第10課 エルサレムの破壊 12月5日 はじめに とうとうエルサレムが破壊

エレミヤ書
2015年 4期
広島教会 池宮城義一
第10課 エルサレムの破壊
12月5日
はじめに
とうとうエルサレムが破壊される時を迎えてしまいました。「これまで見てきたように、またこれから見るように、このよう
なことのどれ一つとして、預言者たち(とりわけエレミヤ)による多くの警告と訴えなくして彼らに降りかかったものはあ
りませんでした。」とガイドにあるように、神様はこれから起ころうとすることを神の民に明確に示しておられます。私た
ちも再臨前審判が始まり、勝利の方法が示されています。今こそ、エレミヤが語り続けたように自分勝手な生き方が
ないかどうかを吟味し、悔い改めて神様の教え通りに生きる時ではないでしょうか。
日曜日
タンムズ神のために泣く
エレミヤと同時代に働いたのがエゼキエルでした。エゼキエルもエレミヤと共にユダ王国の指導者や民があらゆる
忌むべき行いに倣って罪に罪を重ねていること、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚したことを警告しています。
しかし、ユダの人々は耳を傾けようとせず自分たちの行為を正当化していました。それは、造り主ではなく造られた物
を拝むことでしたが、私たちの信仰も常に造り主を中心としているかどうか確認する必要があります。
月曜日
ゼデキヤ王の不幸な治世
セデキヤ王がエレミヤの警告を無視してエジプトに頼りましたが、そこから救いは得られませんでした。ガイドには
「罪によってかたくなになった彼らには、語りかける主の声が聞こえませんでした。」とあり、国と指導者下巻には「ユ
ダに残っていた人々は捕らえられていき、彼らが順境の時に学ぶことを拒否した教訓を逆境において学ばなければ
ならなかった。…神のみこころが明らかに示された義人たちがまだエルサレムに残っていたが、その中のある人々は、
十誡の戒めが書かれた石の板を納めた聖なる箱が、乱暴な人々の手に入らないようにしようと決意した。彼らはそれ
を決行した。彼らは嘆き悲しみつつ、箱をほら穴の中に隠したのである。」P70 とあります。
火曜日
エルサレムの陥落
エルサレムが陥落し、ゼデキヤ王は捕えられ、息子たちは目の前で処刑されました。ところが、異教徒の親衛隊長
ネブザルアダン(ネブザラダン)が神様のみ業について証しを始めます。「エルサレムが陥落したのは彼らの神々が
ユダの神よりも優れていたからではなく、人々の罪に対して主が罰を下されたからだ」ガイドP70 エレミヤは、「アヒカ
ムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった。」エレミヤ40:6とあります。エレミヤ
にとってはバビロンの方が待遇よく暮らせたはずでした。しかし、希望を失った民への奉仕のために留まりました。
水曜日
心を尽くして
神様のご計画は始めから変わっていませんでした。ユダの人々を祝福するために勧告を与え、罰を下し、罪の状
態から救い出そうとしておられました。エレミヤ 29 章のお言葉の中にどの時代にも心惹かれる神様の温かい思いが
秘められています。捕囚の地で家を建て、果樹を植え、妻をめとり、息子娘をもうけること、町の平安を求め、偽りの
預言者にだまされず生活することをすすめ、正しい解放の時 70 年を希望としてあたえられあの有名な人々を励ま
し続けている約束をお与えになりました。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが
知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望
を与えようとするものである。」エレミヤ29:11口語訳
木曜日
70 年
エレミヤは、捕囚となっている同胞に、バビロンのために祈ってほしいと求めました。神の選民である彼らに敵のた
めに祈るというのは、まったく前代未聞なことでした。彼らはエレミヤから異教の国にあっても祈ることができ、永遠な
る神様は彼らの祈りを聞いて下さるとの教えを受けました。それは何と大きな励ましとなったことでしょうか。70年の預
言によって、捕囚になってもなお彼らは契約の民であり、主が彼らを見放されたのではないことを知ることができまし
た。