教養、信仰の人だった生涯文芸に親しんだ女丈夫まつ

ーマに研究を行い、結果として、様々な金沢城の謎が明ら
かになる成果を得ました。その過程で、玉泉院︵永姫︶と
いう 代藩主前田利長の正室の、人となりに触れ、歴代藩
み
金沢ケーブルテレビネットの﹁北國総研のふるさと講座﹂
なみ こ
北國総研は2012︵平成 ︶年 月から 年
にわたって、自主研究﹁前田家の女たち﹂に取り
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でも同じテーマで新番組を初め、研究のステージとします。
ひがしよつやなぎふみあき
東四柳、横山研究員が担当
まさ
北國総研の研究員である 東 四 柳 史明金
沢学院大学文学部歴史文化学科教授と横山
方子石川郷土史学会幹事が調査、研究を進
きました。NHK大河ドラマの﹁利家とま
つ﹂では、地元識者として資料提供の仕事
を担当し、その時、
﹃加賀藩史料﹄をはじ
め様々な古文書を読み通して、前田家の歴
史を見る目を養いました。東四柳研究員は
﹁どちらかというと、専門ではありません
が、私自身、加賀、能登、越中を治めた前
田家の奥方や姫君にスポットを当てていく
のは、とても意義深いと考え、一生懸命、
勉強していきたい﹂と抱負を述べています。
横山研究員は永年にわたり、加賀藩をス
テージとして研究に取り組んできました。
ふ ばこ
けん うめ ばち
とりわけ、女性については深く掘り下げ、
梅鉢に生きた女たち﹄などの著
﹃文筥
劔
書もあります。北國総研のふるさと講座に
﹁初代藩主夫人から
もここ 年間出演し、
こ
します。
み い
咤激励する﹁男勝りの強い女﹂をイメージ
た
たのですから、世継ぎを生み育て、夫を叱
しっ
の世を生き抜き、加賀百万石の 礎 を築い
いしずえ
の加賀藩初代藩主・前田利家とともに戦国
こういったところだと思います。まさに夫
﹁女傑﹂
﹁救国の奥方﹂
。
ょうか。
﹁女 丈 夫﹂
じょ じょう ふ
まず、まつ︵芳春院︶から始めます。ま
つという人で想起するのはどんな言葉でし
まつに通説と異なるイメージ
満々です。
もにいい番組、いい研究にしたい﹂と意欲
冥 利につきます。全力投球して皆様とと
みょう り
子さんに至るまで調べていけることは研究
京都・大徳寺塔頭
(たっちゅう)芳春院所蔵の芳春院の肖像画。
傍らに、文芸に親しんだことをうかがわせる書見台がある
人の誉れ高かった前田渼子さんや酒井美意
なみ こ
代夫人、その姫君たち、さらに近代で美
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1
組みます。昨年 年間、
﹁金沢城玉泉院丸﹂をテ
世、近代の石川、富山についても探求して
めます。
室、側室、姫君、そして近代に至っての渼子さんや酒井美
い こ
東四柳研究員は中世史が専門ですが、永
意子さんまで探査してみようということになったのです。 年にわたって自治体史編さんに携わり、近
はないか、と考えました。そこで、今年から歴代藩主の正
ゆる正史にはない裏面史、隠れた史実に、肉迫できるので
主の奥方や姫君の足跡をたどれば、加賀藩史料などのいわ
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14
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﹁源氏﹂や﹁六帖の和歌﹂などの言葉が登場する、まつ直筆の書状に見入る左から東四柳北國総研研究員、野積正 射水市新湊博物館主任学芸員、横山北國
総研研究員=射水市新湊博物館
1
して、源氏物語や万葉集に親しみ、自ら和
歌を詠んで、娘たちには読書を勧めるなど、
戦国大名夫人としては、非常にハイレベル
の教養を身につけていたことが分かりまし
ぼ だい
高い教養について述べます。高岡市万葉歴
史館、射水市新湊博物館立山町の立山博物
菩提を弔いながら、家臣たち、子々孫々の
家内安全をこいねがう信仰の人でもありま
館を訪ね、再び金沢へ戻り、野田の曹洞宗
万葉集や源氏物語に親しむ
桃雲寺でフィナーレとしました。
した。
こうしたまつの意外な一面、定番とは異
なるイメージを追い、番組第 回では金沢
城公園のまつが住んだ芳春院丸跡で収録し
たあと、まつの顕彰碑がある尾山神社で石
あずまじの き
2︶年にまつが書いたとされる﹃ 東 路記﹄
を引き合いに、同 ︵1600︶年の﹁慶
長の危機﹂を受け人質として江戸へ出立す
る際、まつが利長に遺したという通説の言
葉とは、真逆のことが書かれていると指摘
しました。通説ではまつが﹁私のことを心
配して、前田家をつぶしてはいけない。私
のことなど捨てよ﹂と伝えられてきました
が、東路記には﹁江戸行きは世のため、君
のためなどと言って、私はそそのかされた
のだ﹂と述べ、決して政治的、大局的見地
りんぜん
から人質になることを決断したのではない
というわけです。
これは﹁人の親の心は闇にあらねども子を
って江戸行きを決意したとも書かれており、
一方で東路記には﹁子を思う心の闇﹂によ
て芳春院が所蔵していたとされます。元御
中期ごろの写本とされ、
﹁紀貫之﹂筆とし
藩前田家に所蔵されていました。平安時代
桂宮家旧蔵に由来しますが、その前は加賀
正念場で、お家を思い凛然と旅立つまつ
の勇姿をいわば打ち消すような一節ですが、
思ふ道に惑ひぬるかな﹂
︵藤原兼輔﹃後撰
物であっただけに、 色の継色紙に金銀泥
の教養に基づく表現のほか、
﹃源氏物語﹄
美術性は類例をみません。こうした豪華な
で草木花鳥を描き、その上に歌を墨書した
に親しんでいたに違いありません。
や﹃伊勢物語﹄から、あるいは西行の歌か
せん。
女千世姫に流麗な筆遣い
さらにまつは
で手紙を書きましたが、中に﹁源氏﹂
﹁六
遺族が寄贈したものですが、ここにも文芸
帖の和歌﹂の名を記した書状が射水市新湊
そんなまつの教養人ぶりをもっと裏打ち
するのが、高岡市万葉歴史館の常設展示で
に秀でたまつの面目躍如の筆跡があり、認
篤信ぶりがとくとうかがえました。
失後に再建したエピソードからも、まつの
軸があります。元和元︵1615︶年の焼
ました。ここにはまつの晩年を描いた掛け
後、再び金沢に戻り、曹洞宗桃雲寺を訪ね
た姿がほうふつします。富山各地を歩いた
しみ、家内安全を願うまつが神仏にすがっ
ろで、研究班も足を運びました。持病に苦
中・立山に祈禱行脚したのは知られるとこ
き とうあんぎゃ
長男利長の室・永︵玉泉院︶とともに、越
利家なき後のまつは晩年、信仰の人とな
ります。とりわけ、人質から帰藩した直後、
博物館にありました。地元郷土史研究家の
す。
﹁前田家ゆかりの﹃万葉集﹄
﹂と題した
識を新たにした次第です。
かつらのみやぼん
などがそれです。
﹃桂本﹄という名称は、
︵ 桂 宮本︶の複製
の万葉集写本﹃ 桂 本﹄
かつらぼん
コーナーで、宮内庁が所蔵する、現存最古
晩年は神仏を崇敬
文物を手にしていたまつは、当然、万葉集
きの つら ゆき
和歌集﹄
︶によっています。こうした和歌
川郷土史学会の野村昭子副会長が、まつの
金沢城公園では冒頭、大手門の豪壮な石
垣の前に両研究員が立ち、番組の意義を述
べました。歩を進めて、城内の二ノ丸跡の
かつ
傍らへ。そこはまつが住んだ芳春院丸があ
や
ったとされるところです。ゲストの青山克
彌泉鏡花記念館館長が、慶長 ︵160
7
1
ら引用したと見られる修辞が少なくありま
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た。利家なき後、落飾して芳春院を名乗っ
てからは、文芸をたしなむとともに、夫の
8色の継色紙に金銀泥で草木花鳥を描き、その上に「紀貫之」が歌を墨書した万葉集『桂本』の複製=高岡市万葉歴史館
㊤まつの顕彰碑の
前でその教養の高
さを語る北國総研
研究員(両側)と
野村昭子石川郷土
史学会副会長=金
沢市の尾山神社
㊦金沢城芳春院丸
跡あたりでまつの
『東路記』について
述べる北國総研研
究員と青山克彌泉
鏡 花 記 念 館 長( 中
央)=金沢城公園
しかし、まつは、実は男勝りどころか、
まさに弱い女の一面をもっていました。そ
映像による自主研究もお楽しみください。
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「ときめきQハイビジョン」
(デジタル009chほか)
日曜日午後1時∼
す。
45分番組です。
「北國新聞ニュース24」
(地デジ9chほか)
土・日曜日午前10時∼、午後4時半∼、同9時∼
「前田家の女たち」を毎週土・日曜日放送していま
前田家の女たち
金沢ケーブルテレビネット「北國総研のふるさと講座」