論 文 内 容 要 旨

論
氏
文
名
内
梁
容 要
旨
暁斌
提出年
平成 25 年
学位論文の
原子間力顕微鏡による高分子ナノスケール物性の研究
題
目
論
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
文 目 次
序論
理論
実験
準 静的 ナ ノ フ ィッ シ ン グ に よる P N I P A M と 溶 媒 と の相 互 作 用解明
動的ナノフィッシングによる分子鎖のダイナミクスの解析
表面エネルギー散逸と粘弾性仕事の定量的な評価
ナノ触診 AFM の応用
総括
論
1
16
45
60
75
92
101
108
文 内 容 要 旨
[緒言]
高分子材料のさまざまな巨視的物性が、分子鎖の一次構造、二次構造および高次構造と密接に関連
している。材料に対する機能化、高性能化の要求から、これらの階層構造を横断的に制御し、さらな
る物性向上を達成することが求められている。しかしながらナノメートルスケールで複雑な相構造を
有するこれらの高分子材料では、構造観察およびそこからの構造制御へのフィードバックだけでは十
分ではなく、階層的な各スケールでの物性情報の把握とそこからの巨視的物性の予測が必要不可欠に
なってきている。しかしながら、構造と物性を同時に取得できるツールはこれまで存在せず、そのよ
うな手法の出現が待たれていた。また高分子系の最も基礎的な段階としての単一合成高分子鎖に関し
ては、これまで物性を調べられるツールは皆無であり、それを記述する理論だけが先行していた。
すべての高分子物性理論が単一分子鎖の理論をその土台として利用していながら、その部分を実際に
実験的に調べる方法がなかったのが現状なのである。
原子間力顕微鏡(AFM)の誕生により、ナノスケールの空間分解能でかつピコニュートンという微
小な力の検出が可能になった。このような高い空間分解能と力検出感度を組み合わせることで、AFM
を用いると探針の接触領域近辺の非常に小さな領域の力学物性を捉えることができる。そのため、ナ
ノ材料の構造と力学物性を相関づけて分析することができる。AFM による微小な力の精密測定をさら
に追求すると、よりミクロな領域における課題である単一分子鎖の世界を観察することも可能になる。
本研究の目的は、従来の AFM でも可能な準静的ナノフィッシングと我が研究室で開発が行われて
いる動的ナノフィッシングを組み合わせ、単一分子鎖の機能や粘弾性の溶媒相互作用との相関を調べ
ることである。温度感応性高分子ポリイソプロピルアクリルアミド(PNIPAM)と汎用合成高分子ポリ
スチレン(PS)を試料として用いた。一方、これまでのナノ触診技術をさらに発展させ、フォースカ
ーブ解析による、粘性情報の評価方法の確立を目指した。この研究では、スチレン−エチレンブチレン
−スチレン共重合ブロックコポリマー(SEBS)を用いた。
[実験]
高分子一本鎖の実験 — ナノフィッシング
AFM におけるフォースカーブモードを用いて、両末端を化学的に修飾した単一高分子鎖を、基板と
の特異的相互作用でその一端を基板に吸着させ、もう一つの端をAFMの探針先端で「釣り上げ」、単
純に伸長するということを、ナノフィッシングと呼ぶ。ナノフィッシングによる一本鎖の伸長—張力曲
線(図1)に対して理論モデルをフィッティングすることで、一本鎖のセグメント長(弾性パラーメ
ー)と分子鎖長が得られる。
さらに、カンチレバーをその共振点近傍で強制的に正弦振動させながら、一本鎖を伸長させる動的ナノフィ
ッシングという実験を行った。図2に示した連結Voigt模型を用い、1本の分子鎖の粘弾性を伸長過程全体
にわたって連続的に評価することが可能となる。
WLC
FJC
図1ナノフィッシングによる一本鎖の伸長—張力曲線
図2
連結 Voigt 模型
材料表面ナノスケール物性の実験 — ナノ触診技術
図3のように、フォースカーブ測定はカンチレバーおよび探針を試料表面に対して垂直に走査し、
相対位置の変位とカンチレバーの反りをプロットしたものである。カンチレバーの反り量から試料に
かかる力が分かり、試料が変形する場合には図中の式からその変形量が計算できるので、最終的に力—
(1)
(3)
(2)
Z"
(5)
(4)
Z"
Z"
Z"
Z"
F = kD
d = dZ - D
試料が変形し た
図3
ナノ触診模式図
変形量カーブが得られる。このカーブに対して弾性体の接触力学モデルを適用することで、接触範囲
の力学物性を評価できる。医師が指で体表を触
診するように AFM の探針で試料表面の弾性率
などのさまざまな物理量を調べる手法がナノ触
診技術である。
[結果・考察]
高分子一本鎖の物性解析
医学や薬学の分野で広く利用されている、水
溶性で温度感応性をもつ高分子であるポリイソ
図4 プラトーフォースカーブ
プロピルアクリルアミド(PNIPAM)に関して
は、その水和・相分離現象と共貧溶媒性について
のメカニズムに関して、長い間争論が続いてきた。本研究では、このような PNIPAM の機能性メカニズム
を解明するため、PNIPAM の準静的ナノフィッシングの実験を行った。PNIPAM の感熱性と共貧溶媒
性による一本鎖のコンフォメーション転移などの物性応答を調べた結果、高分子鎖のコイル-グロビ
ュール転移によって低伸長側には非エントロピー弾性伸長を特徴付けるプラトーカーブ(図4)が観察さ
れた。また、プラトー力の温度依存性と田中らの協同水和理論を比較することで、彼らの理論モデル
を一本鎖レベルで初めて実証した。ナノフィッシングの成功確率や、高分子伸び切り鎖長や、力—伸
長距離曲線の形状変化などの解析によって、バルクの下限臨界共溶温度(LCST)付近で高分子一本鎖
のコイル-グロビュール転移が確認された。さらに、混合溶媒濃度の順逆方向変化により、持続長の濃
度依存性に差異が生じることを見いだした。この現象は田中らの競合的水素結合理論で解釈すること
が可能であった。
しかし、準静的ナノフィッシングでは一本鎖の粘弾性に関する情報は全く得ることができない。特に、低伸
長領域での情報はほとんど得られない。一方、非平衡状態を扱う動的ナノフィッシングが可能になること
で、単一高分子鎖の静的情報のみならず動的情報を実験的に測定できるようになってきた。特に、低
伸長領域では分子鎖がランダムコイル状態になり、一定値の粘弾性が観察された。この高分子一本鎖粘
弾性と緩和時間の分子量依存性を確かめ、それが高分子鎖の粘弾性を記述するモデルのひとつである
Kirkwood模型による予測と一致することが分かった。さらに、Kirkwood模型に対して実験結果をフィ
ッティングすることによって、高分子鎖の有効粘度が得られた。さらに溶媒粘度と有効粘度の比が溶
解性パラメーターに対して直線的に依存することを示した。高分子鎖の粘性は従来物理のテーマとし
て研究されてきたが、本研究から一本鎖の粘性は溶媒粘度と関わらず、分子鎖と溶媒の化学的相互作
用と相関性があることが分かり、非常に興味深い結果となった。
材料表面ナノスケールの物性解析
これまでの研究では、ナノ触診技術を用いて、凝着
相互作用を考慮した弾性体の接触力学モデルである
JKR 理論による変形量、凝着エネルギーおよび弾性率
などの情報が得られていた。しかし、高分子特性とし
て特徴的な粘弾性、特に粘性情報について定量的に評
価できないという問題があった。これに対して、まず
市販 AFM のタッピングモードによって、表面エネル
ギー散逸を定性的に議論できた。一方、図5a、b にナ
ノ触診 AFM による PEB 相と PS 相の試料応力−変形曲
線を示す。JKR 理論によるカーブフィッティングを詳
しく見ると、ヤング率の高い PS 部分はピンクの線で示
した弾性体理論でよくフィッティングできている一方、
ヤング率の低い PEB 部分では大きなずれが見られた。
弾性体の接触力学モデルである JKR 理論による純弾性
体を仮定した場合のカーブを重ね、実際のカーブとの
間の面積を求めて、それを粘弾性仕事と定義した。ス
図5 粘弾性仕事の定義
チレン−エチレンブチレン−スチレン共重合ブロックコ
ポリマー(SEBS)の実験結果から、粘弾性仕事が粘性由来のパラメーターだと結論づけることができた。
すなわち粘性由来の粘弾性仕事を凝着ヒステリシスなどの他の寄与から分離し、定量的に評価するこ
とに成功した。
ナノ触診 AFM の応用
このナノ触診 AFM をブロックコポリマーだけでなくさまざまな領域に応用することも手がけてきた。
例えば、細胞培養の足場として利用することを目的に、電気パルスを加えながら作製した親水性ゲル
とカーボンナノチューブのハイブリッド材料については、さまざまな作製条件の変化が、機械的強度
の変化として現れることがナノ触診 AFM によって確認され、それが足場としての特性を変化させてい
ることに繋がっていることが分かった。
図6 ナノ触診AFMによる生体ハイブリッド材料の機械的強度。Aがゲルで、BがランダムにCNTを複合
したゲルで、Cが整列にCNTを複合したゲルである。
論文審査の結果の要旨
近年、高分子材料に対する機能化、高性能化の要求から、分子レベルの一次構造から架橋網目制御
技術等の高次構造を横断的に制御し、さらなる物性向上を達成することが求められている。このよう
な高分子材料では、構造を制御するとともに、構造の各部分のナノスケールの物性も変化しうる。従
って、マクロな力学物性を予測するには、構造観察だけで十分ではなく、階層的な各スケールでの物
性情報の把握が必要になっている。また、高分子系の最も基礎的な段階としての単一高分子鎖の物性
を評価することで、高分子材料の構造や機能の理解に有用な知見を与えると期待される。
本研究では、ナノスケールの空間分解能でかつピコニュートンという微小な力の検出が可能である
原子間力顕微鏡(AFM)を活用して、両末端を化学的に修飾した単一高分子鎖を、その両末端で単純に伸
長するというナノフィッシングの実験が行われた。このような手法を用いて、水溶性で温度感応性を
有するポリイソプロピルアクリルアミド(PNIPAM)の機能に関する理論モデルを検証した。PNIPAM 一
本鎖の物性解析により、田中らの協同水和理論と競合的水素結合理論が一本鎖のレベルで初めて実証
された。また、非平衡状態を扱う動的ナノフィッシングを用い、AFM カンチレバーと高分子鎖をそれぞ
れ Voigt 模型とみなすことで、一本鎖の粘弾性情報が得られた。動的ナノフィッシングによってポリ
スチレン(PS)一本鎖の粘弾性と緩和時間が測定され、高分子鎖の流体中での粘性を記述する
Kirkwood 理論の妥当性を確証した。さらに、高分子鎖の有効粘度が溶媒粘度とは関係なく、分子鎖と
溶媒の相互作用パラメーターと関係することが初めて確認された。
論文の後半では、AFM 探針が試料と接触しているがゆえに、試料そのものの変形を直接的に検出する
ことができ、その結果を弾性体理論で解析することで、ナノスケール物性を測定するというナノ触診
技術を利用した研究が展開される。従来の方法では「弾性」情報しか測定することができなかった問
題に対して、新解析法を考案することで粘性由来の粘弾性仕事を定量的に評価することに初めて成功
した。さらに、ナノ触診技術を材料研究に応用し、他の手法では決して得ることのできない情報を得
た。
以上、梁君が自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力と学識を有することを示している。
したがって,梁暁斌提出の博士論文は,博士(理学)の学位論文として合格と認める。