‘ 85 入 生 入 学 30 周 年 記 念 医 学 部 ・ 体 育 学 部 合同同期会レポート 平 成 27 年 2 月 28 日( 土 )、医 学 部 及 び 体 育 学 部 の 昭 和 60 年 入 学 同 期 生 が 習 志 野 キ ャ ン パ ス へ 共 に 足 を 踏 み 入 れ て か ら 30 年 の 節 目 を 迎 え る に あたり、本郷・お茶の水キャンパスの「センチュリータワー」に医学部及 び体育学部の入学同期生が一堂に会し旧交を温める合同同期会を開催いた しました。 記念フォーラム終了後の集合写真 於 ; セ ン チ ュ リ ー タ ワ ー 南 10F 講 堂 今回の同期会開催にあたっては小川秀興大学理事長の格別なご高配を賜 り 、 セ ン チ ュ リ ー タ ワ ー の 講 堂 、 ホ ー ル を 会 場 と し て お 借 り し 、「“ 2020 東京オリンピックに向けて ~順天堂の軌跡と近況~」と題した順天堂大 学 入 学 30 周 年 記 念 順 天 堂 フ ォ ー ラ ム と 懇 親 会 を 併 せ て 行 う こ と が 出 来 ま した。 記念フォーラムにおいては、現在順 天堂病院で産婦人科医として活躍さ れている医学部同期の北出真理氏よ り 、「 ス ポ ト ロ ジ ー メ デ ィ カ ル セ ン タ ー 紹 介 と 順 天 堂 175 周 年 記 念 式 典 の 様子」を、また、記念トークショーと 北出(地主)真理さん し て 、体 育 学 部 出 身 同 期 の 鈴 木 大 地 氏( 日 本 水 泳 連 盟 会 長 )、新 田 広 一 郎 氏 ( 徳 島 ヴ ォ ル テ ィ ス 取 締 役 )よ り 、 「 2020 東 京 オ リ ン ピ ッ ク に 向 け て 」と 題し、それぞれの近況と今後の取り組み等について貴重な話を聞くことが 出来ました。 新田広一郎 氏 鈴木大地 氏 さらに、タワー内に昨年開館した我が国初の「日本医学教育歴史館」の 特別見学も許可して頂き、その見学に先立っては、日本医史学の権威であ り 、 漫 画 「 JIN- 仁 」 及 び そ の テ レ ビ ド ラ マ 化 作 品 に お け る 医 学 考 証 を 担 当 された酒井シヅ先生(順天堂大学医史学研究室特任教授)から順天堂の軌 跡と題し、順天堂創設に至る歴史と今もなお連綿と受 け 継 が れ る「 人 在 り て 我 在 り 。他 を 思 い や り 慈 し む 心 、 こ れ 即 ち “ 仁 ”」 の お 話 を 伺 わ せ て 頂 き ま し た 。 な お 、 その後酒井シヅ先生と行く「日本医学教育歴史館見学 ツアー」も行い、今後重要文化財に指定されてもおか しくない程の大変貴重な日本医学発展に寄与した所蔵 酒井シヅ先生 品等を見学させていただきました。 懇親会においては、当時の 寮監であった浪越信夫先生 ( 順 天 堂 大 学 名 誉 教 授 )、内 田 圭吉副寮監(現順天堂大学医 学部教授)及び寮母さんであ った大坪さんをご来賓として お迎えし、順天堂人として学 部の枠を超えて同じアイデン 左から大坪寮母、酒井先生、山地氏、浪越寮監、 内田副寮監、村山氏 ティティーを共有することが出来る“啓心寮”を話題の中心として話しに 花が咲きました。会の半ばでは当時の寮祭のビデオ等も上映され、あの時 の寮生活で培った経験が今でも精神的支柱として身体に染みついているこ とを互いに確認することが出来ました。また、当時は男子寮であったため に寮生になれなかった女子学生も、実は男子学生の寮生活に憧れと羨望を 持っていて、寮祭に参加したことで男子学生と変わらぬアイデンティティ ーを啓心寮に持つことが出来ているという嬉しいお話も伺うことが出来ま した。 さ て 、こ こ か ら は 話 し の 話 題 を 体 育 学 部中心に変えて少々レポートいたしま す 。こ れ 以 降 の 同 期 名 に は あ え て「 く ん 」 付 け さ せ て 頂 き ま す 。今 回 の 同 期 会 に は 卒業シーズン等で学校教員の方々にと っ て は 大 変 忙 し い 時 期 、ま た 、大 変 リ ー ドタイムの少ない中での開催であった に も 関 わ ら ず 、 体 育 学 部 か ら 37 名 も の 開 会 の 挨 拶 を す る 村 山 く ん 。現 在 は 慶 応大学の教授です。 参 加 者 が 集 ま っ て く れ ま し た 。遠 い 所 で は 1 寮 5 室 陸 上 部 の 鈴 木 伸 和 く ん が 北 海 道 か ら 、西 か ら は 同 じ く 1 寮 5 室 で サ ッ カ ー 部 だ っ た 新 田 広 一 郎 く ん が 四 国 徳 島 か ら 参 加 し て く れ ま し た 。他 に も 、関 西・中 部・東 海・北 陸 ・ 北関東・東北は山形からと広範囲から多くの同期が集まりました。 スナップ写真でお分かりのとおり、若干の経年変化はあるものの、それ 程大きな変わりがないのに少々びっくりしましたが、みんなアラフィーで 和気くんは、昨年から順大で生理学を 教え、山崎くんは地元金沢のフィット ネスクラブで社長をしています。 陸 の 梅 田 く ん は 、「 進 む 」 に つ い て 、 海 の鈴木くんと意見交換をしていたそう です。 はあるものの、これからは益々格好いい中年おやじを目指すかのように、 皆それぞれ工夫しながら若さと健康を維持している様でした。中には大学 時代と変わらぬ体脂肪率7%台を維持している 5 寮 2 室で体操部だった三 浦孝正くんのような現役生顔負けの強者も居ました。 第 1 部 の「 2020 東 京 オ リ ン ピ ッ ク に向けて」と題したトークショーにお いては、先ずは徳島ヴォルティスを J 1リーグに昇格させ、今年度J1で戦 い続けたチームの社長であった新田 広一郎くんから、地域と密接に連携し ながらのクラブチーム運営の話しや、 東京オリンピックに向けた更なる底 未だに大学当時の体型を保つ三浦くん と、貫録のついた前田くん 辺拡大の取り組み等について熱く語って頂きました。また、多忙を極める 現日本水泳連盟会長である鈴木大地くんからは、東京オリンピック招致ま で の 苦 労 話 や 、 2020 東 京 オ リ ン ピ ッ ク に お け る 日 本 チ ー ム へ の 期 待 と 重 圧について等々、共に普段では中々聞くことの出来ない話しをしてもらい ま し た 。聴 講 し て い た 参 加 者 の 中 に は 、 「二人共ちゃんと話すことが出来る んだね!」なんて冗談を言っている人もいましたが、同期が誇りとするこ とが出来る二人からの話を聞くことが出来、参加者は大きな刺激を受けた ことと思います。 (実はまだまだ他にも素晴らしい活躍をしている同期が沢 山 い ま す の で 、 我 が 同 期 会 の 講 演 は 実 は 大 変 貴 重 で す 。) 本 同 期 会 は“ 啓 心 寮 で 共 に 過 ご し た 仲 間 ”が キ ー ワ ー ド で あ り ま し た の で 、当 時お世話になった寮関係者ということ で 、寮 監 だ っ た 浪 越 先 生 、副 寮 監 だ っ た 内 田 先 生 、そ し て 寮 母 さ ん だ っ た 大 坪 さ ん に 参 加 の お 声 掛 け を し 、参 加 し て い た パンフレットには、当日参加出来な かった梁寮長からのコメントも! だ き ま し た 。浪 越 先 生 か ら は「 私 も ま だ ま だ 元 気 で す 、皆 さ ん も こ の 私 に 負 け ず 頑 張 っ て 欲 し い 」と 、内 田 副 寮 監 か ら は 、 「 当 時 、入 寮 コ ン パ や 寮 祭 を や る 度に何が起こるか冷や汗もので、何度となく花輪が丘病院に救急車に乗っ て 付 き 添 っ て 行 っ た 思 い 出 」を 、そ し て 、大 坪 寮 母 さ ん か ら は 、 「初めて寮 母 と し て 迎 え た 学 生 が あ な た た ち 。私 も 1 年 目 だ っ た の で 共 に 喜 怒 哀 楽 を 共有させてもらい、今でも一人一人の名前と顔が一致しますし、当時の姿 や 行 動 が 思 い 出 せ ま す 」と 、目 頭 が 熱 く な る よ う な お 話 を し て 頂 き ま し た 。 寮監:浪越先生 副寮監:内田先生 寮母:大坪さん 乾杯の後は、寮単位、 ク ラ ブ 単 位 、出 身 地 別 等 で思い思いにテーブル に集まり当時のことを 懐 か し ん だ り 、現 在 の 近 況 を 伝 え 合 っ た り 、中 に 乾 杯 の 音 頭 を と る 筆 者 、北 村 は人生相談 司会の上西くん や、今後の 共同研究についての話し、再就職 活動にまで話しが及んでいたりも し、実は懇談の間に会場のバック ミュージックとして、入学した年 に流行していた歌謡曲を流してい たのですが、おニャンコクラブの “セーラー服を脱がさないで”が サ ッ カ ー 部 、ラ グ ビ ー 部 を 中 心 に 、左 か ら 三 浦、加藤、大村、井口、鈴木、吉永、伊藤、 横 井 、 石 橋 、 須 郷 ( 医 )( 敬 称 略 ) 流れても、誰も反応しないほど、同期同士の話しは盛り上がり、いつまで も話しは尽きない様子でありました。 クラブは混合で、左から荻原、近藤、小 原、北村、前田、岡田、佐久間、奥住、 塩原、井ノ川(敬称略) 陸上部を中心に、左から梅田、倉林、荒 木、加藤、小嶋、村山、鈴木、新田(敬 称略) また、懇談の途中から、当時の寮祭のビデオを上映しました。皆さん憶 えていますでしょうか? 寮 祭 は 、前 夜 祭 か ら 始 ま り 、翌 日 は 大 運 動 会 を 、 そして最後は裸祭り。よくもここまでやったなと言わんばかり内容で、仮 装大会や大食い競争等々、たけし軍団やダチョウ倶楽部でさえ足下にも及 ばないくらいの大パフォーマンスを繰り広げていたことに改めて当時の物 凄いエネルギッシュさを再認識しました。 宴も終盤に近づき皆の心が打ち 解けてきたところで、4寮 4 室で スキー部だった京極浩くんのリー ドで、参加者全員をランダムにグ ループ分けしてゲームを行いまし た 。 一 つ 目 は 20 秒 間 で 自 己 P R と 24 時 間 以 内 感 じ た プ チ 幸 せ に 右から、鹿倉、京極、帯川、菊地、坂本、以 下 、 医 学 部 の 嶋 田 、 指 出 、( 敬 称 略 ) ついて話すゲーム(トレーニン グ ? )。二 つ 目 は グ ル ー プ 全 員 の 人 差 し 指 に 載 せ た フ ラ フ ー プ を 指 に 接 触 さ せたままいち早く床まで下げることを競い合うゲームでありました。しか しこの二つ目のゲームが、折角打ち解け合って一つとなったグループ内の 心がバラバラになりそうな位難しく、一瞬どうなるかと思いましたが、そ こからの各グループ内の団結たるや凄まじく、リーダーシップを発揮する 者、フォロワーシップを発揮する者、冷静に状況を分析しアドバイスを与 える者等々、それぞれが何らかの役割に自然に徹し共同作業を成し遂げて いくというプロセスを瞬時のうちに実践し、同期の絆とその力の強さを感 じた瞬間でもありました。 その後、名残惜しさは尽きま せんでしたが、会の〆として昔 と変わらず、三・三・七拍子と 同期同士で肩を組んでの校歌斉 唱をしました。昔であれば校歌 を歌うと最後のフレーズをエン ドレスに繰り返し、最後は大声 で拳を突き上げ雄叫びを上げて 肩を組み校歌斉唱 いたことが思い出されますが、そこだ けは皆大人になったのか、参加者みん な、校歌の歌詞を一語一語噛みしめな がら順天堂人であることの有り難さ をしみじみと感じながら歌っていた のが印象的でありました。 医・体男女混合で肩を組み校歌斉唱 本 来 で あ れ ば こ う し た 機 会 を 昨 年 度 の う ち に 体 育 学 部 卒 後 25 周 年 と い うかたちで行うことも出来ましたが、啓心寮で生活を共にした医学部の同 期とも、寮生活を通じてお互いが切磋琢磨し合いながら過ごした学生時代 を振り返り、旧交を温めることが出来たことは本当に有意義であり、入学 30 周 年 記 念 と し て 医 学 部 と の 合 同 で 実 施 し た こ の 同 期 会 は 大 成 功 で あ っ たと思っております。また、この医学部及び体育学部の同期との強い連携 が「不断前進」の本大学の理念の如く、それぞれの専門分野の枠を超えて 順天堂大学の益々の発展と同期生それぞれの更なる活躍に寄与することを 祈念しつつレポートの結びとさせていただきます。 おわりに、本同期会開催にあたり、順天堂大学スポーツ健康科学部同窓 会 の 啓 友 会 事 務 局 及 び 平 成 2 年 卒 の 鈴 木( 安 )く ん 、平 成 6 年 卒 の 遠 藤 く ん 、平 成 10 年 卒 の 眞 田 く ん 、そ し て 平 成 15 年 卒 の 小 杉 く ん ら 後 輩 の 方 々 に大変なご助力を頂いたことを紹介させて頂きますと共にこの場をお借り してお礼申し上げます。 最前列が同期会の御来賓と幹事メンバー。なお、最前列最左翼は今回の素晴らしいスナッ プ写真を撮影してくれた宮地くんです。 於 ; セ ン チ ュ リ ー タ ワ ー 南 19F ホ ー ル 写真撮影:H1健康学科卒 宮地 秀行 レポート:H1体育学科卒 北村 靖二
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