印度 學佛 教學研 究 第47巻 第1号 平成10年12月 (23) ク リシ ュ ナ ム ル テ ィの 自然 観 西 尾 1.は 秀 生 じ め に ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ(JidduKrishnamurti)は 、 イ ン ドの バ ラ モ ン 出 身 者 で は 珍 し く一 切 の 宗 教 的 伝 統 や 権 威 を 否 定 す る 思 想 家 で あ る 。 彼 は 聖 典 、 儀 礼 、 偶 像 、 寺 院 だ け で な く、 自 ら の 出 身 で あ るバ ラ モ ン の 権 威 さ え も認 め な い 。 こ の よ う な 立 場 は 、一・ 切 の バ ラ モ ン 教 の 伝 統 を 否 定 した ゴ ー タ マ ・ブ ッ ダ の 立 場 と共 通 し て い る 。 ク リシ ュナ ム ル テ ィ の 自然 観 を理 解 す るた め に、 彼 の神 秘 体 験 に触 れ る必 要 が あ る の で 、 神 秘 体 験 ま で の 彼 の 略 歴 を 紹 介 し よ う。 ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ は 、 マ ド ラ ス の 北 西 約200キ ロ に あ る 小 さ な 町 マ ダ ナ パ レ で 、1895年 庭 に 生 ま れ た 。8番 目 の 子 供 で あ っ た の で ヴ ィ シ ュ ヌ 神 の8番 にバ ラモ ン階 級 の家 目の 化 身 ク リシ ュ ナ に 因 ん で ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ と名 付 け ら れ た 。父 親 は 神 智 学 協 会(TheTheosophical Society)1)の 会 員 で あ り、 母 親 は 熱 心 な ヴ ィ シ ュ ヌ 教 徒 で あ っ た 。1909年 神 智 学 協 会 で 働 くた め に 、_.家 で マ ド ラ ス の ア デ ィ ヤ ー ル に 引 っ 越 して き た 。 そ こ で ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ は 、 会 長 の べ サ ン ト(AnnieBesant)2)達 (LordMaitreya)3)の に よ っ て世 界 教 師 器 と し て 見 出 さ れ た 。 そ し て 世 界 教 師 と して の 相 応 し い 教 育 を 受 け る た め に 、1912年 を 受 け 、1920年 に父 親 が か ら ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ と弟 の ニ テ ィ ヤ は ロ ン ドン で 教 育 か ら パ リ で フ ラ ン ス 語 を 学 ん だ 。1922年 に ニ テ ィ ヤ のi療養 の た め 共 に カ リ フ ォ ル ニ ヤ に 滞 在 し、こ こ で ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ に 神 秘 体 験 が 始 ま っ た 。 こ の 神 秘 体 験 が 彼 の 自然 観 に影 響 を 及 ぼ し た 。 神 秘 体 験 と は 、 究 極 的 な 宗 教 経 験: で あ り、少 数 の 人 々 に 起 こ り う る こ と が 宗 教 学 で 知 ら れ て い る 。4)仏教 の 三 昧 な ど も神 秘 体 験 で あ る 。 2.神 秘 体 験 に よ る 自然 との 一 体 観 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ の 思 想 に決 定 的 な影 響 を与 え た の は、1922年 488 の夏 にカ リ (24) ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ の 自然 観(西 尾) フ ォ ル ニ ヤ で起 こ った 神 秘 体 験 で あ る。 彼 の思 想 は 、 こ の神 秘 体 験:が許 に な っ て い る。ク リシ ュ ナ ムル テ ィ 自身 が ベ サ ン ト宛 に書 い た手 紙 か ら、1922年8月19日 の 神 秘 体 験:を見 て み よ う。 On the first day while I was in that state and more conscious of the things around me, I had the first most extraordinary experience. There was a man mending the road ; that man was myself ; the pickaxe he held was myself ; the very stone which he was breaking up was a part of me ; the tender blade of grass was my very being, thing like the roadmender, and the tree beside the man was myself. I almost could feel and and I could feel the wind passing through the tree, the blade of grass I could feel. The birds, there was a car passing by at some distance ; I was the driver, went further away from me, I was going away from myself. thing was in me, inanimate and animate, and the little ant on the dust, and the very noise were a part of me. the mountain, day long I remained in this happy condition. the engine, and the tyres ; as the car I was in everything, the worm, Just then or rather every- and all breathing things. All 5' 不 思議 な こ とに、 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ は道 路 工 夫 や 自動 車 の運 転 者 を 自分 自身 と感 じて い る。 さ らに不 思 議 な こ とに は、 人 間 で は な いっ るは し を 自分 自身 と感 じて お り、 道 路 工 夫 が 砕 い て い る石 そ の 物 を 自分 の 一 部 と感 じ て い る。 さ ら に 、 木 を通 り抜 け る風 草 の上 の蟻 な ど も同様 に 感 じて い る。 ま た 、 「 道路工 夫が砕 い て い る石 そ の物 」 とか 「 草 の 上 の蟻 」 の よ う に具 体 的 に 表 現 して い るの は 、 ク リ シ ュナ ム ル テ ィが 直 接 体 験 した こ とを述 べ て い るか らで あ ろ う。 こ こで 最 も驚 く の は 、 自動 車 のエ ン ジ ンや タイ ヤ の よ うな 工 業 製 品 で さ え も 自分 自身 と感 じて い る こ とで あ る。 この よ う に、 ク リシ ュナ ムル テ ィ は 自 己 と他 者 との一 体 験 を経 験 した 。 さ ら に一 切 の もの の 中 に 自 己 が あ り、 また 自 己 の 中 に 一・ 切 の もの が あ る とク リ シ ュ ナ ム ル テ ィは 感 じて い る。 この一 切 の も の に は 、 生 命 の あ る もの も、 な い も の も含 まれ て い る。 神 秘 体 験 は至 福 の 感 情 を伴 う場 合 が 多 いが 、 ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ も この 自然 との 一 体 験 を体 験 して 、 一 日 中幸 福 な 状 態 が 続 い て い る。 神 秘 体 験:は時 間 的 に 短 い 場 合 が 多 い が 、 ク リシ ュ ナ ム ル テ イの よ うに一 日中 続 くの は 珍 しい。 この神 秘 体 験 か ら、 自 己 と他 者 お よ び 自然 が 密 接 に関 連 して い る とク リシ ュナ ム ル テ ィは考 え る よ う にな った 。 ク リシ ュナ ムル テ ィ は一 切 の 聖 典 の権 威 を 否 定 す る け れ ど も、 この よ うな 自己 と 自然 との 一体 験:は、 『 バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー』6)等 の聖 典 に も見 られ る。 487 ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィの 自然 観(西 3.人 尾) (25) 類 と の 一・ 体 感 そ れ で は次 に、 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィの 神 秘 体 験 が どの よ う に彼 の 自然 観 に影 響 した か を物 理 学 者 デ ヴ ィ ッ ド ・ボ ー ム との対 話 で考 え て み よ う。 JK : The world is me : I am the world. But we have divided it up into the British earth, and the French earth, and all the rest of it! DB : Do you mean by the world, the physical world, or the world of society? JK : The world of society, primarily the psychological world. DB : So we say the world of society, of human beings, is one, and when I say I am that world, what does it mean? JK : The world is not different from me. DB : The world and I are one. We are inseparable. JK : Yes. And that is real meditation ; you must feel this, not just as a verbal statement : it is anactuality. ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ は世 界 と自分 が 一・ つ で あ り、不 可 分 で あ る と考 え て い る。 もっ とも、 こ の世 界 は 心理 的 な 世 界 で あ り、 物 理 的 な 世 界 で は な い。 そ して彼 は そ れ を本 当 の 瞑 想 と述 べ て い る。 つ ま り世 界 が 自分 と不 可 分 で あ る と言 語 的表 現 と して で は な く、 瞑 想 に よっ て 感 じ な けれ ば な らな い と主 張 して い る。 この よ う に世 界 と 「 私 」 が 一 つ とい うの― は、 神 秘 体 験 の影 響 だ ろ う。 次 に人 類 の 意 識 につ いて の ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ の興 味深 い意 見 を 見 て み よ う。 DB : Do you want to say that there is one consciousness of mankind? JK : It is all one. DB : That is important, because whether it is many or one is a crucial question. JK : Yes. DB : It could be many, which are then communicating saying that from the very beginning JK : From the very beginning Or are you it is all one. DB : And the sense of separateness JK : That is what I am saying, and building up the larger unit. it is all one ? is an illusion? over and over again. That seems so logical, sane. The other is insanity. 8) 意 識 は個 別 的 で あ り、 人 に よ り様 々 で あ る と一 般 的 に考 え られ て い るが 、 ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィは 人 類 の 意 識 は一 つ で あ る と主 張 して い る。 この よ うに 非 常 にュ ニ ー ク な 主 張 は 、 自己 と他 者 及 び 自然 とが 一・ 体 で あ る とい う彼 の神 秘体 験:に由来 486 (26) ク リ シ ュ ナ ム ル テ ィ の 自然 観(西 尾) す る と考 え られ る。 4.自 然 破 壊 そ して 自己 と世 界 、 自然 とが 別 で あ る と考 え る こ とが 、 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ に よ る と害 を もた らす こ とに な る。 JK : ......The emphasis on the psyche, in the world, because it is separative and therefore it is constantly in conflict, but with the society, DB : Yes. on giving importance to the self, is creating great damage not only within itself with the family, and so on. And it is also in conflict with nature. JK : With nature, with the whole universe. 9) 自我 に重 要 性 を与 え る こ とを強 調 す るの は 、 近 ・現 代 の西 洋 の 立 場 で あ る。 こ れ は他 との分 離 を 引 き起 こす ので 、 社 会 との 闘 争 だ け で な く、・自然 、 そ して 全 宇 宙 との 闘 争 で あ る。 つ ま りク リシ ュ ナ ム ル テ ィ に よ る と、 自我 を重 視 す る こ とが 社 会 や 自然 との分 離 を 引 き起 こす が 、 これ が 自然 に とっ て 脅 威 な の で あ る。 自然 破 壊 を も引 き起 こす こ とに な る。 DB : Every instrument that man has invented, discovered, or developed has been turned toward destruction. JK : Absolutely. DB : They JK : Nobody They are destroying seems are destroying forests to care. nature ; there and agricultural are very few tigers now. land. 10) そ して実 際 に、 人 間 は い ろ ん な 道 具 や 機 械 で 自然 を破 壊 して い る。 虎 が 絶 滅 の 危 機 に瀕 して い る こ とを例 に挙 げ て い る点 な ど、 い か に もク リシ ュ ナ ム ル テ ィ が イ ン ド出身 の 思想 家 ら しい 。 5.ま とめ す で に見 七 きた よ うに ク リシ ュナ ム ル テ ィは 神 秘 体 験 に よ り自 己 と世 界 、 自然 との 一・ 体 観 を感 じ、 そ れ が 自己 と他 者 、 社 会 、 自 己 と 自然 の よ う な 関係 と して 切 り離 せ な い も の と して説 い て い る。 人 類 の 意識 が 一 つ で あ る とい うの も、 理 解 し が た い意 見 の よ うで は あ るが 、 神 秘 体 験 に由 来 す る と解 釈 す れ ば、 そ の よ う な考 えが 生 まれ た こ とも あ り得 る よ うに 思 わ れ る。 自然 は 自 己 と一 体 の もの で あ るか ら、 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ に よ れ ば 、 人 と自然 の 本 来 の関 係 を保 つ べ きな ので あ ろ う。 つ ま り人 と 自然 との 共 存 が 重 要 で あ る。 485 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ の 自 然 観(西 尾) (27) 自然 破 壊 を もた ら した の は、 近 ・現 代 人 が 自我 を強 調 して 、 自然 との一 体 感 を喪 失 した の が 原 因 とい う こ とに な る。 1)神 智 学 協 会 は1875年 に ブ ラ ヴ ァ ッ キー (H. P. Blavatsky) と オ ル コ ッ ト (H. S. Olcott) に よ りニ ュ ー ヨー ク に設 立 さ れ 、 その 後 協 会 の本 部 はイ ン ドに移 り、1882年 か ら現 在 の マ ドラ ス に あ る。 2)ベ サ ン トはイ ギ リス の 社 会 活 動 家 で あ っ た が、 ブ ラ ヴ ァ ッ キ ー の影 響 を受 け て、 神 智 学 協 会 に入 り、 イ ン ドに 来 て 、第2代 目 の会 長 に な っ た。 ベ サ ン トは ヒ ン ドゥー 教 に傾 注 して い た。 3)ヒ ン ドゥー 教 の化 身 (avatara) の 観 念 を取 り入 れ 、 世 界 教 師 と した。 4)岸 本 英 夫 『宗 教 学 』(大 明 堂 、1981年)pp.45-46.小 京 大 学 出版 会 、1973年)p.280参 口偉 一 他 監 修 『 宗 教 学 辞 典 』(東 照。 5) M. Lutyens, Krishnamurti : The Years of Awakening, London, 1975, p. 158. 6) sarvabhutastham atmanam sarvabhutani catmani / iksate yogayuktatma sarvatra samadarsanah // (VI. 29) sarvabhUtasthitam yo mam bhajaty ekatvam asthitah / sarvatha vartamano'pi sa yogi mayi vartate // (VI. 31) テ キス トは The Bhagavad-gita, critically ed. by Shrimad Krishna Belvalkar, Poona, 1968 を 使 用 した 。 7) 8) 9) 10) J. Krishnamurti & David Bohm, The Future of Humanity, Madras, 1987, pp. 44-45. Ibid., p. 24. Ibid., pp. 55-56. Ibid., p. 48. 〈キ ー ワ ー ド〉 ク リシ ュ ナ ム ル テ ィ,神 秘 体 験,一 体観 (近畿大 学助教授) 484
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