説明書

宝塚の滝めぐり
第 100 回武庫川エコハイク
不動の滝・丁字ヶ滝・龍王滝を訪ねる
2、
20150808 エコグループ・武庫川
武庫川 全長 65km、流域面積 500km 篠山市、能勢町、三田市、神戸市北区、西宮市、宝
塚市、伊丹市、尼崎市の 7 市 1 町を流域に持ち県内有数の人口・資産を抱える 2 級河川である。
「武庫川」の名は下流の右岸が武庫郡であり、武庫郡は日本書紀にある「務古水門(むこみな
と)」からとか、浪速から見て「向こう」にあるからとか諸説がある。本川の源流は篠山市にある。篠山
市から三田盆地までは緩やかな傾斜であるが、道場を過ぎると武庫川渓谷の急流となる。武庫川
下流の治水対策として武庫川渓谷に治水ダムが計画されたが、県は武庫川流域委員会を設置
して 2 年半にわたり協議した結果、平成 22(2010)年 10 月、20 年間はダムによらず流域対策と堤
防強化、河道掘削で治水対策を実施することとなった。
JR 宝塚駅 明治 30(1897)年阪鶴鉄道の駅として開業。国鉄、JRと引き継がれる。
阪急宝塚駅 大正 10(1921)年阪神急行電鉄西宝線の開通と同時に開業。
宝来橋 明治 35(1902)年頃宝塚に初めて架かった橋で以降何度も洪水で流失している。現在
の S 字橋の前の橋は昭和 30(1955)年に完成したがいずれも人道橋であった。現在の橋は平成 6
年に完成した。デザインはフランスの彫刻家マルタ・パン氏。同氏の彫刻「枠どられた風景が橋の左
岸側の袂にある。
宝塚温泉 室町時代の説話に病にかかった老女が中山寺の観音菩薩のお告げで武庫川右岸の
大柳の下に温泉がある事を教えられ、塩谷川との合流点近くを掘ったところ温泉が湧き出たという。
今の若水に近く、泉源の記念碑が建てられ、県道の橋も柳橋という。
塩谷川 岩倉山東側の紅葉谷を源流とする一般河川。
宝塚温泉泉源 塩谷川右岸にある宝塚温泉の泉源。タンクが 2 基ある。
宝塚仏舎利塔 昭和 48(1973)年竣工。大岡実氏の作品、ルアンウェリー型の仏舎利塔で日本
山妙法寺(東京都渋谷区)が管理する。
水管橋 西宮市の水管橋。西宮市から武庫川左岸の同市生瀬東町に送水する。
観音谷川 塩尾寺の尾根から流れる一般河川。
不動滝 観音谷川にある滝。不動明王の滝といわれ修験者の行場。落差約 7m+約 3m。
西宮街道 武庫川右岸の道は古くから「西宮街道」といわれ西宮へ杜氏の通う道とされた。
千歳橋跡 宝来橋上流約 600m の見返り岩、愛の松原をつなぐ私設の橋。大正 10(1921)年に
竣工、昭和 20(1945)年台風により流失。鉄筋コンクリートのモダンな橋だった。
愛の松原 見返り岩の対岸はかって「愛の松原」という立派な松原があった。現在はマンションが立
ち面影もない。
見返り岩 武庫川に張り出す奇岩で通行の人が振り返ることから「見返る岩」と呼ぶ。
丁字ヶ滝 見返り岩の山側にあり山より流れ落ちる滝が糸を引くようでその形から「丁字の滝」と呼
ばれた。かってはここに茶店があり旅人に湯茶を供していた見返り岩と合わせて「丁字銀川」として
宝塚八景のひとつとされた。すぐ上部の住宅地は「丁字」に関連し長寿ガ丘という。
一後川(いちごがわ) 武庫川水系 2 級河川、一後=一期、人生を終わった意。この辺りは古墳
が多かった.。市内随一の急流、中国道北側の調整池を起点として延長 958m。
夫恋橋・妻恋橋 一後川に架かる小橋。二つの名を持つ粋な橋。
川面 武庫川の川辺にあることから「かわも・川面」という。
宝の塚 今の宝塚駅の北部は古墳が多かったといい、その中にものを拾うと幸せとなる伝承があり
「宝の塚」が建立された。その後の調査で該当の古墳は発見されていない。
すみれ台調整池 すみれ台の開発地の下に調整池がある。調整池は開発に伴い失われる山地の
代りに調整池(ちょうせいいけ)の設置が求められているもの。
清荒神清澄寺 寛平 8(896)年、宇多天皇が夢見により摂津国米谷にある蓬莱山に霊地を求め
られ、その命により定円法眼が大日如来像を彫り開山した。さらに三宝荒神社を鎮守として 7 堂
72 院の大伽藍を造営し天皇より「日本第一清荒神」の称号を与えられた。その後寿永 2(1183)
年源平合戦の折兵火により灰燼に帰したが復興を果たし、天承 7(1579)年伊丹合戦により炎上
したが、荒神社のみは再度の兵火も免れた。かまどの神、
本堂 山門を入り、正面にある。安政年間に棟上されたという。本尊は木造大日如来座像。国の
重要文化財。
天堂 清荒神拝殿、山門を入り左手にある。真後ろには護法堂があり如来荒神を祀る。
龍王滝 聖光殿右億の荒神川上流にある滝。落差約 10m。
鉄斎美術館 大正年間真言宗への信仰心が厚く独自の道徳心を持たれた富岡鉄斎翁(1836~
1924)の芸術に引かれた清荒神和上がその作品の収集を始め境内に大正 12(1924)年展示場を
作られた。展示場は昭和 50(1975)年現在の聖光殿(鉄斎美術館)を建築し一般公開している。
大灯篭 大正 11(1922)年建立の高さ 8mの灯篭。宝珠が三宝荒神の紋章となっている。
丁石 参道に1丁、4 丁、5 丁の 3 基の丁石が残る。
祓禊橋(みそぎばし) 昔はこの下を流れる荒神川で身体を清めてからお参りしたという。
清荒神参道 駅前から有馬街道を横切り山門まで約 1.2kmの参道。緩やかにくねり登る龍の形
に似るといわれている。両側に約 100 軒の店が並ぶ。大祭の日には大勢の参拝客でにぎあう。特に
正月は参拝客が多く、この参道は下り一方交通となる。
緑の鳥居 参道が有馬街道と交差する位置にある。荒神さんと同じ緑色の鳥居。
有馬街道 小浜宿から生瀬宿を経て有馬に通じる街道。丹波街道とも重なる。
荒神川 武庫川左岸に合流する 2 級河川。延長 988m。清荒神の裏山から流れ渓谷を形成して
いる。国道 176 号線一帯が溢水し浸水するので治水対策工事が行われ、同時に親水空間が設
置された。
米谷(まいたに) 売布谷、米谷、米種がなまったという。
宝塚小橋 昭和 8(1933)年築造の橋。旧国道に架かる。
宝塚大橋 昭和 8(1933)年竣工、当初は宝塚新橋と呼ばれ、当時は生瀬橋から甲武橋まで自
動車の通れる市内唯一の橋だった。昭和 53(1979)年現在の橋となる。橋の周辺に野外彫刻が 4
体ある。淀井敏夫作「渚」(上流側)「鴎」(下流側)、新谷琇紀作「愛の手」2 体。
宝塚南口駅前再開発 昭和 49(1974)年市内初の駅前再開発ビルが完成し「サンビオラ」となる。
当初は人気があったが後に他での再開発により衰退した。
阪急宝塚南口駅 大正 10(1921)年阪神急行電鉄西宝線の開通と同時に開業。