Vol.31 , No.2(1983)077町田 順文 - ECHO-LAB

﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察
(町
田)
(7)
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田
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タリ
メ
ルニ
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順
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二 八〇
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文
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明 日具
同 一の人 と見 る考 え方 が あ る が、 これ は疑 わ し い と さ れ て来
町
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察
ジ ャー タ カ は、 そ の大 部 分 は パ ー リ語 に よ って書 か れ て い
た。
ソデ
メリ
と し て ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ が 存 在 す る こ と は 周 知 の 通
る が 、 サ ン ス ク リ ッ ト で 書 か れ た ジ ャ ー タ カ の数 少 な い も の
セト
ハ メテ
義 浄 三蔵 の ﹃南 海 寄 帰 伝 ﹄ 巻 四 に、
ニ ク
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ル
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。 方 知三讃 詠 之 中。 斯 為 二
美 極一。⋮
ナリ
朝威 将 示レ朕 。 及 二
其総集 一
得 二五 百 爽一。
展 而 閲 レ之 。 多 是 社 得 迦 摩
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時 戒 日 王極 好 三文筆 殉乃 下 レ令 日。 諸 君 但有 下好 二詩 讃 一
者
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しlて
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と八
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り で あ る。
O.
羅
(H.
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マー ラ ー ﹄ の テ キ ス ト は 、 ケ ル ン (
囚の導 )
が 、 Har
var
d Oriental
と あ って、 戒 日 王 の時 、 人 々が最 も 好 ん で 諦す る も のと し
勢 を拡 大 し た 人 で、 ハル シ ャ
ヴ ァ ルダ ナ (
Har
sha-Vardhana)
王 フ ラバ ー カ ラの間 、 フー ナ (
白 旬 奴)・ マ ー ル ワ を 抑 え て 国
ラ (タ ー ネ サ ル) に 出 身 し 、 ハ ル シ ャ の祖 父 ア ー デ ィ ト ヤ 、 父
vo
そ
のl
戒.日 j
王の
は 、 ヴ ァ ル ダ ナ 朝 の 大 王 で 、 ス タ ー ネ シ ュヴ ァ
S. い る 。
て 、 ﹃社 得 迦 摩 羅 ﹄ (﹃Jatakamal
るaも
﹄)
のなが あ った と し て
九 一年 に 出 版 し た も の が 、 オ リ ジ ナ ル と し て 現 在 使 用 さ れ て
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マー ラー﹄ の 翻 訳 は 、 ケ ル ン の 弟 子J.
い る。
of
(3)
buddh
中ist
Books
(2)
speyerが
一八 九 五 年 、 sacred
(1)
(5)
イ タリア
(4)
で英 訳 した も のが 最 初 で あ る。 そ の他 には 、 独 訳
語 訳 ・ ロ シ ア 語 訳 ・ヒ ンデ ー 語 訳 が あ る 。
何 時 頃 に ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ が 書 か れ た か と い う こ
(6)
お お よ そ 六 世 紀 の も の と 思 わ れ る も の の 中 に 、 Aryasuraの
と は、 詳 しく わか って い な い が、 作 者 は 聖 勇 (
Aryasura)と(六〇 五-四 七) で あ る 。 次 に 、 ア ジ ャ ン タ ー の 壁 画 の 中 に 、
報 経﹄ が、 大 勇 の作 とあ り、 この大 勇 と 聖 勇 (Aryasuraに
)拠
をる と の 銘 が あ っ て 、 そ の 画 の内 容 は 、 現 在 の 本 書 の も の
伝 え ら れ て いる 。 西 紀 四 三 四年 の訳 と さ れ る漢 訳 の ﹃分 別 業
-765-
(8)
(12)
に 合 し、 恐 らく は壁 画 の拠 った も の と現 在 の ﹃jatakama十
l四
a話
﹄ あ る 中 で、 パ ー リ語 のも の と内 容 の合 致 す る も のが 三
と は 同 一で あ った ど思 わ れ る。 以 上 に よ れ ば、 ﹃jatakama
十l
もaあ
﹄り、 小 乗 的 色 彩 の濃 いも の と な って いる。 た と え ば、
マ ハー バー ラ タや カタ ー サ リ ット サ ー ガ ラな ど に 出 て来 る シ
(14)
と あ る の に 対 し、 パ ー リ 文 で は、
(
13)
﹃jatakamala﹄に、
の と ﹃jatakama
表l
現aの
﹄似
とて い る 所 も 多 い。た と え ば
ンの為 に、 眼 を 与 え る話 と な って い る。 ま た、 パ ー リ 語 のも
も の は、 パ ー リ のジ ャー タ カ と同 様 で、 目 の見 え な い バ ラ モ
る。 漢 訳 も ほ と んど こ の話 であ る。 し か し、﹃jatakamala﹄の
し か し、 最 近 に な って、 ﹃Avadanasat中
ak
にa
、﹄﹃のJataビ
-王 の話 な ど は、 鷹 に追 わ れ た鵠 に身 肉 を 与 え る も の で あ
は、 六世 紀 に は、 す で に、 成 立 し て いた こ とが わか る。
(10)
kamala﹄
一詩
の節 が借 用 さ れ て い る 事 実 が 指 摘 さ れ(9)
(11)
と ﹃Avadanasataは
kあ
a﹄
りで
、
と ﹃Jatak﹄
am
でa
はl
、aな ってお り、 一 ・二箇 所 少 し異 な る
132
あ4り
に、 三世 紀
田)
二八 一
し か し、 興 味深 いの は、第 一章 の ﹁vyagri-jat
あa
るk
。a﹂で
意 識 し、 か つ参 考 に し て書 か れ て い る こと が言 え る。
﹃jatakamala﹄は、かなりの部分に、パーリ文の﹃jatakamala﹄を
と あ っ て、 大 変 よ く 似 て い る こ と が わ か る。 こ の よ う に
だ け で、 あ とは ま る っき り 同 じ であ る。 ﹃Avadanasataka﹄の
漢 訳 ﹃撰 集 百 縁 経 ﹄ は、 南 条 目 録 Zo.
前 半 に漢 訳 さ れ た と あ り、 ﹃Avadanaは
s、
at
おa
そkらaく﹄、 二
世 紀 頃 成 った と 思 わ れ る。 従 って、 ﹃Jatakama
成l立
a年
﹄の
代 は、 従 来 より 古 く、 ア シ ュヴ ァゴ ー シ ャと ほ ぼ同 時 代 と見
(町
﹃jatakama
内l
容aに﹄つ
のいて、 少 し ふ れ る と、 全 体 で 三
ら れ る に至 って い る。
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察
-766-
に、 他 人 の苦 しみ によ って、 地 が震 え る と 山 の王 (ヒ マ ラ ヤ) が
一方 菩 薩 は、 ま た 賢 者 でも あ る が、 か の牝 虎 を 見 て、 慈 悲 のた め
二八二
vyagriは牝、虎 の こ と であ る が、 こ の牝 虎 が、 自 分 の 子 供
田)
を食 べ よう とす る姿 を見 て、 以前、 菩 薩 で あ った 世尊 が、 飢
震 よ る よ う に 震 え た。(16)
(町
え た る牝 虎 に対 し て、 自 分 の身 体 を供 養 す る 話 で あ る。 本文
そ し て、 菩 薩 は、 こ の 牝 虎 の た め に、 次 の よ う な 布 施 心 が
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 三考 察
で は、 菩 薩 の人 徳 に対 し て次 の よ う な叙 述 を し て いる。
(18)
生 じ た の で あ る。
それだから、私 は、段崖 から落 ちて、なくな った命を持 っている
(15)
とし て、尊 敬 に 値 す る人 物 であ った。 臣 民 た ち に と っては、 イ ン
彼 は、 梵 を 知 って い る人 々に と って、 梵 のご とく 存 し、 王 中 の王
ころから、 そ の子供達 を守護す るであ ろう。(25)
体 で、牝虎 の子供 を殺害 することから保護 し、その牝虎 の いると
drstva
driro
svatanayan
api
ivadrirat//16//
karuna-vasat
mabikampad
//14//
(19)
(22)
(23)
(20)
は、 ど め よう な 意 図 を 持 って いた のか、 大 変 興 味 深 い こと で
持 っ て来 た こ と は、 この物 語 を書 く に当 って、作 者 Aryasura
大 乗 的 に お い のす る こ の牝 虎 本 生 (
vyagrijat第a一
k章
aに
)を
的色 彩 の強 い、 ﹃Jatakanl
中a
でl
、﹄パ
のー リ 文 の 中 に な い
話 の類 型 を 見 る こと が 出 来 る。 こ のよ う に、 き わ め て、 小 乗
光 明 経 ﹄ ﹃大 智 度 論 ﹄ ﹃仏 本 経 ﹄﹃菩 薩 本 行 経 ﹄ 等 の 中 に こ の
(21)
vadygvadamaの中 に 見 い出 す こ と が 出 来 る。 漢 訳 で は、 ﹃金
ら な い。 他 に 梵 文 では ﹃Dovuavad第
a三
m十
a﹄
二の
章の
ri-
この話 の原 形 と な る よう な 話 は、 パ ー リ伝 の中 に は、 見 当 た
で も って、 牝 虎 の子 供 達 を 救 う の であ る。 不 思議 な こ と に、
以 上 のよ う な 決 心 で、 菩薩 は、 自 分 の身 体 を供 養 す る こ と
ド ラが 目 の前 に 現 わ れ た る ご と く で あ り、 智 慧 を 求 め る 人 々に と
balan
chata-tarodarim
一匹 の 牝 虎 を 見 た の で あ る。
っては、 目 的 を 実 践 す る 父 のよ う で あ った。(5)
pasyantim
ksudha
こ の 菩 薩 が、 深 い 森 の 中 で、
(16)
iva
pariksameksana-yugam
aharam
そ の牝虎 と いう のは、 過 度 に弱 った両 眼 を 持 って いて、 飢 餓 に よ
って非 常 に 空 っぽに な った 腹 を 持 ち、 幼 い子 供 達 を、 自 分 の 子供
であ る に も か か わら ず、 あ たか も、 食 物 を 見 つ つあ る か の様 で あ
った。(14)
tam
こ の 飢 え た る 牝 虎 を 見 て、 か の 菩 薩 は、
u
para-duhkhena
(17)
bodhisattvas
oakampe
-767-
あ る。
正蔵 経 ﹄ 第 十 七巻、 四 四 六 頁 以 下。
田)
う と、 第 二章-第 一七章、 第 九 章-第 一七 章、 第 一九 章-第 二
二八 三
(立正大学法華経文化研究所研究員)
九 章、 第 三 一章-第 三 四章 の三 〇。
13
14
15
16
17
18
19
1
2
正蔵 経 ﹄ 第 五 四巻、 二 二七 頁 以 下。
(町
-768-
3
4
6﹃大
5
7﹃大
ャ ー タ カ概 観﹄ 干 潟 龍 祥 著。 六 〇-六 一頁。
9
﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察
パ ー リ 伝 の も の と 合 致 す る も の は、 ﹃Jatakaamal
章aで
﹄の
言
8﹃ジ
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