大地に描く建築 ル・コルビュジェとルイス・カーンの遺産を受け継ぐインドの地に暮らして 新居照和(建築家) 初めてインドを旅して以来、ル・コルビュジェの言葉が印象に残っている。 「1951年の末、チャンディガルで、インド式の根源的喜びに触れる。宇宙と生物の友好 関係、星、自然、聖なる動物、小鳥、猿と牛、そして村内で子供ら、大人たち、老人たちの 活発な姿、池とマンゴの木、すべてが存在し、微笑んでいる。貧しいが釣り合いがとれてい る。 」吉阪隆正訳、ル・コルビュジェ全作品集第8巻より 1978年、初めての海外、しかも感動と驚きの連続であった 4 ヶ月あまりのユーラシア 大陸建築の旅の帰路、インドから学びたいと、建築家B.V.ドーシ氏を訪ねた。1年後、 半年以上かけて取得した研究ヴィザを手に氏を訪ねた時は、夕暮れだった。今から所用で出 かけるが一緒に来ないかと、暗くなった中、連れて行ってくれた邸宅がショーダン邸であっ た。 それから 7 年間、 後半 4 年間を画家サグラ氏のもと大学キャンパスで過ごしたことを含めて、 ドーシ氏に世話になり学んだ。氏は形式的なものにこだわらない大きな教育者でもあった。 サグラ氏を始め独立闘争の精神を残す環境の中で多くの友人に囲まれ、 機会があればインド 各地を旅し、インドの大きな懐の中で暮らしたと実感する。 アーメダバードは、15 世紀にできたインド・イスラム都市で、近代ではインド最大の繊 維工業都市になった。ル・コルビュジェの サラバイ、ショーダン邸という2つの住宅、繊 維業者会館と美術館があり、ルイス・カーンのインド経営大学(IIM)がある。二人の20 世紀巨匠から学んだドーシは、この地に海外を含め各地から優れた人材を集め、自由で創造 的な雰囲気をもつキャンパスをつくり、インド現代建築教育の礎をつくった。建築実務にお いては、インドの大きな遺産を強く意識しながら、インド建築の新しいアイデンティを数々 のプロジェクトの中で探究し、インド現代建築を担っている。 便利さと効率の産業社会の価値観に慣れた弱輩にとって、 ヒンドゥークシュを越えた時か ら、多くの人々が貧困に喘いでいる姿を、どう理解するのか、あるいはどう向き合い、何が できるのか、インドが抱える理解しがたい程の大きな矛盾に悩むものだった。帝国主義国に 搾取し尽くされたあとも、 新たな搾取が続く苦悩と痛みを感じながら、 膨大な建築的遺産や、 生き物と人々の営みの中から、 しだいと4500年前のインダス文明から途切れもなく様々 に培われてきた知恵が見えてくる。豊かで厳しい自然と、長い間異質なものがぶつかり混ざ りあう中で、インドの共存と多様性が培われてきた。ひとや自然のあり方に、インド独特の 奥深い知恵が表れているのを意識するようになった。 初めてガンジスやネパールで見た時の川岸(ガート)で荼毘に付す光景、炭素化した死体 が灰と共に焼き場から川に流されるあっけらかんとした光景は、 強烈で異様な世界に映った。 ひとは、水の流れのように地球上を巡る自然の営みとその調和の中にある。死は生命が別の 生命に移ることでもある。その光景は生命の誕生のプロセスに帰り、母なる大地と一体化す る一つの儀式であったと思えてきた。 ル・コルビュジェは、1950 年、63 歳の時にチャンディガル首都計画のため初めてインド を訪れる。ルイス・カーンは、1962 年、61 歳の時にドーシによって初めてこの地、インド を訪れる。共に共通するのは、独自の新しい建築的原理をハッキリつかまれた後、その言語 が展開され、さらに深められようとする時期にインドに巡り会っていることだ。二人は、建 築に奉仕するもの以外はそぎ落とし、人間そのものに語りかけてくる迫力ある空間を、イン ドの大地の上に生んだ。 ルイス・カーンのインド経営大学は、レンガと鉄筋コンクリートのソリッドな幾何学形態 が秩序立って立ち上がるが、空間は決して単調ではなく、様々な出合いの空間を生む。大き くくり抜かれた開口部から緊張感溢れる半外部空間に光が差し込む。 陰影の富んだ光のグラ デーションやリズムのある多彩な間接光が沈黙の世界に導く。 ひとの奥深い魂まで向かわせ て、自己の中に宇宙を感じるような空間をつくりあげている。それは個と宇宙の関係を論ず るインド精神世界の空間と相通じる。 ル・コルビュジェの 4 つの作品は、初期の住宅の 4 つの建築構成から展開していると考え られるヴァリエーションをもつ。 これらの建築はインドの大地から得たものを掘り下げるこ とによって、チャンディガルの建築と共に傑出したものになり、その後の展開に大きな影響 を与えたと言っても過言ではない。それまでの近代的な表現から吹っ切れたように、インド 文明のエッセンスを感得しながら、 大胆に自由な表現を獲得していったのではないだろうか。 大地の上に様々な動物やひと、樹木や植物、何もかもが生きている、その生きるものの営み や調和、自然の内にこもる力と深さ、そうした宇宙の根底的法則を強く感じていたに違いな い。 コンクリート、レンガ、鉄、石、木材、土、水といった材料の扱いは、人間の皮膚、触覚 にますます直接的に訴えてくる表現になる。赤・青・緑・黄など極彩色が多用され、光によ っていきいきと力強いフォルムと色彩の音楽を奏でる。光は健康的で均質的な光から、深み と動きのある光と影が共演するようになる。 この文明の上に築かれた様々なインド建築に面し、 そこから直感的にその普遍性や宇宙観 を読んだはずだ。ルイス・カーンも同様だっただろう。たとえば、南インド・マドゥライの 寺院都市は、 重厚で荘厳化した壁と柱で形づけられる直線上の闇の空間の中に光が注ぎ込ま れ、それが巡るように中心に向かっていく。この観点は特にサラバイ邸や美術館に影響して いるように見える。ファテプールシクリ(16c、ムガル帝国アクバル大帝の都市城塞)では、 テント的装置、様々な日除けや庇、チャトゥリ(パラソル) 、建築のスケール感などが軽や かな建築にする。光と影、風、水の巧みな扱いがなされ、イスラムの空間構成に基づきなが ら様々な異質文化形態をもつ空間が軽やかにミックスされ、 丘の上で自由で絶妙な配置がな されている。サルケージュ(16c、アーメダバード、人工池を中心に構成化した墓廟とモス ク、宮殿のコンプレックス)では、同じく巧みな水の扱いがあり、光や風を心地よく通す美 しいジャーリ(石の透かし彫りスクリーン)や様々な日陰をつくる工夫、聖水化させた人工 池の廻りに涼風が得られるように空間が構成されている。これらの要素は、ショーダン邸や 繊維業会館をはじめ、どの作品にもつながっていく。 深く捉えたいのは、 インドの豊かな半外部空間である。 大きな樹木には牛やラクダ、 やぎ、 さる、りす、鳥や虫など様々な生き物が、食べ物と憩う場所を求めてやってくる。そこは人 にとっても、強い日射しを遮り涼風が得られる空間である。樹木は大地の建築でもある。住 環境においては、日陰を建築がつくり、広いヴェランダやオトゥラ(入り口ポーチ) 、バル コニーやジャローカ(上階に張り出した覗き出窓)などが、人が憩え、集える心地よい半戸 外空間をつくっている。そういう場所では、コルビュジェがとても興味をもったチャールパ イ(インド式縄編みベッド)がよく愛用される。このような半外部空間は、堅い境界をなく し、風や光、動物、樹木、植物、水といった周りの自然と人との徹底的な交歓を生むことが できる。単に視覚的ではない、五感と交わり、自然の存在が際立つ。人ばかりか、人と自然 の強い繋がりをつくり、表情豊かで自由な空間をつくり出す。両巨匠は、このような空間の 存在を認識して、ダイナミックで、新しい可能性を示唆する空間を創りあげた。 インドの大地から生み出されたル・コルビュジェやルイス・カーンの作品は、個人の想像 力が、様々な文明・文化と対峙しながら、時間や場所、国境を越えて大きく普遍化したもの である。ニューデリーの建築を設計した英人ラティアンズのように、それらは国家や権力を 表象する延長線上ではないし、紋切り型となった過去や地域のスタイルを真似たり、時代の 主義やスタイル(様式)を主張するモノとは、あきらかに異なる。
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