1. 気体分子の運動エネルギー
■ 座標系
運動している 1 個の分子がもつ運動エネルギー K は,分子の質量中心(center-ofm1
mass)の運動エネルギー Kc と,分子を構成している原子の相対運動エネルギー
Kr の和として表すことができる.質量が m1 と m2 の 2 原子からなる分子を例に
とって,このことを確認してみよう.まず最初に,この分子を実験室に固定された
c
m2
座標系(実験室系,laboratory frame)で観測する.このとき,分子を構成している
各原子の座標が ~r 1 ,~r 2 ,速度が ~v 1 ,~v 2 であったとすれば.この分子の質量中心
の座標 ~r c と速度 ~v c は,それぞれ次式によって与えられる.
図 1-1.実験室系
~r c =
m1~r 1 + m2~r 2
d~r c
m1~v 1 + m2~v 2
, ~v c =
=
m1 + m2
dt
m1 + m2
(1)
一方,この分子を質量中心とともに動く座標系(center-of-mass reference frame)か
m1
~ 1 ,V
~ 2 は,
ら見れば,各原子の速度 V
~ 1 = ~v 1 − ~v c , V
~ 2 = ~v 2 − ~v c
V
c
(2)
と観測される.以下,この関係を考慮して,分子の運動エネルギーについて考察
する.
m2
図 1-2.重心系
■ 分子の運動エネルギー
物体の運動エネルギーは絶対的な量ではなく,その値は運動を観測する座標系に依
存する.気体分子 1 個の運動エネルギー K は 2 原子のもつ運動エネルギーの和で
あるが,その値を実験室系で観測すると,
K
=
1
1
m1~v 1 · ~v 1 + m2~v 2 · ~v 2
2
2
=
1 m1 m2
1
(m1 + m2 )~v c · ~v c +
(~v 1 − ~v 2 )2
2
2 m1 + m2
|
{z
} |
{z
}
Kc
=
Kr
1
1
~ 1·V
~ 1 + 1 m2 V
~ 2·V
~2
(m1 + m2 )~v c · ~v c + m1 V
2
2
2
|
{z
}
(3)
Kr
となることが確かめられる.上式 2 行目から明らかなように,~v 1 = ~v 2 の場合は
Kr = 0 となり,このとき全運動エネルギー K は質量中心の運動エネルギー Kc と
一致する.~v 1 = ~v 2 ということは,分子が形を変えることなく(振動や回転をする
ことなく)単に平行移動する(すなわち並進運動する)ことを意味している.その
ため Kc を,分子の並進運動エネルギーと呼ぶこともある.さらに Kr は,分子の
質量中心に対するそれぞれの原子の相対運動エネルギーの和の形に書き換えるこ
とができる.それが,上式 3 行目の表現である.
1
■ 分子の運動形態 −並進・振動・回転−
(3) 式 3 行目の Kr は重心系で観測された速度で書かれているが,これをいくつか
~ を,二つの原子
の運動モードの合成として捉えると理解しやすい.そのために V
~ // と,これに直交する方向成分 V
~ ⊥ とに分解して表
を結ぶ直線に沿う方向成分 V
示する.
~ =V
~ // + V
~⊥
V
(4)
(3) 式の相対運動エネルギーの項に (4) 式の関係を用いれば,分子の運動エネルギー
K を次式のように書き直すことができる.
M = m1 + m2 は分子の質量.
1
K = M vc2 +
2
µ
¶ µ
¶
1
1
1
1
2
2
2
2
m1 V1// + m2 V2// +
m1 V1⊥ + m2 V2⊥
2
2
2
2
|
{z
} |
{z
}
直線振動
(5)
Er(回転運動)
第 2 項が 2 原子を結ぶ方向に沿う振動運動のエネルギー,第 3 項が質量中心まわ
りの原子の回転運動のエネルギー(これを Er とおく)を表している.
ここでは計算を簡単にするため,
2 原子は一つの平面内で運動する
ものと仮定し,この平面に垂直な
方向に z 軸を設定する.
別の見方として,分子全体の平均的な回転運動に着目することもできる.まず,重
心系で見たときの分子の全角運動量の z 成分
Lz = m1 V1⊥ l1 + m2 V2⊥ l2 = m1 l12 ω1 + m2 l22 ω2
(6)
を求めておき,これを質量平均することによって分子全体の角速度 ω0 を
ω0 =
c
m1 l12 ω1 + m2 l22 ω2
m1 l12 + m2 l22
(7)
と定義する.ただし,l1 と l2 は質量中心から各原子までの距離である.さらに,平
均角速度からのずれを
図 1-3.角運動量ベクトル
ω10 = ω1 − ω0 ,ω20 = ω2 − ω0
(8)
とおく.このとき ω 0 は
m1 l12 ω10 + m2 l22 ω20 = 0
(9)
の関係を満たしているので,これを利用して (5) 式の Er を,次のように書き直す.
Er
=
1
m1 (l1 ω1 )2 + m2 (l2 ω2 )2
2
=
1
1
m1 l12 (ω0 + ω10 )2 + m2 l22 (ω0 + ω20 )2
2
2
=
1
1
(m1 l12 + m2 l22 )ω02 + m1 (l1 ω10 )2
2
2
1
+ m2 (l2 ω20 )2 + (m1 l12 ω10 + m2 l22 ω20 )ω0
2
=
1 2 1
1
Iω + m1 (l1 ω10 )2 + m2 (l2 ω20 )2
2 0 2
2
2
(10)
ここで
I = m1 l12 + m2 l22
は分子の重心まわりの慣性モーメントである.ω 0 は角速度の変動成分であるから,
m(lω 0 )2 /2 は回転方向の振動運動エネルギーと解釈することができる.
以上をまとめると,
K=
X1
X1
1
1
M vc2 + Iω02 +
mi Vi/2/ +
mi (li ωi0 )2
2
2
2
2
| {z } | {z } |
{z
} |
{z
}
分子並進
分子回転
|
原子直線振動
{z
原子回転振動
(11)
}
分子振動
を得る.このように,座標系と相対速度を適当に決めれば,分子 1 個の運動エネ
ルギーを様々な運動モードの合成として捉えることができ,物理的な意味を理解
するうえで大変便利である.
〔参考文献〕 小竹 進, 分子熱流体, 丸善(1990), 50-54
3
2. 気体のエネルギーと分子間ポテンシャル
■ 気体分子の全エネルギー
原子間には原子の質量に比例した
分子を構成している原子同士の間には,電気的な相互作用力が働く.それは,原子
重力(万有引力)が働くが,その
核と原子核との間の静電斥力,原子核と電子との間の静電引力,電子と電子との間
大きさは静電気力に比べてはるか
の静電斥力である.ただし,原子間に作用している力は,これらの静電気力を単純
に小さい.したがって原子と原子
に重ね合わせたものとはならない.なぜなら,電子や原子核の運動状態が問題とな
の結合では,重力の影響を無視す
ることができる.
る微視的世界では,量子効果が発現するからである.いずれにしても,静電気力が
原子核や電子の運動に効いてくるのは,原子間距離が 10−10 m 程度に近づいた場合
であり,遠く離れた原子との間では相互作用が問題となることはない.
また,これ以上原子同士が接近すると今度は強い斥力が働くようになるため,お互
いが 10−11 m 以内に近づくこともできない.したがって分子の大きさは,10−10 m
程度におちつくこととなる.
このように,分子とは 2 個以上の原子が静電気力によって結合したものであるか
ら,分子 1 個のエネルギーを求めるときは,静電気力によるポテンシャルエネル
ギー・電子の運動エネルギー・原子核の内部エネルギーについても考慮しなければ
ならない.したがって,これらすべてを足しあわせたものを εin とおけば,気体分
子 1 個の全エネルギー E は,
E = K + εin =
1
1
M vc2 + Kr + εin = M vc2 + Ein
2
2
(1)
と表されることになる.Kr の内訳は回転と振動によるエネルギーで,それらは分
子が内部構造を持つために生じるエネルギーであった.εin も分子内の構造(原子
核の状態,電子の状態)に起因するエネルギーであるから,Kr + εin をあらためて
Ein とおけば,この項を分子の内部エネルギーと考えることができる.
■ 分子間力
気体は多数の分子の集合体で,しかも個々の分子は衝突を繰り返しながらランダ
ムに飛び交っている.このとき個々の分子が持つエネルギーは (1) 式で与えられる
が,これをすべての分子について足しあわせても気体のエネルギーとはならない.
なぜなら,分子同士の間には分子間力が働いており,この力による相互作用エネル
ギーを考慮しなけらばならないからである.
したがって,気体分子の総数を N とすると,気体のもつエネルギー U は次式に
よって与えられる.
U=
N µ
X
1
i=1
2
¶
Mi vc 2i
+ Eini
+
N
X
Vij
(2)
j>i
上式第 2 項が分子間の相互作用エネルギーを足しあわせたもので,Vij は分子 i と
分子 j との間の相互作用エネルギー,すなわち分子間ポテンシャルを表す.した
がって気体のエネルギー U を計算するためには,分子間ポテンシャルを求めてお
かなければならない.
1
分子間力の起源も,荷電粒子間に作用する静電気力である.分子の電気量は 0 であ
るが,分子と分子が接近してくるとお互いの電子配置に影響を及ぼすようになり,
静電気力が働き始める.そのときの分子間距離 rij は約 10−10 m である.ただし両
者が接近しすぎると,原子核間の斥力・電子間の斥力・電子の運動エネルギーの増
加によって,強い斥力が働くようになる.以上が分子間ポテンシャル(分子間力)
の定性的な特徴であるが,その大きさは分子の種類に依存し,具体的な関数形を求
めるためには量子力学に基づく計算が要求される.
■ Lennard-Jones ポテンシャル
以上のように,分子間力は分子同士の静電気力に基づくものであるから,分子内の
電子配置は,分子間ポテンシャルを決定するうえで重要な役割を果たすことにな
る.この分子内の電気的なかたよりが分子の極性であり,それを定量的に表現した
ものが双極子(dipole)である.したがって分子間の相互作用としては,極性の有
無に応じて 3 つの場合が考えられる.詳細な計算によると,いずれの場合も分子
間力は引力として作用し,ポテンシャルは −C1 /r6 · · · · · ·°
1 (r は分子間距離)の
形で表されることがわかっている.分子間距離がさらに短くなると,この力は斥力
に変わる.そのときのポテンシャルの計算は容易ではないが,C2 /rn · · · · · ·°
2 の形
に近似できることが知られている.特に,n = 12 として °
1 と°
2 を足しあわせた
ものを Lennard-Jones の (12 , 6) ポテンシャルと呼び,以下のように表す.
V (r) =
h³ σ ´12 ³ σ ´6 i
C2
C1
−
− 6 = 4ε
12
r
r
r
r
(3)
C1 ,C2 は分子の種類に依存する定
ように,これらは分子のみかけの
He
Ne
Ar
Xe
H2
O2
N2
Cl2
Br2
CO2
CH4
CCl4
C2 H4
C6 H6
ε/k [K]
10.22
35.7
124
229
33.3
113
91.5
357
520
190
137
327
205
440
σ [pm]
258
279
342
406
297
343
368
412
427
400
382
588
423
527
直径 σ とポテンシャルの深さ ε を
2
Interm olecularpotential
1
用いて表すことができる.代表的
0 .5
な分子について,これらの値をま
0
とめておく(左表).実際に作用す
dV (r)
F (r) = −
dr
(4)
分子間ポテンシャルによる表現が
1.0
r(×10 -10 m )
ε
分子間ポテンシャルを r で微分す
ればよい.
σ
-1
る分子間力 F (r) を知りたければ,
-2
F(×10 -11N)
表 1 パラメータ一覧
V(×10 -21J)
数であるが,上式に示されている
2
Interm olecularforce
1
0 .5
1.0
0
r(×10 -10 m )
多用されるのは,ベクトル量であ
-1
る分子間力よりもスカラー量であ
るポテンシャルの方が扱いやすい
からである.
-2
図 2-1.Ar の L-J ポテンシャルと分子間力
2
■ 気体のエネルギーと分子間ポテンシャル
以上のようにして分子間ポテンシャル(分子間の相互作用エネルギー)がわかれ
ば,(2) 式から気体のエネルギーを求めることが原理的には可能である.しかしそ
のためには,無数とも言える分子同士の間に作用するポテンシャルをすべて計算
し,その合計を求めなければならない.ところが高温・高圧のような特別な場合を
除けば,分子同士が 10−10 m 程度の距離(分子間力が有効に作用する距離)まで接
近することはまれであり,気体全体で考えれば分子間ポテンシャルの項を無視して
も差し支えない.その場合には (2) 式を
U=
N µ
X
1
i=1
2
¶
Mi vc 2i + Eini
(5)
とおくことができる.この近似が成立する気体を,理想気体(ideal gas)という.
並進運動エネルギーの平均値と分子の内部エネルギーの平均値がわかれば,気体
のエネルギーは次式によって求められる.
U=
N µ
X
1
i=1
2
¶
Mi vc 2i
+ Eini
µ
=N
1
M vc 2 + Ein
2
¶
(6)
気体中の個々の分子がランダムな運動をしている−したがって並進速度も様々な値
を取りうる− ことは前に指摘したとおりであるが,乱雑な運動をしているものが
多数集まるとそこには統計的な規則性が生まれ,分子集団の平均値が意味をもつ
ようになる.この考え方にしたがうと,気体分子の速度分布がある一定の形に落ち
着いたとき,並進運動エネルギーの平均値を定義することができる.そしてその
値は,
3
1
M~v 2c = kT , k : ボルツマン定数 2
2
(7)
によって与えられることが知られている.この結果は,分子の並進運動エネルギー
の分布がただ一つのパラメータ T で指定されることを意味しており,同時に気体
温度 T の定義にもなっている.そしてそのとき気体は,温度 T の熱平衡状態にあ
るという.
(7) 式の値は,分子の種類や質量によらない.しかし,分子の内部エネルギーの平
均値は分子の内部構造に由来するから,分子の種類によって値がかわってくる.単
原子分子の場合であれば,そもそも回転や振動の運動モードが存在せず,多原子分
子の平均値と異なることは想像に難くない.一例として,単原子分子と二原子分子
の場合について結果をまとめておく.


 3 N kT (単原子分子気体 : Ar,He など)

µ
¶ 
 2
3
U =N
kT + Ein =

2

 5

 N kT (二原子分子気体 : H2 ,O2 ,CO など)
2
3
なお,ここで考えている状態は,分子の並進速度の任意方向成分の平均値が 0 の
場合であって,直交座標系でいえば,
vx = vy = vz = 0
(8)
が成立している状態である.ようするに,個々の分子があらゆる方向に運動してい
ようとも,気体全体として見れば静止している(無風状態)ことになり,x,y ,z
の方向すら意味を持たなくなる(このことを等方であるという).その場合には,
速度成分の二乗平均値も等しくなるから,
1
1
3
M~v 2c = M (vx 2 + vy 2 + vz 2 ) = kT かつ, vx2 = vy2 = vz2
2
2
2
(9)
が成立し,
1
1
1
1
M vx 2 = M vy 2 = M vz 2 = kT
2
2
2
2
(10)
のようにエネルギーも各方向に等しく配分される.このように,条件 (9) のもとで
計算された気体のエネルギー U のことを,気体の内部エネルギー(internal energy)
という.もしも気体全体としてある方向に運動しているならば(風が吹いている
ならば),その運動エネルギーを内部エネルギーに加えたものが,気体の全エネル
ギーとなる.流体機械や熱機関の中を流れる気体についてエネルギーを考えると
きは,この点に注意しなければならない.
※ Lennard-Jones (12-6) ポテンシャルのパラメータに関しては,例えば Hirschfelder,J.O.,
Curtiss,C.F., Bird,R.B., ” Molecular Theory of Gases and Liquids,” Wiley.
【問題 2-1】 (3) で表される Lennard-Jones (12-6) ポテンシャル V (r) が極値をとるときの分
子間距離 r0 を求め,そのとき V (r0 ) = −ε となることを確かめよ.
【問題 2-2】 標準状態で 1mol の気体が占める体積は 22.4` である.このことから,標準状
態における分子間距離の平均的な値を推定し,分子間ポテンシャルの効果について考
察せよ.
4