感話 藤組 N.K. 私はこの夏休みに、ある一冊の本を読みました。その本は、 「それでも僕は夢を見る」という本です。これは、 文は他の作家の方が書いているのですが、画を鉄拳という人が描いています。私は、この鉄拳という人が描く画 が好きで、この本を手に取ったのですが、私はこの本を読んで「夢」というものについて考えさせられました。 「夢」とは何か。私の考える「夢」とは、自分の持つ高い理想、おそらく叶うことはない、というものです。 故に、持つ必要のないものだと考えていました。 この本の主人公の男性も、夢を持っていました。 「第一志望の学校に合格したい」、 「好きな子と付き合いたい」、 「好きな仕事に就きたい。」でも、その夢は、ことごとく破られました。それでも彼には「ユメ」という名の相 棒がいました。「ユメ」は彼を励まし続けました。だから彼は頑張ることができたのです。しかし、彼のその頑 張りが報われることはなく、ついに彼は相棒を手放します。 私はこの部分を読んで、もっと頑張ってみればいいのに、と思いました。でも、自分に置き換えて考えてみる と、自分も手放してしまうかもしれないな、と思いました。自分の持った、小さな希望でさえも叶わない、とい うのはやはり辛いと思います。だから私は、あまり高望みせず、願わず、期待せず生きるのが一番だと思ってい ました。なぜなら、そうすれば駄目だった時のショックは小さく、傷つかないからです。期待すればするほど駄 目だった時のショックは大きく、傷も深くなります。だから私はあまり高望みをしないようにして、自分を守ろ うとしていました。 でも、それでは駄目なのです。 「夢」は持つことに意味がある。たとえそれが叶わないようなものだとしても、 持つということが大事なのです。自分は「夢」を持っている、ということが新たな「希望」となり、生きる糧に なって、また違う「夢」を持つことができます。 私は部活をやっているのですが、自分たちの代になってから、ある時まで公式戦で勝ったことがありませんで した。しかし、今年の四月にあった春季大会で初勝利を収めることができました。その日は、勝ったチームはも う一つ試合をすることになっていたのですが、私達が戦うことになったチームが、都大会にもでているようなチ ームで、背も、体格も私たちより格段に大きく、試合が始まる前から圧倒されてしまいました。それでも、「諦 めずに最後まで走り続けられるように頑張る」という気持ちで試合に臨みました。 しかし、試合の流れは相手に持って行かれてしまい、自分たちのコートにボールを運ぶことが難しくなってい きました。ボールをカットされて、そのまま相手がシュートする、ということの繰り返しになっていました。 そして試合の終盤になってもその繰り返しで、「絶対勝つ、諦めない、頑張る」と、頭の中では分かっていて も、心が折れかかってしまい、最後までその気持ちを強く持ち続けることができませんでした。 この試合のことを考えてみると、試合中に私か持った「勝ちたい」という気持ちをもっと強く持つことができ ていれば、結果が少しでも変わっていたのではないかと思います。 このことから私が出した結論は、夢は「持つ」だけでは駄目で、「持ち続ける」ということが大事だった、と いうものです。前に、夢は持つことが大事だ、と書きましたが、夢を持つということはあくまで始まりであり、 夢を叶え、現実にすることがその夢のゴールであって、その過程に「努力」というものがあるのではないかと考 えます。 一度はゴールにたどり着いても、叶えた夢からまた新しく生まれた夢に向かって努力して叶える。結局はこの 繰り返しで、「夢」に終わりというものは存在しないのかもそれません。 私はこの本を読んでいなかったら、このことに気付くことは出来ていなかったと思います。この本から学んだ ことを胸に留め、私も「夢」を持ち、その夢を叶えられるような人になりたいです。
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