大卒就職難でも冷めない進学熱と「職業教育」のこれから

大卒就職難でも冷めない進学熱と「職業教育」のこれから
上海事務所
西岡 貴弘
経済協力開発機構(OECD)が世界 65 カ国・地域の 15 歳を対象に実施し
た国際学習到達度調査(PISA)で、上海市は前回調査に続き全ての分野で世
界一に輝いた。生活が豊かになるに連れて、いかにレベルの高い教育を子ど
もに受けさせるかが最大の関心事となっている。
大学新設も相次ぎ、今年の大卒者は 10 年前の3倍以上となる過去最高の 727
万人に達するなど、大学進学熱は当面冷めそうもない。ここでは、中国の教
育事情と「職業教育のこれから」についてレポートする。
1.中国の教育事情
(1)中国の教育制度
大学院
学年 年齢
高
等
23
現在の中国の教育制度は、図1の
教
22
育
21
大学
20
職業技術
ように6歳から9年間が義務教育
19
学院
(専科)
(本科)
18
中等
17
職業
技工
専業
高級中学
とされ、小学校6年制(一部農村で
中
16
中学
学校
学校
等
教
9 15
育
5年制)の初等教育、初級中学3年 8 14
初級中学
7 13
制(一部農村で4年制)の前期中等 65 1211
初
等
教育で構成されている。その後、後 43 109
教
小学校
育
2 8
期中等教育として高級中学、中等専 1 76
就
学
5
幼稚園
前
4
業学校、技工学校、職業中学にそれ
教
3
:義務教育
育
ぞれ進学することとなる。中国で教
図1 中国の教育系統図
育といえば、古くは「科挙」という
官史登用制度が知られており、学問をして良い成績をあげれば高位高官になれ
るというエリート教育の歴史・伝統があるが、それは現在でも中国人の中に生
き続けている。文化大革命により空白となった人材を取り戻すため、義務教育
の普及と高等教育の拡充に取り組んでおり、特に9年間の義務教育における「重
点校1」という特殊な選抜制度は、現代版のエリート教育と言えるだろう。
1
重点校の中にも、国家重点校、市重点校、区重点校など更にランクがある。
1
(2)高まる進学熱
経済協力開発機構(OECD)が世界 65 カ国・地域の 15 歳を対象に3年に1
度実施している国際学習到達度調査(PISA)2において、上海市は前回(2009
年)の調査に続き、2012 年実施分でも全分野において世界一に輝いた。本調査
の対象生徒は無作為抽出のため、上海市の教育水準が全体的に高いことが裏付
けられている。中でも、トップクラスの重点校に入るための受験戦争は年々低
年齢化しており、子どもが重点校に通う家庭では、学校と塾の宿題をこなすた
めに両親や祖父母のいずれかが付きっきりで看ているところも多い。しかし、
大人にとっても難解な宿題が多いため、驚くことに受験生の両親や祖父母向け
の塾まであるほどだ。もちろん、上海のやり方がすべて正しいとは言えないが、
この厳しい競争環境が PISA で世界一という結果を生み出していることは無視
できない。現にオバマ大統領も中国の教育を評価し、英国も上海の教育システ
ムは合理的であり、学ぶべきことが多くあるとの理由で上海へ教師を派遣して
いる。
では何故、中国からノーベル賞受賞者など優れた人材が輩出されないのか?
この疑問は国内でも議論されているが、中国の著名な科学者であり、
「中国宇宙
開発の父」などと呼ばれた銭学森は、
「その答えは大学に問うのではなく社会に
問うべきだ。中国の教育にも問題はあるが、社会にもっと問題がある」と述べ
ている。その一つが次に述べる就職難にもつながる。
2.大卒就職難と「職業教育」のこれから
(1)大卒の就職難〜安定化志向の悪循環
現在の中国では、生活が豊かになるに連れて、いかにレベルの高い教育を子
どもに受けさせるかが最大の関心事となっている。大多数の親と子どもは大学
進学を望み、上位校への入学が唯一の目標と言っていい状況にある。若者の出
口はますます狭くなり、階層流動性がなくなりつつある中、大学に行かなけれ
ば他にどんな道があるのか、とすら考えている。その結果、大学の新設も相次
ぎ、今年の大卒者は 10 年前の3倍以上となる過去最高の 727 万人にも達してい
る。「国家中長期教育改革和発展規画綱要3」によると、2020 年には学生全体の
40%が大学に入学できる状態になると予測している。その一方で、2013 年の大
卒者数が前年比3%増なのに対し、企業などの新規採用枠は 15%減と、就職市
場の需給バランスが崩れている。特に 2013 年の大卒者就職率は 71.9%と、専門
学校卒者の 78.1%よりも低く、今年はさらに就職難となることが見込まれてい
る。その原因の一つとして、大学が社会ニーズに合わない学科や科目を乱立し
2
3
Programme for International Student Assessment の略。ほとんどが国全体で無作為に生徒を抽出し
実施しているが、上海や香港などは一都市として実施。
中国国務院の定めた、2010 年~2020 年までの中長期教育改革および発展計画綱要
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たことが挙げられる。その結果、学生募集は増えたものの教育の質の低下を招
き、せっかく大学を卒業してもそれを吸収する産業が存在しないなどの現象が
起きている。一方、工場などでは労働者不足が常態化するなど、中国全体の産
業構造自体がゆがんでしまっている。
北京大学教育経済研究所が 2013 年 6 月に中国 21 省の大学 30 校に対して行ったアンケート調査結果
就職率(学校別)
高等職業学校・専門学校:78.1%
重点大学:75.5%、普通大学:75.4%、私立大学:44.3%
就職率(タイプ別)
専科生:79.7%、本科生(4年制):67.4%、大学院生:86.2%
初任給平均
大卒:3,378 元、専科生:2,285 元、本科生:3,278 元、修士:5,461 元、博士:8,800 元
重点大学卒:3,157 元、普通4年制大学卒:3,793 元、高等職業学校:3,291 元、私立大:2,610 元
北京・天津・上海大卒者:5,419 元、東部地区:3,148 元、中部地区:2,882 元、西部地区:3,167 元
このような状況にも関わらず、大学進学熱は一向に冷めそうにない。もとも
と中国では、転職でステップアップを重ねたり、起業志向が強い若者が多かっ
た。しかし、2008 年以降の景気悪化で安定志向に転じ、就職先として政府機関
や国有企業が圧倒的人気となっている。さらに、就職に対して理想が高くなり、
希望が叶わなければ就職しない「蟻族」
(親のすねかじり)の増加も社会問題と
なっている。人気の国有企業も景気減速などの影響で、鉄・アルミなどの製造
業では生産過剰であるにも関わらず、一気に失業問題が露呈してしまうことを
避けるため、中々人員整理ができない。そのような中、政府は若者の不満が募
り社会不安となることを防ぐため、中小零細企業の大卒雇用支援策として社会
保障費の補助や、起業支援策として少額低利融資の提供など様々な雇用促進策
を打ち出しており、経済成長率7%台を死守すべく躍起になっている。
(2)「職業教育」の重要性とこれから
このような現象は、単なる教育問題ではなく、政府や社会が生み出した問題
である。まず、大卒者以外でも安定した収入が得られ、社会的地位の高い職業
を選択できる幅を増やし、大学進学以外の道も安心して歩めるような社会づく
りをしなければならない。特に職業教育の質の向上は急務である。中国教育報
によると、中国で第二次産業に従事する人は 2.25 億人に上り、そのうち技能労
働者は 1.19 億人、さらに中高技能人材は 3,117 万人いるとされるが、製造業で
は高級技工労働者が 400 万人超不足していると言われている。中でも民営企業
や中小企業は人材確保が困難であり、職種によっては平均月収の5倍近い1万
元(約 19.3 万円)でも見つからない状況にある。しかしながら、中国ではそも
そも職業教育自体の社会的地位が低く、職業学校を出ても明るい未来がないた
め良い学生が来ないという悪循環に陥っている。また、職業学校の教員自体も
教育現場と実社会との接点が少なく、企業研修などのチャンスが少ない。その
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ため、現場で実務経験を積む機会が少なく、職業教育の発展に必要な能力や素
養が不十分なままとなっている。そもそも職業教育は、学校だけでなく企業自
身の成長にも関わることでもある。李克強総理は「職業教育の重要性」を明ら
かにし、2020 年までに中等職業教育の在校生を 2,350 万人とすると発表した。
今後さらに、産業と教育の融合、学校と企業の協力を深め、現代職業教育体系
を早期に構築することを目指している。
(3)拡大が期待される職業教育市場
中国の GDP に占めるサービス業の割合は、2013 年に初めて第二次産業を超
え、人材の動きも活発化している。多くの企業が高中学歴者の募集を計画して
おり、光明日報の記事によると、人材の流動性が比較的高く、個人の技能への
投資回収が比較的高い業界、特に「IT」、「調理師」、「美容」学校などの職業教
育が今後発展する見込みだ。
また、
「2013−2014 年中国オンライン教育業界発展報告」によると、2013 年現
在、中国のオンライン教育(Eラーニング)の市場規模は 839.7 億元(前年比
19.9%増)、利用者数は 6,720 万人(前年比 13.8%増)で、2017 年には 1 億 2,000
万人に達すると見込まれている。中でも、小中学生教育、職業教育、語学教育
などの市場拡大が急速であり、百度の「百度教育」、アリババの「淘宝同学」、
テンセントの「QQ 教育」をはじめ、新浪、網易、YY など巨大企業が相次いで
参入している。例えば YY 教育は、オンライン教育のプラットフォームを構築し
ており、既に 100 種類の教育コンテンツを揃えている。同社は「フリーミアル4」
なビジネスモデルを採用しているため、利用者の年齢別割合は、90 后5が最も多
く 40〜50%、50〜60 歳も 20%を占める。しかし、課金率では 90 后の割合は低
く、ビジネスパーソンなどを中心とした、全体の約 20%程度の課金者が売上の
8割に貢献している。このようなビジネスモデルでは、いかに優秀なコンテン
ツ(教師)を確保するかが鍵になるが、年収 100 万元(約 1,920 万円)を叩き
出す人気教師も少なくないらしい。
また、基礎教育分野では、「学習宝」というスマー
トフォン向け教育アプリが人気であり、半年間で 500
万人のユーザーを獲得している。これは、右の写真の
ようにスマートフォンで問題を写真に撮ってアップ
すると即時に回答が出てくるアプリで、難解な宿題を
解く際や誰も助けてくれない夜間などを中心に、中学
生の需要が多いようだ。
「学習宝」スマートフォン向け教育アプリ
(出典:同社ウェブサイト)
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基本的なサービスや製品を無料で提供し、高度な機能や特別な機能については課金するビジネスモデル。
90 后(ジョウリンホウ)
:中国で 90 年代生まれの世代を指す言葉
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3.おわりに
中国ではここ数年、史上最悪と言われる大卒者の就職難が続いているにも関
わらず、大学進学熱は冷めそうにもない。一方、拡大を続けるサービス市場な
どは人材不足に陥るなど均衡性を欠いている。教育、職業の選択の多様化が求
められており、職業教育が見直されている。中国の巨大企業は、資金にものを
いわせて教育プラットフォーム構築を急いでいるが、ユーザーがお金を払うか
どうかはコンテンツ次第である。既に日系企業による、これまで培ったノウハ
ウを活かしたアプリ開発、幼児教育や個別指導塾などの進出も見られるが、現
在中国で注目されている医療・介護分野でも、中国の職業専門学校などから日
本の運営ノウハウを導入したいという相談が当事務所には寄せられている。
資金は中国側が潤沢に持っており、日本側からあえて出資する必要もないた
め、日本の各種専門学校など教育関係機関も、中国で拡大が期待される職業教
育市場に対して、教育事業運営ノウハウをコンサルティングするという形や、
教育アプリ開発など最小のリスクで参入するチャンスは多くあると思われる。
当事務所では、今後ともこの市場に注目していきたい。
※為替レート
1人民元=19.2 円
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