妊娠後期に発見された胎児乳糜腹水の 1 例 - 弘前大学医学部医学科

第 16 巻,2001 年
症 例
妊娠後期に発見された胎児乳糜腹水の 1 例
弘前大学医学部産婦人科
重 藤 龍比古 ・ 谷 口 綾 亮 ・ 福 原 理 恵
坂 本 亜希子 ・ 二 神 真 行 ・ 坂 本 知 巳
丸 山 英 俊 ・ 佐 藤 秀 平 ・ 水 沼 英 樹
青山バースクリニック吉田産婦人科
吉 田 秀 昭
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AOYAMA BIRTH CLINIC
となった。
は じ め に
身長 157 cm,体重 60.6 kg,血圧 125/67,脈
胎児腹水症のうち単独で出現する胎児腹水
拍 80/ 分,体温 36.2 ℃,子宮底長34 cm で,血
症は比較的まれな疾患であり,全身性浮腫を
液型 AB型 Rh
(+)
,不規則抗体(−)であっ
伴う胎児水腫とは異なったものと考えられて
た。
いる。今回我々は,妊娠37週より胎児腹水を
血液学的検査は WBC 11,840/mm3,RBC
みとめ,分娩後の腹水穿刺により乳糜腹水と
369 万 /mm3,Hb11.3 g/dl,Ht34.3 %,血
診 断し, MCT(medium chain triglycerides)
小板 20.8 万 /mm3,梅毒血清反応陰性,HBs抗
ミルクの経口摂取にて良好な経過をたどった
原陰性,HCV 抗体陰性の他,トキソプラズ
マ,風疹,サイトメガロ,ヘルペス,パルボ
一例を経験したので報告する。
B-19,EBウイルスのI
gM 抗体はすべて陰性
症 例
であった。
25 歳,3 回経妊 1 回経産婦。既往歴・家族
超音波所見では胎児に腹水を認め,腸管は
歴は特記すべきことなし。妊娠初期から前医
腹水に浮遊し,やや浮腫状であった(図 1 )
。
にて妊婦健診を行なっていた。妊娠 35 週まで
胸水,心拡大,皮下浮腫は認めず,Amniotic
USG では特に異常を認めなかったが,平成
FluidIndex(AFI)は 20.4 cm と若干多めであ
13 年 8 月17日,妊娠37週 2 日の時点で超音波
ったが,その他には明らかな異常は認められ
上,胎児に腹水を認めたため同日当院を紹介
なかった。PreloadIndex(PLI)は 0.21 であ
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青森臨産婦誌
図 3 児の超音波所見 側腹部の腹水貯留を認める。
図 1 入院時超音波所見 腹水中に浮遊する腸管が認
められる。
図 2 出生直後の写真 外表上の異常は認められなか
った。
図 4 胎児腹水細胞診 リンパ球を認めるが,上皮細
胞は認めなかった。
り心不全徴候はみられなかった。
と同様に腸管浮腫も認められた。診断を目的
妊 娠 38 週 1 日 で 自 然 陣 痛 発 来 し,fetal
として側腹部より腹腔穿刺を行ない,約 80 ml
distress 徴候は認めず,分娩所要時間は 6 時
の腹水を吸引した。吸引した腹水の性状は,
間で経腟分娩となり,体重 3,330 g,アプガー
黄色でやや細胞成分が多い色調の液体であっ
スコア 1 分値 7 点,
5 分値 9 点の女児を娩出し
た。細胞分画にてリンパ球が 93.2 % を占め
た。臍帯血のアシドーシスはなかった。ま
ており,スメアでも上皮成分は認めなかった
た,臍帯血の血液型はB型Rh(+)で,貧血
(図 4)
。以上の結果より,
乳糜腹水と診断した。
や多血症もなく,直接クームステストも陰性
治療目的に留置針を留置して,持続ドレ
であった。
ナージを行なった。12 時間後に自然抜去,翌
児には外見上,腹部膨満以外の異常は認め
日より MCT ミルクによる経口摂取を開始
られなかった(図 2 )
。若干多呼吸であった
し,超音波にて腹水の再貯留傾向がないか観
が,呼吸も良好で低酸素も認めず,腹水貯留
察していたが,増加は認められなかった。そ
による胸腔圧迫の所見はなかった。
の後 21 生日目に体重 3,246 g で,MCTミルク
出生後,施行した経腹超音波では,著明な
と母乳の混合栄養にて退院となった。退院
腹水が認められた(図 3)
。腹水は側腹部から
後,全母乳栄養となった現在も腹水は認めら
下腹部,さらには肝周囲にもみられ,出生前
れていない。
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第 16 巻,2001 年
表 1 胎児腹水の発見週数と分娩方法
報告者
報告年
発見週数
出生週数
分娩方法
星ら 1988
奥野ら 1988
31 週
36 週 4 日
帝王切開
23 週
35 週
浅田ら 新井ら 1989
30 週
34 週 5 日
経腟
1993
26 週
36 週 4 日
帝王切開
長谷川ら
1993
32 週
32 週 1 日
帝王切開
増山ら 1994
25 週
31 週 6 日
帝王切開
29 週
37 週 4 日
帝王切開
32 週
37 週 4 日
帝王切開
30 週
35 週 6 日
経腟
経腟
安岡ら 1996
23 週
38 週 2 日
経腟
千坂ら 1997
25 週
37 週 6 日
帝王切開
徳嶺ら 1998
31 週
─
36 週
帝王切開
38 週 1 日
帝王切開
の報告がある 2)。
考 察
また,
本症例では経過中 fetal distress を認
胎児腹水症は比較的まれな疾患であるが,
めず出生直前の超音波で胎児の腹囲が 36 cm
今回の我々が経験した症例は,免疫性胎児水
と極端な増大を認めなかったため,経腟分娩
腫の要素もなく,超音波で腹水以外の異常を
を選択した。一般的に娩出方法としては,腹
認めず,TORCHをはじめとするウイルス抗
囲が増大しているため腹部娩出時に分娩が停
体価も陰性であった。また,出生後の腹水検
止し難産が予想されること,腹腔内出血や腸
査の結果より多数のリンパ球を認めたため,
管破裂の可能性が否定できないこと,などか
容易に乳糜腹水症と診断することができた。
ら帝王切開術が選択されることが多いが,前
過度の腹水が胸腔を圧排して肺低形成を合併
期破水後に胎児腹腔穿刺により腹水を除去し
することもあり,その予防として頻回の腹水
た後に経腟分娩とした例もある 3)。 胎便性腹
の除去が有効であったとの報告 1) もあるが,
膜炎による胎児腹水児の経腟分娩症例では,
本症例では,
腹部の膨大により分娩が停止し,臍帯圧迫に
①発見時,既に妊娠 37 週で胎児の成熟が期
より死産となったと報告されている2)。 参考
待できる状態であり,必要があれば帝王切開
までに,我々が調べた範囲での胎児腹水の発
術等ですぐに娩出可能であったこと,
見週数,分娩週数,分娩方法を表 1 にまとめ
②腹水の増大による胸部圧迫,ならびにそ
た 1 ∼ 9)。13 例中 9 例において帝王切開術が選
れによって起こる胎児循環動態の悪化がみら
択されているが,前症の様に胎児腹水だけで
れなかったこと,
は必ずしも帝王切開術の適応とはならないで
などの理由により胎児期の腹水穿刺を施行し
あろう。
なかった。もし,胎児の成熟が期待される前
乳糜腹水の原因としては,何らかのリンパ
の時期で,胸部圧迫による循環動態の悪化や,
管形成不全が疑われている。よって治療に
肺成熟の阻害が考えられる場合には,診断も
は,リンパ管の側副路が形成されるまで乳糜
兼ねた胎児の腹水穿刺を行なった方が良いと
の生成を抑えることが重要となり,その目的
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青森臨産婦誌
で MCTが使用されている。MCTは,炭素数
文 献
6 ∼ 10 の中鎖脂肪酸(カプロン酸,カプリル
酸,カプリン酸)を主な構成脂肪酸として持
つトリグリセリドであり,一般食用油脂とし
て用いられている炭素数 12 以上の長鎖脂肪酸
を構成脂肪酸として持つ長鎖トリグリセリド
とは異なり,小腸上皮細胞内での再エステル
化によるカイロミクロンの形成を必要とせ
ず,腸管のリンパ系を介さずに門脈系に直接
取り込まれるために乳糜の生成を抑えること
が期待される。また,中心静脈栄養法もリン
パ管中の乳糜量を減少させると共に,リンパ
管系の側副路の形成を促進することができ,
有効な治療とされている。本症例では生後 1
日目より MCTミルクの傾向摂取を開始した
が,腹水の再貯留はみられなかった。
一般に本症は,娩出後に MCTミルクによ
る食餌療法により自然治癒がみられることが
多い。しかしながら,MCTミルク開始後も
腹水中の総蛋白濃度,トリグリセリドが減少
したにもかかわらず,腹水量が減少しなかっ
た例も報告されている 8)。 この症例では中心
静脈栄養法を 4 週間施行した結果,腹水の減
少がみられたと報告されている。このように
基本的に自然治癒傾向のある疾患であり,保
存的治療による経過観察で腹水貯留を認めな
1) 徳嶺辰彦,矢島祥子,中元 剛,大畑尚子,中元 哲,橋口幹夫,村尾 寛:胎児期より発症した乳
糜腹水症の 1 例.日産婦沖縄誌.1998;23:35-37.
2) 千坂 泰,岡村州博,室月 淳,渡辺孝紀,上原
茂樹,矢島 聰:出生前診断における胎児腹水細
胞診の有用性について.日本新生児会誌.1997;
42:109-107.
3) 浅田美佐,石川 薫,山口一雄,三輪茂美,柴田 均,藤村由美,伊藤 誠,呉 明超,宮崎俊英,
木 村 隆,可 世 木 成 明,風 戸 貞 之,須 之 内 省
三:先天性乳糜腹水症の 1 例.日産婦会誌.1989;
41:231-233.
4) 星 順, 内 田 高 美 子, 進 順 郎, 仁 志 田 博
司:胎児期から発見・管理された乳糜腹水症の
1 例.周産期医学.1988;18:148-149.
5) 増山 寿,平松祐司,高本憲男,正岡 博,工藤
尚文:胎児腹水症例の検討.日本新生児会誌.
1994;30:130-107.
6) 新井一夫,伊藤 桂,佐藤純一,熊切 芳,稲葉
憲之,竹内久弥:妊娠 26 週に胎児腹水を診断し
えた先天性乳糜腹水症の 1 例.産婦実際.1993;
42:937-940.
7) 安岡真奈,濱田洋実,藤木 豊,和田 篤,奥野
鈴鹿,山田直樹,宗田 聡,久保武志:出生前診
断と管理を行なった胎児乳糜腹水の 2 症例.日本
新生児会誌.1996;32:891-894.
8)
くなることが多いが,本症に合併した非免疫
性胎児水腫の例 9) や呼吸障害により死亡した
例 10) も報告されており,本症と診断した後で
あっても,慎重な管理が望まれる。
ま
と
め
妊娠末期に胎児腹水として発見され経腟分
娩となり,腹水穿刺による診断後に MCTミ
奥野順子,田中愛一郎,中村知夫,石蔵裕子,木
下隆弘,谷澤隆邦,和田博義:胎児期より発症し
た乳糜腹水の 1 例.日本新生児会誌.1988;24:
429-434.
9) 長谷川望,中江陽一郎,玉置尚司,浜田郎生,前
川喜平:乳び腹水が原因として考えられた非免
疫性胎児水腫の 1 例.周産期医学.1993;23:
1205-1207.
10) 大久保利武,曽根良治,赤松 洋:新生児乳糜腹
水症の 1 例.小児科診療.1983;46:1109-1112.
ルクによる栄養のみで良好な経過をたどった
1 例を報告した。
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