川村陽一氏瑞宝双光章叙勲記念祝賀会でのごあいさつ - 日本福祉大学

日本福祉大学の提携社会福祉法人(全国に13法人)である青山里会(三重県四日市市)の
川村陽一理事長は、2014年度春の叙勲で瑞宝双光章を受章されました。それを記念して、
8月23日に四日市都ホテルで祝賀会が開かれました。二木立本学学長はその発起人となり、
祝賀会で大学を代表して以下の挨拶を行い、その後「ヨイトマケの唄」を披露しました。
-------------------------------------------------------------------------------川村陽一氏瑞宝双光章叙勲記念祝賀会でのごあいさつ
川村先生、この度の御叙勲、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
私は、先生には、一研究者としても、日本福祉大学学長としても、長年、大変お世話に
なっています。それについてお話しし、ご挨拶に代えたいと思います。その後、「ヨイト
マケの唄」を歌わせていただきます。
まず、医療経済・政策学の一研究者として、先生にお世話になったことを述べます。私
は、今から約20年前の1996年に「保健・医療・福祉複合体」(医療機関の保健・福祉分野
への進出)の全国調査を始めました。まず、全国的に有名な複合体に資料をお願いしたの
ですが、小山田記念温泉病院(当時の事務長は本学OBの小崎芳宏さんでした)から、即
座に、大量の資料を送っていただきました。その2年後の1998年11月26日に、複合体につ
いての共同研究をしていた本学の教員と一緒に、初めて病院や施設を見学させていただく
とともに、川村先生から、複合体の経営戦略と2年後に迫っていた介護保険制度開始への
対応について、率直なお話をお聞きしました。その後、他大学の研究者(2001年2月9日)、
私の学部ゼミ生(2002年6月7日)とも見学させていただき、小山田記念温泉病院とその周
辺の施設はほとんどすべて見学できました。唯一見学できていないのは、病院の最上階に
ある展望風呂だけです。その後も、先生のお話しは何度も聞かせていただき、その度に、
先生の強い使命感と鋭い感性と旺盛な事業意欲に驚嘆しています。
これらの見学と先生のお話を通して感銘を受けていることが3つあります。第1は、先
生が介護保険開始前から着々とそれへの準備をされていたこと、および開始後も毎年のよ
うに新しく先進的事業を始められ、全国の複合体のフロントランナーであり続けられてい
ることです。第2は、医療法人に「主体会」という名称が付けられているように、先生が
常に「主体」的に事業展開をされていることです。先生のこの精神は、福沢諭吉の「独立
自尊」の精神に通じると思っています。第3は、先生が、医療と医療政策だけでなく、福
祉・介護とその政策の勉強も実に旺盛にされていることです。実は、福祉分野では、研究
者の中にすら、福祉の理念を絶対化し、医療の役割を軽視して、医療や医療政策の勉強を
ほとんどしない不勉強な方が少なくありません。それだけに、先生の「生涯勉強」の若々
しい精神にはいつも感服しています。
次に、日本福祉大学学長として、本学が長年、川村先生と先生が率いる医療・福祉グル
ープにお世話になっていることを3つあげ、お礼を述べたいと思っています。
第1は、先ほどあげた小崎さんをはじめ、本学のたくさんの卒業生を、青山里会と主体
会に採用していただき、鍛えていただいていることです。私の2人のゼミ生、林と渡邉も
MSWとして採用していただいています。第2は、青山里会さまには、本学の「提携社会
福祉法人」になっていただき、毎年冬に開催する「提携社会福祉法人サミット」をはじめ
とした諸事業に積極的にご参加いただいていることです。第3は、同じく青山里会さまに
は、昨年創立60周年を迎えた本学の記念事業の協賛団体に加わっていただき、さまざまな
ご支援をいただいていることです。
今回の叙勲を機に、川村先生がますますご活躍されると共に、青山里会・主体会をはじ
めとする諸法人・施設の事業が発展することを期待しています。
次に、「ヨイトマケの唄」について説明させていただきます。この唄は、美輪明宏さん
が一昨年の紅白歌合戦で歌って、全国的な話題を呼びましたが、作られたのは約50年前の
1965年であり、しかもその舞台は1950年代前半と思われます。この点について、私は、昨
年の本学入学式の学長式辞で、次のように述べました。「日本福祉大学の前身である中部
社会事業短期大学は60年前の1953年に創立されたのですが、当時の日本はまだ非常に貧し
い国でした。皆さんは、昨年の紅白歌合戦で美輪明宏さんが歌った『ヨイトマケの唄』を
聞かれましたか?この歌は、当時ヨイトマケとさげすまれていた日雇い労働者の誇りと尊
厳、母と子の絆の大事さを高らかに歌い上げた、心にしみる唄です。そして、この歌の舞
台は、日本福祉大学が創立された1950年代前半だったのです。本学の創立者で初代学長の
鈴木修学先生は、『ハンセン氏病救済』など、弱い立場にある人々の真の幸福を願ってさ
まざまな福祉活動を行われる中で、大学教育で福祉の専門職を養成することを決意され、
本学を設立されました。」
このように「ヨイトマケの唄」は本学の創立とも関係が深いため、ぜひ本学の「第二校
歌」(もちろん、象徴的な意味です)にしたいと思っています。そこで、昨年4月1日、
学長に就任したその日に、美輪様にそのお願いの手紙をお出ししたのですが、残念ながら
御返事はいただけておりません。もしご許可いただいたら、大学がインターネットで配信
しているオンディマンド授業「日本福祉大学の歴史」の導入で歌おうと思っていたのです
が、できずじまいになっています。しかし、大学内外の各種の研究会や催しの後の懇親会
では、できるだけ歌うようにしています。さらに私は、この唄を世界に拡げようと、英語
訳と韓国語訳、中国語訳を作り、社会福祉・社会保障の国際会議の懇親会では、お手元に
お配りした4か国版の印刷物を配布し、簡単な説明をした上で、歌っています。今年も、
9月に中国で、10月に韓国で歌う予定です。
前置きはこのくらいにして、歌わせていただきます。
(以下の「ヨイトマケの唄」の歌詞は省略)
2014年8月23日
日本福祉大学学長
二木
立