16 計量ベクトル空間 I

30
線形代数学 B
以下では, K で実数全体のなす体 R または複素数全体のなす体 C を表し, K の元をスカラーと呼ぶ. ま
た, 特に断らない限り, 行列や数ベクトルの成分は K の元であるとし, K 上のベクトル空間を単にベクトル
√
空間と呼ぶ. 複素数 z = x + −1 y (x, y は実数) の実部 x, 虚部 y をそれぞれ Re z, Im z で表し, 複素共
√
√
役 x − −1 y を z で表す. さらに, 絶対値 x2 + y 2 を |z| で表す. これらがみたす関係式
z + z = 2 Re z,
√
z − z = 2 −1 Im z,
z z = |z|2
は断りなく用いられる. これまでと同様に, スカラーはアルファベットの小文字やギリシア文字の小文字を
用いて表すことが多い. なお, §19 では K = R の場合だけを考える.
16
計量ベクトル空間 I
(m, n) 型の行列 A = (aij ) に対し, (i, j) 成分が aij で与えられる (m, n) 型行列を A で表す. また, (i, j)
成分が aji で与えられる (n, m) 型行列を A の Hermite 共役 (または随伴行列) といい, A∗ で表す:
A∗ := t ( A ) = t A.
問 16.1 次が成り立つことを確認せよ:
(1) (A∗ )∗ = A.
(2) (A + B)∗ = A∗ + B ∗ .
(3) (cA)∗ = cA∗ .
(4) (AB)∗ = B ∗ A∗ .
16.1
正値 Hermite 内積
V をベクトル空間とするとき, 2 つのベクトル x, y にスカラー (x, y) を対応させる函数
( · , · ) : V × V −→ K
で次の条件をみたすものを V の正値 Hermite 内積 (または単に内積) という:
(1) 任意の x, y, y ′ ∈ V に対し, (x, y + y ′ ) = (x, y) + (x, y ′ ).
(2) 任意の a ∈ K と x, y ∈ V に対し, (x, ay) = a(x, y).
(3) 任意の x, y ∈ V に対し, (y, x) = (x, y).
(4) 任意の x ∈ V, ̸= 0 に対し, (x, x) は正の実数.
また, 内積が定義されたベクトル空間を計量ベクトル空間という.
問 16.2 ( · , · ) を V の内積とするとき, 次が成り立つことを示せ:
(1)′ 任意の x, x′ , y ∈ V に対し, (x + x′ , y) = (x, y) + (x′ , y).
(2)′ 任意の a ∈ K と x, y ∈ V に対し, (ax, y) = a(x, y).
16 計量ベクトル空間 I
31
(
)
(3)′ 任意の x, y ∈ V に対し, (x, y) + (y, x) = 2 Re (x, y) .
(4)′ x = 0 または y = 0 ならば (x, y) = 0.
例 16.3 x = (xi ), y = (yi ) ∈ Kn に対して
(x, y) := x∗ y =
n
∑
xi y i
i=1
と置くと, ( · , · ) は Kn の内積を与える. この内積を Kn の標準的な内積と呼ぶ. 以下では, 特に断らない
限り, Kn の内積は標準的な内積を考える.
注意 16.4 上の例と同じ記号の下で, n 次の正方行列 A に対して (Ax, y) = (x, A∗ y) が成り立つ:
(Ax, y) = (Ax)∗ y = (x∗ A∗ )y = x∗ (A∗ y) = (x, A∗ y).
(
)
例 16.5 閉区間 [a, b] 上の連続函数全体のなすベクトル空間 C [a, b], K (cf. 例 11.12) には
∫
b
(f, g) :=
f (x) g(x) dx
a
により内積が入る.
16.2
ベクトルのノルム
以下, V を計量ベクトル空間とする.
∥x∥ :=
√
(x, x) を x のノルム (または長さ) と呼ぶ. ノルムは非負の実数であり, ∥x∥ = 0 となるのは
x = 0 であるときに限る. また, スカラー a に対して ∥ax∥ = |a| ∥x∥ が成り立つ.
x, y をベクトルとするとき, 任意のスカラー a に対して
(
)
(
)
0 ≤ ∥x − ay∥2 = (x − ay, x − ay) = (x, x) − 2 Re (x, ay) + (ay, ay) = ∥x∥2 − 2 Re a(x, y) + |a|2 ∥y∥2
が成り立つ. y ̸= 0 であるとき, 特に a = (y, x)/∥y∥2 と置くと
(
)
|(x, y)|2
|(x, y)|2
|(x, y)|2
2
2
∥x∥2 − 2 Re a(x, y) + |a|2 ∥y∥2 = ∥x∥2 − 2
+
∥y∥
=
∥x∥
−
.
∥y∥2
∥y∥4
∥y∥2
これより
∥x∥2 −
|(x, y)|2
≥ 0,
∥y∥2
すなわち
2
∥x∥2 ∥y∥2 − (x, y) ≥ 0
を得る. y = 0 の場合にも最後の不等式は成り立つから:
命題 16.6 (Cauchy-Schwarz の不等式)
(x, y) ≤ ∥x∥ ∥y∥.
32
線形代数学 B
問 16.7 次の同値性を示せ:
(x, y) = ∥x∥ ∥y∥
⇐⇒
x, y は 1 次従属.
上の命題から直ちに次が得られる (証明は演習問題):
系 16.8 (三角不等式)
∥x + y∥ ≤ ∥x∥ + ∥y∥.
注意 16.9 上の計算において a = ±1 とすれば次が得られる:
(
)
∥x ± y∥2 = ∥x∥2 + ∥y∥2 ± 2 Re (x, y) .
16.3
内積と角度
R 上の数ベクトル空間においては, ベクトルのなす角度を内積やノルムを用いて表すことができる:
x, y ∈ Rn , ̸= 0 とするとき, Cauchy-Schwarz の不等式 (命題 16.6) より
−1 ≤
(x, y)
≤1
∥x∥ ∥y∥
が従うから, 条件
(x, y)
= cos θ,
∥x∥ ∥y∥
0≤θ≤π
を共にみたす θ ∈ R がただひとつ存在する. また, 問 16.7 と同様にして次が示せる:
θ = 0 ⇐⇒ (x, y) = ∥x∥ ∥y∥
⇐⇒ x = ay となるような a > 0 が存在する;
θ = π ⇐⇒ (x, y) = −∥x∥ ∥y∥ ⇐⇒ x = ay となるような a < 0 が存在する.
θ ̸= 0, π のときには, x, y が張る (Rn 内の) 三角形 { s x + t y ; s ≥ 0, t ≥ 0, s + t ≤ 1 } に余弦定理を適
用すると, x, y のなす角度の余弦は
∥x∥2 + ∥y∥2 − ∥x − y∥2
(x, y)
=
2 ∥x∥ ∥y∥
∥x∥ ∥y∥
で与えられることがわかる (cf. 注意 16.9):
y
0
-x
従って θ は x, y のなす角度に一致する. 以上をまとめて:
命題 16.10 x, y ∈ Rn , ̸= 0 のなす角度を θ とするとき
(x, y) = ∥x∥ ∥y∥ cos θ.
16 計量ベクトル空間 I
16.4
33
直交系
ベクトル x, y は, (x, y) = 0 をみたすとき直交するといい, そのことを x ⊥ y で表す (x, y は 0 であっ
てもよい). 明らかに x ⊥ y と y ⊥ x は同値で, 注意 16.9 より x ⊥ y であれば ∥x + y∥2 = ∥x∥2 + ∥y∥2
となる. また, W を V の部分空間とするとき, W の任意の元と直交するようなベクトル全体のなす集合
W ⊥ := { x ∈ V ; x ⊥ y (y ∈ W ) }
を W の直交補空間という.
問 16.11 次が成り立つことを示せ:
(1) W ⊥ は V の部分空間.
(2) W ∩ W ⊥ = { 0 }.
(3) (W ⊥ )⊥ ⊃ W .
問 16.12 W = ⟨x1 , x2 , . . . , xr ⟩ とするとき, x ∈ V に対して次の同値性を示せ:
x ∈ W⊥
⇐⇒
x ⊥ xi
(1 ≤ i ≤ r).
ベクトル x1 , x2 , x3 , . . . は, xi ̸= 0 および xi ⊥ xj (i ̸= j) をみたすとき直交系であるという. さらに, 直
交系 x1 , x2 , x3 , . . . で ∥xi ∥ = 1 をみたすものを正規直交系と呼ぶ. なお, x1 , x2 , x3 , . . . が直交系ならば
1
x1 ,
∥x1 ∥
1
x2 ,
∥x2 ∥
1
x3 ,
∥x3 ∥
...
は正規直交系である.
例 16.13 Kn の基本ベクトル e1 , e2 , . . . , en は正規直交系をなす.
直交系に関する座標
ベクトル x1 , x2 , . . . , xr が直交系をなしているとし, W = ⟨x1 , x2 , . . . , xr ⟩ をそれら
が張る空間とする.
いま, スカラー t1 , t2 , . . . , tr に対して
∑r
i=1 ti
xi = 0 が成り立ったとすると, 各 i に対して
r
r
( ∑
) ∑
0 = (xi , 0) = xi ,
tj x j =
tj (xi , xj ) = ti ∥xi ∥2
j=1
j=1
より ti = 0 がわかるから, x1 , x2 , . . . , xr は 1 次独立である. 従って x1 , x2 , . . . , xr は W の基底を与え, 任
∑r
意の x ∈ W はスカラー t1 , t2 , . . . , tr を用いて一意的に x = i=1 ti xi と表される. ここで, 各 i に対し,
r
r
( ∑
) ∑
(xi , x) = xi ,
tj x j =
tj (xi , xj ) = ti ∥xi ∥2
j=1
j=1
より x の xi 座標は ti = (xi , x)/∥xi ∥2 で与えられることがわかる. 以上をまとめて:
線形代数学 B
34
命題 16.14 (1) 直交系は 1 次独立である.
(2) x1 , x2 , . . . , xr を直交系とするとき, 任意の x ∈ ⟨x1 , x2 , . . . , xr ⟩ に対して
x=
r
∑
(xi , x)
i=1
直交射影
∥xi ∥2
xi .
記号は上の通りとし, x を W に属するとは限らないベクトルとする. このとき
′
x :=
r
∑
(xi , x)
i=1
∥xi ∥2
xi
は W に属し, 各 i に対して
r
r
( ∑
(xj , x) ) ∑ (xj , x)
(xi , x)
(xi , x′ ) = xi ,
x
=
(xi , xj ) =
∥xi ∥2 = (xi , x),
j
2
2
2
∥x
∥
∥x
∥
∥x
∥
j
j
i
j=1
j=1
すなわち xi ⊥ (x − x′ ) をみたす. 従って x′′ = x − x′ と置けば次が成り立つ:
x = x′ + x′′ ,
x′ ∈ W,
x′′ ∈ W ⊥ .
x′ を x の W への直交射影 (または正射影) という.
注意 16.15 (1) 上の性質をもつ x′ と x′′ は x から一意的に定まる. 実際, x が y ′ ∈ W と y ′′ ∈ W ⊥ に
よって x = y ′ + y ′′ と表されたとすると, x′ + x′′ = y ′ + y ′′ より
x′ − y ′ = y ′′ − x′′ ∈ W ∩ W ⊥ = { 0 }
(cf. 問 16.11) となり, x′ = y ′ と x′′ = y ′′ がわかる.
(2) ベクトル y を W の中で動かすとき, ∥x − y∥ は y = x′ のときに最小値 ∥x′′ ∥ をとる. 実際, 注
意 16.9 より
(
)
∥x − y∥2 = ∥(x′ + x′′ ) − y∥2 = ∥(x′ − y) + x′′ ∥2 = ∥x′ − y∥2 + ∥x′′ ∥2 + 2 Re (x′ − y , x′′ )
となるが, x′ − y ∈ W と x′′ ∈ W ⊥ より (x′ − y , x′′ ) = 0 であるから,
∥x − y∥2 = ∥x′ − y∥2 + ∥x′′ ∥2 ≥ ∥x′′ ∥2 .
問 16.16 x の W への直交射影を π(x) で表すとき, 次が成り立つことを示せ:
(1) 写像 π : V ∋ x 7→ π(x) ∈ V は線型.
(2) Im π = W, Ker π = W ⊥ .
演習問題
16.1 (1) Cauchy-Schwarz の不等式 (命題 16.6) から三角不等式 (系 16.8) を導け.
(2) 三角不等式の等号成立条件を求めよ.
16 計量ベクトル空間 I
35
16.2 (1) R 上の計量ベクトル空間において, 次が成り立つことを示せ:
(x, y) =
∥x + y∥2 − ∥x − y∥2
.
4
(2) C 上の計量ベクトル空間において, 次が成り立つことを示せ:
(x, y) =
ただし i =
√
∥x + y∥2 − ∥x − y∥2 − i ∥x + iy∥2 + i ∥x − iy∥2
.
4
−1 は虚数単位を表す.
16.3 計量ベクトル空間 V の線型変換 f に対して次の同値性を示せ:
(f (x), f (y)) = (x, y) (x, y ∈ V )
⇐⇒
∥f (x)∥ = ∥x∥ (x ∈ V ).
(
)
16.4 f0 , f1 , g1 , f2 , g2 , . . . ∈ C [−π, π], R を fk (x) := cos kx, gk (x) := sin kx により定めるとき, これら
の函数は例 16.5 で定めた内積に関して直交系をなすことを示せ.
16.5 x1 , x2 , . . . , xr ∈ Kn を正規直交系とするとき, n 次正方行列
x1 x∗1 + x2 x∗2 + · · · + xr x∗r
に対応する Kn の線型変換は ⟨x1 , x2 , . . . , xr ⟩ への直交射影 (cf. 問 16.16) に一致することを示せ.