﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察 (町 田) (7) ヲ ノ ベ 田 チ ヲ タリ メ ルニ ク 順 ヲ 二 八〇 テ 文 ム スル ニ ヲ ラバ ク ヲ レ 明 日具 同 一の人 と見 る考 え方 が あ る が、 これ は疑 わ し い と さ れ て来 町 ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察 ジ ャー タ カ は、 そ の大 部 分 は パ ー リ語 に よ って書 か れ て い た。 ソデ メリ と し て ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ が 存 在 す る こ と は 周 知 の 通 る が 、 サ ン ス ク リ ッ ト で 書 か れ た ジ ャ ー タ カ の数 少 な い も の セト ハ メテ 義 浄 三蔵 の ﹃南 海 寄 帰 伝 ﹄ 巻 四 に、 ニ ク ニ ル ニ ヲ ト 。 方 知三讃 詠 之 中。 斯 為 二 美 極一。⋮ ナリ 朝威 将 示レ朕 。 及 二 其総集 一 得 二五 百 爽一。 展 而 閲 レ之 。 多 是 社 得 迦 摩 テ 時 戒 日 王極 好 三文筆 殉乃 下 レ令 日。 諸 君 但有 下好 二詩 讃 一 者 s.)vo しlて . 、1一 と八 ニ り で あ る。 O. 羅 (H. ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マー ラ ー ﹄ の テ キ ス ト は 、 ケ ル ン ( 囚の導 ) が 、 Har var d Oriental と あ って、 戒 日 王 の時 、 人 々が最 も 好 ん で 諦す る も のと し 勢 を拡 大 し た 人 で、 ハル シ ャ ヴ ァ ルダ ナ ( Har sha-Vardhana) 王 フ ラバ ー カ ラの間 、 フー ナ ( 白 旬 奴)・ マ ー ル ワ を 抑 え て 国 ラ (タ ー ネ サ ル) に 出 身 し 、 ハ ル シ ャ の祖 父 ア ー デ ィ ト ヤ 、 父 vo そ のl 戒.日 j 王の は 、 ヴ ァ ル ダ ナ 朝 の 大 王 で 、 ス タ ー ネ シ ュヴ ァ S. い る 。 て 、 ﹃社 得 迦 摩 羅 ﹄ (﹃Jatakamal るaも ﹄) のなが あ った と し て 九 一年 に 出 版 し た も の が 、 オ リ ジ ナ ル と し て 現 在 使 用 さ れ て ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マー ラー﹄ の 翻 訳 は 、 ケ ル ン の 弟 子J. い る。 of (3) buddh 中ist Books (2) speyerが 一八 九 五 年 、 sacred (1) (5) イ タリア (4) で英 訳 した も のが 最 初 で あ る。 そ の他 には 、 独 訳 語 訳 ・ ロ シ ア 語 訳 ・ヒ ンデ ー 語 訳 が あ る 。 何 時 頃 に ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ が 書 か れ た か と い う こ (6) お お よ そ 六 世 紀 の も の と 思 わ れ る も の の 中 に 、 Aryasuraの と は、 詳 しく わか って い な い が、 作 者 は 聖 勇 ( Aryasura)と(六〇 五-四 七) で あ る 。 次 に 、 ア ジ ャ ン タ ー の 壁 画 の 中 に 、 報 経﹄ が、 大 勇 の作 とあ り、 この大 勇 と 聖 勇 (Aryasuraに )拠 をる と の 銘 が あ っ て 、 そ の 画 の内 容 は 、 現 在 の 本 書 の も の 伝 え ら れ て いる 。 西 紀 四 三 四年 の訳 と さ れ る漢 訳 の ﹃分 別 業 -765- (8) (12) に 合 し、 恐 らく は壁 画 の拠 った も の と現 在 の ﹃jatakama十 l四 a話 ﹄ あ る 中 で、 パ ー リ語 のも の と内 容 の合 致 す る も のが 三 と は 同 一で あ った ど思 わ れ る。 以 上 に よ れ ば、 ﹃jatakama 十l もaあ ﹄り、 小 乗 的 色 彩 の濃 いも の と な って いる。 た と え ば、 マ ハー バー ラ タや カタ ー サ リ ット サ ー ガ ラな ど に 出 て来 る シ (14) と あ る の に 対 し、 パ ー リ 文 で は、 ( 13) ﹃jatakamala﹄に、 の と ﹃jatakama 表l 現aの ﹄似 とて い る 所 も 多 い。た と え ば ンの為 に、 眼 を 与 え る話 と な って い る。 ま た、 パ ー リ 語 のも も の は、 パ ー リ のジ ャー タ カ と同 様 で、 目 の見 え な い バ ラ モ る。 漢 訳 も ほ と んど こ の話 であ る。 し か し、﹃jatakamala﹄の し か し、 最 近 に な って、 ﹃Avadanasat中 ak にa 、﹄﹃のJataビ -王 の話 な ど は、 鷹 に追 わ れ た鵠 に身 肉 を 与 え る も の で あ は、 六世 紀 に は、 す で に、 成 立 し て いた こ とが わか る。 (10) kamala﹄ 一詩 の節 が借 用 さ れ て い る 事 実 が 指 摘 さ れ(9) (11) と ﹃Avadanasataは kあ a﹄ りで 、 と ﹃Jatak﹄ am でa はl 、aな ってお り、 一 ・二箇 所 少 し異 な る 132 あ4り に、 三世 紀 田) 二八 一 し か し、 興 味深 いの は、第 一章 の ﹁vyagri-jat あa るk 。a﹂で 意 識 し、 か つ参 考 に し て書 か れ て い る こと が言 え る。 ﹃jatakamala﹄は、かなりの部分に、パーリ文の﹃jatakamala﹄を と あ っ て、 大 変 よ く 似 て い る こ と が わ か る。 こ の よ う に だ け で、 あ とは ま る っき り 同 じ であ る。 ﹃Avadanasataka﹄の 漢 訳 ﹃撰 集 百 縁 経 ﹄ は、 南 条 目 録 Zo. 前 半 に漢 訳 さ れ た と あ り、 ﹃Avadanaは s、 at おa そkらaく﹄、 二 世 紀 頃 成 った と 思 わ れ る。 従 って、 ﹃Jatakama 成l立 a年 ﹄の 代 は、 従 来 より 古 く、 ア シ ュヴ ァゴ ー シ ャと ほ ぼ同 時 代 と見 (町 ﹃jatakama 内l 容aに﹄つ のいて、 少 し ふ れ る と、 全 体 で 三 ら れ る に至 って い る。 ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察 -766- に、 他 人 の苦 しみ によ って、 地 が震 え る と 山 の王 (ヒ マ ラ ヤ) が 一方 菩 薩 は、 ま た 賢 者 でも あ る が、 か の牝 虎 を 見 て、 慈 悲 のた め 二八二 vyagriは牝、虎 の こ と であ る が、 こ の牝 虎 が、 自 分 の 子 供 田) を食 べ よう とす る姿 を見 て、 以前、 菩 薩 で あ った 世尊 が、 飢 震 よ る よ う に 震 え た。(16) (町 え た る牝 虎 に対 し て、 自 分 の身 体 を供 養 す る 話 で あ る。 本文 そ し て、 菩 薩 は、 こ の 牝 虎 の た め に、 次 の よ う な 布 施 心 が ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 三考 察 で は、 菩 薩 の人 徳 に対 し て次 の よ う な叙 述 を し て いる。 (18) 生 じ た の で あ る。 それだから、私 は、段崖 から落 ちて、なくな った命を持 っている (15) とし て、尊 敬 に 値 す る人 物 であ った。 臣 民 た ち に と っては、 イ ン 彼 は、 梵 を 知 って い る人 々に と って、 梵 のご とく 存 し、 王 中 の王 ころから、 そ の子供達 を守護す るであ ろう。(25) 体 で、牝虎 の子供 を殺害 することから保護 し、その牝虎 の いると drstva driro svatanayan api ivadrirat//16// karuna-vasat mabikampad //14// (19) (22) (23) (20) は、 ど め よう な 意 図 を 持 って いた のか、 大 変 興 味 深 い こと で 持 っ て来 た こ と は、 この物 語 を書 く に当 って、作 者 Aryasura 大 乗 的 に お い のす る こ の牝 虎 本 生 ( vyagrijat第a一 k章 aに )を 的色 彩 の強 い、 ﹃Jatakanl 中a でl 、﹄パ のー リ 文 の 中 に な い 話 の類 型 を 見 る こと が 出 来 る。 こ のよ う に、 き わ め て、 小 乗 光 明 経 ﹄ ﹃大 智 度 論 ﹄ ﹃仏 本 経 ﹄﹃菩 薩 本 行 経 ﹄ 等 の 中 に こ の (21) vadygvadamaの中 に 見 い出 す こ と が 出 来 る。 漢 訳 で は、 ﹃金 ら な い。 他 に 梵 文 では ﹃Dovuavad第 a三 m十 a﹄ 二の 章の ri- この話 の原 形 と な る よう な 話 は、 パ ー リ伝 の中 に は、 見 当 た で も って、 牝 虎 の子 供 達 を 救 う の であ る。 不 思議 な こ と に、 以 上 のよ う な 決 心 で、 菩薩 は、 自 分 の身 体 を供 養 す る こ と ド ラが 目 の前 に 現 わ れ た る ご と く で あ り、 智 慧 を 求 め る 人 々に と balan chata-tarodarim 一匹 の 牝 虎 を 見 た の で あ る。 っては、 目 的 を 実 践 す る 父 のよ う で あ った。(5) pasyantim ksudha こ の 菩 薩 が、 深 い 森 の 中 で、 (16) iva pariksameksana-yugam aharam そ の牝虎 と いう のは、 過 度 に弱 った両 眼 を 持 って いて、 飢 餓 に よ って非 常 に 空 っぽに な った 腹 を 持 ち、 幼 い子 供 達 を、 自 分 の 子供 であ る に も か か わら ず、 あ たか も、 食 物 を 見 つ つあ る か の様 で あ った。(14) tam こ の 飢 え た る 牝 虎 を 見 て、 か の 菩 薩 は、 u para-duhkhena (17) bodhisattvas oakampe -767- あ る。 正蔵 経 ﹄ 第 十 七巻、 四 四 六 頁 以 下。 田) う と、 第 二章-第 一七章、 第 九 章-第 一七 章、 第 一九 章-第 二 二八 三 (立正大学法華経文化研究所研究員) 九 章、 第 三 一章-第 三 四章 の三 〇。 13 14 15 16 17 18 19 1 2 正蔵 経 ﹄ 第 五 四巻、 二 二七 頁 以 下。 (町 -768- 3 4 6﹃大 5 7﹃大 ャ ー タ カ概 観﹄ 干 潟 龍 祥 著。 六 〇-六 一頁。 9 ﹃ジ ャ ー タ カ ・ マ ー ラ ー ﹄ に 関 す る 一考 察 パ ー リ 伝 の も の と 合 致 す る も の は、 ﹃Jatakaamal 章aで ﹄の 言 8﹃ジ 12 10 11
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