3学期始業式号

しゅっこ う
校長 通 信
3学 期 始業 式 号
修 重
平成 27年 1月 7日
新年 あ けま してお めで と うご ざい ます。
発 行者
岩村 田高等学校 長
池 田義則
今年 が皆 さん に とって 昨年 以 上 に 良 い年 にな る こ とを願 つ て い ます 。
シ リーズ ∼初代校長佐藤寅太郎先生 の訓話 に学ぶ
昭和 10年 (1935年 )3月 12日
その 4∼
朝礼 よ り
羽柴君の沙翁賞牌 を得 られた 日
二 月十二 日と云 う日は この学校 で大 変お 目出度 い日で ある。 これは第 二 回卒業生の羽柴正 一が 、
今 日大学でほ うびを貫ふ。それ は沙翁賞牌 と云ふ 。沙翁は英国の人で、先ず世 界第一 の文芸家であ
る。文芸 を論ずる人は沙翁の名 を聞か な い人はいな い。其 の大文芸家 の死後、記念の為に金 を出 し
て、この金の 中か ら全世界の優秀なる人に賞牌 を くれ る ことになつ てゐる。先ず長野県 には これ ま
でない。
羽柴正一 が第 一 だ。そ して これ は東京帝国大にのみ くれ る。羽柴が これ に当選 した。こんな喜ば
しいことはない。 この十 二 日が其の 賞 を くれ る日である。羽柴か ら手紙が来た。この 日英国の全権
大使 を初め、文部大臣、学士院長、其の他 の学者 が集 つ て、この光栄の場所 で賞牌 をもらふ。何 と
名誉な ことではないか 。一 人羽 柴 の喜 びであるばか りではな い、岩 中の喜 びである。岩中の喜びの
みな らず、長野県の喜 びである。
1930年 】卒)で す。当時は岩 中と野沢中 (現 野沢北高
羽柴 さんは岩中第 2回 生 (昭 和 5年 【
校)両 校に優秀な生徒が通学 してお り、岩 中か らは 1回 02回 04回 。6回 ・8回 010回 生か ら
東大へ合格 しています。昨年発行 された同窓会名簿で確認できる限 りでは、最後 に東大へ合格 し
たのは高第 19回 生 (昭 和 42年 【1967年 】卒)で す。昨年講演 していただいた保科豊 巳芸大美
術学部長は高第 23回 生です。 ちなみに、私は高 29回 生
(昭 和
52年 【1977年 】卒)で す。
発想 の柔軟性・ ものの見方 0人 生 の生 き方
1
お い こつ と (OYKOT)っ て何 ?
飯 山線 に導入 された古民家風車両 の愛称 です。 TOKYO(東 京 )を 逆 に して OYKOTで す。 日本人
が描 くふ るさと (田 舎 )を イ メー ジ して もら うため、東京 の真逆 にある意味 を込 めたそ うです。
2 …電子書籍 は、画面で文字 を追 い なが ら映像や音声まで楽 しめる機能 もあ つて、 これ を 「リッ
チ化」 と称す るそ うです し、視力 に悩む人たちは、大 きな活字 で読 めるので 、そ の恩恵 は大 きい
で しょ う。 しか し、人 間はで きるだけ活字だけか ら、 内容 を頭 の 中で組み 立て る力 が要 ります。
これは大変 な能力 です か ら、それ を しな くていい ことは、私 には想像力 の貧困化 としか思 えな い
のです。 「人間 の基本」 曽野綾子 著 よ り
3
Shooting the true Alaska
Michio Hoshino
星野道夫 「アラス カを、 のぞいて ご らん」 よ り (下 線部は注参照 )
When l was twenty7 1 spent the summer with a nat市 e Alaskan famtt They hved in a
village ca■ ed Shishmaref in the Arctic rΩ
ttΩ ュ
of Alaska.During my teens,I became deeply
attracted to Nature in northern parts of the wOrld.One day l found a photograph of
Shishmarefin a book,and became fascinated by it.So l wrote a letter to the mayo■ After s破
months,I got a reply from a family who were l市 ing there.This was my introduction to Alaska.
In my early twenties,1 lost a close friend.He died in an accident while he was camping in
the lnountains.A nearby volcanO erupted,and he was caughtin it.It made llne realize that life
is very short,and that it is suddenly taken awav.I came to knOw thatthe days of my own hfe
were hmited,too.
With this event,I had became an adult,Dav in dav out,I searched ibr a way to get over
my Jbiends death.I felt l could not go ibrward without inding an answen A year passed,and
suddenly the answer came to me.It was quite simple,and it took the form Of a strong feeling
―"Do what you want to do."zttRer lnuch time,I reahzed that l was alive.I could feel it.The
death of my friend had taught me what hfe is.
Then all of a sudden,my lnemories ofAlaska came back,and grew in lny llnind.I felt l had
to return there.I wanted to be within its great,open spaces.I wanted to get some strength
frOm it.
注
Shishmaref
ア ラス カ の シ シ ュマ レフ村 the Arctic region北 極 地方
erupt噴 火 す る
realize(実 感 と して )よ くわ か る take away奪 う day in and day out来 る 日も来 る 日も
は しが き (星 野道 夫 さん の 妻 、星 野 直子 さん よ り)
夫・星野道夫 は小 さい ころか ら自然が好 きで、そ の思 い は成長す るにつれて漠然 とした北方 の 自
然 へ の あこがれ とな りま した。そ して古本屋 で『 ALASKA」 とい う 1冊 の写真集 と出会 い、それ は
彼 をア ラスカヘ と導 く 1つ の大 きなきつか け とな りま した。
そ の後、彼 は写真 家 とい う道 を選びま した。そ して心ひかれ てや まなか つたア ラスカの 自然・動
物 。人 々の暮 らしと、そ の生涯 を閉 じるまで 19年 間関 わ り続 け、またそれ を写真 と文章で表現 し
てきま した。
若 い人たちへ のメ ッセー ジ として こん な ことを書 いてい た ことがあ ります。「ぼ くが若 い人たち
に伝 えたい こと、それ はなるべ く早 い時期 に、人間 の一 生 (ま たは 自分 の一 生)が いか に短 い もの
かを感 じ取 つてほ しい とい うことです。それ は悲 しい ことではあ りません。 自分 の持 ち時間が限 ら
一
影
漣
脚
ゆ
辞
弓纂説
椅子。
ロッ
カー等
鵠 机。
洵 村田
高校として
も
新し
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ん ます。最後まで皆様の
﹂
協力を宜しくお願い
盤﹂ い
み溢 します。
獣
動
酬
い
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れ てい ることを本 当に理解 した とき、それ は生 きる大 きな力 に転化す る可能性 を秘 めて い るのです。
「好 きな ことに出会 つたな ら、それ を大切 に していつてほ しい と思 い ます。人 の一生 の 中で、自分
そ して 深 めて い つて く
保 護 者 の皆 さ ま へ
新 年 あ け ま し てお め
でとう ござ います。
さ て、 四月 の佐 久 平
総 合 技 術 高 校 開校 に向
け て、 いよ いよ 二月 か
て ら 具体 的 な 引越 し作 業
育 が始 ま ります。 機 械 類
こ
気 も持 って いく こと にな
ゎ り ます。授 業 を は じめ、
、 ク ラブ 活 動、 P TA、
ら
な 同窓 会 等 あ ら ゆ る活動
た が 円 滑 に 運営 でき ます
つ
船 よう 準 備 を進 め て いる
に と ころ です。 二 月 一日
費 には、
卒業式に続いて、
心 い学 校 づ く りが 始 ま り
の本 当にや りたい こととそれ ほ ど何度 も出会 うことはないです か ら。」