2015年1月4日「この目で救いを見た」山下慶親牧師

「この目で救いを見た」 山下慶親牧師 ルカによる福音書2章22~38節 宮詣の場面から学びたい。ヨセフとマリアは幼子イエスを抱いて神殿に「初詣」し、律法に従った献
げ物をしている。しかし、献げられたのは小羊ではなく、鳩であった。このことは、若い夫婦が貧し
かったことを意味している。なぜならば、
「貧しくて小羊に手が届かない場合には」という規定に従っ
た献げ物をしているからである。主イエスは貧しい夫婦のもとに誕生し、その後の成長が育まれたの
である。 日本では、近年、経済格差が拡大しつつある。子どもの6人の1人、母子家庭の半数が貧困だと言
われている。貧困の中に置かれた幼子たちが、挫けることなく、主イエスの場合と同じように、他者
への共感と社会正義への強い意志が育まれながら成長していくことを心から願う。 イエスの両親は、神殿の中で、高齢のシメオンと女預言者のアンナに出遭っている。シメオンは幼
子を抱いたとき、「この目であなた(神)の救いを見た」、これで「安らかに去る」ことができると言
った。このとき、神殿の祭司たちや大勢の参拝者たちは、救い主が幼子の姿で来ていることにまった
く気づいていかなかった。 シメオンとアンナは、なぜ幼子が救い主であることに気づいたのだろうか。聖書は、シメオンが″
霊″に導かれたと書いている。きっと2人は、厳しい人生、老いの孤独、長年の信仰を通して、自分
の目の前に救いが今来ていることを認識できたのではないだろうか。私たちも、彼らと同じように救
いを見出す目が養われ、マリアの腕の中で眠っている幼子こそが救い主だと確信できるようでありた
い。そして、アンナのように、幼子イエスのことを多くの人々に伝えたい。