂であり、こ
834
ただし、ブィクトリァ朝の一般読者を考慮に入れて、初
版のあまりに大胆過ぎると思われる表現をやわらげたこ
と、っまり、より﹁ブィクトリア朝化﹂したと評されて
いる、とだけ言って置こう。
第三版は一八七二年に、第四版は一八七九年に出版さ
これらの版と第二版との大虐な違いは、第二版の一一〇
れた。第三版と第四版との間の異同は、きわめて少ない。
確かなことは一つで、あとはうそなのだ。
節が、かなり削られて一〇一節となったことである。今
年近くたって、一八六八年に第二版を出した。これは、
にしきりに請われても、すぐに増版せずに、初版から十
切れてしまったが、フィヅジェラルドは、クワーリッチ
ーン等によって、称賛され宣伝されると、たちまち売り
﹃ルバイヤート﹄の初版は、口ぜヅティ、スウィンパ
が、ますます自信をもって、自分の声で語るように変化
ーマーの原詩のテクストから離れて、フィヅジェラルド
初版と第四版との最も大きな相違は、第四版では、オ
強かったせいか、初版を推している。
む人もいる。スウィバーンも、初めて読んだ時の印象が
との間の異同は、約十年間のフィヅジェラルドの考え方
ミ岸巨o巨宍ブξく因昌艘①射ま㌣≦旨蟹o有ooユ冒打
ξ巨一〇亭o内o窒9oミ肋巴o−一〇司艘oカ∼o﹃dユ目打
・>目ρ毛ブ彗艘o>品9三;18o胃ぎ﹃U量泰享
の変化を知る上で興味をそそるが、第二版は、今日、一
に加えて一一〇節とした新しい版である。初版と第二版
していることである。例えぱ、初版の第四八節は、
っては、例えば冒頭に触れたエイミスのように初版を好
日、一般に流布しているのは、第四版であるが、人によ
いウたん咲いた 花 は 、 永 久 に 死 ぬ の だ 。
﹁人生は飛び去る﹂ということだ。
来給え。確かなこ と は た だ 一 つ 、
談議は賢い者にまかせて、老カイヤームと共に
]りフ① 句−OミO﹃ “庁串叶 O目O① 巨凹眈 σ−O妻目 ︷O﹃ Oく①﹃ ρ⋮Oω一
○目oけ巨■oqオ o 雪 訂 ま 一 串 ■ o け ブ o 宛 9 片 ポ ■ ⋮ 露 一
^
初版の七五節に語句の修正を加え、さらに三五節を新た
一一一
般に流布していないので、ここでは扱わないこととする。
835
フイヅジ晶ラルドの『ルパイヤート』
(31)
第94巻 第6号 (32)
一橘諭叢
である。初版では、オーマーから人間への直接の話しか
老カイヤームと共にルピー色の酒を飲み給え。
ぱらが川ふちに咲いている間に
れ、景後の.くo自眈巨冒昌叶m一一ユ鼻、は命令ではなく、予
あるが、第四版では、死神の神秘的な仕草に重点が置か
点で、まさにラファエル前派の絵を思わせるような趣が
U轟ミω自o8已−8ーぎ一8け罫F彗ooo目g舎∼寿・
そして、もっと暗い酒を持った天使が
言となっている。つまり、必ずそうなるはずのものだ、
けの形をとっていて、歓楽と死が対比されているという
溝に近づくとき、ひるむことなく受け給え。・
という厳粛な口調に変わっている。それは、死の近いこ
とを悟った、フィツジェラルドの心境の変化を反映して
初版では、﹁老カイヤームと共に来れ﹂という呼びか
第四版第四三節では、
けが、二度用いられているが、最終版では削られてしま
いるのかもしれない。
ωo婁=彗艘箒>目σq〇一1oH亭oρ彗ぎ[Uユ目片
めて、時間を超越したアフォリズムとしての性楕を一そ
っている。この修正は初版の与える読者との親近感を薄
>二竃“ωぎ=由 邑 < 昌 耳 叶 ま ユ く ① ・ − σ ユ 自 ぎ
︸oH艘8<o冒二号二〇ρ轟︸1︸昌白巴=−o庁m一冒−箏汗−
>目只o茅ユ目吹巨眈昌予巨く岸①<o冒ooε一
う強くした、と言うこともできるであろう。 。
一般に、﹃ルバイヤー・ト﹄︵以下第四版を対象とする︶
お前を川ふちに見つけ、杯をささげて
それ故、もっと暗い酒を持つ天使が、ついに
飲ませようと、お前の口に魂を・ 一 一
詩として採り上げているように、ブラウニングやスウィ
軍が、﹁哲学は浅薄だ﹂と断わりながらも、暗翻でぎる
は、非常に読みやすい詩生言われている。ウェーヴル将
﹁天使﹂というのは、 死神のこと
さし招くとき、お前はひるみはしないのだ。
と変っている。ここで
が
836
統語法上、かなり無理なところが、所々にある。一つだ
ンバーン詩のと比べると、確かに読みやすい。しかし、
の雰囲気に誘われて、何となく理解できるような気にさ
頭の操作を行わなくとも、詩全体にたちこめる、ある種
とだろう﹂ということになるだろう。もっとも、面倒な
>m名ユ目o司眈ま①け冨昌旦&︸昌σ晶oo︷昏oま一巳
弓o毛巨9讐o雪一算ぎop↓﹃竃o二〇﹃昌釘g毛ユコoq一
○自①Φ=冒勺窒−岸9昌一さくo叶巨︷塞♀篶く①巴.P
ξo目巨σ募亭oU窃胃庁o︷一ブ①︸昌鼻巴=首①巨
十九世紀の詩は、文学的な古語を好み、倒置法を盛んに
すさは、どこから来るのであろうか。一般的に言えば、
総じて、﹃ルバイヤート﹄は読みやすい。その読みや
あるが、そのように頭を働かせるのは、英米人でも、か
形容句であることに気づかないと、意味がとれないので
ある。.o片艘o句畠目冨巨.という句が、.o旨oσq=昌惇o、の
見せてくれさえすれぱ﹂ということになり、意味不明で
はじめの二行は、﹁泉ある砂漢が、せめて、かすかでも
そのまま﹁泉の砂漢﹂、または﹁泉ある砂漢﹂と読むと、
において、第一行目の.亭oUo竃ユo二−さ5冒邑目.を、
いものを感じていても、彼も時代の人であるから、
まことに適していた。十九世紀の詩の傾向にあきたらな
のはっきりした、一つのまとまった考えを述べるのに、
連、しかも§きという脚韻を持つ四行連は、起承転結
しみを感じていた。その意味で、オーマーの原詩の四行
八世紀の詩の持つ叙情的な機知や歯切れのよい表現に親
スンやブラウニングにも不満であった。彼はむしろ、十
トリァ朝の詩歌に、あきたらぬものを感じていた。テニ
に。そうしたら、踏みつけられた野の草が起き上るよう
0■耐旨o目o目Fo︷“ケ①4くo=o︷■弍o↓o叶纈㎝8−
○目o旨o旨耐目“ぎ葭嵩>目邑巨−母匡o目.ω考顯99
かすかでもよい、泉を一目見せてくれさえすればよいの
な。り困難であろう。この節の大意は、﹁砂漢が、せめて、
す傾向が強い。フィッジェラルドは、そのようなブィク
用い、実在について大仰な、麟膝とした陳述をひけらか
せるのが、この詩の魅カなのであるが。
け例をあげると、第九七節、
‘
に、気が遠くなりかけた旅人は、その泉に飛んで行くこ
837
フィッジェヲノレドの『ルパイヤート』
(33)
一橋論叢 第94巷 第6号 (34)
H幕ω冨冨睾①器ま目的竃o艘oo胃彗彗
旨く葦;邑−σ胃o 吊昌享①目s里官898冨’
消滅の荒野の中での一瞬間だ
それから、やがて泰がきて、手に持った
だが、誓ったとき、おれはしらふだったかな。
ω“ρユ眈δ﹃甘︸oU嘗冬■o︷Zo庁巨目⑫10戸昌串斤o巨竃3.
命の泉を味わうのも一瞬間だ1
ぱらの花が、おれの悔俊をずたずたに引き裂いた。
いや全く、何度か悔悟を誓ったものだったー
星は沈みかけ、ポヤラバンは
無の夜明けを目指して出発する おお、急ぎ給え。
も温か味があって、伸ぴやかである。このように、十九
これは、まさしくポープ調である。いや、ポープより
といった、高みに立って人生を達観するような表現と無
世紀の文体と十八世紀の文体を融合させたところに、フ
フィッジェラルドの■﹃ルバイヤート﹄は、オーマーの
五
の魅カの重要な一部をなしている。
ィヅジェラルドの特徴があり、それが﹃ルバイヤート﹄
縁だったわけではなない。しかし、ここには、たるんだ、
無駄なことぱは、一つもない。十九世紀恩想を十八世紀
的表現の鋳型の中に、きっちりとはめ込んでいる。
次の四行には、十八世紀が表面に出ていて、背後には、
十八世紀の支配的な詩形である英雄対韻句︵幕邑o8目−
衣をまとってはいるが、精神においては、完全にフィッ
ジェラルドの創作と考えるぺきではあるまいか。英国の
旦g︶の整然とした調子が聞える。
H■忌o早巨箒&一射︷昌庁葭昌①o津σ9o冨
ーマー・アリシャーのように、オーマーの原詩と照らし
現代詩人、ロバート・グレーヴズと古典ペルシア学者オ
>邑艘昌彗q;昌S昌O著﹃巨9彗ρカO眈O−亨
合わせて、フィッジェヲルドの﹁翻訳﹂が、いかにでた
H眈峯O﹃①−−︺冒叶ξ閏餉−眈OiUO﹃ミー]O日F−mミO﹃Φ∼
巨陣■o
838
態度を押し進めてしまっていたのである。彼はオーマー
訳と創作との区別もつか狂いほどに、さきに述べた翻訳
を感じないだろう。彼は、オーマーの英訳において、翻
して見せてもらっても、フィヅジェラルドは少しも痛痒
教義をいかに誤解しているか、などといったことを証明
らめであるかとか、スーフィー教徒としてのオーマーの
歓をつくさん﹂といった哲挙は、この世に生きるための
空なるかな。すべて空なり﹂と観じて、﹁されぱ飲み、
前置きに過ぎないことは、予測がついてしまう。﹁空の
そのような努力が、いかに空しかったか、を語ることの
りっぱな議論を聞いたものだった﹂と言いかけているが
も博士や聖人のところに熱心に通い、あれやこれやの、
の世界である。なるほど、第二七節で、﹁若い頃は、私
. ^ 8 ︶
に仮託して、一生に一度の自分の詩を書いたのである。
指針にはなりえない。
第九九節では、酌人に対して、
︵,こく若い頃書いた短い詩が二篇残ってはいるが。︶
フィッジェラルドの﹃オーマー﹄は、発表された時点
>F■oく巴8邑ρ<昌顯目oH婁︷艘由−昌8易官冨
美〇一﹄−︷自oけξom=串算o﹃;“oσき蜆−串■ρ汁プ①■
ビキュリァニズム、神秘圭義、無常観、悲哀感、ラファ
においては、まさしく﹁現代詩﹂だった。劇的独白、エ
勾①目昌5津3艘①=o胃“.閉Ugマ巴
Hoo官冨毛暮ポ㎝o弓<ωoぎ昌①o︷H巨目o目蜆昌匡冨一
れる、あらゆるものが少しずつ配合されている。その意
エル前派的な調色、など十九世紀後半の思潮の特色とさ
味では、この詩は、典型的なヴィクトリア朝の詩と言え
らない。初版三〇〇行、第四版四〇四行の中に、夫も、
した世界は、きわめて特異な世界であったと言わねぱな
しかし、オーマーを通して、フィヅジェラルドが投影
もっと意にかなうように造りかえることだろう。
粉々に打ち砕いて1それから
宇宙の、この情けない仕組み全体を把み取れたら
ああ、愛する者よ、番と私とで、運命とカを合せて
るであろう。
妻も、子供も、︵そして、当然ではあるが、英国人も!︶
出て来ない、道徳の圏外の世界である。﹁道徳的休日﹂
839
フィッジェラルト.の『ルパイヤート』
(35)
とだ。かつて書かれた、いかなる作品にも劣らず、そ
上手な訳というには、あまりにもうますぎるというこ
がいかに空しいかを自覚しているのだ。これに対して、
れは訳者自身の個人的感憎を託した、訳者自身の創造
と、美しいことぱで語りかけている。しかし、その願い
アーノルド︵旨ρ茎嵩妻>昌oδ︶が﹁ドーバーの捧辺﹂
カを発揮した作品である。そして同時に、これは、あ
のかもしれないが、それは私の知るところではない。
その種のムードは、ペルシァでは常時立ちこめている
る芳しからぬムードの表現として最高の作品でもある。
︵.Uoく撃雰彗7.︶︵一八六七︶において、新妻に向かっ
−o<9−g目蜆 σoす目①
確実なことは、この種のムードが、当時の英国で特に
から見るならぱ、この作品は、その時代の最も注目す
流行していたということである。文学的技巧という点
ああ、愛する者よ、互いに
ぺき作品の一つであり、スウィンバーンに劣らず詩的
と呼びかけるとき、そこには他への信頼感が根底にある。
品の最も注目すべき特質は、流れ行く川の.ことく、あ
かっている。この表現上の技巧という点では、この作
ちた性格と、同時にまた他方、誰か異教の哲挙者が、
るいはかき消える歌声のごとく、忘れがたく調和に満
﹃ルバイヤート﹄の批評としては、次のチェスタトン
であると同時に、いつまでも消えない碑文でもあるの
とである。つまり、たちまち消え去ってしまう楽の音
引き締っていて含蓄に窟んだ性格とを結合しているこ
のみで岩に彫りつけた簡潔にしてカ強い麓言のごとく、
﹁⋮・:明らかなことは、フィヅジェラルドの作品が、
れる。
の評言にまさるものは、まだ書かれていないように思わ
ではない。
であり、かつスウィンバーンよりもはるかに磨きがか
誠実であろうと努めよう。
○冒①串目oけすo工
oH>
相手が酌人であるとか、妻であるとかいったことは間題
て
第6号 (36)
第9卑巻
一橋諭叢
840
^9︶
てわれわれの食物にはならないのだ。L
て毒になるが、時には薬になることもある。だが決し
い。⋮⋮それは阿片のようなものであって、往々にし
しかし、それがペシミズムであることには変わりがな
で、知的で、確固たるところがあるからである。だが
も、フィヅジェラルドの表現法には、何となく男性的
わ高く鋒え立つ所以は、同じペシミズムを歌うにして
落してゆくヴィクトリア朝後期の急坂の上に、ひとき
えようか。・−−フィヅジェラルドが、デカダンヘと転
るべき権利を獲得した。いわぱ﹁不信の聖書﹂とも言
た、あの懐疑と官能の哀しみの完壁な表現とみなされ
は、ヴィクトリア朝後期の文学が次第に落込んで行っ
しえた唯一の作品となった。・:⋮かくして、この作品
ただ一つ、十八世紀の機知と洗練をも、ある程度保持
共に興った、あの奔放にしてロマンチヅクな詩の中で
だ。こうして、この作品は、コールリヅジやキーツと
‘
︵1︶ O§ミミ§、吻、ざ§ミタ8旨官−&σ︸>.︸婁嘗き旨一
︵2︶§雨寒ぎ、意ミミ昂零“ミ一&.匿轟蜆喜>目貫
市goq自ぎ︸oo臣一58.o.N︷1
︵3︶、匡;8家負。、まトき§ミ向畠ミ・県専§、o§具
■o自o〇三句暮g顯自ρ句き①■一ψN00−やH餉.
︵4︶き膏O§ミ§茅専︸§参&.≧95串︸貞8・一
&’−ω‘目一〇戸司凹一︺彗葭目q︸等睾一HまO01甲実.
︵5︶ Hざい蔓きミ§トミミタoα1og自く−■竃堕く竺oζ.
■o自o〇三ωoo−胃句篶m9ε暑.勺−ご−. ・
勺−一H唱㎞oIα∼.三一Ho0Nlo〇一
︵6︶ 以下﹃ルパイヤート﹄のテクストは量き“貴ミ♀O§ミ
宍¥ミ“ミ&ξ.≧昌蜆婁ユ管斤︵旨彗冒昌彗一岩ミ︶に依
︵7︶ き詩oミミ早9膏ミ&ミo喜3&.言竃目芭射Σ−胃o叩oξ
った。
︵8︶勾きsミミ県O§ミ宍“ミ§§㌧>自窒R竃蜆一註昌
■o邑〇三射ξ撃葭賢−b四くダ筍s一甲ごω.
老岸旨oユ巨o巴oo昌冒o自□胆ユo眈一︺㌣射oσo斗OH胆く$田膏OO昌串﹃
︵9︶9霞翌員ρ穴二﹃¥恥ミきミ§缶雨ぎζミミミ♪
と−.ω盲F■昌ρ昌一〇鶉蜆邑一HまN・
旧やHミーH岩1
○良O己戸や︵↓茅=O冒OO邑き易岸くご写胃︸︶一H彗干
︵一橋大学教授︶
841
フイヅジェラルドの『ルバイヤート』
(37)