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つゆの随想
富永ひさお
一
鳴く蝉さえ雛劉や﹁髭藥祭霧静
﹄
れている。 、
梅
.
幽
の
拝
情
は
多
様
の
シ
エ
ル
と
、
生
き
ん
と
す
る
ー
:
又
は
栴雨の持つ拝情。それは一 強く活動せんとする時、即 エツト弘乞熱付つに.艶り09
﹃⇔さみだれに沼の岩垣水越一した和歌三首の最後の歌、
橋
字脱字が五ツ六ツもある レ
肇
中里は民俗の寳庫
ヤさ
D、、ー
∫匙
文化財綜合調査の成果
とだけでどこへ、ぎるのか、
弘.甑の証勝かば何も警いてあ
りませんでした。
りません。襲信局が澁谷局
だから東京で彷いている卒
業生が、進宇か就職する爲
に必要なのだとは思うが学
校としては手の打ち橡があ
就職して約一ケ月、仕事
の要領は少しぱわかつたで
しようが、父その鷲さもぴ
しひしと身にこたえ始めて
來たでしよう。 ﹁私にはこ
ワレのワヤヤァキでンごヤげメぐレプノノノングタノノノし
三行知識
業委員が
の小正月行事等、告そのま
まの形が捜つていることは
全園でも珍しいといわれ又
考占では無土器時代︵約一
萬年前︶の遺物が芋川の堂
牛、荒屋の一里塚から襲見
され、市の越の窟場より馳
期約七千軍前︶の土器片が
去に泌惑の手をさしのべる んか。故郷の隔親ぱあなた
度といわれた一、いぶし親、
廓し子﹂︵華親、鳥
一帽子子︶制度がのることが
展見されたこと、、その他
一とりあげ親、とりあげ子、
㎜雀制度で﹁なんご家持一︵名
器などを:分類整理しているところ。高校tの感按も
めつて予想以hの貴重な資料を徽多く獲見すること
されている。
一大きく改.止を加えており、
を有する農地主.事を置かね
され、本村もその例外で・、嫉 一委員会内に部去を設けるこ
く川澤、倉俣と二つで運営 とと、事務局に一定の資格
改選されろ わけ
明十六日ぱ晦放思菜委・只の改
票
の
日
で
あ
る
が 選投
, どう
蔵誇蕊.詠髪麩
これでは村の行政機關と
進められ、あとになつてへ 一して、委員会の性格からし ⋮ぱ衡事の承認が必要である
■ て、合併の出來た午日、そ
. か ら そ ん な こと
ぞか、縣の農萎嚢.檬
工
何
時 に
な
﹄
つたんだというのが一般の の職務の途行に万金なる實 ㎜從來各郡市一名程度であつ
㎜効は期されないことばいろ ︸たものを各町村から一名郷
.通例のようだ。
皿出すことになり、所掌事務
そこで、ソウカそれでや 迄もない。
も援大し、描業事務の大牛
つたんたな、をれならもう そこで先づ農業委員会は ㎜
タ
少し早く教えてくれ﹂ば好 一町村一個に統合するを原 ︸がこ瓦で処理されるよろに
いがんに、マァノ\そう云 ・則とするという宴が一点、 ︸なる。
夏菰鞭譲吋鎚搬
中魚沼地匠の文化財総合一 の越、白羽毛、程島で民間 τ‡ケ、大前、家持、
調査は、縣教育委員會と郡一 傳承を湾古班は桂の向原、 ㎝アタシヤの呼襯田、年巾庇行事
市町村會主催のもとに、中二
央、縣下の灌威者を招へい皿
し、考古、民俗、地質、生㎜
輿護㌶紛誰轍篇皿
これが第一期調査が去る六一
月十七日より一週聞行われ㎜
︸
て大きな成果が畢げられた︸
が、特にこの調査で本村ぱ︸
民俗の賓庫と折紙がつけら︸
れ、第二期調査に大きな期︸.
侍がかけられること、なつ㎜
一 枢庸嵩め清化し餐
︸
供 に㎜食誰塞薮詮分
子
の 食事
わすに最後までよんで下
さい。
一口に云つて法律の改。止
ゆ
ができた。
㎝ 轟
『
た・ 一
︸♂
調査は民俗班が東京教育︷
大学の櫻井教授.十目町高
校の駒形教論、考古班に立一
芹澤講師と縣文化財保護.委一
契學の中川、明治大学の鎌
︸
員の本間嘉晴氏、地質班は㎝
新潟大学の茅原教授と十高皿
の名塚教蒙忠髪つて一
爲眞は1。叛育委員會の二二P皆で32ケ所から獲見され・た.L器、石
農
, ﹄ 、 ■ ー :,F﹃塵 −
セ鴛ー p藍瞬鯛Fき墜’E旨.旨
一 窒ける緩靖蓋著
︸ 内騰の難を防ぎ・巖
聞 杯
水 ⋮物の吸牧をよくするヒに、
によるものだが、以下一要点 ㎜ の
をあげてみたい。
子供は食事中よく水をほ
一 農業委員会法が出來て六
しがることがありますが、
︸ド、その聞全囲的に町村合 ㎜ .ものですから.むしろ食事
︸擁が進められ、町村の救は それを﹃御馳走様をして、
皿三分の一に減じたにもか﹄ ︸すんだらお湯でもお茶でも一毎にコツブ一杯の水を添え
げるから⋮亡讐と一七與えた方がよい.
一わらす、委員会の数は旧町 ポ
一 ︸
一村輩位でそのほとんどが残 一概に斥けるのは⋮間題です。卿
ハ
て
は
、
市
7
嘗 り 、 民 俗 に むい
一一
鞍
食H勘された他、一二十ニカ研﹃ しかし町村規模ば合併によ
の遺跡が確認され.特に田 り廣くなつたのであるから
澤の坂ノ上から彌生式土器 從來⋮選羅による委員は、一
が発見されたことは.地理 委員会十五名でぽ農民との
的にみて摯堤の間題となろ つながりの薄くなるところ
が出來るとも考えられるの
う。
地質は後期調査に備えた で、これを十人から四十名
に止まつた。
迄に巾を振大し、町村の條
例できめることにし、本村
ぱ十六名とする事とした。
この二点が改選の主なる
原因であるが、改正法では
更にその組織運営の面にも
書の書き振りも大人ぴてい 電報が配.憩されたので、開 はありませんか。よくあの え難しとつい、卒業鷹眞や トマトを熱一、陶に入れ三十秒
人は魔がさしたのだとい\ 家族の爲眞をしみん‘\眺め 位で出して皮をばぎますと
て、教務室ではなか/\好 いて見ると、
評でした。 一枚の葉書に誤 セイセキショウ,、・イ.丁ク ますが、悪魔はそうした機 いるようなことはありませ 容易にむけます。
の仕事がむかないのではな
いか、もつと楽で牧入の多
い律事が外にめるのではな
いか一と無のふらつくこと
のです。役職に居る職場の方が心身共に健康で、一人 す。
これが五月雨⋮⋮。それ
先輩は例外←.砥しに幾多の困前の八間にすく/\成長し
にともなう洪水。:⋮.とい
難と跳つて、今日の地位を築てくれることを期待して、
つた種々の自然現象が我六
いたものです。 一躍小檜かあの田沢の騨で見途つたの
日本人の性格を、そして.
ら和術にのし上るような野です。列車が七川の橋をわ
無情観思想”を形成してい
暮な超.王を起さすに歯を食いたつてあなた方の振る手が
つたと云う事は、誇張でも
しばつてこ、一、二年間頑見えなくなるまで涙ぐみつ
なく、 一つの事實として我
張つて下さい。私は呼び鼠。つ見送つたのです。
十六蔵の時師範の寄宿含に どうか健康で職場ではな 々は納得する事が出來るの
入り、消灯ラツパを聞き乍くてはならぬ八物になるよ です。
こうして我女は昔の姿を
ら衣が懸しく親の有難さにう、一日々々を眞劒でお彷
歴史的に眺める事も可能で
布團の襟をぬらしたあの、 き下さい。では御多幸を顧
あります。
少年時代を忘れる事が出來ります。
若葉に雨の光るのをみや
ません、あなた方にはそん
りながら、私のつゆえの随
ことがのりませんか。中学
時代の生活が今更のように
想はとめどなく績く;⋮・。
豪つかし宝れて望郷の念堪 くへくロヤをききロさををご 〃 ﹃
牽3重●﹄▼︸,ホー▲マヲ▼←砂δ・まり←●1やまマき$﹃妄▽1▲1●拳寺◎▲甲▲▼←
♂\
亀
就職先の卒業生
、
そして此の事貿は、現代
人の我々が現代人の尺度で
想像する以上に悲惨さをと
もなつているという事實で
そして芭蕉は二句歌わのれ
皿ち内々動女たる生への意欲 そしてこれが過去三手年. えて
が熟焼している時・⋮⋮梅飽・ の.歴史中で.日本人の性格一 眞菰刈るべきかたも知 た背景にこそ、我六が深く
.に依つて人間は長く活動を一 を形成もしたし、又日本文㎝ られす︵金葉集二夏︶ 眼を向けなくてはならない
1ーー4◎▼ー轟書1ーーー1ーー
⋮閉じ込められる.
学三千年の傳統である。 そして近くは江戸時代の松 のではないかー⋮というこ
だから、動々たる生への 無情観、この思想的形成㎜尾芭蕉の、
とです。
意欲は外界に紅蓮の炎を出 の背景でもあつたよ声ノだ。 一◆五月雨をあつめてはやし 即ち歌われた歌の背後に
梅.雨、さみだれ. さつき一様々な場合が予想されるが
五且雨に依つて田や畑を、
いして完全燃焼する事もなく ◆沙乱れに物思い居れば郭一 最上川
あめ
、 うのはなくたし、つ 自然が皆若葉のよそおいを
内でそれが煙り出すのであ㎜ 公鳥 一◆五月雨や大河を前に家二 或は家を流された・:⋮いや
い
う
、
とさまん\ うけ終いた時iー幾日とな
い り 、ば
流されないにしても、相当
一る。
夜深く鳴きといづち行一軒
な呼び名で呼ばれている梅 く瞥、沖り続く雨。それがうつ これが梅雨に依る、いや一 くらむ︵菅家万葉集夏とそして又北原白秋の”から な被害を受けたであろう農
.雨は、昔から我が国におい 一とおしいと云う言葉.ヤ呼ば 梅雨の持つ原型的浮情であ一
民達の姿が想像されるから
◆さみだれて物思ふ時は我一松”の詩等友、数え上げれ
て廣く入々の生活と關係が一れ,
て い る 。 ⋮;がこれを人 一つて、これに様々の八間.の一 が宿の ︸ば逞ないが。
です。
あり、又好んで詩歌に詠ま 間の生への場に置いてみる▽の籍が加讐れてー
内い
長い間御無沙汰致しまし と、相乎の人にマイナスの
評借噛をされますから”一㌫が
た。其の後御元気ですか。
今年はいろノ\の事情で なりません。用心深い人
中里村七ケ校では三十四名 は夜書いた乎紙、は招諾,属冷静
も先生がおかわりになつた な.頭で読みなむさなけ“ば
ので、やつと此の頃軌迫に 投.幽しないといわれてい歪
乗り出した位ですから、皆 す。人から貰つた手紙も熟
さんからお便りをいた穿い 読玩,昧して用件を適雌に譲
ても御返事もあげす、すみ みとると,同時、に休裁や文章
のよい庭を兄書う心摘けが
ませんでした。
今年の卒業生は、なかな 必要です。
か宇もうまいし、封書や葉 今年の三月のことですが
反
左
(41)
昭和32年7月15日
と
さ
カ》
な
第15号
昭和32年7月15日
と
さ
カ》
第15号
な
①
水稻栽培
、、、羅繋黙匙場讐鎗豪﹂
ぞということはまれであ
が、当ればウマイが、しく
る。
じるととりかえしがつかな
いから、よく考えてやつて の二十五日前なのだが、丁一李均にまけないが、加里の しかも子供たちを残して
度その時、色がサメてく二貫位か、砂をまぜてま 夜間も、それも映薔見學と
もらいたい。
偽嘱
注意
貼鈴篭震誕鍵奪しよう︵嚢師︶
,帆璽
ろ・つ
家庭での子供の躾
合つ
て
3====3働=監=33==一。一3一==一=;9=,騎一=33=一==ξ==亀猛33=,・一呂=3=監監=言3.9..一一33霊=333==監.一33==雷3・言3=。8。鐸
9
なで、
子供な水難 カら
ン
の中に含まれている脂肪の ない方がよく。又緑茶やコ 十人のうち五人位の割でハ ︸◇⋮⋮つぎに蚊であるが、
他は、殊更に調理に油とし ーヒーのようなアルカロイ⋮三によつて傳染したことが 一蚊は恐しい旦本 炎を媒介
ぼ
するもの等たくさんの種類
て使わぬ橡にします。です ドを含む飲料も血.墜を高め わかつた。
からカツレツ、フライ、油 る性質をもつていますし、 ◇⋮⋮ハエを退治するには ︸があるが、襲生場所は大体
漬のような、油を使つたお アルコール類︵酒、ウイス 嚢生源をおさえるのが根本 一下水.肥料だめ、墓地の花
料理は適しません。
キー、ビール︶も同じよう 種類によつて嚢生場所も 一立、竹やぶの切かぶ、水田
③食塩
に血墜を高める性質をもつ
ち
がいますが、ゴ、・・箱、便 ㎜池沼、水槽など、水のたま
を減すことが最も大切なこ 一日に八∼十瓦に制限し ていますから、これも又止
所
、台所を常にきれいにし つた場所ですから.先ず蚊
とですが、急に絶食をして ます。だいたい健康な人の めた方がよく、淡酸飲料
て置くこと。普通便所のく の発生を防ぐには水をなく
やせさせることはよくあり 牛分ですが、この分量を嚴 ︵サイダー、ソーダ水、シ
み取口や、落し口には必す
テ
る
ことが第一.であ・るが、
ません。長い期間に亘るも 重に守つて下さい.塩分の ト・ン︶はこれを飲みます
下
水などは流れをよくする
ふ
た
を
す
る
こ
と
。
ハ
エ
の
嚢
のですから、全身の榮養と 計り方について申し上げ
と、炭酸が腸にたまつて鼓
生
し
そ
う
な
所
に
は
D
D
T
の
こと。池沼、水槽などは魚
云うことも十分に考えなけ ますと,食塩一瓦︵茶匙四 腸︵おなかがはる︶の歌態
石飼うとよ・
ゾ
ー
ル
等
散
布
す
る
。
ればなりません。
分の一杯︶は醤油︵茶匙一 となつて血墜を高めますか
茎ノ︾妻⋮
▽量を少くしなければなら
杯
︶に当ります。随つて食 ら、少量ならよいのですが ︵二面からつづく︶
いう。
ない食物
塩四瓦︵茶匙李一杯︶は醤 p澤山に飲んではなりませ
ω蛋白質性食品の食べ方
油二十瓦︵茶煽四杯︶に當 ん。
︵肉類、魚貝類︶
ります。食塩八瓦︵茶︷李 ⑤水分
蛋白.質をとるための食べ
二
杯
︶
ぱ
醤
油
四
十
瓦
︵
茶
逆
水
分を澤山に取りますと
物の種類は、先す獣肉類は
直
接心臓や腎臓の負担を重
㎜八杯︶に當ります。
さけます。つまり牛肉、豚 商香辛料
くしますので、注意しなけ
肉、牛肝臓.ハム、ソーセ
香辛料郎ち、胡板、辛子 ればなりません。のどがか
ージ、肉汁、肉スープ等は
わかぬ程度に止めます。
禁じます。魚のうち、白身 石輩、わさび、妻、カ ︵以下次号︶
レー粉等は特に強烈な刺戟
の魚を一日に五〇1六〇瓦
高血塵の人のU
高血墜症と云う病氣は、
先す最初に血.墜が高くなつ
て、その結果全身の動、腿硬
化が起り.その爲に色々な
病歌を呈するようになる慢
性の病氣ですが、高血.墜症
の大多激は良性高血.墜症で
に罹るものではありませ
血墜ぱ高くとも適切な養生
をすれば、十分長生き出釆
やたらに臓卒中や心臓衰弱
ん.
▽高血.墜症の予防と治療
も賢明なのです。
衛生的生活によつて、日
常生活中に起り易い過労と
過食とを出來るだけ避ける
檬に注意します.先す第一
に、高血墜症の血墜は、普
通の血墜と異り、非常に動
揺するものですから、心身
の過労をさけると共に、早
寝、早起きと時折りの休養
期日を作るようにします。
そして適富な養生さいすれ
ば、危瞼はないと云う確信
をもつて生活することが最
守
し
極竃つてい享から用い
︸ ー⋮ −
を用います。牛乳は一日に
土にしたいものだ。
二合まで、卵は中位の大き 蚊、蝿を退治しよう
さのもの一個を使用して差 一匹の蝿二カ月 一◇⋮:ハェは一月に約二百
個の卵を産み、卵はかえる
支えありません。植物性の
後に百万匹
と一ケ月もすれば立一汲な成
蛋白質性食品は、豆類とそ
の製品、大豆、豆腐.納豆 暑くなつてハエ、蚊がも 虫になりますから七月の一
黄奈粉等を余り多くなく使 つとも多く出るシーズンに ⋮匹は八月の千匹、九月の百
万匹に相当するといえる。
なりました.
用します。
村がハエ、蚊の撲滅を目. ハエぱ色女←な傳染覇病をぴ
②脂肪性食品の食べ方
出來るだけ少くします。 ざして今年で三年目になつ ・ろめますが、 一番困るのは
即ち、脂肪類はこの病人に 一た。みんなで協力しあつて 赤痢です。
ぴかえた方がよく、食ぐ物一これを控滅し、住みよい郷⋮ 厚生省の調査によると、
︵普通の一切れの三分の二︶
寿食
饒餌
栄
奎療
奥法
を
村
紹
幸介
▽食 餌療法
食べ物について一番悪い
ことは、分量を食べ過ぎて
肥ることです。食事の分量
.
一
弟妹の世話や夕食後のあと 子供の善意は、こうして
しまっぐらい自分に出來る しばく大人の無理解から
のだから、という心持から ふみつぶされてしまうこと
のことぱであつたかも知れ が少くない。
家庭における子供たちの
ない。
いや、私ぱその長女のこ しつけは、子供たちの身に
とばをそんなふうに氣持よ なつて考えてやることから
くうけとめて﹁はい!\ ではないだろうか。しつけ
ではお願いしますよ﹂とあ ということは西決して大入
つさりいつてしまいたいよ芝け髪え艇つ三方的
に
お
し
つ
け
ロることではなか
うな氣がする。
翌朝になつたら、いろい ろう。
ろ映書の話でもしてみたら 大人の一方的なおしつけ
どうだろう。むしろそうし は子供の自主性を育てない
た態度の方がほんとうの意 ときには夫婦二人で出かけ
味での父母への愛情や、理 子供たちにあとをまかせて
解や、.尊敬が子供たちに生 見ることが、夫婦に毛子供
にもよい結果をもたらすよ
れてくるともいえる。
子どもが何かといえば理 うな氣がする。
くつをいうといつて叱り、 こんな生沽も遠い縁のな
自分の立場をはつきりこと い彼岸の話におわらせたく
ばにすれば口ごたえすると ないものである。
一
一
子
みん
大体稻は一生のうちに三 れま塁が、そうは茎き、決して婁響奮よ いうのだから、ちよつと私
たちの生活とぱかけはなれ
回赤くなる。といわれてい く行かないのが普通であ一うにする事が大事。
長岡の試験場長は﹁現在 テも七月二十日頃には終ら るが、その一回が出穂の二 るから.二十五日少し前な︸穂肥にリンサンをまくの たものに思われる。
この家庭では、そんな場
の所、水稻の成育は順調で なければならない。
十五日前頃なのだから、こ らその蓼歪つのが挨濯婁2磋がら意蒙
合がときぐあつたもの
、良8といえる﹂と発表し 止草がおわれば稻もこの の頃薄く色のさめるのが上
か、それともその日が最初
たが、まだ/\安心はキン 頃にはかえつて水を切つて 手な稻づくり。
のことであつたのかは別と
モツ、ほんとうのきめては 干した方が増牧する。
だからこのころ、葉の色
してこのご夫婦にもどこか
これから、 ﹁オー穗が大部 昔ぱこれが、暦の土用と一 がこく、葉がやわらかくた
にてれくさい氣持や、何か
登つたゼヤー﹂てな調子で 緒になつたものだから、土 れさがつているようでは、
わりきれないものがあつた
牛分喜びながら止め草をす一 用干といつたが、今は全く
元肥が多すぎるので、穂肥
であろうことはいなめない
品種によつてまちノ\、止
親の意志を押つけるな
るなどモツテの外. 一 草が終つたら、二、三目小 をやつては大攣、稻の株も
ようである。
止草と中干
とが丸くなつて、稻の子供
そこえ、最近めき/\と
ヒビの入る位干すと非常に
が出來たのに、葉がマツス ある家庭の夕食後の一こ 中学校へ通つている長女 からだつきや口ぶりや、考
ウマイ物は小へ激だが、
よい。
が、 ﹁おとうさん、お母さ え方も大人びてきたと感じ
グで、色がサメたら硫安を ま。
仕事は大勢で、とばかりに
穂
肥
の
や
り
方
反当一∼二貫位、スツカリ ひさしぶりにその家のご んごゆつくりと.あとは大 られる長女に、、ごゆつくり
ワセもオクテも一諸ククの
田の草取り、これが大体イ 穂肥やつてしくじつた。 色がサメて、肥切れがはつ ・夫婦はつれそつて映画見學 丈夫よ。﹂と見途りながら、 といわれただげに父母にし
手まめに夕食後のあとしま てみればグツトきたわけで
ケナイ。止草は出穗の一月 という人が毎年あるようだ きりしている場合には二∼ をする計薔である。
つや、弟妹の世話をやりだ あろう。
前に終らなければ折角今ま
諸になつて満してやること危瞼その他の標示をよく守 した。
でのびた稻の根がズクノ\
ほんとにませた口なんぞ
水難を防ごう
が必要で、年上の子供と一 り、同伴者と別々の行動を 話はたつたこれだけであ 親にきいて、いやらしいと
になる。
出て来る穗が、小さくな 水のシーズンが訪れた. 諸だからといつて安心して とらないよらにし、準備蓮 るが、實は、長女が父母に 感したわけである.
動を必す行い、子供の体力 いつたひと言がなかく大 さて、長女の氣持をわつ
るのは勿論の事、何の爲に 水の事故は七、八月が一番 いるのはよくない.
て見たい。
草取りするのかわからない 多く、しかも十六、七歳以 ②特に幼兇に対しては、 を越えるような長時聞水泳 礎な波紋をよんだ。
田の中をかきまわす、と 下の年少者がほとんどであ 立札や口で注意しても意味 は禁物で、休憩を十分にと ﹁自分の子供ながら、長 この子は、母にまあい噂
る。
がない、川池、溝などの附 るようにすること。また水 女をこんなにいやらしく思 らしいと思われるような気
いう効果は二番ゴまでで、
特
に
こ
の
季
節
に
家
庭
の
人
近の遊びには、親がよく見中 で い た す ら し た り 、 ふざ つたことはなかつた。ませ 持でいつたものであろう
三番ゴ止草は草さえ取れば ち
か
ら
次
の
よ
う
な
点
を
注
てやるか放任しないで、眼けたりしないよろに注意す た口なんかきいて。﹂とは長 か。
良いのだから、二四ーDで た
し
て
も
ら
い た い . の届く範園内で遊ぼせるよること。万一友達が溺れそ 女のひと言をうけとめた時 一 この場合、この子は、と
澤山、出來るだけ出穂一月 意
きには父母もそろつて映画[
つ うにすること。また他人のうになつたら、誰でもよい の母の氣持である。
ω
水
泳
は
危
い
か
ら
と
い 前からは、田の中へ入つて す
る
と
、
か
え
つ
て
子
子供でも危いと思つたら遠から近くの人に救いを求め 私はこの話を聞いていろ ぐらいみに行つて殴しい。
稻の根を切る仕事はやめる て 禁示
いつもいそがしい母に、ゆ
供達はかくれてこつそり泳慮なく注意してやるようにること。出來たら水泳場に一 いろ考えてみた。
事が良い。
当然出穗が基準になると ぎにゆくようになりがちでしたい。 ー ぱめらかじめ浮袋などを用 一般に、私たちの家庭で つくりさせてやりたい。,
5は、夫婦だけで出かけるな ︵三・面﹁へ続く︶
すれば、ワセは早目にオク ある。親は子供の希望を一 ③子供達が泳ぐ場合は、 意しておきたい。
﹁勘 ど こ ろ
こ
「
(2)
昭和52年7月15日
と
さ
カ》
な
第15号
昭和52年7月15日
と
さ
カ》
な
第15号
(3)