オアシス通信 1月号

2 0 1 5年 の ため に主 が私 たちの 教会 に与 えて くだ さ
った御言葉(申命記6章5節)です。
「 心を 尽 く し」 とは 、 よく 考え て自 分 の意 志で 信 じ、
愛 す る と い う こ と で す 。「 精 神 を 尽 く し 」 と は 、 誠 心 誠
意 の 熱い 思 い と感 情を も って 信じ 、 愛す ると いう こ とで
す 。「 力 を 尽 く し 」 と は 、 自 分 自 身 が 持 っ て い る す べ て
の 力 、 つ まり 内 面的 な力 、知 力 、肉 体的 な 力な どす べて
によって神を信じ、愛するということです。
私たちは本物の神である「主」を愛します 。聖書では 、
ま こ と の 神は 宇 宙に 唯一 であ り 、天 と地 と その 中に 満ち
て い るも の の 創造 主で ある と 教え てい ま す。 聖書 は、 本
物の神 、
「主」について、次のことを教えています。
1、神は霊です(ヨハネ4章 節)
本 物の 神 は 霊で あっ て 、姿 、形 が なく 、目 で見 る こと
が で き ま せ ん。 また 木や 石 や金 属で 表 現で きな いお 方 で
す 。 人 間は 、 自分 の 手で 像を 刻み 、 木や 石や 金 属の 神々
を 作り 、 拝 んで き まし たが 、 聖書 はこ のよ う な崇 拝を 偶
像崇拝と呼び、禁じています。
2、神は全知です(ルカ 章6節―7節)
本 物の 神 は 、す べて を知 っ てお られ ま す。 あな たの こ
と 、 私 の こと 、 神の 目に は 、す べて が明 ら かで す。 神 の
前 に 私た ち が 罪を 隠し て いる なら 、 この こと は恐 ろ しい
こと で す が 、神 の前 に 正直 に心 を 開い てい れば 、 神が 全
知の神であることは、大きな慰めとなります。
3、神は全能です(ルカ1章 節)
神は 天 地 万物 を 無か ら生 じ させ 、生 命を 支 配す るこ と
の で き る 唯一 のお 方 です 。こ の よう な力 ある 方 を信 じ、
人 生 の諸 問 題 をゆ だね るこ と がで きる な らば 、ど んな に
安心でしょうか。
4、神は聖く正しい(エレミヤ 章9節)
神 の聖 さ と 正し さは 完 全で す。 日 本の 神々 や古 代 ギリ
シ ャ 神 話 の 神々 のよ うに 道 徳的 にで た らめ では あり ま せ
ん 。 本 物の 神 の前 に 、人 の義 はぼ ろ きれ のよ う です 。
5、神は愛です(Ⅰヨハネ4章8節―9節)
神 の 御 子 イエ ス・ キ リス トは 、 人と なっ てく だ さり 、
あ な た や私 の 弱さ を知 る 者と なら れ まし た。 罪も な いの
に 、あ ざ け られ 、 のの しら れ、 偽 りの 証言 を 受け 、十 字
架 に く ぎ 付け に され まし た 。そ れは 、あ な たや 私が 罪 赦
さ れ 、永 遠 の 命を 受け 、 神の 子ど もと さ れ、 神と 共 に喜
びに満ちた一生を送るためでした。
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