シンプレクティック幾何とコーシー・リーマン方程式 1 赤穂まなぶ 首都大学東京 1 はじめに シンプレクティック多様体の大域的な性質に関する本格的な研究は, グ ロモフ(M. Gromov)による擬正則曲線の理論にはじまり, その後多くの 数学者・数理物理学者達の手を経てここ 20 数年の間に驚異的な進歩を成 し遂げた. なかでもアーノルド予想を解くためにフレアー(A. Floer)に よって導入されたフレアーホモロジーの革新的なアイデアは, その後の大 域シンプレクティック幾何の研究に大きな影響を与えた. そして擬正則曲 線の理論はミラー対称性などの新しい話題を続々と提供しながら, 今もな お快進撃を続けている. 本稿ではグロモフによる正則円盤の存在定理を中心に, コーシー・リー マン方程式とそれに関わるシンプレクティック幾何の基本的な話題につい ていくつか触れてみたい. 2 シンプレクティック多様体 シンプレクティック多様体の起源は解析力学, とくにハミルトン方程式 (正準方程式ともよばれる)の研究にまでさかのぼる. ハミルトン方程式とは, 時刻 t と座標 x1 , . . . , xn , 一般運動量 y1 , . . . , yn の関数 H = H(t, x1 , y1 , . . . , xn , yn ) を用いて dxi ∂H = , dt ∂yi dyi ∂H =− dt ∂xi (i = 1, . . . , n) と書かれる, 未知関数 xi (t), yi (t), i = 1, . . . , n, についての 1 階の常微分 方程式系である. ここで H はハミルトン関数とよばれ, 天体の運動やバネ の振動など, 扱う問題ごとに異なった H が用いられる. この変数 (x1 , y1 , . . . , xn , yn ) の空間は相空間とよばれ, 解析力学の目標 はハミルトン方程式に従う相空間の点の振る舞いを詳しく調べることで あると言える. 中でも惑星の公転や単振動のように周期的な運動を表す解 は, 物理的にも数学的にも非常に重要であり, ひときわ多くの人々の関心 を集めてきた. 一方, ハミルトン方程式の解法を研究する過程で, 人々は正準変換と呼 ばれる変数変換に注目した. この正準変換の下で変数を x1 , y1 , . . . から 1 数理科学 2010 年 6 月号 特集『現代幾何学と方程式 –幾何学の多様な理解を目指し て–』に収録 1 X1 , Y1 , . . . に変換すると dx1 ∧ dy1 + · · · + dxn ∧ dyn = dX1 ∧ dY1 + · · · + dXn ∧ dYn が成り立つことがわかる. これは dx1 ∧ dy1 + · · · + dxn ∧ dyn という 2 次の微分形式が, 相空間 R2n = {(x1 , y1 , . . . , xn , yn )} の本質的な 構造であるということを示唆していた. そこで我々はシンプレクティック多様体の定義に至る. 定義(シンプレクティック多様体)M を可微分多様体, ω を M 上の 2 次の 微分形式とする. ω が次の 2 つの条件を満たすとき ω をシンプレクティッ ク形式, また (M, ω) をシンプレクティック多様体とよぶ. • M の各接ベクトル空間において ω は非退化な 2 次の交代形式を定 める. • dω = 0. 相空間 (R2n , dx1 ∧ dy1 + · · · + dxn ∧ dyn ) は最も基本的かつ重要なシン プレクティック多様体である. 3 大域シンプレクティック幾何 一口にシンプレクティック幾何と言ってもその内容は多岐に渡るが, 幾 何構造の研究という観点からするとその内容は大きく分けて • 局所的な構造の研究, • 大域的な構造の研究 の 2 つに分けられる. しかし前者に関しては既に決着がついている. つま りシンプレクティック多様体は局所的にはどれも相空間の開集合と同じで あるということが知られている. これはリーマン幾何とは大きく異なる点 である. 一方, 後者に関しては非自明な結果が得られている. その最初の代表的 なものが擬正則曲線の理論を用いて証明されたグロモフの非圧縮定理であ る. これはシンプレクティック容量とよばれる不変量を導入するきっかけ となった記念碑的な定理である. 定理(グロモフの非圧縮定理)BR , Hε を BR = {(x1 , y1 , . . . , xn , yn ) | Hε = {(x1 , y1 , . . . , xn , yn ) | 2 n ∑ (x2i + yi2 ) < R2 } i=1 x2n + yn2 < ε2 } とし, また ω = dx1 ∧ dy1 + · · · + dxn ∧ dyn とする. そのとき R > ε なら ば f ∗ ω = ω となる埋め込み f : BR → Hε は存在しない. この定理より, ただちに次の系が得られる. 系 D(r) = {(x, y) ∈ R2 | x2 + y 2 ≤ r2 } とし, D(r) × D(R) ⊂ R4 には標 準的なシンプレクティック形式 ω を考える. そのとき f ∗ ω = ω となる微 分同相写像 f : D(1) × D(1) → D(2) × D(1/2) は存在しない. D(1) × D(1) と D(2) × D(1/2) の間には体積要素を保つ微分同相写像 が存在することに注意する. この他にもシンプレクティック多様体の大域的な性質の研究には様々な ものがある. 主なものには • シンプレクティック同相写像の研究, • 周期ハミルトン系の研究, • ラグランジュ部分多様体の研究 などなど. これらは互いに関連し合い, そしてそのいずれにも擬正則曲線 が効果的に用いられている. 4 擬正則曲線 複素数 z を変数とする複素数値関数 f (z) が z について微分可能なとき, f (z) を正則関数とよぶ. よく知られているように, f (z) が正則であるため の必要十分条件は, f (z) の実部 u と虚部 v が次のコーシー・リーマン方程 式を満たすことである. ∂v ∂u = , ∂x ∂y ∂v ∂u =− ∂x ∂y ただし変数 x, y はそれぞれ z の実部と虚部である. この正則関数を一般化すると複素多様体から複素多様体への正則写像と いう概念にたどり着く. しかしここでは複素多様体よりも広いクラスの概 複素多様体を扱い, 正則写像に代わって擬正則写像を考える. 定義(概複素多様体)M を可微分多様体とし, 写像 J : T M → T M は各 接ベクトル空間に制限すると線形写像 J : Tp M → Tp M を定めるとする. このとき J ◦ J = −1 となるならば J を概複素構造, (M, J) を概複素多様 体とよぶ. 3 z1 , . . . , zn を複素多様体の局所複素座標としたとき, 各接ベクトル空間 上に線形写像 J を J ∂ ∂ = , ∂xi ∂yi J ∂ ∂ =− ∂yi ∂xi (i = 1, . . . , n) と定義すると, J は概複素構造となる. 定義(擬正則写像)(M1 , J1 ), (M2 , J2 ) を概複素多様体, f : M1 → M2 を 写像とする. f の微分 df : T M1 → T M2 が方程式 df ◦ J1 = J2 ◦ df を満たすとき, f を擬正則写像とよぶ. M1 , M2 が複素多様体で J1 , J2 をそこから自然に定まる概複素構造とす ると, 擬正則写像 f : M1 → M2 はまさに正則写像になる. 実は擬正則写像の理論で重要になるのは定義域の概複素多様体の実次元 が 2 のとき, つまりリーマン面からの擬正則写像の場合である. そのとき 擬正則写像はとくに擬正則曲線とよばれる. 5 コーシー・リーマン方程式 (M, J) を概複素多様体, (Σ, j) をリーマン面とする. そのとき写像 u : Σ → M に対して 1 ∂¯J (u) = (du + J ◦ du ◦ j) 2 ¯ と定義すると, ∂J (u) は Σ 上の u∗ T M に値を取る (0, 1) 形式になる. また J ◦ J = −1 に注意すると ∂¯J (u) = 0 ⇔ u は擬正則曲線 であることがわかる. この方程式 ∂¯J (u) = 0 もコーシー・リーマン方程式 とよぶ. 方程式 ∂¯J (u) = 0 は一般に J が u に依存しているので非線型の偏微分 方程式であり, さらにその線形化方程式の主部はいわゆるコーシー・リー マン方程式と一致するので楕円型の偏微分方程式でもある. したがって ∂¯J (u) = 0 は 1 階の非線型楕円型偏微分方程式である. また a をベクトル束 Λ0,1 Σ ⊗ T M → Σ × M の切断とすると, 摂動され たコーシー・リーマン方程式 ∂¯J (u) = a を考えることもできる. ただし右辺は a を {(z, u(z)) | z ∈ Σ} に制限した ものとする. するとこれも同様に 1 階の非線型楕円型偏微分方程式である ことがわかる. ただし a ̸= 0 ならば, u はもはや擬正則曲線ではない. 4 6 シンプレクティック多様体への擬正則曲線 擬正則曲線を考えるためには概複素構造が必要になるが, シンプレク ティック多様体 (M, ω) には • ω(v, Jv) > 0, v ̸= 0, • ω(Jv1 , Jv2 ) = ω(v1 , v2 ) となる ω と整合的な概複素構造 J が必ず存在する. これはちょうどケー ラー多様体の複素構造の可積分条件が落ちた状態と同じである. ここで一つ次の重要な定理を述べておく. 定理 (M, ω) をシンプレクティック多様体, J を ω と整合的な概複素構造, (Σ, j) をリーマン面とする. そのとき写像 u : Σ → M が擬正則曲線ならば ∫ ∫ 1 ∗ u ω= |du|2 2 Σ Σ が成り立つ. したがってこの定理より, 擬正則曲線 u の表すホモロジー群の元が 0 な らば, u は定値写像であることがわかる. さて, このようにいったん概複素構造の存在が保障されればシンプレク ティック多様体への擬正則曲線を考えることができる. しかし非自明な(つ まり定値写像ではない)擬正則曲線が存在するかという問題はそれとは別 の話である. 非自明な擬正則曲線の存在定理として有名なものにグロモフによる次の 定理がある. ただしその前に, まず準備としてラグランジュ部分多様体の 定義から述べる. 定義(ラグランジュ部分多様体)シンプレクティック多様体 (M, ω) の部 分多様体 L が次の 2 つの条件を満たすとき L をラグランジュ部分多様体 とよぶ. • dim L = 1 2 dim M . • ω|L = 0. 例えば相空間 R2n = R2 ×· · ·×R2 の中の標準的なトーラス S 1 ×· · ·×S 1 はラグランジュ部分多様体である. 次の定理では, R2n = {(x1 , y1 , . . . , xn , yn )} と Cn = {(x1 +iy1 , . . . , xn + iyn )} を同一視し, また D = {z ∈ C | |z| ≤ 1} とする. 5 定理(正則円盤の存在)L をコンパクトで境界のない Cn のラグランジュ 部分多様体とする. そのとき境界条件 u(∂D) ⊂ L を満たす非自明な正則 写像 u : D → Cn が存在する. さて, この非自明な正則円盤の存在定理を用いると, R2n におけるラグ ランジュ部分多様体のトポロジーについての情報が得られる. 定理 L をコンパクトで境界のない R2n のラグランジュ部分多様体とす る. そのとき H 1 (L; R) ̸= 0. 証明の概略. 1 次の微分形式 λ = x1 dy1 + · · · + xn dyn を L に制限したもの は dλ|L = ω|L = 0 となるので H 1 (L; R) の元を定める. 一方, u : D → R2n ∫ を u(∂D) ⊂ L を満たす非自明な正則円盤とすると, D u∗ ω > 0 であるこ ∫ ∫ とがわかる. するとストークスの定理より ∂D u∗ λ = D u∗ ω ̸= 0 となり, λ の定める H 1 (L; R) の元は非自明となる. 7 バブルの解析 グロモフが非自明な正則円盤の存在を示すために考察したのがバブルで ある. 一般に摂動されたコーシー・リーマン方程式の解の発散列があると, そ の極限に CP 1 もしくは D = {z ∈ C | |z| ≤ 1} を定義域とする非自明な擬 正則曲線が出現する. この現象をバブルとよぶ. ここではそのバブルが起こるメカニズムを少し詳しく見てみよう. (M, ω) をコンパクトで境界を持たないシンプレクティック多様体, J を ω と整合的な概複素構造, L をコンパクトで境界を持たないラグランジュ 部分多様体とする. また C < ∞ とし, (Σ, j) をコンパクトなリーマン面, ui : Σ → M, i = 1, 2, . . ., を ∫ ¯ u(∂Σ) ⊂ L, ∂J (u) = a, |du|2 ≤ C Σ を満たす写像とする. このとき, もし ui の微分が一様に有界ならば, ui , i = 1, 2, . . ., は収束す ∫ る部分列を持ち, その極限は再び u(∂Σ) ⊂ L, ∂¯J (u) = a, Σ |du|2 ≤ C を 満たす. これはある種のコンパクト性を意味している. そしてこのときバ ブルは起きない. そこで ui の微分が一様に有界でないと仮定する. このとき Σ のある収束 点列 zi ∈ Σ, i = 1, 2, . . ., が Ri = |dui (zi )| = maxz∈Σ |dui (z)| → ∞ (i → ∞) となっているとしてよい. もし zi が Σ の内点に収束するか, もしくは緩やかに ∂Σ の点に収束 するならば, 写像 vi : C → M を vi (z) = ui ((z + zi )/Ri ) と定義する 6 と, vi , i = 1, 2, . . ., は収束する部分列を持ち, その極限 v : C → M は ∫ ∂¯J (v) = 0, C |dv|2 ≤ C の非自明な解となる. すると除去可能特異点定理 により, ある擬正則曲線 v˜ : CP 1 = C ∪ {∞} → M が存在して v˜|C = v と なる. √ また zi が ∂Σ の点に急速に収束するならば, H = {x+ −1y ∈ C | y ≥ 0} として, 同様に写像 vi : H → M を定義すると, vi , i = 1, 2, . . ., は収束する ∫ 部分列を持ち, その極限 v : H → M は v(∂H) ⊂ L, ∂¯J (v) = 0, H |dv|2 ≤ C の非自明な解となる. するとこの場合も除去可能特異点定理により, あ る擬正則曲線 v˜ : D = H ∪ {∞} → M が存在して v˜(∂D) ⊂ L, v˜|H = v と なる. このように摂動されたコーシー・リーマン方程式の解の発散列が存在す ると, 非自明な擬正則曲線が泡のように出現することがわかる. 8 モジュライ空間 グロモフが非自明な正則円盤の存在を示すために用いたもう一つの重要 な道具がモジュライ空間である. (M, ω) をシンプレクティク多様体, J を ω と整合的な概複素構造, L を ラグランジュ部分多様体とする. また (Σ, j) をコンパクトなリーマン面と する. そこで β ∈ H2 (M, L; Z) に対して u(∂Σ) ⊂ L N (M, L, β, a) = u : Σ → M u∗ [Σ] = β ∂¯J (u) = a と定義する. さらに N (M, L, β, a) に次の規則で同値関係を与える. u1 , u2 ∈ N (M, L, β, a) が同値 ⇔ 正則同型写像 φ : Σ → Σが存在して u1 ◦ φ = u2 この同値類の集合を M(M, L, β, a) と書くことにする. これが我々のモ ジュライ空間である. また摂動項の滑らかな族 α = {at }t∈[0,1] に対して M(M, L, β, α) = ∪ t∈[0,1] と定義する. 9 モジュライ空間の局所理論 7 M(M, L, β, at ) 方程式 ∂¯J (u) = a は 1 階の非線型楕円型偏微分方程式であり, このとき N (M, L, β, a) は有限次元の可微分多様体の構造を持つことが期待される. そのことを説明するためにまず次の例から入ろう. 可微分多様体 X 上の ベクトル束 E → X とその切断 s : X → E に対して N = {p ∈ X | s(p) = 0} と定義する. そして N の各点 p において s の微分のファイバー方向へ の射影 Ds : Tp X → Ep が全射だと仮定する. そのとき陰関数の定理より N は可微分多様体になり, その次元は Ker Ds の次元に一致する. 実は我々の集合 N (M, L, β, a) もまさにこれと同様な状況にある. ただ し今の場合, X に相当するものは条件 u(∂Σ) ⊂ L, u∗ [Σ] = β を満たす写 像 u : Σ → M の全体という無限次元の多様体 X であり, E → X にあた るものは u ∈ X のファイバーが Λ0,1 Σ ⊗ u∗ T M → Σ の切断の全体という 無限次元ベクトル束 E → X であり, s に相当するものが s(u) = ∂¯J (u) − a となる. すると N (M, L, β, a) = {u ∈ X | s(u) = 0} と書くことが できる. また N (M, L, β, a) の各点 u における s の微分のファイバー方 向への射影 Ds : Tu X → Eu はフレドホルム作用素であることがわか る. つまり Ker Ds と Coker Ds の次元はそれぞれ有限となり, その指数 dim Ker Ds − dim Coker Ds は指数定理を用いて計算することができる. さて, 陰関数の定理を用いて N が可微分多様体であることを示すため には Ds が全射である必要があった. 残念ながら Ds は一般には全射とは ならない. しかしいくつかの重要な場合において Ds は全射になることが 知られており, そのときはやはり陰関数の定理より N (M, L, β, a) が可微 分多様体であることが示され, その次元は dim Ker Ds すなわち Ds の指 数と一致することがわかる. また M(M, L, β, a) は N (M, L, β, a) を同値関係で割った商空間である が, これもまた多くの重要な場合に可微分多様体になることが知られて いる. 10 バブルを起こすには… これまでの議論で, もしバブルが起きれば CP 1 もしくは D からの非自 明な擬正則曲線が存在することがわかった. ではそのバブルを起こすには 一体どうしたらよいのであろうか? Cn には標準的なシンプレクティック形式と複素構造を考え, L を Cn の コンパクトで境界のないラグランジュ部分多様体とする. ただし Cn はコ ンパクトではないが, L は十分大きな複素トーラスのラグランジュ部分多 様体とみなすことができるので, ここではあまり気にする必要はない. また a ∈ Cn とする. このとき境界条件 u(∂D) ⊂ L を満たす写像 u : D → Cn ∂u = a を考える. ただ に対して, 摂動されたコーシー・リーマン方程式 ∂ z¯ 8 ∂u 1 し = ∂ z¯ 2 ( ∂u √ ∂u + −1 ∂x ∂y ) である. するとまず次のことが成り立つ. • ある定数 C(L, a) < ∞ が存在して, ∫ ∂u = a の解に対して D |du|2 ≤ ∂ z¯ C(L, a) となる. • |a| が十分大きいとき, ∂u = a の解は存在しない. ∂ z¯ そこで β = 0 とし, a0 = 0, |a1 | は十分大きい, となる適当な摂動項の滑 らかな族 α = {at ∈ Cn }t∈[0,1] に対してモジュライ空間 M(Cn , L, 0, α) = ∪ M(Cn , L, 0, at ) t∈[0,1] を考える. すると • M(Cn , L, 0, a0 ) は L への定値写像から成り, L と自然に同一視で きる, • M(Cn , L, 0, a1 ) = ∅, • バブルが起きないと仮定すると M(Cn , L, 0, α) はコンパクト, • M(Cn , L, 0, α) は n + 1 次元の可微分多様体, • ∂M(Cn , L, 0, α) = M(C, L, 0, a0 ) ∪ M(Cn , L, 0, a1 ) であることがわかる. したがって, 1 ∈ ∂D に注意して, 写像 ev : M(Cn , L, 0, α) → L, ev(u) = u(1) を定義すると • ∂M(Cn , L, 0, α) = M(Cn , L, 0, 0), • ev(M(Cn , L, 0, 0)) = L となる. しかしこれは L の基本類 [L] ∈ Hn (L; Z2 ) が 0 でないことに矛 盾する. よって背理法により, どこかで必ずバブルが起こらなければなら ない! ! 最後に CP 1 から Cn への正則写像は定値写像に限ることに注意すると, これで境界条件 u(∂D) ⊂ L を満たす非自明な正則円盤 u : D → Cn が存 在することがわかった. 9 11 まとめ グロモフの擬正則曲線の理論のポイントとなったのはバブルとモジュラ イ空間であった. その伏線には以前から知られていた • 調和写像・極小曲面のバブルの解析, • 複素構造の変形理論, • 反自己双対接続のモジュライ空間 などがあったものと思われる. 特にモジュライ空間をコボルディズム論的 に用いるその手法は, 我々にドナルドソン(S. Donaldson)による反自己 双対接続のモジュライ空間の 4 次元トポロジーへの最初の応用を思い起こ させる. そもそも, リーマン面から複素多様体への正則写像は, 複素幾何もしく は代数幾何において精力的に研究されていた. ところがグロモフは, 複素 構造の可積分条件を捨て去ることにより, それを擬正則曲線の理論へと生 まれ変わらせ, 大域シンプレクティック幾何の問題に応用した. さて, グロモフによる擬正則曲線の理論は, その後フレアーによって導 入されたフレアーホモロジーの理論において一役買うことになる. フレアーホモロジーにはいくつかのバージョンがあるが, シンプレク ティック幾何では主に • ラグランジュ部分多様体のフレアーホモロジー, • 周期ハミルトン系のフレアーホモロジー の 2 つが知られている. それらはループ空間上の変分法を背景に, ウィッ テン(E. Witten)による超対称性とモース理論の研究をきっかけとし, グ ロモフによる擬正則曲線の理論とタウベス(C. H. Taubes)による反自己 双対接続の貼り合せの解析を技術面での支えとして, アーノルド予想を解 くために導入された. これはあくまで筆者の受けた印象であるが, グロモフは擬正曲線を複素 幾何・代数幾何からシンプレクティック幾何へと移植し, 問題を解くために それを巧妙に用いたが, 一方フレアーは, ループ空間のモースホモロジー という立場から, ごく自然にシンプレクティック幾何において擬正則曲線 に出会ったのではないだろうか. 以上, シンプレクティック幾何とコーシー・リーマン方程式ということ で, 擬正則曲線の理論の基本的な内容について解説を行った. 擬正則曲線 の理論は現在世界中で盛んに研究されており, 今後もさらに我々に新たな 大域シンプレクティック幾何の世界を見せてくれるものと思われる. 10 参考文献 [1] 赤穂まなぶ, ラグランジュ部分多様体のフレアーホモロジー入門, 第 5 回 城崎新人セミナー報告集 (2008). http://diana.math.kyoto-u.ac.jp/insei /proceeding/2008/akaho.pdf よりダウンロード可. [2] A. Floer, Morse theory for Lagrangian intersections, J. Differ. Geom. 28, No. 3, 513–547 (1988). [3] A. Floer, Symplectic fixed points and holomorphic spheres, Comm. Math. Phys. 120, No. 4, 575–611 (1989). [4] 深谷賢治, シンプレクティック幾何学, 岩波書店 (2008). [5] M. Gromov, Pseudo holomorphic curves in symplectic manifolds, Invent. Math. 82, 307–347 (1985). [6] D. McDuff and D. Salamon, Introduction to Symplectic Topology, 2nd edition, Oxford University Press (1998). [7] D. McDuff and D. Salamon, J-holomorphic Curves and Symplectic Topology, American Mathematical Society, Colloquium Publications Volume 52 (2004). 11
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