市 域 の 中 央 を 流 れ る 利 根 川 の 左 岸 に あ り

現在の前橋公園マップ
昭和四年頃の前橋公園ボート乗り場
※前橋商工会議所創立百周年記念誌より
は前橋発展の恩人で初代市長となった
市公園に組み入れ、また同四十三年に
た。明治四十一年には東照宮所有地を
宮南の広場)が公園地として認められ
社(東照宮境内)
)
、東照宮祠畔(東照
当時本市風光の地として、下河原及
び風呂川付近、招魂社(現 厩橋護国神
兼ねて設置された。
は、明治三十八年に、日露戦役記念を
佳の地に人工的風致を加えた前橋公園
遠望し、北に赤城を背景とする風光絶
塔や観覧車など5台の遊具が置かれた。
ェアー」の第二会場が設けられ、飛行
記念して開かれた「前橋グランド・フ
和二十九年十月、前橋市制六十周年を
がある。また、この赤城牧場跡は、昭
交通を便利にした。同所にこの記念碑
道路を開鑿(現在の公園坂下)
、公園の
ーチ型の隧道を開鑿。大正十三年新公
その他を設備し、新旧公園の通路にア
所に滝・泉水・運動場・テニスコート
大正十年に赤城牧場跡(元厩橋城空
壕跡)を買い入れて新公園となし、同
された。
下村善太郎翁の銅像を運動場西北隅の
1か月間のイベント終了後も遊具は残
市域の中央を流れる利根川の左岸に
あり、西に榛名・妙義・浅間の山々を
一角に建立した。しかし、本銅像は、
され、同年 月1日に児童遊園となっ
園入口方向に、立川町通りから直線の
太平洋戦争に伴い昭和十八年に供出、
市役所前に再建された。
昭和五十八年のあかぎ国体を機に前橋
役で稼働する国内最古級のもので、
「も
た。開園当初から残る電動木馬は、現
出たので、それを防止するためでもあ
に利根川で水泳をなし、時々犠牲者が
てのプールも造成された。これは夏季
大正八年には、公園下の河川敷(現
在のさちの池の北辺り)に市内で初め
二年には臨江閣敷地を公園に編入した。
として組み入れ臨江閣別館とし、大正
ていった。以降、少しずつ形を変えな
た近代文化も本公園を拠点に醸成され
ており、前橋における食や芸術といっ
前橋銘菓「萩の餅」もこの店で出され
憩いの場として利用されていた。幻の
況を詩にしている。また、公園内には
現代詩に大きな影響を与えた室生犀
星や萩原朔太郎も当時の前橋公園の状
くば館」は平成十九年に国登録有形文
化財となった。
った。風呂川の水と湧水を流し込んだ
がらも、前橋市民の憩いの場として今
参考 前橋市史 第四巻、第五巻(前橋市)
茶屋「波宜亭」があり、文化人たちの
だけの簡易なものだったが、水遊びを
日に至るのである。
せた。また、同年代にボート場も設置
楽しむ子供たちで大変なにぎわいをみ
進会の終了後、貴賓館を公園附属建物
次に同四十三年に前橋市に於いて開
催された群馬県主催一府十四県連合共
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