日本医史学雑誌第52巻第2号(2㈹6) 319 和田和代史先生を偲ぶ 奥沢康正 同志社高校の同級生であった和田君、いやトコちゃんが黄泉の国に旅立ってから早や二年が過ぎた。余りにも 近き親友であった彼があっけなく何の苦言も言わず、私の目の前から去ってしまったことから、彼の事を人に話 すことも書き留めることすら出来ず、そのまま私の胸の奥に楽しい思い出だけを秘めてきた。そして今、やっと 追悼文らしきものを書く気持になっている。 思いおこせば、高校時代、文学青年であったトコちゃんは、最後迄文学を愛し、多くの絵画に興味を持ち、医 学史に関心を持ち始めてからは怒濤の如く貴重な資料をかたっぱしから収集し、あっという間に、古い顕微鏡は 言う間でもなく、多くの先達医人の軸物、古書籍、薬箱をはじめとした膨大な史料を集め、京都府美山町︵現 南丹市︶にびっくりする程立派な博物館を建ててしまった。お金に糸目をつけず、借金をしてまで購入するエネ ルギッシュな行動に、唯々唖然とするばかりだった。奥様の事を思って少したしなめたが全く意に介さず、我道 を行く姿に唯々傍観する他仕方がなかった。今思えば、私の心の中にひょっとして一つのジェラシーがあったの かもしれないが、私がセカンドハウスに美山町で明治期から続いていた養蚕家の古家を購入し和田先生を鮎釣や 松茸狩に誘ったのが原因で﹁美山町に別荘と博物館を建てた﹂といわれ、何かしら自責の念にかられ、よけいに 無駄な購入をしない様に忠告をしたものだった。それでも、第一○一回医学会総会が京都で開催された折、総会 後の見学の大目玉の一つに和田先生が創立した博物館見学を設定した。九州大学での総会の折、立派な医史学史 320 日本医史学雑誌第52巻第2号(2006) 料展示を開催された中で、和田先生所蔵の貴重な資料を見学し、さすが同級生和田君と誇らしくもあり、心から 同席の人々に自慢したことも今となっては懐しい。和田先生は多くの趣味を持ったコレクターであったが、そこ には私利私欲のない心の清らかな全ての人達から愛される本当に優しい人柄であった。多くの友に恵まれ、病に 冒されてからも、笑顔を絶さず、黙々と働き終末を迎えた。私は今も彼の笑顔と調子良い会話を思い出して懐か 1しんでいる○ トコちゃん。生前から口癖のように言っていた膨大なコレクションは順天堂大学酒井シヅ先生のおかげで散逸 もせず、ちゃんと収まる所へ納まっている。トコちゃんも安心してやすらかに久遠の眠りについているだろう。 僕もそのうち行くから、それ迄先達の医人とよく話し、今度は先輩として医史学を教えて下さいよ。 合掌
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